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鉄道写真の振り返り 2010年 その4

2022-09-23 | 鉄道写真の振り返り
うっかりしていたら、前回の投稿から3ヶ月が過ぎてしまっていた・・・。とりあえず、写真だけでもアップしていこう。

2010年5月29日~30日、米坂線にDE10牽引の旧型客車列車「レトロ花回廊号」がやってきた。

◆2エンド側を先頭に田んぼの中を走る(萩生→今泉)
「短い方」を前にして走る姿が、いかにもDE10らしくて好き。

◆開放的な?貫通路(萩生→今泉)

◆おなじみ、子子見のお立ち台を行く(羽前沼沢→伊佐領)
今度は「長い方」を前に小国の山間を進む。新緑の木々が目に優しい。

◆翌日、同じく飯豊の田んぼにて(萩生→今泉)
きれいな水鏡にならなかったのと、線路脇のコンクリート枕木がやや残念だが、それを上回る存在感がある。

◆今日は貫通路が閉じている?
前日、何かあったのだろうか?

話題はがらっと変わり、その一週間後のおはなし。
同窓会的な会合が東京があり、夕方まで待ちぼうけするのはつまらないからと、千葉で積極的な時間つぶし。

◆蘇我駅で発車を待つE331系
E331系は連接式の台車やダイレクトドライブの採用など、かなり尖った車両であり、京葉線で限られた期間ではあったが営業運転に供された。



写真の撮り方が悪く、いまいち特徴が伝わらないが、通常4ドア10両のところ、E331系は各車両が少し短めの3ドアで14両つないでいるのがホーム上の表示からもわかる。





蘇我から東京まで乗り通したが、実はあまり印象に残っていない。京葉線に乗り慣れていれば、他の車両との違いなどを感じることができたかもしれないが。

同窓会の翌日の朝、上野駅にて

◆上野に到着した寝台特急「カシオペア」
カシオペアをEF81が牽引していた最後の頃。


牽引機がEF510になってからの印象が強く残っているせいか、この写真だけを見ると「あれ、これなんだっけ?」感が強い。

この時のお出かけのおまけ。

◆宇都宮駅(多分)を通過する「はやて&こまち」


◆福島駅(多分)を通過する「はやて&こまち」

どちらも、10年ちょっと前は普通のこと(しかもフラッグシップ)だったのに、懐かしさを感じる光景になってしまった。新幹線の移り変わりは早い。

鉄道写真の振り返り 2010年 その3

2022-06-22 | 鉄道写真の振り返り
寝台特急「あけぼの」の出発(21:15)から約1時間半、13番ホームに今度は金沢行きの寝台特急「北陸」がやってきた。

◆「北陸」が推進運転で入線
頭端式となっている上野駅地上ホームに、寝台列車(客車)は機関車にから押されて入線する。運転操作は機関車側で行うが、列車後部(推進運転中は前側)では乗務員さんが非常時用のブレーキ弁を携えて前方確認中。


◆ブレーキ弁がちょこんと乗っている
「北陸」で使用される14系客車は、「あけぼの」の24系客車より車両端部の傾斜(面取り?)がやや大きい。


◆ちょっとお疲れ感のある方向幕が「金沢行き」を表示中

◆リネン類の準備中

◆「北陸」にはシャワー室が備わる

◆EF64 1000番台
「あけぼの」を牽引したEF64 0番台とは、車両側面のルーバーの配置が大きく異なる。

◆EF64 1030号機
この機関車は2022年の今も現役で、この写真では見えないが双頭連結機と呼ばれる電車/客車両対応の連結器を備えている。新車や廃車となる電車の牽引にも使用されているのだが、そう遠くないうちに、その役目をE493系電車に譲るのだろう。

北陸が去って数分後、今日のラストイベント、急行「能登」が入線。

◆上野駅に入線
急行「能登」が18番ホームに堂々の入線。
東京寄り(上り方)1号車は、碓氷峠(横川~軽井沢)を越えるためにEF63を連結していたクハ489-500番台。連結器解放用の「てこ」がついているのが特徴(EF63が備える双頭連結器の自動連結器側は、自ら解放操作することができない)。また、カバーも装着されておらず連結器がむき出し。

◆金沢寄り(下り方)先頭車
こちらはクハ489-0番台。真っ赤な連結器カバーが装着されている。
489系は、ホームライナー鴻巣、ホームライナー古河をこなした後、いよいよ本来業務(?)となる。

◆「急行」のサボ
本来、特急型車両である489系に「急行」の表示は残念な感もあるが、とはいえ現役の急行は希少であり、良い思い出となった。

◆「金沢行き」の方向幕
金沢まで寝台特急「北陸」と座席急行「能登」、選べる贅沢。

◆ボンネット型車両のサイドビュー
運転台から後方クーラーまでラインが絶妙。子供の頃、このデザインにあこがれた。


◆トップナンバー
1971年に製造されたクハ489の1両目。最後の活躍だったのだ。


◆金沢に向け発車!

私も、これにておやすみなさい。

鉄道写真の振り返り 2010年 その2

2022-06-05 | 鉄道写真の振り返り
2010年2月7日の小田原駅、連写性能が期待できるK-7で初めての新幹線撮影。特に、タイミング的にK-7での500系「のぞみ」撮影は最初で最後になるので、期待が高まっていたのだが・・・。この日、関ヶ原の雪の影響※で、上り列車に多少の遅れが出ていた。そのため、実際には期待よりも不安と緊張感の方が上回る小田原訪問だったのだ。
※かなり前の記憶なので、間違えていたらゴメンナサイ。


◆約15分遅れで小田原を通過する500系「のぞみ6号」
いつもなら、小田原で「こだま641号」を追い越すのだが、この日は上りホームが空いている。

「のぞみ6号」の折り返しとなる「のぞみ29号」が戻ってくるのはいつなのか、その時のホームの状況は・・・。


◆ほぼ定時で通過したと思われる、東京駅11:50発の「のぞみ111号」

◆こちらも、ほぼ定時で通過する東京駅12:00発の「のぞみ229号」
背後には東京駅11:56発の「こだま653号」が通過待ち。


◆これまたほぼ定時で通過する東京駅12:03発の「ひかり471号」

レギュラー車両?である300系、700系、N700系は、上り列車が遅れても東京駅でうまいこと調整するので、東京発の下り列車がほぼ定時でやってくる。しかし、500系の場合はやりくりが効かないので、上り列車の遅れが下り列車に波及する。そんなわけで、東京発定刻12:30発の「のぞみ29号」は、いつもの13:03頃になってもやってくる気配が無い。

小田原駅の上りホームの中ほどで「のぞみ29号」を待ちぼうけしていると、これまた遅れていた「こだま646号」入線の案内が流れてきた。時間的には、そろそろ「のぞみ29号」が通過しても良い頃で、「こだま646号」の入線とかぶらなければ(≒こだまが邪魔しなければ)・・・という願いは通じず、「こだま646号」が停車直後に「のぞみ29号」が通過し、K-7でのデビュー&最終戦は敗北に終わってしまった。

唯一の光明は、ドクターイエローに遭遇できたことか・・・。

◆小田原を通過する923形「ドクターイエロー」

気を取り直して夜の上野駅。先の短いブルートレインを狙う。まずは、新津・秋田回りの青森行き、寝台特急「あけぼの」。


◆上野駅13番ホームで発車を待つ24系客車「あけぼの」

◆テールマーク
流れ星のような寝台特急のシンボルマーク、時刻表を飾っていたものだが…。

◆青森行きの方向幕
スクリーン式の方向幕自体も、今や貴重な存在になりつつある?

◆B個室ソロ
かなりミニマムサイズの部屋だが、周りを気にせず眠れるのがGood。


◆電源車、カニ24
上野駅ホームで、轟音を響かせる。

◆カニ24のJRマーク
正確な順位などはわからないが、車両に貼られた(?)JRマークとしては、かなり大きな部類に入るのではないだろうか。

◆機関車EF64 37号機
JR東日本のEF64 0番台としては、最後の1機となった37号機。しかも、0番台がヘッドマーク付きで寝台列車をけん引したのはわずかな期間で、わりと貴重な写真?

◆銘板
EF64 37号機は2021年度に廃車されたので、1971年(昭和46年)の製造からほぼ50年使われたことになる。なお、汽車會社(汽車製造株式会社)は、1972年(昭和47年)に川崎重工業株式会社に合併された。

ちなみに、EF64 0番台は、直流電化時代の板谷峠を走行した車両で、ビミョーに山形とゆかりの車両でもありました(ただし、37号機は板谷峠では運用されていない)。

夜の上野駅、パート2を次回に。


鉄道写真の振り返り 2010年 その1

2022-05-18 | 鉄道写真の振り返り
年度替わりにバタバタしていて、久しぶりの更新でございます。

2010年のはじめは、冬の仙山線を走る583系「ゲレンデ蔵王号」を狙う。
「ゲレンデ蔵王号」は2004~2011年に大船→山形で夜行列車として運転された。その名のとおりスキー客向けの列車で、消滅して久しいシュプール号の位置づけか。

山形市に住んでいた当時、眠い目をこすりながら朝の仙山線に繰り出し、山寺芭蕉記念館のある高台から、山寺駅に到着する583系を狙う。もう少し雪が積もってくれたなら・・・と贅沢を言いながら撮影。


山形駅に戻り、車両を観察。寝台車ならではの屋根の高さ、さらに屋根の上に整然と並ぶ空調装置が独特。威圧感すら感じる。




米沢方面に向かう701系はそれなりに雪まみれ状態。それと比べると、山形は雪が少なく暮らしやすい(けど、ちょっとつまんない)。

さて、↑の写真の翌週、今度は雪の山寺を登り、仙台に戻る回送列車を狙う。


精巧なジオラマの雰囲気。


2月に入り、この年の運転も終盤。仙台に戻る回送列車を正面から狙う。


まずは719系の快速列車。いい感じで雪が舞う。


その23分後に583系。大変残念なことに、雪は止んでいた。

鉄道写真の振り返り 2009年 その12

2022-02-27 | 鉄道写真の振り返り
ようやく終わったと思った2009年だったが、忘れちゃいけない大きなイベントが残っていたのであった。

米坂線では、2009年3月のダイヤ改正で定期列車から国鉄形ディーゼルカーが引退し、以降キハ110系、E120系での運転となっていたが、12月12日及び13日に臨時列車として「ありがとう米坂線国鉄気動車号」が運転された。私も13日、このイベントに出動することにした。

この一週間前にもうひとつ個人的なイベント(?)があって・・・実はPENTAX K-7を購入してしまったのである。この年の春にK-mを買ったばかりで、K-7の購入はだいぶ迷ったが、「小型化」と「ハイスペック」の両立というキャッチフレーズに負けてしまったのだ。なお、K-mは弟に譲渡して活躍を続ける。

◇上りの「ありがとう米坂線国鉄気動車号」(羽前沼沢~手ノ子)
キハ52+キハ28+キハ58の3両編成。真昼の写真だが、この日はだいぶ薄暗く寒々とした雰囲気。

◇合間に1131D(羽前沼沢~伊佐領)
「森のめぐみ直売所」近くの定番撮影地にて、戻ってくる臨時列車を待つ間に(通過2:27前)。

◇合間に1130D(伊佐領~羽前沼沢)
同じく「森のめぐみ直売所」近くの定番撮影地にて、戻ってくる臨時列車を待つ間に(通過1:21前)。

◇合間に1130Dの後追い(伊佐領~羽前沼沢)

さて、15:30も過ぎ、「ありがとう米坂線国鉄気動車号」の時間が迫ってきた。ただでさえ暗くなるのが早い12月の午後、この日は本当に暗い。買ったばかりのK-7は高感度設定時の画質が全く読めず、とりあえずISO800、シャッター速度1/250、絞りf2.8でチャレンジ。


◇下りの「ありがとう米坂線国鉄気動車号」(羽前沼沢~伊佐領)
絞り開放でもシャープに写る、さすがDA★50-135といったところか。

◇去っていく国鉄形ディーゼルカーたち
これが新緑や紅葉の季節だともう少し華やかだったかもしれないけど、サヨナラの雰囲気としてはこれもありかな。

小さいころからあこがれた&見慣れた「国鉄色」のキハ58も、これで見納めか。そんなわけで、今度こそ2009年が終了。