鉄道写真の振り返り 2005年 その2

2021-01-17 | 鉄道写真の振り返り
2005年の春から初夏にかけてのお出かけ写真。PENTAX Optio S4iとCONTAX TVS DIGITALを何となく使い分けながら撮影。

まずは、5月連休のお出かけ写真。

阿仁合駅に停車する快速「弘前お城とさくら号」
秋田内陸縦貫鉄道内陸線とJR奥羽本線を直通し、角館~弘前を約3時間半で結ぶ臨時快速列車。こんな便利な列車があるなんて!と、この旅ではメインの扱い。車両は当時の急行「もりよし」用のAN-8900形。前から2列目に陣取り、前面展望を楽しむ。

JR鷹ノ巣駅3番ホームで発車を待つ
内陸線鷹巣駅からJR鷹ノ巣駅への入換(転線)作業が終わり、いよいよ弘前へ向かう。内陸線内はのんびり走っていたAN-8900形だが、奥羽本線内は見違えるような快足ぶりで、まるで「本当はこれぐらい走れるんだぜ!」と言っているかのようであった。

函館の夜景
この時は、弘前での桜見物の後、函館にも足を延ばした。全く鉄道と関係ないのだが、1996年夏のフィルムの無駄づかいを思い出しながら夜景を撮影。

函館市電
これまた1996年にも撮影した函館市電の710形車両。この719号車は今も現役。

789系特急「スーパー白鳥」とキハ400形500番台お座敷車
理想としては、弘前→函館で直通の臨時特急「さくらエクスプレス」を利用したかったが、きっぷを確保できずやむなく断念。泣く泣く(?)往復とも「スーパー白鳥」を利用する。
1996年に快速「海峡」の写真を撮り損ねた反省を踏まえ、しっかり記録しておく。

青函トンネル 吉岡海底駅
北海道新幹線開業に伴い駅としては廃止となった吉岡海底駅。この頃は竜飛海底駅とともに見学可能でったため、是非にということで訪問。


鳥海山をバックに走る快速「きらきらうえつ」
連休も終わり、いよいよ暖かくなってくるが、鳥海山には雪が残る。485系改造の「きらきらうえつ」も2019年に引退してしまった。


続いては、7月の万博見物の往復で利用した寝台特急「日本海」などの写真をいくつか。「日本海」は大阪~青森・函館を結んでいた寝台列車で、2005年当時は1日2往復が運転されていた。私は万博見物の往路で日本海2号の鶴岡→敦賀を、復路で日本海3号の大阪→鶴岡を利用した。

敦賀駅で切り離されたFE81 106
「日本海」を牽引する電気機関車が敦賀(敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室 )所属のため、途中敦賀で機関車交換が行われる(往路の2号、復路の3号ともに交換があった)。早朝5:07、眠い目をこすりながらホームに降り立ち、機関車交換を見物する。


新たな牽引機を待つ24系客車
私が利用した「日本海2・3号」はJR東日本所属の24系客車で、すべて開放型のA・B寝台からなる硬派(!?)な列車。「あけぼの」や「北陸」のようにB個室が連結されていたら、もう少し使い勝手が良かったのではないだろうか。

敦賀駅で発車を待つ419系電車
早起きが苦手な私は、本来なら京都まで日本海を利用したいところであったが
、旅費をケチるために敦賀で下車し、敦賀→米原を普通列車で移動。419系は、東北地域を走っていた715系1000番台と同様に583系寝台特急形電車を改造したものだが、交直流切替装置を残したことと、だいぶ長生きしたことが715系との違い。

419系の車内
元特急形のゆったりとしたボックスシート。窓の外に見える看板がこの時の状況を物語っている。私が訪れた2005年当時敦賀駅は交流区間にあったが、2006年秋に北陸本線・湖西線の交流/直流切替箇所が変更となり、米原・京都方から敦賀までが直流区間となった。そんなわけで、米原まで419系に乗ったのは、貴重な体験かな?

ちなみに、この後私は名古屋まで移動するわけだが、
 敦賀→(普通列車)→米原→(ひかり)→名古屋 7:15着
 敦賀→(日本海)→京都→(のぞみ)→名古屋 7:23着
ということで、到着時間はほとんど変わらない。
睡眠時間1:30を取るか、料金の差額を取るか・・・。今なら確実に前者だな。

日本海3号、鶴岡着
復路は始発の大阪からのんびり鶴岡まで乗車。「いなほ」や「あけぼの」を含め、青森行きの表示はごく当たり前の風景だったのだが・・・。


日本海3号は鶴岡から立席特急券で利用できたため、数人の乗客を加えて発車。これに乗れば9時前に秋田、昼前に青森に到着できるわけで、昼行列車としても便利だと思うんだけどなあ。

鉄道写真の振り返り 2005年 その1

2021-01-02 | 鉄道写真の振り返り
前年に購入したデジタルカメラPENTAX Optio S4iとともに、春のお散歩。


仙台駅で発車を待つ583系「水戸観梅号」
梅の季節の定番列車であった水戸観梅号。往路は仙台→赤塚→偕楽園と「スイッチバック」的な運転で偕楽園まで送り届けてくれた(指定券は仙台→赤塚で発行)。時は2005年3月初旬、このお出かけのメインは梅見物の帰り道に立ち寄った日立電鉄。

日立電鉄線鮎川駅で発車を待つ常北太田行き
2005年3月末で営業を終える日立電鉄線に最初で最後の乗車。常磐線で鮎川駅の脇を通り過ぎるたびにそのうち乗りたいな~、などとのんきなことを考えているうちに、廃止が決まってしまったという典型的なダメな例。廃止間際に乗りに行くのは趣味では無いのだが、でも乗らないままでは後悔しちゃうかもと念願の訪問。


平泉駅に入線する「こがね黄金めぐり2号」
ジョイフルトレイン「こがね」により、平泉(15:08)→仙台(19:27)を大船渡線・気仙沼線経由で結んだ。3月20日頃のちょい旅。

先頭車の展望スペース
「こがね」はキハ58系改造車。2003年に再改造されるまでは「グラシア」と呼ばれていた。先頭車はフリースペースとなっていて、誰でも前面展望が楽しめた。運転士さんは落ち着かないだろうけど・・・。

客室内
通路が端に寄っていて、座席は1+2列で並んでいる。しかも
○○  ○
○  ○○
○○  ○
○  ○○
のように千鳥で配置されていて、座席を斜めに(45°、135°・・・)回転させると、最大6名がロの字形にボックスを作ることができる優れもの(?)。ただ、4名グループだと逆に使い勝手が悪そうな気も。
前方(奥)は運転席・展望スペースで、客室から前面展望は楽しめない。


一ノ関駅で小休止
大船渡線に入るべく、一ノ関でしばらく停車。「こがね」は米坂線などを走ることもあって身近な存在であったが、乗車したのはこの1回のみだった(2010年に引退)。ついでに、津波で被災した気仙沼線廃止区間も、これが最初で最後の乗車となってしまった。時間的に景色がほぼ見えず、ただ通り過ぎるだけとなってしまったのが非常に残念。


ところで、前年(2004年)にOptio S4iを購入した私であったが、使っていると画素数や感度に余裕が欲しくなるもので、デジタル一眼レフを買うために貯金しようと思い立った矢先、ブランドと値段につられてこんな物を買ってしまう。


CONTAX TVS DIGITAL

京セラが販売していた、高級コンパクト(?)デジタルカメラである。2003年2月の発売なので、Optio S4iより約1年前の製品であるが、Optioより大きい1/1.8インチの500万画素CCDを搭載しており、カール・ツァイスのT* レンズを搭載。価格は定価(税抜き)で128,000円也。
少しさかのぼって1990年、高級コンパクトカメラとして発売されたCONTAX T2(もちろんフィルム)は、チタン製外装やサファイヤ製シャッターボタンなどバブル期らしい装備を備え、定価120,000円であった。同じようなコンセプトで同じような価格の TVS DIGITALに期待大!?

そんな TVS DIGITAL(新品)を、私は税込み37,800円で入手した。いくら外装が良くても、今以上にハードウェアの進化が早かったこの時代、価格の下落は仕方ないよな。加えて、京セラのカメラ事業の先行きも不透明であったし(購入から1ヶ月後に撤退発表)。とはいえ、S4iよりは隅々まで良く写る印象で、当時の37,800円としてみれば十分な性能であったように思う。 

フィルムカメラであるT2の中古は今も10万円程度の高値が付くこともしばしば。アナログ機器の強さか。TVS DIGITALもオークションで2万円程度の値が付くこともあるようだが・・・、飾っておく分にはなかなかの存在感ではある。フィルムカメラ同等に存在感のあるサイズを活かして、中身だけAPS-Cサイズのセンサーに入れ替えできたら良いのになあ。

ということで、TVS DIGITALで撮った写真がこちら。

福島駅に停車する快速「お花見白虎号」と「仙台シティラビット」
白虎は仙台~郡山~会津若松で運転された臨時列車で、2005年4月は583系でお花見白虎として運転された。鶴ヶ城の桜は開花直後といったところで、ちょっと残念であった。
今や583系だけでなく719系0番台も定期運用は終了。加えて、2021年3月のダイヤ改正では仙台シティラビットも廃止か・・・。何の面白みも無い写真だが、記録として割と価値のあるものになってしまった。