このまえ、
映画「スターウォーズ・エピソード3」を、
見ました。
友達に、
スターウォーズが好きな人がいて、
その人の影響(えいきょう)か?
なんだか見たくなりました。
内容は、なかなか、
おもしろかったと思いました。
ぼくは、スターウォーズには、
詳(くわ)しくないのですが、
スターウォーズ作品の中でも、
なかなか良いできではないのか?
と思いました。
知っているかもしれませんが、
エピソード3では、
悪(あく)のヒーロー(?) ダース・ベイダーの、
誕生の秘密(ひみつ)が、
明かされていきます。
ダース・ベイダーは、
元(もと)は、正義と平和を守る、
アナキンという、ジェダイの騎士(きし)でした。
しかも、超優秀で、
数々の功績(こうせき)がある、
将来、有望(ゆうぼう)な、素晴らしい騎士でした。
そんな素晴らしい人間が、
なぜ?
悪の闇(やみ)に捕(と)らわれてしまい、
悪の権化(ごんげ)と、なってしまうのか?
その微妙(びみょう)なニュアンスが、
ストーリーに、
面白(おもしろ)みを加えていました。
好青年アナキンは、
正義感の強い、善意(ぜんい)あふれる青年だった。
けれど、最愛の母の死や、
さまざまな悲しみを経(へ)て、
力(ちから)に対する欲求、
また、失うことの恐怖(きょうふ)を、
強く感じるようになってくる。
そして、最愛の妻(つま)が、
死ぬかもしれないという事態になり、
妻を失いたくない強烈(きょうれつ)な愛から、
なにものも及(およ)ばない力に対する欲求(よっきゅう)が、
増幅(ぞうふく)し、
やがて、
悪に命を、売り渡していく!
それは、やがて、
最愛(さいあい)の妻の愛すらも、
失う結果になることも、気づかずに!
善(ぜん)と悪、
アナキンが、ダース・ベイダーになった
このストーリーは、
極端(きょくたん)かもしれないけれど、
これは、だれにでも、
ありうる物語だと思う。
だれでも、
子供のころや、若い時代は、
みな、理想(りそう)を抱(いだ)く好青年である場合が、
多い。
けれど、それは、
時と共に、
消えうせ、
悪を甘んじて許容(きょよう)している場合が、
多々(たた)、あるかもしれない。
理想を抱く好青年も、
悪に甘(あま)んじていく、悪(あ)しき大人も、
それは、同じ人間である。
もともと、
この人は、悪で、
この人は、善だと、
決まっているわけではない。
すべての人に、
どちらかになる可能性(かのうせい)が、
秘(ひ)められている。
すなわち、善も悪も、
同じ自分の中に、ふくまれている!
と、いうことです。
善も悪も、自分の中にある!
問題は、そのどちらを抑(おさ)え、
どちらを、増幅し開花(かいか)させていくかだと思う。
それによって、
その人の幸・不幸が、決まっていく。
しかも、それは、
最初は、アナキンのように、
ほんの些細(ささい)な、
小さな心の揺(ゆ)らぎによる。
恐(こわ)いと言えば、恐いのが、人生だ。
よく、選挙(せんきょ)になると、
議員たちが、毎日、
テレビを、にぎあわせる。
その議員(ぎいん)たちを、見ていると、
自分が、
だれであるかも忘れてしまったような、
あさましい顔をした人間が、
何人も、見受(みう)けられた。
アナキンのように、
権力(けんりょく)という魔性(ましょう)に、
食い破られ、
悪に命を売り渡した形だろうか・・・。
だが、本人は、
それすら、わかっていないだろう。
ここに人間の愚(おろ)かさも、
浅はかさも、繊細(せんさい)さも、
あると思う。
わからないのだ!
自分で。
自分が、どうなっているのか!
だが、
生命(せいめい)の立場から、考えれば、
悪には、幸せはない!
その生命には、
一瞬も止(や)むことのない恐怖と、
絶望(ぜつぼう)と、暗黒(あんこく)が、
待っているだけだ。
一瞬(いっしゅん)の安らぎも、
得られないだろう。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
だから、自分の生命を、
悪に食い破(やぶ)られては、いけない!!
そのためには、
自分に、
確固たる支柱(しちゅう)が、必要だ。
たえず、自分で、
善と悪の基準(きじゅん)を、
わからせてくれる、
完璧(かんぺき)な生命哲学(せいめいてつがく)が、
必要だ。
その完璧な生命哲学が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)です。
南無妙法蓮華経は、
自分の生命の中の最高善を
開花させる法則(ほうそく)であるがゆえに、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
たえず、自分の中から、
最高の、ベストの善性を、
発揮(はっき)することが、できるようになってくる!
これは、そのまま、
人間としての勝利を、生み、
人生に幸せを、導(みちび)く。
創価学会が、
南無妙法蓮華経を、となえる対象(たいしょう)としている、
『ご本尊(ほんぞん)』は、
自分の中の最高の善性、最高の自分、
最高に、素晴らしい自分を、
表現しきった、
自分の生命の象徴(しょうちょう)であるがゆえに、
そのご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる時、
ご本尊を、見ることによって、
たえず、自分の最高の善性を見ることになり、
善悪の基準を、
たえず、自分で、
見極(みきわ)めることが、
できるようになってくる!
だから、直感的(ちょっかんてき)に、
悪を見抜(みぬ)き、
自分の生命を、
悪に、食い破られることが、
なくなってくる!!
だから、創価学会の人は、
なんの教養(きょうよう)もない
おばちゃんであっても、
悪を、明確に見抜く目と感性(かんせい)を、
エセ教養人より、
はるかに、鋭(するど)く、持っている!
創価学会の実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経の仏法が、
人間を、より賢明(けんめい)に、より強く、
より、正しくしていく!!
と、いうことです。
それは、すなわち、
一生を通して、
最高の喜(よろこ)びと、最高の幸せと、
最高の勝利と満足(まんぞく)を、
もたらす結果となる。
ウソではなく、
それが、生命の本質(ほんしつ)です・・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・