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★大善寺★ 三浦不動尊第2番 地蔵尊第2番札所 横須賀衣笠

2006-12-14 | ◆衣笠
三浦半島巡礼記。今回は『衣笠城址』のすぐ近く、三浦一族の学問所だったと言われる『大善寺』です。
ここは三浦不動明王第2番、三浦地蔵尊第2番札所です。

大善寺の裏がすぐ衣笠城址。大善寺までも結構のぼります。



『この寺は、曹洞宗に属し「金峯山 不動院 大善寺」と称します。
 天平元年(728)、諸国行脚中の僧・行基が、この山に金峯蔵王権現と、自ら彫刻した、
不動明王を祭り、その別当として、建てられたのが、大善寺であるとといわれています。
 そのとき、おはらいをする水に困った行基が、杖で岩を打つと清水がわき出しました。
その場所が、このコンクリートで囲まれた、井戸の辺りであると伝えられています。
 康平6年(1063)、前九年の役の戦功により、三浦の地を与えられた。平大夫為通は、
三浦の姓を名乗のり、この山のほぼ全域を城としました。それが衣笠城です。衣笠城は、
第七代・秦村が北条時頼との勢力争いに破れ、一族五百余人と鎌倉の法華堂で、
宝治元年(1247)、討ち死にするまでの、約184年間、三浦一族の本城でした。
 大善寺・蔵王権現・不動堂は、衣笠城の中にあって、三浦一族の学問や仏教信仰の中心的な
役割を果してきました。とくに不動尊は、第二代・為継が後三年の役に出陣したとき、
戦場に現れて、敵の射かける、矢をうちはらって、為継を守ったと伝えられています。
「矢取り不動」の名称は、その伝説によります。
 また、行基によって開かれた泉は、衣笠城の重要な生活用水でした。いつの頃からか「
不動尊御手洗池」通称、「不動井戸」と呼ばれるようになりました。
 現在、蔵王権現社も不動堂も残っていませんが、不動明王像は、大善寺に本尊として
祭られています。今ある大善寺は、明治29年に全焼した堂宇を昭和10年に再建したものです。』

 
 
狛犬







そしてここ大善寺には市の重要文化財の「木造 阿弥陀三尊像」が安置されています。
画像、説明は→こちら



大善寺の庚申塔


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★名称 金峯山 不動院 大善寺 
★場所 横須賀市衣笠町756
★電話 0468-51-1196
★アクセス
★矢取不動尊★
◎ご詠歌 『幾世々の 人も頂く 衣笠の 厚き恵みぞ 頼母しきかな』
★地蔵尊★
◎地蔵尊の画像は→こちら (参)三浦地蔵尊三十八札所のご案内
◎御詠歌 『誰が人も さして仰がん 衣笠の 福寿地蔵の あつき恵みを』

google検索→横須賀 大善寺
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当ブログ三浦不動尊の特集は→こちら
当ブログ三浦地蔵尊の特集は→こちら
当ブログ『衣笠城址』の記事は→こちら あわせてご覧くださいませ。

三浦一族が本城とした衣笠城。この自然の山城にある大善寺。三浦一族との関係も深く、
二代為継を矢から守ったとされる「矢取不動」。調べてみるといろいろな発見があるものです。
衣笠城址に行かれる時は立ち寄りたいお寺ですね。今回は不動井戸の存在を知らなかったので
次回訪問した時は、写真に撮ってきます。
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この正面の道を奥まで行くとお寺があります



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