タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく48

2011-12-28 09:22:43 | 幸せ
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)に、
諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)という
御書があります。
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文や手紙を、すべて集めたものです)

この御書(ごしょ)のなかに、

『日蓮一人はじめは
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と
唱(とな)えしが、
二人、三人・百人と、
次第(しだい)に唱え、つたふるなり、

未来も又(また)しかるべし。』


とある。


組織論(そしきろん)として、
すべてに言えることとして、

その組織が、一人しか、いなかったら、
自分が、やるしかない。

それが、2人になると、
だいぶ、楽(らく)になってくる。

自分が、できないときは、
替(か)わって、やってくれる人が、いるからだ。

それが、三人になると、
劇的(げきてき)に変化が起こってくる!

2人だけだと、その2人は、
自分と似(に)かよった、
同じような趣味や趣向(しゅこう)を持った、
狭(せま)い範囲(はんい)の人しか、
集めることはできない。

ところが、これが、三人になると、
自分の趣味や趣向、性格とは、
まったく違(ちが)うような人たちも、
仲間として、
入れていけるようになってくる。

だから、組織は、
三人になった時から、
劇的に発展していく。


これが、組織を発展させていく原理(げんり)だという。


一人から二人へ、二人から三人へ・・。


この原理なくして、組織は、
現実的に広かっていくことはない。

だとしたら、組織を強くする鍵(かぎ)は、
やっぱり、
一対一の誠実(せいじつ)な対話なんだと思う。

最も、地味(じみ)なようで、
これしか、
組織を強くする方法は無(な)いんだと思う。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
青年から、どうしたら、
組織を強くできるか?と、質問され、

「それは、一人の人間と、会っていくことだ!」

と、答えてくれたそうです。


一人を大切にすることが、
組織を強くすることに直結(ちょっけつ)する。


現代という時代は、

「大きな組織の中では、オレの力なんて」

とか、

「俺が、いくら、がんばったって、
世界が、変わるわけではない」

とか、

一人の力を、過小評価(かしょうひょうか)し、
卑下(ひげ)する傾向にあると思う。

けれど、さっきの組織論からいうと、
それは、まったく、逆(ぎゃく)だということになる!

巨大な組織を強くする、ということは、
一人の人間を、強くする、
一人の人間を、最大に尊敬する、
一人の人間の価値(かち)を、最大に評価していく!


これしか、ないということだと思う。


そして、この結論として言えることは、
巨大な組織よりも、はるかに大きな価値が、
一人の人間には、ある!

巨大な一国を左右(さゆう)できるだけの、
偉大(いだい)な力を持っているのは、
実は、たった一人の人間だと、
いうことになる!


だから、一人の人間を、
ぜったいに、卑下(ひげ)してはいけない!

一人の人間の価値を、
最大に認め、
賛嘆(さんたん)している組織や国が、
結局は、
栄(さか)え、発展していく。

一人の人間の価値を、過小評価し、
バカにしている組織や国は、
やがては、滅(ほろ)んでいく運命に、
あると思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

一人の人間の幸せを考える時、
そのネックにあるのは、

自分という一人の人間の価値を、
最高最大に認(みと)めてほしい!

自分の生きている価値を、
最高最大に感じて生きたい!

ということではないかと、思う。

だから、
その一人一人の切実(せつじつ)な願いを、
かなえることができる団体が、
伸(の)び、発展していくことになる。


日蓮大聖人が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえだした時、
一人だった!

だが、やがて、2人、3人と増え、
最終的に、南無妙法蓮華経を
となえるようになったのは、
日蓮大聖人の生前中に、
全国の日本人の十分の一にまで、
なったそうです。

しかも、これは、
一国をあげて、
日蓮大聖人と、その門下(もんか)を、
迫害(はくがい)し続けてきて、
それでも、それだけ、
南無妙法蓮華経が広がってきたと
いうことです!

さっきの組織論から考えていくと、
南無妙法蓮華経は、
あらゆる、一切(いっさい)の迫害を超(こ)えて、
一人の人間の価値を、
どこまでも、最高最大に、たたえ、
最高最大に、開花(かいか)させていく、

『最強の人間讃歌(にんげんさんか)の法則(ほうそく)』

なんだと思う。

まるで、
消えることのない太陽の炎(ほのお)のように、
こころと生命を、
幸福にし、
王者のように輝(かがや)かせてくれる!!

だから、どんな迫害も、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
人間の生命に起こる変革(へんかく)。

すなわち、
一人の人間の生命に、
最大の価値と無限の可能性を開く『革命(かくめい)』を、
はばむことは、できなかったんだと、
思う。


現在では、創価学会(そうかがっかい)は、
世界192ヶ国に広がり、
24時間、世界のどこかで、
必ず、南無妙法蓮華経を
となえている人がいるそうです!


日蓮大聖人の予言(よげん)どおりに、なってきた。


それは、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、
人間の価値と可能性を、
最大に開花させてきた結果であり、
ひとりひとりの悩みや問題を解決し、
夢や希望を、かなえてきた結果だと思う。

それは、
ひとりの人間を、
現実に強くし、
現実に幸せにしてきた。

ひとりの人間を
強く幸せにしていくならば、
結局(けっきょく)、
それは、
社会を、
世界を、
強くし、
幸せにしていく結果となる。


ゆえに、
この創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰ほど、
世界に、
平和と、幸せと、希望の世界を、
ひろげていく方法はないと
結論(けつろん)しても、
なんの問題もない・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく47

2011-12-22 09:26:29 | 日常
以前、インターネットで、
2チャンネルという書き込みを見ていたら、
創価学会(そうかがっかい)の話しが、
のっていた。

「創価学会にだって、悪人は、いるじゃないか!」

とか、

「創価学会の人が、みんな、善人(ぜんにん)ではない」

とかいう話しを、していた。


それは、そうだと思う。


創価学会に反逆(はんぎゃく)した人たちだって、
もとは、創価学会だったわけだし、
まあ、悪人だから、
創価学会から出ていったわけだけれど、
もとはといえば、創価学会員だ。

創価学会は、

どんな人でも、幸せにしたい!

と、願っているわけだから、
いろいろな人が、創価学会に入ってきて、
当然(とうぜん)だと思う。


けれど、信心が、狂(くる)ってしまったら、
その人は、狂っていく。


仏法(ぶっぽう)の原因と結果の法則(ほうそく)には、
一点の狂いもない!

だから、仏法の信心(しんじん)が狂ってしまった人が、
おかしくなるのは、
逆(ぎゃく)の意味で、
この仏法(ぶっぽう)が、
真実の法則であることの証明だと思う。

創価学会に入っても、
信心がなくなり、創価学会員を
バカにするようになった人が、
幸せになったら、おかしい!

それとは、まったく逆の、
悲惨(ひさん)な結果が出て当然だと思う。

だから、逆に、
仏法の信仰(しんこう)を、
素直に、純粋(じゅんすい)にやっていると、
思いもよらなかった幸せを、つかめるのも、
仏法の道理(どうり)だと思う。


勘違(かんちが)いしてもらっては、
困(こま)ると思う。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)も、
どんな悪人であっても、
創価学会員である以上、
なんとか、良くしよう!良くしようと、
心を、砕(くだ)いていたように思える。


けれど、ひとたび、
創価学会に牙(きば)を向いたならば、
絶対に、許(ゆる)さない!


なぜかと言うと、その悪を許したら、
創価学会の清浄(せいじょう)な世界が、
壊(こわ)されてしまうからだ!

創造(そうぞう)は、一生、
破壊(はかい)は、一瞬(いっしゅん)。

ほんとうは、一瞬の気の緩(ゆる)みも
許されないのが、人生だと思う。

だから、悪は、許さない。


ともかく、仏法(ぶっぽう)は、きびしい!
勝つか、負けるかだ。

単純(たんじゅん)に考えると、
この世界は、
悪人が勝つか、善人が勝つかの戦場だと思う。

中途半端(ちゅうとはんぱ)は、ありえない!

善人が、おとなしくしていれば、
悪人は、いい気になって、
どんどん、のさばっていく。

悪人というものは、際限(さいげん)を知らない。

日本人は、
「これくらいは許(ゆる)してやれば、
いいじゃないか」
とか、
そういう、中途半端な黙認(もくにん)を、
美徳(びとく)と考える傾向(けいこう)があると思う。

けれど、相手(あいて)が、
あきらかな悪人の場合、
それは、
間違(まちが)いとなる。

そんなことをして、悪人が反省するとでも、
思っているのだろうか!

そんなことは、絶対にない。

悪人というものは、
気を許せば、
許すだけ、際限なく広がっていくものだ。

ドイツが、昔、
ナチスだった人たちを許さなかったのも、
そういうことだと、思う。

ナチスの悪人を、
たとえ、地の果(は)てまでも、
追い詰(つ)め、断罪(だんざい)していく。

それが、人間としての、
誠実(せいじつ)な、
真実の生き方だと思う。


だから、創価学会も、
悪人を絶対に、許さない。

ほんとうに、くどいようでも、
はたから見たら、みっともないように見えたとしても、
徹底(てってい)して、悪を責(せ)め、
追及(ついきゅう)しつづける!


それが、人間の正義(せいぎ)を、
善(ぜん)を、
強く高め、
自分を、世界を、
平和に、幸せにしていく
法則であり、方法だからです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ただし、よく、誤解(ごかい)されるのは、
創価学会員は、なにも、
善人になるために、
信心しているのでは、ない。

そうではなくて、
『幸せになるために』、
信心をしている。

はたから見て、なんの、けがれもないような、
いわゆる、石にも棒(ぼう)にも当たらないような、
そんな善人になる必要は、
なんにも、ない。

この、けがれた、みだれきった世界に
生きている以上、
ひとくせも、ふたくせも、あって、
当然だと思う。

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の時代に、
大聖人の弟子で、
四条金吾(しじょうきんご)という素晴らしい弟子が
いたけれど、
彼は、武士だ。

武士(ぶし)といえば、人を切ることを
商売としているとも言えるから、
まあ、悪く言えば、人殺しだ。

よく考えたら、こんな悪人は、いない。

けれど、それは、生きていく上で、
しょうがないことだとも、言える。

仏法(ぶっぽう)は、
そういう現実の中で生きている人間を、
ひとりも、否定(ひてい)しない!

ひとくせも、ふたくせも、あろうが、
どんな境遇(きょうぐう)の人であっても、
その人間の生命の中に、
輝(かがや)かしく、
素晴らしい生命を見いだして、
ひとりひとりが、生活の中で、
実感(じっかん)でき、
満足していける最高の幸せを、
つかませてくれる。


それが、仏法(ぶっぽう)だと思う。


あえて言えば、
どんな傾向性(けいこうせい)がある人間であっても、
幸せという観点(かんてん)から見て、
その人が、最大限に生かされていく。

自分の人間としての傾向性が、
すべて、プラスへと、変えられていく。

よく、コメディーで、
自分が、悪意(あくい)でやっているのに、
それらが、すべて、良い結果を生み、
なぜだか、幸せになってしまうという
ドラマが、ある。

上の例(れい)は、少々、おおげさだけれども、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を、
真剣に、実践していくと、
ほんとうに、そうなっていく。


不思議(ふしぎ)だけれど、
それが、南無妙法蓮華経の力(ちから)であり、
仏法が、生命に及(およぼ)ぼす、
素晴らしい力だと、思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく46

2011-12-18 12:45:17 | 
まえに、聖教(せいきょう)新聞の
「わが友に贈(おく)る」に、
こう、書いてありました。
(わが友に贈る、は、池田先生
[創価学会インターナショナル会長]が
毎日、新聞に、のせてくれている短い
4・5行のメッセージです)


『幸福の軌道(きどう)は、
 
すべて御書(ごしょ)にある!』



『幸福の軌道は、
すべて、御書にある!』

スゴク、心に残(のこ)った。

御書(ごしょ)というのは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が
書かれた論文や手紙を
すべて集めたものなんだけれど、
その中に、

『幸福の軌道のすべてが、ある!』

ということだ・・・。


なぜだろう?


本を読むのが好きな人は、
だいだい、心の支(ささ)えのように
思っている本が、あったりする人が多い。

それは、その本を読むと、
元気になる。
勇気がわく。
希望が、出てくる。
自分の励(はげ)みになる等が、あげらける。

しかし、『幸せの軌道のすべてがある!』
と、言い切れる書物が、あるだろうか?


それが、『御書(ごしょ)』だという。


日蓮大聖人は、
貧(まず)しい漁民の子として生まれたが、
子供のころから、お寺なので、
勉学に励(はげ)んだ。

当時(とうじ)は、
お寺や寺院は学校のようなもので、
一流の寺院は、
現代の大学に等(ひと)しかった。

日蓮大聖人は、超優秀な子供で、
とんとん拍子(びょうし)に学位を取得(しゅとく)し、
なんと、17才で、
仏教の総本山といえる比叡山(ひえいざん)で、
今でいう教授(きょうじゅ)になっている。

現代的に言えば、天才的な頭脳(ずのう)を
持っていたんだと思う。


しかも、日蓮大聖人には、誓(ちか)いがあった。


それは、
全民衆を、不幸から救いたい!
はるか未来にまでわたる、
全民衆を、幸せにしたい!!


ということだった。

そして、日蓮大聖人は、
とうとう、自らの生命で、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)である
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
悟(さと)っていく!


この時点で、日蓮大聖人は、躊躇(ちゅうちょ)した。


「もし、自分が悟った
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)、
南無妙法蓮華経を、人々に説いたならば、
想像を絶(ぜっ)する迫害(はくがい)にあうであろう!」


なぜなら、当時の宗教というものは、
自分の権力(けんりょく)を思うがままに
あやつるための道具にしかすぎず、
権力者にとっては、
民衆を、自分たちの奴隷(どれい)にする、
かっこうの材料であり、
隠(かく)れみのだったからです。

もし、真実の仏法(ぶっぽう)である
南無妙法蓮華経を広められてしまったら、
自分たちの私腹(しふく)を、こやすための宗教が
否定(ひてい)されてしまい、
商売、あがったりとなり、
とんでもない!

だから、日蓮大聖人を亡(な)き者にしようと、
徹底的(てっていてき)に迫害してくるのは、
目に見えていた。


だが、
この南無妙法蓮華経を説(と)かなかったら、
不幸に、あえいでいる人々を、
救うことはできない!

だったら、説くべきだ。


けれど、迫害に負けて、
途中で降参(こうさん)するようだったら、
最初から、説かないほうがいい!

その、とてつもない葛藤(かっとう)の中で、
日蓮大聖人は、すべての民衆のため、
もっと言えば、未来の全世界の民衆のために、
究極(きゅうきょく)の法(ほう)である
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』を、
説こうと、決断する!


そして、予想(よそう)どおり、
とてつもない命に及(およ)ぶ、迫害を受けながらも、
全民衆のために残されたのが、
この『御書(ごしょ)』だと、
考えていいと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

御書は、
人が、普通、本に期待(きたい)する、
その本を読むと元気になる。
勇気がわく。希望が出てくる。
励(はげ)みになるというレベルでは、
ないと思う。

最高の哲学(てつがく)と、
最高の幸せの法則(ほうそく)を、
生命に刻(きざ)むことのできる書物、


それが、御書(ごしょ)なのだろうか!


御書には、すごく、わかりやすい部分もあるけれど、
すごく、難(むずか)しい部分もある。

日蓮大聖人は、手紙を送った相手によって、
頭の良い人には、難しい内容を、
なもない庶民(しょみん)には、ほんとうに、
わかりやすい内容を、
というように、
自由自在(じゆうじざい)に、
表現を変えている。


創価学会(そうかがっかい)では、
よく、「御書根本」とか、
「御書を、心肝(しんかん)に染(そ)める」
とか言う。

それは、御書が、
自分の人生を、幸せに導(みちび)いてくれる!
あるいは、
自分の人生を、
勝利してゆくための鉄則(てっそく)が、
御書に、すべて、ふくまれている!

ということだと思う。


けれど、御書は、難しい・・・。
だって、古文(こぶん)で書いてあるから・・・


現代では、
創価学会の機関紙(きかんし)である聖教新聞や、
月刊誌『大百蓮華(だいびゃくれんげ)』などで、
御書の一部分を抜粋(ばっすい)して、
現代語に訳(やく)して解説してくれているけれど、
それにしても、御書は、
理屈(りくつ)で理解しようとするには、
やはり、
限界(げんかい)がある。

どういうことかというと、
本当の意味では、
御書を理屈で理解しようとしても、
それだけでは、

『自分の人生を幸せにすることは、できない!』

ということです。


御書が、人々の夢や希望を、かなえ、
幸せに導(みちび)く手立(てだ)てとなるのは、
なぜかというと、
それは、自ら、南無妙法蓮華経を、となえて、
仏法の実践(じっせん)をするなかで、
その実践の中で、自分の生命で、
御書の内容を、感じとっていくからだと思う。


御書を、
現実の人生の、
幸せを切り開くための書物にするためには、
やはり、自分で、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を
実践するしかないということです。


それ以外、
『御書』を、
『幸せ』 『人生の勝利』に
直結(ちょっけつ)させていく方法は、
ないでしょう・・・。


ともかく・・・
それにしても言えることは、
人間の、幸福への軌道を、
あますことなく、明確(めいかく)に、
表現しきっている書物は、
『御書(ごしょ)』しかない!

ということだと、思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく45

2011-12-14 09:32:53 | 日常
このまえ、
うちの会社に、
エホバかなんかの、
キリスト教の勧誘(かんゆう)の女性が来て、
ある上司(じょうし)のかたが
対応したんだれけど、
その上司は、宗教が嫌(きら)いならしく、

「人が、何を信仰しようと自由だが、
宗教を、人に勧(すす)めるのは、
間違(まちが)っている!

だいたい、宗教というものは、
昔は、必要なものだったかもしれないが、
現代では、必要のないものだ!

宗教は、無(な)いほうが、いいんだ!
だいたい、お賽銭(おさいせん)を投げて、
手を合わせて、幸せになるなんて、
ばかげているし、
宗教なんて、人間を、たぶらかす、
害毒(がいどく)にしかならない!」

と、言っていた。


確(たし)かに・・、
世間一般に考えられているものが、
宗教だったら、
うちの上司が言うことは、
正しいと思う。

確かに、日本人的な宗教の考え方では、
宗教は、ほんとうに、ばかげていると思う。

ともかく、みんなが、やっているから、
なんとなく、余興(よきょう)でやっている。

手を合わせているものが、
ほんとうは、何であるのか、
調(しら)べもしないで、
なんとなく、手を合わせている。

観光宗教、あるいは葬式(そうしき)宗教というのものは、
観光や金儲(もう)けに都合(つごう)がいいように、
かってに、適当に作り出された、

『でたらめの産物(さんぶつ)』

と言えるので、
拝(おが)んでいるものの内実(ないじつ)は、
はっきり言って、
『げてもの』だと思って間違いないです。


そんなものに、手を合わせている。


ところが、
手を合わせるということは、
人間の生命的には、
あなたに(拝[おが]んでいる対象[たいしょう]に)、
命を、ささげますよ!という意味と、
科学的な効果(こうか)とが、ある。

だから、祈っている対象が、
ゲテモノや化け物(ばけもの)だったら、
化け物や、ゲテモノに、
命を、ささげることになって、
自分の生命が、ゲテモノや化け物に、
影響(えいきょう)されるので、
自分の人生に、悪影響を、およぼしたり、
不幸を、もたらすことはあっても、
100%、幸せになることはありえない!


それが、観光宗教や葬式仏教、
神社信仰だと、言えます。


だから、うちの上司が言っていることも、
まんざら、間違ってはいない。


ただし、そう言えるのも、
世間一般の日本人レベルでのことです。


もっと、レベルを上げた考え方をすると、
うちの上司の言ったことは、
間違っている。

ちょうど、幼稚園児(ようちえんじ)には
正しいと言えることも、
大学生からみれば間違っているようなものです。

幼稚園と大学生の例(たと)えは、
おおげさのように聞こえるかもしれないけれど、
はっきり言わせていただくと、
日本人の宗教に対する考え方は、

「幼稚園なみ」

と、言わざるをえません。


宗教には、正邪(せいじゃ)があることを知らない。
そして、その宗教に対する
無知(むち)、無認識(むにんしき)が、
多くの不幸を、もたらしているのも、
事実(じじつ)です。


話しは、もどりますが、
確かに、うちの上司が言うように、
世間一般で考えているようなものが、
宗教だったら、
はっきり言えば、
そんなものは、やらないほうがいいし、
かえって、やったら、
害(がい)になります。

ただ、そのレベルで考えている人は、
それより、はるか上のレベルにある、
現実生活と哲学(てつがく)と、科学と信仰に、
一点の矛盾(むじゅん)も起こらない、
一点の無駄(むだ)もない、

『仏法(ぶっぽう)の哲学』

が、あることを知らない。

また、知ろうともしないし、
信じようともしない。


よく、創価学会(そうかがっかい)のことを、
調べもしないで、また、実践(じっせん)してもいないのに、
偉(えら)そうにバカにしたことを
話す人がいますが、
一見、偉そうに見えますが、
仏法の哲学を知っている人から見ると、
はっきり言って、
ほんとうに、間抜(まぬ)けに見えます。

浅(あさ)はかすぎて、かわいそうになるくらいです。


それほど、本当の仏法(ぶっぽう)の哲学は、
スゴイということです。


創価学会では、そのスゴイ!仏法の哲学を、
なんの教養(きょうよう)もないような、
おばあちゃんが、
しっかりと、自分の生命と心に、
身につけている!

それは、どんな人であっても同じで、
この南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法の信仰(しんこう)を、
しっかり、やっていくと、
自分の生命に、
絶対くずれない幸せの哲学を、
必ず、身に付(つ)けることができる!
ということです。

偉大な哲学、レベルが高い宗教ほど、
人を、選ばないというけれど、
創価学会のスゴイところは、
そういうところに、あると思います。


南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰は、
人を、選ばない!


どんな人でも、
幸せになる、
明確な哲学(てつがく)と確信を、
身に付けることが、できる!


それは、悩みや問題を解決し、
夢や希望をかなえて、
その人を、必ず幸せにしていく。


すごいことだと、思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
御書(ごしょ)の中で、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文や手紙を、すべて集めたものです)


『一念三千(いちねんさんぜん)を、
識(し)らざる者には、
仏(ほとけ)・大慈悲(だいじひ)を起こし、 
五字(妙法蓮華経)の内に、
この珠(たま[一念三千の法則])を、つつみ、
末代幼稚(まつだいようち)の頸(くび)に、
かけさしめ給(たま)う。』

と、言っている。


難(むずか)しい話しはともかく、
現代の宗教に関しては、
赤ん坊のように、
なんにも知らない人であっても、
この南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、

「幸せになる哲学」と、「幸せになる確信(かくしん)」と、
「幸せという現実の結果」を、
必ず、つかむことが、できる!

ということだと、思う。


ようするに、どんな人でも、
必ず、幸せになれる!ということです。


日蓮大聖人は、徹底的(てっていてき)な理論の人で、

「わたしの理論(りろん)が、
人に破(やぶ)られることがないかぎり、
どんな迫害(はくがい)にあったとしても、
けっして、従(したが)うことはない!」

と、言い切った人なので、
大聖人の言葉は、
徹底的な理論に裏付(うらづ)けられている。

そして、その理論を破るような人は、
いまだ、現れていないし、
その逆(ぎゃく)に、
日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
創価学会が世界に広がるとともに、
世界中の人たちを、幸せにして、
その理論の正しさを、
証明し続けている・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく44

2011-12-09 09:31:55 | 平和
先日、
映画『君が世界を変えていく』の、
話しをしました。

この短編(たんぺん)映画は、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)のエッセイ、
『君が世界を変えていく』を、
映画の中で、抜粋(ばっすい)して、
朗読(ろうどく)しているんだけれど、
最後のところで、
すごく、感動してしまったので、
今日は、その部分を、
そのまま、のせたいと思います。


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私は思う。

人は、生まれたとき、

トルコ人として生まれたのではない。

アメリカ人として生まれたのではない。

パレスチナ人として生まれたのでも、

ユダヤ人として生まれたのでもない。

それらの名は、小さな「符丁(ふちょう)」にすぎない。
(符丁とは、商人が、商品につけて値段を示す印や符号)


生まれたときは、だれもが、

ひとつの「いのち」として生まれた。

ひとりの「人間」として生まれた。

お母さんは、「日本人を産(う)もう」とか

「アラブ人を産もう」と思って、

産んだのではなかった。

ただ、「すこやかな、いのちたれ」

と願っただけのはずだ。


青きボスポラス海峡(かいきょう)の上を、

高く遠く飛んでいる雲は、風は、

地上の人類を見下(みお)ろしながら、

こんな、ささやきを、かわしているかもしれない。


――― 気づいてください。

この高い空から見れば、

世界は、ひとつ。

だれもが「地球の民(たみ)」。

「アメリカ人」なんて、いないことを。

「イラク人」なんて、いないことを。

いるのは、たまたまアメリカに住んでいる、

ボブという少年の「いのち」。

たまたまイラクに住んでいるムハンマという

少年の「いのち」。


同じ「地球の子」


それが、国の名前で分けられて、

憎(にく)み合えと教えられる!


気づいてください。


その愚(おろ)かさを。その傲慢(ごうまん)を。

この憎しみを次の世代(せだい)に引き継(つ)ぐことの、

「むごさ」を ――― と。


今、必要な「地球人意識(いしき)」。

それは、遠いどこかにあるのではない。

コンピューターの画面の中にあるのでもない。

人間として人間のために

『胸(むね)を痛(いた)める心』の中にあるのだと。


「あなたが苦しんでいるかぎり、私も苦しむ。
 
 あなたが、だれであろうと!

 あなたの悩みが何であろうと!」


と。


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