タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく171

2014-11-30 22:53:40 | 幸せ
世間のニュースなどを見ていると、
暗(くら)い話しが多い。

もちろん、明るい話題、
楽しい話題もあるけれど、
やはり、暗い出来事、ネガティプな情報が、
多いのも事実だと思う。

だから 、新聞なども、
一般紙は、
暗い話しが、多くなってくると思う。


ところが、聖教(せいきょう)新聞は、違う。

聖教新聞は、
創価学会(そうかがっかい)の機関紙だから、
創価学会の情報も多く出ているけれど、
大きな特徴(とくちょう)として、
紙面に、
「希望の言葉」、「励(はげ)ましの言葉、」
人生を前向きに挑戦していける、
「ポジティブな言葉」が、あふれている。


それは、見る人が見れば、よく!わかる・・!


ある少女がいた。・・

彼女は、創価学会員ではないけれど、
自分の家で、聖教新聞を、とることになった。

彼女は、その聖教新聞の記事を読み
聖教新聞が、大好きになった!

なぜかというと、
聖教新聞には、
「希望の言葉」、「勇気の言葉」が、
ちりばめられているからです!

そして、彼女は、
自分が好きな言葉が出てくると、
切り抜き、スクラップノートを作り、
大切にしてきた。

そのノートは、何冊(さつ)にも、なった・・!


そして、彼女は、大人になっていく。


彼女は独り立ちし、親元を離(はな)れていった。

彼女の親は、友人の勧(すす)めで、
聖教新聞をとることはあったけれど、
創価学会に対する理解は、
浅(あさ)く、あまりなかった。

だから、聖教新聞のスクラップノートを
大切にしている彼女を見て、
親は、彼女に、
「創価学会にだけは、はいるなよ!」
と言ったそうです・・・。


けれど、
世間の風潮(ふうちょう)が、
正しいとはかぎらない。

まして、世間の、
創価学会に対する、
いい加減(かげん)な記事や、
デマが、正しいわけがない。

それに、彼女は、
聖教新聞を、しっかり読んでいたので、
真実がわかっていた・・!


彼女には、確信があった。

なぜなら、聖教新聞を切り抜いた、
何冊ものスクラップノートは、
そのまま、
彼女のこころに、
希望と、勇気と、励ましとなって、
刻(きざ)まれていたからです。


そして、彼女は、創価学会に、入った!!


なぜなら、それは、
聖教新聞の希望の言葉の通り、
『幸せの道』であり、
『希望の道』であり、
『勝利の道』だからです。


そして、それは、
結局(けっきょく)、
家族や親も、
『幸せの道』『希望の道』
『勝利の道』に、導(みちび)くことになり、
親にも、
最高の幸せを、
もたらすことになっていきます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
暗い世の中の、
暗雲(あんうん)を吹(ふ)き払(はら)う、
太陽なんです。

南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
自分の生命から、
無限のポジティプな心を引き出し、
開花していける!

そうなれば、当然、
悩みや苦難(くなん)を、
乗り越(こ)えることができ、
そのポジティプな生命から、
夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。

こんな暗い様相(ようそう)の世の中だからこそ、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
の太陽がもたらす光は、
無限に輝(かがや)いていく!!

どんなネガティブも、
追っ払(おっぱら)い、
清々(すがすが)しく、
無限の希望を持って、
進んでいける!!

それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』と、
いうことなんです。


だから、聖教新聞は、明るい!!


希望が、あふれている!
勇気が、みなぎっている!
励ましの言葉に、満(み)ちている!


心というのは、不思議(ふしぎ)です。
希望があれば、どこまでも、
開花していける。
勇気があれば、
人生は、どこまでも開いていける!


その生命の息吹(いぶき)に満ちているのが、
聖教新聞であり、
希望と、勇気を、
無限に開いていく、
最強最大のポジティブ思考と言えるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく170

2014-11-20 09:20:09 | こころ
以前、
聖教(せいきょう)新聞の名字の言というコラムに、
こんな話しがのっていました。

それは、20代で関節リウマチを患(わずら)い、
寝たきりとなった女性の話しでした。

彼女は、心が荒(すさ)み、
周囲への不満が募(つの)っていった。

ある日、激励(げきれい)に訪(おとず)れた
創価学会の女子部の部長が、
枕元(まくらもと)で歌った。

ナポリ民謡(みんよう)
「オ・ソレ・ミオ(私の太陽よ)」。
それもイタリア語だった。

面食(めんく)らう彼女に、
部長が一言。


「どんなにつらいことがあっても、
生涯(しょうがい)、嵐が続くことはないのよ。」


涙があふれ、周囲に
感謝する心が生まれた。

その後、彼女は
自力で立てるようになり、
友のために祈り走る
広宣流布(こうせんるふ)の、
ヒロインに成長していった。


ちなみに広宣流布(こうせんるふ)とは、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の、
思想と哲学(てつがく)を基調(きちょう)として、
世界に平和と幸福を
もたらしていくことを言います。



創価学会(そうかがっかい)の強いところ、
素晴らしいところは、
こういうところにあるんだと思う。

ひとりの人間が、
ひとりの人間に、
一対一で対峙(たいじ)し、
徹(てっ)して励(はげ)ましていく。
そして、ひとりを蘇生(そせい)さて、
立ち上がらせていく。

それができる土壌(どじょう)と
哲学(てつがく)と生命のエネルギーが、
創価学会にはあるんだと思う。

無限の蘇生(そせい)のドラマを
生み出す場所が、
創価学会ではないかと思う。


とかく、孤立化(こりつか)しやすい
現代という世界。

華(はな)やかに見える人も
いるかもしれない。
幸せそうに見える人も
いるかもしれない。

けれど、精神の底にある
孤独(こどく)の闇(やみ)が、
どこかに潜(ひそ)んでいるのでは
ないだろうか・・・。

表面的には幸せそうに見えても、
心の底に闇(やみ)が隠(かく)れている。

その闇を押し隠して、
生きているような人も、
いるかもしれない。


その闇を、
打ち破(やぶ)る場所が、
創価学会だと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

欲(ほっ)しても欲しても、
満(み)たされない何か?がある。

どんなに楽しく、
幸せそうに振る舞(ふるま)っても、
心の底に満たされない何かがある。


人間が人間であることの証(あかし)・・・。
人間が人間であることの希望・・・。
人間が人間であることの尊厳(そんげん)・・・。


その、だれもが心の底で、
本当は欲している、
人間としての証(あかし)を、
つかむことのできる場所がある。

自分が人間であることの、
明確な希望と尊厳(そんげん)を、
心の底から感じ取ることのできる場所がある。


それが、創価学会だと思う。


自分が自分であることの希望。
自分が自分であることの尊厳(そんげん)。
自分が自分であることの証(あかし)。


それを、明確に、
心の底から歓喜(かんき)して、
感じ、味わい、
楽しんでいける場所が、
『創価学会』であり、
それを可能にする、
哲学であり力(ちから)であり、
エネルギーが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
心から思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく169

2014-11-13 09:39:25 | 悩み
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰を
やってみるきっかけは、いろいろ、あると思うけれど、
何かの悩みや問題があって、
その解決(かいけつ)のために
創価学会の信仰をやりだした場合が、
多いかもしれない。

そして、その悩みや問題が、
ことごとく解決していくから、
創価学会は広がり、
世界192カ国にまで、発展(はってん)している。

それは、現実に、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる仏法の信仰に、
悩みや問題を解決していく、
大きな大きな力(ちから)と
無限の可能性があるからだけれども、
別の観点(かんてん)から、
悩みや問題が解決できる理由を
考えることもできる。


それは、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、
間違いのない、
人々を幸せにできる、
本当に正しい、正義(せいぎ)とプラスの
信仰だと言うことですが、
それとは逆(ぎゃく)に、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしても、
神社信仰にしても、観光宗教にしても、
日本にはびこっている、それらの宗教が、
あきらかに間違(まちが)った、
でたらめな宗教であり、
人々を不幸にする宗教だということです。

それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教が、間違った宗教であることは、
ちょっと考えれば、わかりますし、
仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、
完全に間違った宗教であることが、
わかります。

間違った宗教に祈るということは、
その間違った、でたらめな宗教に、
自分の生命と人生を、ゆだね、
ささげていくことになります。
間違ったでたらめな宗教に、
自分の生命と人生を、
ゆだね、ささげていけば、
当然(とうぜん)、
自分の生命と人生は、
間違った、デタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメなものになっていったなら、
その当(あ)たり前の結果として、
さまざまな不幸が、
もたらされてしまいます。


それが、葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などの間違った宗教です。


だから、そのような宗教にかかわってきたということは、
当然、その間違った宗教の
悪影響(あくえいきょう)と害毒(がいどく)を、
自分の人生に受けていくことになります。

だから、先祖代々、受け継(つ)がれている宗教が、
さっきも言ったように、
間違った、人を不幸にする宗教である場合、
その悪い影響、弊害(へいがい)を、
自分の人生と生命に
受けてしまうということが、できます。

また、自分が過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に
かかわった宗教が、
間違った悪(あ)しき宗教であったがゆえに、
その間違った影響、
さまざまな不幸を背負(せお)って、
自分が生まれてしまったと、
考えることもできます。


人は、悩みの根本原因までは、
考えがおよびませんが、
さまざまな悩みや苦しみ、不幸は、
間違った宗教から起ってくると、
断言(だんげん)することができます。

ところが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の
信仰につくということは、
逆に、その、自分が今までかかわってきた
間違った宗教を捨てて、
断(た)ち切ることを意味しています。

不幸の根源(こんげん)には、
その間違った宗教があるわけですから、
悩みや苦しみ、
不幸の根本的な原因は、
その間違った宗教にあるわけです。

そして、その、間違った宗教を捨てるということは、
その不幸や悩みの根本原因を、
捨てることになります。

不幸の根本の原因を捨てたんだから、
それは、結果として、
不幸や悩みを
消(け)し去(さ)ることになります。

原因がなくなれば、
それは結局(けっきょく)、
悩みや問題を、
解決することになっていきます。


そう考えると、
この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰をやっていったとき、
ことごとく悩みや問題を解決していけ、
それがかりに、大変な悩みや問題であっても、
創価学会の信仰を、
真剣にやっていくことによって、
解決していけるのも、
納得(なっとく)いくかもしれません。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

問題は、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!
ということです。

間違った宗教をやっていけば、
不幸になるし、
正しき宗教をやっていけば、
幸せになります。

その間違った、
人を不幸にしてしまう宗教が、
日本にはびこっている
葬式仏教や神社信仰、観光宗教などです。


人は、正月などになると、
初詣(はつもうで)だと言って、
さまざまな神社や仏閣(ぶっかく)に行きますが、
実際は、いいことなどありません。

不幸になる原因を、
つくりに行っているにすぎません・・。

そして、それは、
自分の生命と人生に、
積(つ)み重(かさ)なり、
時と共に、
その人を苦しめることになるでしょう・・。


人は、このことに、
早く!気づくべきでしょう。


そして・・、
それとは逆(ぎゃく)に、
どんな不幸も、悩みも打ち破(やぶ)り、
夢や希望をかなえて、
太陽のような幸せを勝ち取っていける、
唯一(ゆいいつ)、真実に正しい宗教と言えるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・