2005年の春から初夏にかけてのお出かけ写真。PENTAX Optio S4iとCONTAX TVS DIGITALを何となく使い分けながら撮影。
まずは、5月連休のお出かけ写真。
阿仁合駅に停車する快速「弘前お城とさくら号」
秋田内陸縦貫鉄道内陸線とJR奥羽本線を直通し、角館~弘前を約3時間半で結ぶ臨時快速列車。こんな便利な列車があるなんて!と、この旅ではメインの扱い。車両は当時の急行「もりよし」用のAN-8900形。前から2列目に陣取り、前面展望を楽しむ。
JR鷹ノ巣駅3番ホームで発車を待つ
内陸線鷹巣駅からJR鷹ノ巣駅への入換(転線)作業が終わり、いよいよ弘前へ向かう。内陸線内はのんびり走っていたAN-8900形だが、奥羽本線内は見違えるような快足ぶりで、まるで「本当はこれぐらい走れるんだぜ!」と言っているかのようであった。
函館の夜景
この時は、弘前での桜見物の後、函館にも足を延ばした。全く鉄道と関係ないのだが、1996年夏のフィルムの無駄づかいを思い出しながら夜景を撮影。
函館市電
これまた1996年にも撮影した函館市電の710形車両。この719号車は今も現役。
789系特急「スーパー白鳥」とキハ400形500番台お座敷車
理想としては、弘前→函館で直通の臨時特急「さくらエクスプレス」を利用したかったが、きっぷを確保できずやむなく断念。泣く泣く(?)往復とも「スーパー白鳥」を利用する。
1996年に快速「海峡」の写真を撮り損ねた反省を踏まえ、しっかり記録しておく。
青函トンネル 吉岡海底駅
北海道新幹線開業に伴い駅としては廃止となった吉岡海底駅。この頃は竜飛海底駅とともに見学可能でったため、是非にということで訪問。
鳥海山をバックに走る快速「きらきらうえつ」
連休も終わり、いよいよ暖かくなってくるが、鳥海山には雪が残る。485系改造の「きらきらうえつ」も2019年に引退してしまった。
続いては、7月の万博見物の往復で利用した寝台特急「日本海」などの写真をいくつか。「日本海」は大阪~青森・函館を結んでいた寝台列車で、2005年当時は1日2往復が運転されていた。私は万博見物の往路で日本海2号の鶴岡→敦賀を、復路で日本海3号の大阪→鶴岡を利用した。
敦賀駅で切り離されたFE81 106
「日本海」を牽引する電気機関車が敦賀(敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室 )所属のため、途中敦賀で機関車交換が行われる(往路の2号、復路の3号ともに交換があった)。早朝5:07、眠い目をこすりながらホームに降り立ち、機関車交換を見物する。
新たな牽引機を待つ24系客車
私が利用した「日本海2・3号」はJR東日本所属の24系客車で、すべて開放型のA・B寝台からなる硬派(!?)な列車。「あけぼの」や「北陸」のようにB個室が連結されていたら、もう少し使い勝手が良かったのではないだろうか。
敦賀駅で発車を待つ419系電車
早起きが苦手な私は、本来なら京都まで日本海を利用したいところであったが
、旅費をケチるために敦賀で下車し、敦賀→米原を普通列車で移動。419系は、東北地域を走っていた715系1000番台と同様に583系寝台特急形電車を改造したものだが、交直流切替装置を残したことと、だいぶ長生きしたことが715系との違い。
419系の車内
元特急形のゆったりとしたボックスシート。窓の外に見える看板がこの時の状況を物語っている。私が訪れた2005年当時敦賀駅は交流区間にあったが、2006年秋に北陸本線・湖西線の交流/直流切替箇所が変更となり、米原・京都方から敦賀までが直流区間となった。そんなわけで、米原まで419系に乗ったのは、貴重な体験かな?
ちなみに、この後私は名古屋まで移動するわけだが、
敦賀→(普通列車)→米原→(ひかり)→名古屋 7:15着
敦賀→(日本海)→京都→(のぞみ)→名古屋 7:23着
ということで、到着時間はほとんど変わらない。
睡眠時間1:30を取るか、料金の差額を取るか・・・。今なら確実に前者だな。
日本海3号、鶴岡着
復路は始発の大阪からのんびり鶴岡まで乗車。「いなほ」や「あけぼの」を含め、青森行きの表示はごく当たり前の風景だったのだが・・・。
日本海3号は鶴岡から立席特急券で利用できたため、数人の乗客を加えて発車。これに乗れば9時前に秋田、昼前に青森に到着できるわけで、昼行列車としても便利だと思うんだけどなあ。