
30年前に横須賀市が選定した「横須賀風物百選」
今回は追浜にある『官修墓地』です。その名前からはどんな所なのかまったく想像ができません。
地図を頼りに、地元の方の話を聞きながら行きました。

トンネルの脇にある石碑。これが目印。墓地は階段のさらに上。
実はこれ、帰り際に気づいたんです。車で行ったものですから少し迷いました。

横須賀風物百選に選定されているお墓ですから、もっと大きな墓地を想像してましたが、着いたところは緑が多く静かな場所。

画像クリックで読める大きな画像へ。
以下市のガイドより
明治10年2月15日、明治新政府に不満をいだく人々が、西郷隆盛を擁して兵を挙げた。「西南の役」である。
ここに眠る48柱は、傷病者として帰航の途中、船内でコレラにかかり、
箱崎で治療のかいなく死んだ遺族不明の政府軍兵士たちである。以来、国費をもって墓地は管理され、
毎年4月下旬に地元郷友会が慰霊祭を行っている。
「西南の役」に政府軍として西郷隆盛率いる軍隊と戦い、負傷し、帰る途中にコレラにかかり
亡くなった身元不明の方のお墓。この戦いは国内最後の内戦。他国との戦いにせよ、自国内の戦いにせよ、
戦争の裏にはこういった悲劇が必ずあります。多くの“戦争”を経て現存する今の日本。
世界。なんだか考えさせられるものがあります。
最後に現在この場所は地元の深浦町内会の方がいろいろ手入れをしているようです。
この日も何気に行ったのですが、お墓には綺麗なアジサイが献花されていました。
さらに詳しく
Google検索→官修墓地
Google画像検索→官修墓地
Wikipedia→西南戦争
横須賀風物百選特集ページへ→横須賀風物百選


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今回は追浜にある『官修墓地』です。その名前からはどんな所なのかまったく想像ができません。
地図を頼りに、地元の方の話を聞きながら行きました。

実はこれ、帰り際に気づいたんです。車で行ったものですから少し迷いました。

横須賀風物百選に選定されているお墓ですから、もっと大きな墓地を想像してましたが、着いたところは緑が多く静かな場所。

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以下市のガイドより
明治10年2月15日、明治新政府に不満をいだく人々が、西郷隆盛を擁して兵を挙げた。「西南の役」である。
ここに眠る48柱は、傷病者として帰航の途中、船内でコレラにかかり、
箱崎で治療のかいなく死んだ遺族不明の政府軍兵士たちである。以来、国費をもって墓地は管理され、
毎年4月下旬に地元郷友会が慰霊祭を行っている。
「西南の役」に政府軍として西郷隆盛率いる軍隊と戦い、負傷し、帰る途中にコレラにかかり
亡くなった身元不明の方のお墓。この戦いは国内最後の内戦。他国との戦いにせよ、自国内の戦いにせよ、
戦争の裏にはこういった悲劇が必ずあります。多くの“戦争”を経て現存する今の日本。
世界。なんだか考えさせられるものがあります。
最後に現在この場所は地元の深浦町内会の方がいろいろ手入れをしているようです。
この日も何気に行ったのですが、お墓には綺麗なアジサイが献花されていました。
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