タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく163

2014-08-07 09:20:39 | ドラマ
まえに
「野ブタを、プロデュース」
というドラマを、見たことがあります。

その中で、
女子高生のノブタ(信子)は、
ひょんなことから、
巫女(みこ)さんのアルバイトを、
することになる。

それで、その巫女さんのアルバイト中、
ノブタ(信子)は、
神主(かんぬし)さんが、
大切にしていた木の枝を、折(お)ってしまう。

神主は、言う。
「あ~あ!この木の枝を折ると、
 一番大切な人に、災い(わざわい)が、
 起こるんだよ!」

「それを防(ふせ)ぐためには、
 一番大切な人に、この神札(かみふだ)を、
 あげるといい!」

そう言って、
ノブタに神札を、渡(わた)す。

ノブタは、あわてて、駆(か)け出し、
ノブタを、人気者にプロデュースしようとしている、
二人の男子高校生、
修二と彰(あきら)に、
神札を、渡しにいく。

けれど、神札は、ひとつしかなく、
二人に会ったものの、
どちらに渡したらいいか、わからず、
悩む・・・。

結局、神札は、渡せず、
そのまま、神札を、海に放(ほう)り出してしまう。
それを見ていた修二と彰は、
あきれる。

そして、ノブタは、言う。
「みんなで、バチに当たろう!!」
(笑・・・)


さて、ノブタは、
神札を、だれにも渡さず、
海に放り出してしまったわけだけれど、
これは、正しいと思いますか?
間違(まちが)っていると思いますか?

答えは、正しい!
逆に、そんなものを、持っていたほうが、
災(わざわ)いのもとに、なります。

よく、そういうものが好きな人は、
神札やお札、お守りなど、
たくさん、持っているけれど、
そんなもの、集めれば、集めるほど、
それらは、災(わざわ)いや病気、
さまざまな不幸の元(もと)となります。

なぜ、そうなるか?
というと、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!
ということです。
世間一般の人は、
このことが、わからない!!
宗教は、なんでもいいものだみたいな、
だから、お守りも、神札も、
持ってて、いいものだ!と思っている。

ところが、違う!
宗教には、明確な理論(りろん)があり、
正しいものと、間違っているもの、
とくに、仏法(ぶっぽう)においては、
教義や理論における、正邪が、
明確に証明されていて、
正しいものに、祈った場合は、
幸せになるけれど、
間違ったものに祈った場合は、
逆の結果、すなわち、
不幸が、かならず、現れてくる。

それが、宗教です。

ようするに、
間違った宗教が作った、
お守りや神札、お札などは、
もともと、間違った、
言い換(か)えれば、
マイナスの宗教であるがゆえに、
お守りや、神札は、
人を守るどころか、
その逆で、
持っている人にマイナスの働きを、およぼし、
かえって、さまざまな不幸を、
その人に、もたらしてしまいます。


生命とは、不思議なもので、
間違った宗教が、
人間の生命におよぼす影響力(えいきょうりょく)は、
バカにできたものではなく、
必ず、その人の人生に、
マイナスの結果として、
現(あらわ)れてしまう。


それが、間違った宗教です。


日本の観光宗教、神社信仰、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)などの宗教が、
なんと足(た)しにもならない、
たんなる金儲(もう)けの宗教であることは、
仏法(ぶっぽう)の理論から言っても、
明白に証明されていて、
それらが、確実に、間違った宗教であることは、
間違いありません。

ところが、
世間一般の人は、
そんなことは、どうでもいいじゃないか!
神札とか、お守りとか、
名前が付いているんだから、
良いものに、決まっているじゃないか!
と、安易(あんい)に考えてしまう。


わからないと思いますが、
不幸の根源(こんげん)には、
この間違った宗教が、必ずあり、

『不幸の元凶(げんきょう)は、
間違った宗教にある!』

と、言い切ることが、できます。

それが、
日本人が好きな、
お守りとか、神札やお札だと、
言っているんです。

実際に、
なんらかの病気の人が、
それらの間違った宗教が作った、
お守りとか、神札などを、
すべて、捨てただけで、
それらの病気が、良くなったという例も、
多々、あるようです。


不思議(ふしぎ)といえば、不思議ですが、
それが、人間の生命であり、
生命と宗教とは、密接(みっせつ)な関係があり、
知らないところで、
さまざまな影響を、およぼしています。

だから、
ノブタが、神札を、
だれにも渡さず、海に捨てたのは、
正しい行動だと、言え、
ぼくたちも、その行動には、
見習(みなら)うべきなんです。


たとえば、
友だちや、親戚(しんせき)などから、
神社、仏閣(ぶっかく)など、
観光旅行のお土産(みやげ)だといって、
お守りや、神札を、もらうことが、
あると思います。

せっかく、もらったのに、
もうしわけないと思うかもしれませんが、
そんなものは、すぐに捨てる!べきです!!

自分の大切な人生です。
間違った宗教の、
そんな、お守りや神札などのために、
たとえ、ほんのわずかであっても、
自分に、さまざまな不幸、不運が、
もたらされただけでも、
その人は、耐(た)えられないはずです。

ところが、長い人生から考えると、
その悪(あ)しき影響は、
ほんのわずかどころの話しでは、
おそらく、なくなっていくでしょう。

なぜ?自分が、こんな目に!!
と思いたくなるようなことが、
起こるとも、がぎりません!!

そうなったら、
だれだって、いやです。


だから、
間違っている!とわかっているもの。
悪(あ)しきマイナスの宗教である!と、
わかっているものの、お守りや神札は、
絶対に、躊躇(ちゅうちょ)せず、
ノブタのように、捨てるべきです!!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

さきほど、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!と、
言いました。

そして、間違った宗教が、
その人の人生に、
さまざまなマイナスの影響を、
もたらすことを、話しました。

マイナスの宗教が、
それだけ、自分の生命と人生に、
影響を、およぼすんだから、
こんどは、
プラスの宗教、
正しき宗教は、逆に、
自分の生命、人生に、
大きなプラス、
幸せの影響を、もたらすことも、
容易(ようい)に、
想像が、つくと思います。

その宗教の正邪を、
徹底的に研究し、究明(きゅうめい)しきったのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
その結果、最も正しく、
ほんとうに、人を幸せにできる宗教、
人を幸せにする、
真実の大きな力(ちから)がある宗教が、
「究極(きゅうきょく)の法(ほう)」、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。

そして、
その日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法を、
真っ直(まっす)ぐに、
一点の狂(くる)いもなく、
正確に実践しているのが、
創価学会です。


この正しき仏法である、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
信仰の力は、
間違った宗教のマイナスの影響力など、
比(くら)べようがないほど、大きく、
数百倍、数千倍、
数万倍の大きなプラスの力を持つといって、
間違いないでしょう。


その結果が、今の、
世界192ヶ国に広がる、
創価学会(そうかがっかい)の発展であり、
それは、悩みの解決や夢の実現、
創価学会員ひとりひとりの幸せとなって、
世界各地に、花開いています・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく158

2014-06-01 11:49:40 | ドラマ
先日から、ビデオで、
「白夜行」というドラマを見た話しを、
しています。

このドラマは、
まだ、11才の子供だった、
亮(りょう)と雪穂(ゆきほ)が、
泥沼(どろぬま)のような生活の中、
自分たちの人生を、取り戻(もど)すために、
お互いが、自分の親を、殺すという、
交換殺人を、行い、
その後、その罪を隠(かく)すために、
罪(つみ)に罪を、重ね、
犯罪に犯罪を、かさねていくという、
物語だけれども、
冷静(れいせい)に考えてみたら、
こんな悪いやつらは、いないわけで、
同情の余地(よち)もないし、
強烈(きょうれつ)な非難を、受けて当然なんだけれど、
そこが、ドラマで、
ドラマを、見ていると、
この二人が、最終的には、
なんとか、幸せになってくれないものか・・・
ハッピーエンドで、終わってほしい!
などと、考えてしまう・・・。

これが、ニュースなどで、
その犯罪だけを、見聞きしたならば、
「なんて、ひどいやつらだ!
 死刑(しけい)にすべきだ!」
などと、当然のように、
考えるにちがいない。

ところが、ドラマだと、違(ちが)う。
なぜだろう・・・?

それは、そのドラマに、
人間性が、出ているからだと思う。
人間としての心情(しんじょう)が、
にじみ出ているがゆえに、
どうしても、かわいそうに思い、
ハッピーエンドで、終わってほしい!
などと、考えてしまう。

たとえば、大変な犯罪者であったとしても、
その犯罪者の親からしてみたら、
許(ゆる)されないのは、わかっていても、
子供のころは、
当然、かわいいところも、あったであろう。
親から見たら、
いいところも、きっと、
たんさん、見えていたに違いない。

だから、親からみたら、
どうしても、愛情の念(ねん)を、
捨てることが、できない場合も、
あると思う。


それは、なぜなのだろう?


それは、そこには、
やはり、
人間性が、あるからだ・・・!

どんな犯罪者であったとしても、
生まれたときから、
「こいつは、人間ではない!
 とんでもない悪魔(あくま)だ!」
なんて、思う親は、いないと思う。

どんな人間であろうと、
生まれてきたときは、
やはり・・・、『人間』だからです。

すなわち、
たとえ、どんな犯罪者であったとしても、
その人の中には、
人間性が、内在(ないざい)している!
ということです。

人間性を、内在していない人間なんて、
いない!!!!
すべての人の中には、
人間性が、内在(ないざい)している。

それは、そのまま、
どんな人であっても、
幸せになる可能性と権利を、
有(ゆう)しているということだと思う。

それなのに、なぜ?
人は、犯罪に走ったり、
大きな失敗をして、敗残者(はいざんしゃ)となったり、
絶望し、自殺してしまったり、
幸せとは、正反対の不幸に、
陥って(おちいって)しまうのだろうか?


すべての人の中に、
素晴らしい人間性が、
内在してるにもかかわらず・・・!


冷静に考えてみると、
確かに、すべての人の中には、
素晴らしい人間性が、内在している。
言い換(か)えれば、
すべての人間の中には、
『幸せになろうとする生命』
『幸せの息吹(いぶき)』
『幸せになろうとする無限のエネルギー』
が、内在していると言える。

にもかかわらず、
それらを、出すことができず、
不幸になってしまうということは、
その人の生命に、
「大きな、ゆがみ」
「おおきな、狂(くる)い」
「大きな、ひずみ」が、
あるということだと、思う。

そして、その自分の生命に、
出来てしまった、生命のゆがみ、狂いが、
本来、人間が持っている、
『幸せになろうとする生命の息吹(いぶき)』
『幸せになろうとする無限のエネルギー』
を、閉(と)じ込め、
見えなくし、
消し去っているのかも、しれない・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

本来、人間には、
幸せになろうとする、
素晴らしい素晴らしいエネルギーがある!

ところが、
自分の中に、できてしまった、
生命のゆがみ、狂いが、
自分の中にある、
幸せになれる
無限の素晴らしい可能性とエネルギーを、
見えなくしてしまい、
その生命のゆがみと狂いは、
自分に幸せになる可能性など、
あるとは、とえも思えなくしているのかも、
しれない。

けれど、
だれがなんと言おうと、
すべての人間の中には、
幸せになれる、
無限の可能性と、エネルギーがある!

その、幸せになれる、
無限の可能性を秘(ひ)めた、
最高のエネルギーのことを、
仏法(ぶっぽう)では、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』という。

言い換えれば、
幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命!
それが、『南無妙法蓮華経』だと思う。


すべての人の中に、
幸せになる無限の可能性とエネルギーは、
内在している。

そして、その幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命のことを、
『南無妙法蓮華経』と言うんだから・・、
その、幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命である、
『南無妙法蓮華経』は、
すべての人間の中に存在する!
と、いうことです!!

存在するんだから、
引(ひ)き出せばいい!!

その、自分の中にある、
幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
引き出す方法であり、行為(こうい)が、
「南無妙法蓮華経を、となえる!」
ということです。


南無妙法蓮華経を、となえることは、
自分の生命を、蘇生(そせい)される。
そして、幸せになるための、
無限の可能性とエネルギーを、
湧(わ)き上がらせ、引き出していく。

ゆえに、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
たとえ、自分の生命に出来てしまった、
「ひずみ」や「狂い」が、
どんなに大きかったとしても、
真剣に南無妙法蓮華経を、
となえ続けることによって、
その人の生命のゆがみや狂いを、
消し去り、直(なお)すことができる!

幸せの可能性とエネルギーを閉ざした壁(かべ)が、
どんなに、厚(あつ)かったとしても、
その壁を、打ち破(やぶ)り、
幸せのエネルギーと可能性を、
開花させることが、できる!


だから、創価学会の人たちは、
さまざまな苦しく辛(つら)い境遇(きょうぐう)にあろうとも、
その苦境を、打ち破り、
幸せのエネルギーを、開花させて、
現実に、幸せになっていける。
夢や希望を、かなえていくことができる。
悩みや困難(こんなん)を
乗り越えていくことができる・・!!


それが、
世界192ヶ国に広がる、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
体験し、実感している、
南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の、
まぎれもない素晴らしさだと、思う・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく157

2014-05-24 13:38:20 | ドラマ
このまえ、ビデオで
「白夜行」というドラマを見た話しをしました。

そのドラマの中で、
恋人同士の亮(りょう)と雪穂(ゆきほ)は、
子供のころ、
親の交換殺人という、
大変な罪を、犯してしまった。

そして、二人は、
お互いの罪を隠(かく)すために、
犯罪に犯罪を、重ねていく。

その中で、亮(りょう)は、
恋人の雪穂を、守りたいが一身で、
まるで、幽霊(ゆうれい)のように、生きてゆく。

そして、亮は、
唯一(ゆいいつ)、自分たちの犯行に気づき、
子供のころから、
ずっと、亮と雪穂に、つきまとっていた、
刑事、笹垣を、殺し、
自分も、死のうと決意する。

亮は、笹垣の部屋に、しのびこみ、
そこで、一冊のノートを、見つける。

そこには、
自分が、子供のころから行(おこな)ってきた、
さまざまな犯罪の数々が、
よくも、ここまで、調べ上げたものだ!と
思うほど、克明(こくめい)に、
書き込まれていた。

だれにも、気づかれず、
幽霊のように生きてきた亮は、
そのノートを、見て、涙を流す。


「自分のことを、ここまで、
 見ていてくれた人が、いたのだ・・・!」


と。

そして、笹垣を、確実ではあるけれど、
卑怯(ひきょう)な手で、殺すことを、
あきらめてしまう。


人は、たとえ、どんな生き方であろうと、
自分が生きてきたという痕跡(こんせき)を、
だれかに、わかってほしい・・!
知っていてほしい・・・!
見ていてほしい・・・!と、
思う、生き物なのかも、しれない。

自分が、生きてきた痕跡(こんせき)
それは、自分が、生まれ、
生きてきた証(あかし)かも、しれない。

その生きてきた証(あかし)を、だれかが、
認め、わかってくれたら、
それだけで、その人は、
幸せなのかも、しれない・・・。

よく、創価学会(そうかがっかい)の、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
創価学会員の人たちを、励(はげ)ますとき、
「全部、聞いてますよ!
 全部、わかっているからね!」
と、言う。

それは、ウソではなく、
実際に、克明なところまで、
その人のことを、聞いて、
心から、わかっているから、
言える言葉だと、思う。

また、池田先生は、
世界各国の著名人、
芸術家や科学者や政治家や、経済人にいたるまで、
さまざなの人と、会見をしたけれど、
その中で、
池田先生に、会った人たちは、
みな、池田先生が、
「よくぞ、ここまで、
 自分のことを、知っていてくれる!」
自分が、忘れてしまっているような、
自分が書いた本や、その中の言葉まで、
おぼえていて、
心から、自分を、たたえてくれる!

その、人を理解し、心から知ろうとする、
真心と、心構(こころがま)えに、
池田先生に会った有識者たちは、
いつも、驚嘆(きょうたん)し、
尊敬と共感を、禁じえないでいる・・・!

それが、どれだけ、
その人を、励ますか!
それが、どれだけ、
その人を、勇気づけるか!

たった一人でも、
自分のことを、
心から、わかっていてくれる人が、いれば、
その人は、希望を持って、
生きていける!


自分が、生きてきた証(あかし)
自分の生きてきた痕跡を、
いつも、あったかく見守り、
わかっていてくれる。

それが、創価学会の、
池田先生であり、
それが、創価学会の絆(きずな)なんだと、
思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

では、自分が、生きてきた証(あかし)
自分が、生きてきた痕跡(こんせき)を、
本当に価値(かち)のあるもの!
本当に、永遠に残る、
みんなが、ありがとう!と言ってくれる、
真実の生きた証にするためには、
どうしたら、いいのか?

もし、それが、できたら、
その人は、
だれがなんと言おうと、
「世界一の幸せもの」のはずです!

実は、それが、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、
となえるという行動と、
仏法(ぶっぽう)を基調(きちょう)とした、
創価学会の活動です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
生命に、永遠の価値、
無限の価値を、もたらす法則(ほうそく)です。
ゆえに、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえ始めた時から、
ぼくたちの生命には、
永遠にして、無限の価値が、
発生し、湧(わ)きあがってくる!!!

それは、単なる理論(りろん)ではなく、
現実に、自分の生命で、感じることができ、
自分の人生を、大きく変革(へんかく)させ、
現実に、自分の人生の中で、
結果として開花し、
具体的な形として、
大きな価値と幸せを、もたらしてくれる。

すなわち、
自分で、心から満足する幸せを、
感じ、味(あじ)わうことが、できるということです。


南無妙法蓮華経をとなえるのと、
となえないのと、
それほど、違(ちが)いがあるのか?
と思うかもしれませんが、
実は、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということには、
とてつもなく深い幸せと、
計(はか)り知れない価値がある・・!!

その、とてつもなく深い幸せと、
計り知れない価値の一部分(いちぶぶん)として、
悩みを解決していけたり、
夢や希望を、かなえていけたりするわけです。


けれど、それは、
当然だとも、言える。

さきほども言ったように、
南無妙法蓮華経は、
最高の価値そのものであり、
無上の価値、永遠の価値をもたらすものが、
『南無妙法蓮華経』だからです。

だから、
南無妙法蓮華経をとなえることは、
自分の生きている証(あかし)
自分の生きている痕跡(こんせき)を、
最高に価値あるもの!
無限にして、永遠に価値あるものまで、
高め、開花させることになる。

その現実的な結果が、
悩みの解決や、
夢や希望の実現。
病気や、さまざまな困難(こんなん)の
克服(こくふく)へとつながり、
その人の生(せい)を、
最高に価値ある存在として
輝(かがや)かせてくれる。

そして、
自分が生きてきた痕跡(こんせき)を、
無上の、最高の形で、
伝えることになっていく。

だから、その、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を実践する、
創価学会の人たちが、
そうならないわけがなく、
実際に、なっているから、
創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
みんなが、幸せと歓喜(かんき)を、味わっている!


最高の価値、
最大の価値、
永遠の価値、

自分の生命に、
自分の生きていることに、
その最高の価値を感じながら、
生きていく生き方が、
創価学会の人たちの生き方なんだと、
思う・・・・・。


それは、ドラマ「白夜行」で、
亮が、刑事、笹垣のノートをみて、
「自分のことを、ここまで、
 見ていてくれた人が、いたのだ・・・!」
と、涙を、流したように、
自分の、生きている価値、
自分の、生きている痕跡を、
心の底から、感じ、認(みと)め合い、
かみしめることが、できる、
生き方だと、言える・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく156

2014-05-16 09:15:28 | ドラマ
このまえ、ビデオで、
「医龍(いりゅう)」というドラマを、
みました。

その中で、
ひとりの麻酔医(ますいい)が、でてくる。
その麻酔医は、かつて、
製薬会社の依頼を、受け、
麻酔導入の新薬の開発に、関わっていた。

新薬の認可(にんか)を、得るために、
その麻酔医は、多額の金品と、引き換(か)えに、
論文を、偽造(ぎぞう)した。
その結果、新薬は、認可されたが、
トラブルが続出し、ほとんどの病院が、
使用を、中止した。

しかし、その麻酔医がいた大学病院では、
さらに、何十例も、その新薬を、使用し、
多数の患者が、死亡。
そんな人体実験に関わった男として、
その麻酔医は、登場する。

しかし、その麻酔医は、
大変な技術と腕(うで)があるということで、
ドラマ「医龍」の主人公率いる、
心臓外科医にとって最高峰(さいこうほう)の技術を要(よう)する、
「バチスタ手術」をするためのチーム、
「チーム・メディカル・ドラゴン」に入り、
そのメンバーになっていく。


このドラマの中では、
その麻酔医について、
主人公に、こう言わせている。

「自分(麻酔医)の犯(おか)した罪が、
 一生かけても、許(ゆる)されないことは、
 本人が、いちばん、よく、知っている!」

「だから、あいつは、
 ひとから、責(せ)められ続けることを、望んでいる・・
 だから、あいつは、ほかの道を選ばなかった・・」

と・・。
 

一生かかっても、許されない罪(つみ)。
一生かかっても、消えない宿命(しゅくめい)・・。

こういうものを、仏法(ぶっぽう)では、
『宿業(しゅくごう)』と、いう。

宿業(しゅくごう)とは、
自分の人生における、
あるいは、自分という生命における、
なぜだか、組み込まれてしまった、
宿命的な苦しみ、悲しみ、
背負(せお)いたくないのに、背負ってしまった、
運命的な重たい荷物のような、
ものだろうか?

なぜ、宿業(しゅくごう)と言うかというと、
その宿命が、どうしても、
さけられないものであり、
どうしても、消えないものだから、
かもしれない。

しかし、この宿業、
あるいは、宿命という考え方は、
ある意味、宗教に、悪用されてきた。

どういうことかというと、
宿命というものは、
どうしても、消えないもので、
本人には、どうしようもない!
だから、いわゆる聖職者(せいしょくしゃ)に、
多額の金を、払(はら)って、
おがんでもらう!
そうしないと、宿命は、消えないし、
変えられないと、いうのだ・・!

だから、へんてこな、
宗教のスペシャリストと自認(じにん)する、
まやかしの教祖が、
たくさん、出現して、
宿命という考え方は、
人々を、不安にし、
多額の金品を払って、
宗教家に、おがんでもらう!という、
悪しき宗教ビジネスを、
はびこらす結果となってしまった。

この考え方が、
まやかしのペテン宗教や、
カルト宗教、
カルトでなくても、
日本に、はびこる、葬式(そうしき)仏教や、
観光宗教、神社信仰など、
何十万という、まやかしの邪宗教(じゃしゅうきょう)が、
うじゃうじゃしている原因でも、ある。


ところが、本当は、
こういう『宿命(しゅくめい)』という、
考えかたは、間違っている!!

真実の宿命に対する考え方は、
実は、750年以上も前に、
日蓮大聖人が、解(と)き明かしています。
そして、宿命を、変えられないもの、
消えないものから、
必ず、変えられるもの、
消すことのできるものにしたのが、
創価学会が、実践している、
真実の宿命転換(しゅくめいてんかん)の法則(ほうそく)、
『南無妙法蓮華経』なんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

確かに、人間、生きていると、
宿命的とも、思えることに、
何度も、出くわすことになると思う。
それは、だれだって、わかる。

けれど、それを、
宿命だからと、あきられてしまっては、
何にもならない。
それでは、宿命ともいえる、
人生における辛(つら)さ、苦しさ、悲しみは、
一生、消えることはないし、
当然、一生、背負っていくことになる。

そんなことは、わかっているけれども、
現実に生きていると、
実際、どうにもならないから、
あきらめたり、現実逃避(とうひ)したり、
ようするに、おざなりに、
生きるしか、なくなってしまう。

明確な打開策(だかいさく)が、ないのだ!
ないから、どうしようもない。
だから、そのまま、耐(た)えて、生きるしかない。
それが、現実に生きている人間の、
現状(げんじょう)かも、しれない。

ようするに、
明確な打開策が、あれば、いいわけです!
どんな宿命も、打ち破(やぶ)ることのできる、
明確な方法!
確実な原理(げんり)と実際に実践(じっせん)できる方法が、
あれば、いいわけです。

その方法が、わかれば、
宿命だからといって、あきらめたり、
現実逃避したり、ただ、ひたすら、
耐え忍(しの)ぶような生き方を、
しなくて、すむわけです。

実は、その宿命を打ち破る、
明確な原理と方法を、
すべての人間のために、
打ち立てられたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
そして、その原理と方法が、
創価学会(そうかがっかい)が、実践している、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえる!
ことを根本とする、
仏法(ぶっぽう)の実践なんです。

もっと、単純に言うと、
創価学会の人たちが、となえている、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』には、
どんな宿命も、打ち破る力(ちから)が、ある!
と、いうことです。
それだけ、スゴクて、
無限の力を、秘(ひ)めているのが、
『南無妙法蓮華経』なんです。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえ始めた時から、
宿命は、宿命では、なくなるんです!
なぜなら、それは、
打ち破(やぶ)り、変えていくことが、
できるからです。

たとえば、
登山家は、
「そこに、山があるから登(のぼ)る」
と、いうのです。
アスリートは、
自分の超えるべき目標があるから、
日々、練習し、挑戦しています。

それと同じように、
ぼくたちが、南無妙法蓮華経を、
となえ始めた時から、
今まで、宿命だと思っていたものは、
自分の超えるべき目標に、
変わるんです。

なぜなら、
南無妙法蓮華経を、となえ始めた以上、
それは、必ず、超(こ)えられる!
からです・・・・!

超えられるから、宿命が、存在する。
いわば、宿命は、
超えるべき目標であり、
自分が、輝(かがや)き、挑戦し、
日々を、生き生きと生きるための、
エネルギーと、なるんです!

そして、その宿命を、超えたとき、
いままで以上の、
思いもかけない幸せが、もたらされる!


だから、ぼくたち、
創価学会員が、
南無妙法蓮華経を、となえ始めた以上、
宿命は、
幸せになるためのハードル。
必ず、超えられる、
幸せになるための道しるべのような、
役割(やくわり)を、果たしてくれます。

なぜなら、目標が、はっきりしないと、
なにごとも、成就(じょうじゅ)しないからです。
幸せも、同じです。

いわば、
宿命があるから、幸せになれる!
悩みがあるから、幸せになれる!


ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえたときから、
宿命は、幸せになるための「こやし」となり、
幸せになるためのガソリンとなり、
幸せになるための、エネルギーと、
変わっていく。

これが、真実の仏法(ぶっぽう)から見た、
宿命に対する、とらえ方であり、
考えかただと思います。

そして、実際に、
その通りになります。



悩みは、超えていける!
困難(こんなん)は乗り越えていける!
宿命は必ず打ち破ることができる!

そして、幸せを
どこまでもどこまでも、開花していける!


その法則であり、力であり、
エネルギーが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
それは、
世界192ヶ国の創価学会員が、
現実に体験し、実感しています・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく153

2014-04-23 09:20:40 | ドラマ
このまえ、ビデオで、
「白夜行」というドラマを、見ました。

主人公の亮(りょう)と雪穂(ゆきほ)は、
子供のころ、初恋の大切な友だちだった。

ふたりとも、泥沼(どろぬま)のような
人生を、おくっていたが、
二人は、お互(たが)いを、助けようと思い、
お互いが、自分の親を、殺すという、
大変な罪を、犯す。

子供だった二人は、
自分たちの犯罪を、隠(かく)すために、
二度と会わないことを、誓(ちか)い、
まったくの他人といて、生きていく。

しかし、二人は、再会し、
自分たちの罪を、隠すために、
犯罪に犯罪を、重ねていく。

そんな中で、
亮は、雪穂に、言う。

「雪穂の幸せは、
 オレの免罪符(めんざいふ)だから・・」

「まわりの人を合わせたら、
 いったい何人の人生を狂(くる)わせたか、
 わかんないけど、
 せめて、一人は幸せにしましたって、
 思いたいんだよ・・・!」


たった一人でも、いい!
だれかを、幸せにしたって、思いたい!

たとえ、どんな泥沼のような、
人生であったとしても、
たった一人でも、
自分が、幸せにできたとしたら、
その人生には、「価値(かち)があった!」
と、いうことだと思う。



人は、どんな人でも、
自分の人生に、価値を、求めている。
自分の人生に、生きた証(あかし)が、ほしい!

その思いは、たぶん、
時と共に、大きくなっていくだろう・・。

自分は、
一人でも、幸せにしただろうか?
自分は、世の中のために、
世界のために、
あるいは、人々のために、
なにか、価値のあることを、
やってきただろうか?

本当は、
生きる価値とは、生きている証(あかし)とは、
そこに、あるんだと思う。

人々は、忙(いそが)しい生活の中で、
そういうことを、あまり、
意識しないで、生きている場合がある。

けれど、心の底では、
確実に、深く強く、そのことを、
求めている。


「自分は、一人でも、
 幸せに、できただろうか?」


この命題(めいだい)、
この問いかけに、
人生における、最も深い、
価値と、喜びと、幸せが、
あるのでは、ないだろうか?

そして、そのことに、
真っ向(まっこう)から、問いかけ、
明確に、みごとに解決した哲学(てつがく)が、
実は、
創価学会(そうかがっかい)が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


『人を幸せにすること』
それは、自分の人生を、
最大に輝(かがや)かせ、最大に価値あるものとし、
最大の幸せを、もたらす!!!

そのことを、現実に、
どんな環境(かんきょう)の、どんな人でも、
実現でき、
心の底から、感じることができ、
すべての人に、
最大の価値と、幸せを、もたらすのが、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経を、となえることが、
なぜ?、人を幸せにすることに、
つながっていくのか?
なぜ、世の中を、世界を、
幸せにすることに、
つながっていくのか?

南無妙法蓮華経は、
大宇宙の生命の法則(ほうそく)です。
あらゆるものを、変革していく力(ちから)
あらゆるものを、幸せにしていく力と、
言えるかもしれない。

はっきり言えば、
人間を幸せにしていく、
これ以上の力は、ありません。
また、世界を、生命を、幸せにしていく、
これ以上の力も、ありません。

確実に、
本源的(ほんげんてき)に、
生命を、世界を、人間を、
幸せにしていくことができるのが、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)です。

だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
自分自身の中から、
変革(へんかく)する力、幸せにする力が、
わきあがってくる。

すなわち、南無妙法蓮華経は、
本来、生命が持っている、
本質的な力、本質的な価値、
本質的な生きがいを、
その人の中から、開花させていく!

南無妙法蓮華経を、となえると、
その生命は、その生命が、
本来、持っている使命(しめい)を、
はたすために、行動を開始し、
動き出す!!

すなわち、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
ぼくたちの生命は、
無意識のうちにも、
自分の使命に目覚(めざ)め、
自分の使命を、自覚していく。

南無妙法蓮華経は、
その人の生命に、
その人の使命を、はたせるように、
心の奥底(おくそく)から、働きかけ、
目覚めさせ、
その人の生命が、
本来、持っている輝きを、復活(ふっかつ)させる!

それは、そのまま、
自分の人生を、
小さな、価値のない、わびしい人生ではなく、
大きな使命と大きな価値を持った、
最高に楽しい、希望に満(み)ちた人生に、
変えていってしまう。

やがて、それは、
自分だけでなく、
周りの人々をも、
幸せにすることに、つながっていく。

南無妙法蓮華経をとなえることを、
根本として、生きていったとき、
現実に、
ひとり、またひとりと、
周りの人をも、幸せにすることが、
できていく。

それは、人間が望む、
最高の生き方だと、言える。


「一人でも、いい!
 その人を、幸せにできたら、
 どんなに、幸せなことだろう・・・」

人を幸せにする価値!
世界を幸せにする価値!
その価値を、自分の人生に持つことが、
できたなら・・・・

その人は、
世界一の幸せものだろう!!


そして、それは、
現実に、できる!
確実に、できる!
必ず、100%、できる!!


それが、
南無妙法蓮華経を、となえる!
ということであり、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


実際、そうなっているから、
創価学会は、世界から、
大変な絶賛(ぜっさん)と、尊敬を集めている。

世界に平和と幸せを、もたらす、
最高の現実的な平和団体として、
世界の期待を、集めている。

そして、
実際に、大変な貢献(こうけん)をしている。

その価値は、
「白夜行」のドラマで、
亮が、

「せめて、一人は幸せにしましたって、
 思いたい・・・!」

と言ったように、
人間の生命の奥底にある、
本当の願望、本当の願い!、本当の喜びを、
その人の人生と、
その人の生命に、呼び覚(さ)まし、
現実に人々を、幸せにすることを可能(かのう)にし、
その歓喜を、こころの底から感じさせ、
大きな大きな価値と、
最大の幸せを、もたらしてくれる・・・!


人々や世界の幸せと、自分の幸せが、
掛け算(かけざん)のように、
無限の増えていく法則。

それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法です・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・