鉄道写真の振り返り 2001年 その2

2020-09-26 | 鉄道写真の振り返り
前回の続きとして、九州旅行の往復に利用したブルートレインの写真。

九州での学会に出かけるにあたり、私にとって重要なのは発表よりも移動手段である。必然的に(!?)寝台特急:ブルートレインとなる訳だが、このころの運行形態を振り返ると、東京~九州のブルートレインは、東京~熊本の「はやぶさ」、東京~長崎の「さくら」、東京~大分の「富士」が残っていた。運用としては、はやぶさ(24系)とさくら(14系)が東京~鳥栖で併結運転され、富士は両者を合わせた編成(24系+14系)で全区間単独運転されていた。私は、往路の東京→小倉で「富士」を、復路の長崎→東京で「さくら」を利用した。

まずは往路の「富士」。残念ながら外からの写真がないので、とりあえず室内だけ。


寝台特急「富士」B個室ソロ 下段
様々なタイプのあるソロの中で最初期のもの。下段にしたのは座席使用時に進行方向を向くようにしたかったのと、着替え時に無理なく直立できるようにと考えたため。夕飯を食べたり、発表の練習をしたりと、優雅な時間を過ごした。

次に、復路の「さくら」。「さくら」を選んだのは、B個室ソロがこちらの編成に組み込まれていたからである。

長崎駅で発車を待つ「さくら」
牽引機ED76には残念ながらヘッドマークが取り付けられていない。右後方にもう1両ED76が見えるが、こちらは「あかつき」のヘッドマーク付き。

最後部
客車にはテールマークが付いている。

オハネ15 2000番台 B個室ソロのサイドビュー
元オハネ25形1000番台(24系)を「さくら」のために14系化したもの。「東京」の行き先表示が誇らしげ?


B個室ソロ 上段
室内全景の写真はいまいちだったため、通路側と通路上に設けられた荷物置き場の写真。下段と座席の向きが反対のため、東京行きが前向きとなる。

ところで、私はこの時まで客車列車の併合(連結)方法を知らなかった。というより、意識すらしていなかった。「さくら」に乗り込んだ後、「そういえば、どうやってつなぐんだ?」と初めて思ったのだが、鳥栖駅での連結作業はこんな感じだった。


私は鳥栖駅のホームで作業を眺めていたが、手間のかかる作業を停車時間13分の間で済ませるのは、なかなか手際が良いなと感じた。

東京駅に到着
B個室ソロは窓の配置でもわかるとおり上下千鳥に配置されている。帰りの上段では一段高いところからの眺めを期待したが、実際にはガラスが曲面で景色がゆがみ、正直いまいちであった、残念。

長崎を夕方5時前に出て、東京着は11時半。約18時間半の長い道のりだった。もちろん、私にとっては短いぐらいの時間だったが・・・。

鉄道写真の振り返り 2001年 その1

2020-09-19 | 鉄道写真の振り返り
2001年は、春の四国、秋の九州、今思えば遠出した年であった。

まずは春の四国から。「アカメが見たい」という釣り好き・カエル嫌いのダメ友達Sとともに四万十川を目指す。

サンライズ瀬戸、高松に到着
1998年の登場から3年、あこがれの285系サンライズエクスプレスに乗る。B個室シングルで、寝台列車の個室も初体験。快適であった。

この旅行では、小豆島、琴平に寄り道した後、特急「南風」「あしずり」で中村に向かう。「あしずり」はアンパンマン列車であったが、写真に残しておらず残念。中村観光の後、土佐くろしお鉄道で宿毛、バスで宇和島、特急「宇和海」で松山に向かい、松山市内を観光する。

伊予鉄道市内線、道後温泉
道後温泉でひとっ風呂浴びたあと、松山駅に戻るところで撮影。「路面電車なんてめんどくさい」というSの言葉を完全無視し、1日券を片手に市内を巡った。

2001年のもうひとつの旅は秋の九州。日本金属学会での発表が名目だが、私の楽しみはもちろんJR九州の列車である。(往復で乗車したブルートレインの話題は次回に。)

小倉駅で783系特急「きらめき」を待つ
眠い目をこすりながら寝台特急「富士」を降り、「きらめき」で博多(8:52着)に向かう。本当ならば「はやぶさ・さくら」で博多(9:53着)に直行したかったが、11:50からの発表を考慮して一足先に九州入りする「富士」にしたのだ。もっとも、発表当日に現地入りするなんて・・・あまりにリスキーで今の私なら絶対やらない。

787系、たぶん特急「つばめ」だった気がする
当時のJR九州のフラッグシップ。発表の後、熊本を観光するために乗車したが、周遊きっぷゾーン券の南端である大牟田で惜しくもサヨナラ。大牟田からは左に写る815系普通列車で上熊本に向かう。

883系特急「ソニック」と885系特急「かもめ」、博多にて

もう1枚、883系特急「ソニック」と885系特急「かもめ」、博多にて
JR九州を象徴するような風景。両者とも振り子式車両である。

さらに885系特急「かもめ」
当時、885系「白いかもめ」は黄色、「白いソニック」は青色の帯をまとっていたが、今はすべて青帯に統一されているようだ。そんなわけで、黄色帯の写真はちょっとだけ貴重かな?

しつこく885系特急「かもめ」、長崎駅にて
この旅の最後に長崎を訪れる。道中非常に天気が良く、まだ新しい本革シートで眺めた海は非常にきれいだった。

鉄道写真の振り返り 2000年

2020-09-12 | 鉄道写真の振り返り
この年、鉄道でのお出かけとして覚えているのは4月の横浜と11月の京都。前者では鶴見線を全線走破しているのだが、残念ながら写真を撮っていなかった。そんなわけで、晩秋の京都旅(一応学会への参加)の写真からいくつか。

8両時代のE2系J編成、東京駅にて
列車はやまびこ20号と思われ、確か仙台→大宮ノンストップを初体験。このあと、同じく初めての300系ひかりで名古屋に向かう。今思えば、100系グランドひかりに乗っておくべきだった・・・。

叡山電鉄、宝ヶ池駅にて
京都国際会館での学会の合間を有効活用。とことこ歩き、叡山本線と鞍馬線が分岐する宝ヶ池駅へ。この写真は鞍馬線ホーム。

叡山本線、八瀬遊園(現:八瀬比叡山口駅 )駅

八瀬遊園駅のホーム
ドーム型の屋根がいかにもターミナルといった雰囲気を醸し出す。

京都での鉄道ネタはこれぐらいで、この旅行のメインは帰り道の京都→新潟で乗車した「急行きたぐに」。私にとって初めての寝台車の利用であった。

新潟駅に到着した583系、急行きたぐに
国鉄色を残すJR東日本所属の同系列車両と異なり、きたぐにに用いるJRに西日本所属車は独自のカラーリングになっている。


B寝台車車内
通路の両側に蚕棚のように3段寝台が並ぶ。

夜の寝台
確か米原あたりで眠りについたような。


B寝台下段
幅1m超の広々としたベッドで快適に一夜を過ごした。ただ、夜型の私には朝がつらかった・・・。

結局583系で寝台車の利用はこれが最初で最後となった。良い経験ができたなあ。

鉄道写真の振り返り 1999年

2020-09-06 | 鉄道写真の振り返り
1999年は、春休み・夏休みの写真がちょこちょこと出てきた。アルバイトの貯金で少しだけ余裕があったのかもしれない。


お座敷車を連結した特急北斗、札幌駅にて
まずはじめは2月のさっぽろ雪祭り。定期試験最終日に突如思い立ち、同期のU氏とともに太平洋フェリーに乗って北海道へ。フェリーターミナルのある苫小牧から札幌まで乗車した特急北斗(おそらく3号)には、お座敷車(キハ183系6000番台)が連結されていた。改造車ではあるものの、旅行直前に落成したばかりのホットな車両だったようである。

帰りもフェリーを利用するため、札幌から苫小牧に向かう。おそらく札幌14:46発の「スーパー北斗16号」だろう。フェリー出航時刻に対して札幌発が早すぎるのは、二人とも(特にU氏が)体調不良だったため。

札幌駅で発車を待つキハ283系、特急スーパー北斗
北海道内特急の列車愛称から「スーパー」が消え、北斗系統へのキハ283系運用も無くなった今、私の中では貴重な写真なのかもしれない。「北斗」「スーパー北斗」には何回か乗車経験があるが、キハ283系はこの時の1回のみだったはずである。それにしても、キハ281系より先にキハ283系の廃車が始まるとは・・・。

キハ281系、スーパー北斗とのすれ違い
雪祭り期間中の車内はさすがに混み合っていて席を確保できなかったため、仕方なく先頭の貫通扉部で過ごす。せっかくだからとすれ違い列車を撮影。2010年以降、先頭部には安全上入れなくなったので、これまた貴重な記録?

ちなみに、雪祭り見物は十分楽しめたが、泊まりは成り行きという無計画ツアーだったためにいろいろなできごとがあり、今でもU氏と会うたびに思い出話に浸る。


梅が咲く偕楽園から見たスーパーひたち
少し季節が進み、3月、当時水戸在住の従弟を訪ねたときの写真。これも過去の風景となってしまった651系スーパーひたち。この前年(1998年)、あこがれの「タキシードボディ」に初めて乗ったのだった。

高松琴平電気鉄道琴平線
同じく3月、倉敷出身の同期M氏の実家にお邪魔した後、ノープランで四国をドライブ。せっかくだからと金刀比羅宮にお参りすることにし、(おそらく)羽間駅から電車に揺られ琴電琴平駅に向かった。

江川崎駅を出発した予土線の単行列車
つい最近までこの川が四万十川だと勘違いしていたが、実際には支流の広見川のようだ。なお、江川崎駅の次の駅は半家駅という。 


気仙沼線大谷海岸駅
季節は変わり、9月に三陸方面にドライブした時に立ち寄った大谷海岸駅。日本一海水浴場に近い駅 」として知られたが、東日本大震災の津波被害により廃駅になってしまった(BRTのバス停としては存続)。併設された道の駅にはマンボウも居たっけな。

岩泉線岩泉駅
こちらも廃駅となってしまった岩泉駅。龍泉洞観光の帰り道に立ち寄る。この時の帰り道は国道340号線押角峠を通ったが、狭いトンネル(雄鹿戸隧道)にびびった記憶がある。今は、廃止となった鉄道トンネル(押角トンネル )を道路用に拡幅する工事が進んでいるとのこと。


今思えば、結構盛り沢山の1999年。既に20年以上前のことで、車両の世代交代なども確実に進んでいるのに、私にはつい最近のように思えてならない。