鉄道写真の振り返り 2007、2008年 おまけ

2021-08-21 | 鉄道写真の振り返り
2007年、2008年の写真を見直していたら、記録しておきたいものが何枚か出てきたので、とりあえずおまけ。

2007年1月 長野電鉄、湯田中駅に到着した1000系「ゆけむり」
2006年12月に運転を開始した「ゆけむり」。見た目のとおり元小田急ロマンスカー(10000形HiSE )で、展望車に気軽に乗れるようになる!と大喜び。

ところで、この時の長野行きは当時発売されていた「正月パス」を利用したもの。1月1日にJR東日本全線+α(三連休パスに類似)が乗り放題のきっぷで、グリーン車用(指定4回まで、15,000円)を奮発。元日から何を遊んでいるんだとお叱りを受けそうなものだが、1回試してみたかったので。
ルートは、赤湯→大宮→長野→湯田中→長野→松本→下諏訪→新宿・東京→赤湯であった。

2007年1月 松本駅で発車を待つ臨時特急「はまかいじ」
横浜~松本を横浜線経由で運行されていた「はまかいじ」。残念ながら2019年春以降設定が無くなった。この時は、松本→下諏訪でちょい乗りしただけで、「はま」の恩恵にはあずからず。
写真の185系は2021年春のダイヤ改正で定期運用が無くなり、背後に写るE257系が転属して「踊り子」などを引き継いだが、「はまかいじ」を継ぐことは無理そう。

2007年1月 冬の米坂線を走る快速「べにばな1号」
キハ40+キハ52+キハ47の3両編成。この頃、「べにばな」は1.5往復が設定されており、1号は唯一米坂線内で快速運転を行っていた(運転区間:米沢→坂町、通過駅:成島、中郡、犬川のみ)。この1号も2007年春の改正で各駅停車化され、昼時間帯に下り快速を見ることはできなくなった。また、2021年の今、米坂線に3両以上の定期列車が走ることも無く、大変物足りない。

2007年9月 小淵沢駅の中線に停車中の115系
「スカ色」の115系。中央本線から115系は既に去り、新潟地区で最後の活躍中。

2007年9月 小淵沢駅に入線するキハE200
この時のお目当てはハイブリッドディーゼルカーであるE200。18きっぷの旅では悪天候のため乗車できず、くやしいので再度の訪問。
このあと、「はまかいじ」で横浜まで移動したが、残念ながら写真が残っていない・・・。

2008年10月 山形駅に停車中のキハ28+キハ58(修学旅行色)
九州旅行の本当の最後がこれ。その昔、急行「月山」などで運用されたアコモデーション改造車が、修学旅行色(通常:クリーム→本編成:黄色)に塗り替えられて最後の活躍。「つばさ」を降り、ついに長旅が終わった!と思ったところで、思わぬお客様であった。

2008年11月 弥彦駅で発車を待つ115系
「弥彦色」の115系2両編成。ところで、弥彦駅には(おそらく)出発信号機が無く、駅のすぐ先の踏切をどうやって作動させるのか?と興味深く見ていたら、発車後超低速(10km/h以下?)で走行→踏切作動→踏切通過→その後加速といった感じだった(と思う)。とにかく、路面電車みたいだ!と思った記憶がある。
弥彦線は、非電化(電車運転の廃止)の噂もあるようで、近いうちに訪ねてみたいのだが、コロナがなかなか収まらず出かけられずにいる。

鉄道写真の振り返り 2008年 その4

2021-08-15 | 鉄道写真の振り返り
この旅では、屋久島に2日、種子島に1日滞在後、ジェットフォイルで鹿児島に戻り、さらに約1.5日かけて山形に帰る行程とした。
帰路に時間をかけたのは、悪天候で船が出なかったときのために日程に余裕が必要だ、というのが表向きの理由、往路と同じではつまらない、というか単純に肥薩線と500系「のぞみ」に乗りたかったというのが本当の理由。

まずは鹿児島中央から肥薩線経由で吉松へと向かう特急「はやとの風」。


霧島温泉駅で普通列車とすれ違い
左の特急、右の普通列車、色は違うが形は同じキハ40系(キハ47)。
つまり、米坂線で見慣れた↓である。

普通列車向けの車両を特急用に改造してしまうJR九州はすごい?
ただ、乗り心地は特急のレベルにはほど遠いものであった(線路の影響も大きいだろうけど)。今は「上下制振制御システム」を搭載しているらしく、乗り心地を試すべくもう一度乗ってみたい。


同じく霧島温泉駅の長い長いプラットホーム
2両編成の列車では完全に持て余している。


吉松駅に並ぶ特急「はやとの風」(左)と普通「しんぺい」(右)
キハ40系同士の乗換。

「しんぺい」は吉松→人吉の矢岳越え区間に運転される列車で、2008年当時は同区間を普通列車として1日2往復運転されていた(人吉→吉松は「いさぶろう」として運転)。その後、2016年に1往復の運転区間が吉松~熊本に延長され、さらに2017年から同列車の人吉~熊本が特急列車に格上げ(!)された。

真幸駅に停車する「しんぺい」
わずかな時間であるが、宮崎県に足を踏み入れる。

この後、列車は一度目のスイッチバック。さらに、無事三大車窓やらループ線やら二度目のスイッチバックやらを堪能し、人吉に降りてきた。


人吉駅で発車を待つ特急「九州横断特急」
なかなかスケールの大きい名称だが、人吉→熊本→大分→別府と走るので、看板に偽りはない。日程にもう1日余裕があれば全区間乗ってみたかった。

窓越しに、くま川鉄道の車両たち
何の気なしに撮った写真であるが、左側のKT-31形、右側のKT-100形ともに引退しているので、記録としてはまあまあ意味のあるものに。特に、KT-31は元JR九州キハ31で、その存在を今まで知らなかった(撮影当時は何も意識していなかった)。

ところで、これを書いている2021年8月現在、肥薩線の八代~吉松とくま川鉄道の全線は、2020年の豪雨がきっかけで不通となっている。くま川鉄道は復旧に向けた動きが見られるが、肥薩線は・・・ちょっと心配。

さて、旅の最終日は500系「のぞみ」。最初で最後のグリーン車を奮発。

博多駅に入線する「のぞみ」
この時点で定期列車としての運転は1日2往復となっていた500系。がんばって早起きして7:00発の「のぞみ6号」を待つ。

500とともにWEST JAPANが誇らしげ


500系が特別であることを示すサイン

一昔前の東京駅
500系、300系は既に引退し、N700もN700Aに改造済み。後方の東北新幹線にはうっすらと200系の影が見える一方で、E5系登場はまだ先のこと。新幹線の移り変わりは早い。

博多に向かって走り去る500系

一応、これ新婚旅行でした。

鉄道写真の振り返り 2008年 その3

2021-08-09 | 鉄道写真の振り返り
2008年の秋、九州を旅する。5泊6日(うち車中泊1泊)は、私にとって大旅行であった。

最初の目玉は寝台特急「はやぶさ」。この時点で、「はやぶさ」は併結運転される「富士」とともに東京と九州を結ぶ最後のブルートレインとなっていて、近い時期の廃止も既定路線といった状況。(正式には2009年3月ダイヤ改正での廃止が2008年12月に発表)そんなわけで、発車を待つ東京駅には多くのギャラリーが詰めかけていた。


東京駅10番ホームで発車を待つ寝台特急「はやぶさ」
小さい頃「はやぶさ」といえば西鹿児島行きであったが、1997年に運転区間が熊本までに短縮された。それでも、終着まで17時間強の長旅には変わらない。
列車は「はやぶさ」「富士」ともに6両ずつで、A個室シングルDX、B個室ソロを各1両つないでいるもののロビーなどの設備はない。「北斗星」並といわないまでも、「あかつき」ぐらいの設備(B個室デュエットとか)があったらもう少し利用しやすかったのだが。
なお、牽引機EF66はホームからはみ出して停まっているため、残念ながら写真には収まらず。

下関にてEF66を切り離し、機関車交換を待つ
関門トンネルを前に直流機EF66から交直流機EF81へ付け替える。下関到着後、EF66はあっという間に去って行った。


EF81の連結完了
その後、EF81が速やかにやってきて機関車交換が終了。見物のためにホームに出ていた乗客が、一転ダッシュで車内に戻る。停車時間6分はあっという間であった。


門司で交流機EF76に機関車交換
交直流機EF81がもったいないのか、律儀に交流専用機へと再度交換。「はやぶさ」は13分停車で、のんびり撮影する。

この後、熊本から特急「つばめリレー」と当時は部分開業であった九州新幹線「つばめ」を乗り継ぎ鹿児島中央へ、さらに指宿枕崎線に揺られ指宿で一泊。
翌日ジェットフォイルで屋久島に渡り、縄文杉登山のごく入り口だけを見物。ここには生きた森林鉄道、安房(あんぼう)森林軌道がある。


荒川登山口
何となく工事現場のようにも見える登山口。左側にはお目当ての線路が・・・。


絶妙なぐねぐね具合

線路が荒川登山口側(左)と縄文杉側(右)に分岐

生きている手動式のポイント

少々長くなってきたので、続きはその4で。