タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく167

2014-10-01 09:13:17 | 映画
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」や、
「ロード・オブ・ザ・リング」
などに出演している俳優、
オーランド・ブルームを知っている人は、
多いと思う。

「パイレーツ・オブ・カリビアン」は、
人気があるので、
テレビでも時折(ときおり)、やることがあるし、
ぼくも、以前、テレビで見ました。

第一作、第二作と見てしまうと、
どうしても、第三作目も見たくなって、
テレビで録画して観(み)ました。

第三作目では、オーランド・ブルームは、
主役ばりに活躍していて、
なかなか、おもしろかったです。

「ロード・オブ・ザ・リング」の三部作は、
以前、ビデオで見たんですが、
こちらも、なかなか、楽しめました。(長いけど・・)
オーランド・ブルームは、
エルフ族という、
天使の一族の王の子供、
『レゴラス』という
弓(ゆみ)の使い手として、
登場していた。


その俳優、オーランド・ブルームさんが、
以前、
創価学会(そうかがっかい)のインターナショナル会長である、
池田先生に、
一枚のカードを、贈(おく)っています。

そのカードには、
こう、書かれていました。

『親愛なる先生!
 法華経(ほけきょう)の剣(つるぎ)をかかげ、
 誠実を、わが規範(きはん)とし、
 あなたを、わが師(し)とし、
 全宇宙の善なる力を味方として、
 私は、広宣流布(こうせんるふ)を、
 目指します。
 (広宣流布とは、仏法の哲学(てつがく)と思想を、
 人生の根幹(こんかん)に置くことによって、
 世界平和、人類の調和と幸福を、
 目指していくという意味です)
 
 そして、山頂から四方(しほう)を、
 はるかに見渡(みわた)す日まで、
 険(けわ)しき妙法(みょうほう)の山を、
 登攀(とうはん)しゆくことを、
 誓(ちか)います。
 (妙法とは、南無妙法蓮華経の略(りゃく)で、
 宇宙の法則(ほうそく)であり、生命の法則であり、
 幸せになるための法則です)

 山の頂(いただき)において、
 私は、感謝を抱(いだ)いて、
 次なる生命の冒険への旅立ちに挑(いど)みます。

 生々世々(しょうじょうよよ)、
 あなたとともに、多くの山を、
 登攀(とうはん)しゆくことに、
 わが胸は、躍(おど)るのです。

 
 あなたの弟子にして友
 オーランド・ブルームより 』



これは、オーランド・ブルームが、
以前、日本で池田先生に会ったときに、
先生に渡したカードの内容です。

これで、わかると思いますが、
オーランド・ブルームも、
創価学会の一員です。

彼は、池田先生のスピーチを読んだ感想を、
このカードに、書き記(しる)したそうです。

池田先生は、こんなオーランドに対して、
こう、励(はげ)ましています。

「スウェーデンの劇作家ストリンドベリは、
 言いました。
 『俳優は、役を支配すべきで、
  役に支配されてはならない!』
 大事なのは、自分自身に生き切ることです。
 オーランドさんは、その通りの人生を、
 進んでいます。
 役者だけ、仕事だけ、
 そうであれば、平凡です。
 
 本当に人のために、社会のために、
 永遠の哲学である仏法(ぶっぽう)のために、
 生きておられる。
 その姿は、尊(とうと)いです。
 一番、価値(かち)のある生き方です。」

それに対し、
オーランド・ブルームは、答えている。
「私は、必ず行動します!
 池田先生!
 見ていてください!!」

池田先生は、さらに続けている。

「長い長い人生です。
 最後の最後まで、大いなる理想に向かって、
 生き抜(ぬ)いていくのです。
 黄金の夕日が、大空を、
 真っ赤に染(そ)め上げながら、
 荘厳(そうごん)な輝(かがや)きを放(はな)つように、
 人生の最終章を
 見事に飾(かざ)っていくための仏法です。
 
 そのために、一年、一年が、戦いです。
 一年、一年が、勝負です。
 今の成功が未来の成功とは、かぎらない。
 『最後の勝利を!』
 これが、永遠の勝利です。
 友人として、私は、申し上げます。」


オーランド・ブルームの一行(いっこう)も、
「池田先生の、
 オーランドへの励(はげ)ましを聞いていて、
 自然と涙が、あふれてきました。」

と、ほほを、ぬぐう、
さわやかな光景(こうけい)に、
つつまれました。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

池田先生は、さらに、
オーランド・ブルームへの励ましを、続けました。

「オーランドさんも、これまで、
 悪意の中傷(ちゅうしょう)や虚偽(きょぎ)の報道によって、
 いやな思いを、されたことがあると、
 聞きました。
 
 私も、そうです。

 人から、ほめられていてばかりで、
 何の批判(ひはん)も、されない。
 そのな人間は薄(うす)っぺらです。
 
 牧口創価学会初代会長は、
 『愚人(ぐにん)に憎まれたるは、 
  第一の光栄なり!』
 と、述(の)べました。
 学会の三代の会長は、
 この精神で、戦ってきました。
  
 今の時代は、仏法から見れば、
 人々の心が、濁(にご)った時代です。
 優(すぐ)れた人がいれば、
 それを妬(ねた)んで、
 足を引っ張ろうとする人間がいるものです。

 しかし、そうした輩(やから)など、
 悠然(ゆうぜん)と見おろして、
 進んでいくことです。」

オーランド・ブルームは、
深く、うなずき、
「本当に、そうだと思います!」
と、語った。


オーランド・ブルームは、
21才の時、3階の高さから転落し、
背骨などを折る大けがを、してしまった。

医師からは、
「一生、歩けないかもしれない。」
とまで言われたが、
家族や友人の励ましによって、
奇跡的(きせきてき)なカムバックを、とげる。

池田先生は、そんなことも、ふまえて、
「もし、今度、
 けがを、したら、
 罰金(ばっきん)ですよ!!!」

と、ユーモアを込めて、
語った・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく166

2014-09-10 09:12:00 | 映画
先日、ビデオで、
『四日間の奇跡(きせき)』という映画を、
見た話しを、しましたが、
この映画は、
脳に障害(しょうがい)がありながら、
ある分野に関しては、
天才的な能力を発揮(はっき)するという、
サヴァン症候群という症状の少女と、
その少女を、落雷の事故から、
助けようとした真理子の心が、
入れ替(かわ)わってしまうという、
映画的と言えば、映画的な、
とても、信じられない四日間の奇跡を、
あたたかく、切なく、
描かれているドラマだけれども、
その中で、
一人の医者が、登場する。

サヴァン症候群の少女「千織(ちおり)」の、
保護者である、如月(きさらぎ)は、
医者が、信じてくれないのは、わかっていても、
千織と真理子の心が、入れ替(か)わってしまったことを、
その医者に、説明しようとする。

しかし、当然、医者は、
信じようとはしない。

けれど、その医者は、
妻が、事故によって、
植物人間になってしまい、
生きているのか、いないのか、
わからないような状態でも、
何年も、その妻を、
看病(かんびょう)してきていた。

医学的には、そんなことは、ありえないと
わかっていても、
彼が、植物人間となった妻の手を、
握(にぎ)りしめると、
なぜだか、妻が、握りかえしてくる気がした。

彼は、
千織の保護者である如月を、
自分の妻のところに連れて行き、
話す。

「オレは、これでも、
 科学者の、はしくれだ。
 心が、入れ替わるなんてことを、
 信じるわけには、いかない!」

「けれど、時として、
 奇跡としか思えないような場面に、
 出くわすことがあるのも、事実だ・・」

「信じてやればいい。
 信じるということは、
 人間の脳に与(あた)えられた
 偉大な力のひとつだぞ・・!」

と・・・。


『信じるということは、
 人間の脳に与えられた、
 偉大(いだい)な力のひとつだぞ・・!』


信じるということは、不思議だ。
信じるということは、目に見えない。

けれど、信じるということなしに、
人間の人生が、成り立たないのも、
事実です・・・。

人は、信じているから、行動ができる。
水に毒(どく)が入っていないと、信じているから、
水を、飲む。
食べ物に、猛毒(もうどく)が入っているとわかっていて、
その食べ物を、食べる人は、いない。

人は、たとえば、
会社で働くにしても、
経営者が、給料を、はらってくれると
信じているから、働くのだ。

また、相手を、信じていないで、
結婚する人も、いない。

人間の行動は、すべて、
信じることによって、
成り立っている。

信じなかったら、
生きることは、不可能だ!ということです。


『信じるということは、
 人間の脳に与えられた、
 偉大な力のひとつ』


すなわち、信じるということは、
すべてを、可能にしていく!!
信じなかったら、すべてが、
不可能になってしまうからです。

信じるという、この強力なエネルギー。
人間にとって、
これほど、強力で、偉大な能力は、
確かに、ないと思う。

すなわち、信じるというエネルギーからは、
無限の可能性と、無限の力(ちから)が、
泉(いずみ)のごとく、
湧(わ)き上がってくるということだと、
思う。

人間の歴史における、
あらゆる発見、あらゆる発展も、
すべては、
この信じるというエネルギーから、
発(はっ)していると言っても、
過言(かごん)ではない。


仏法の真髄(しんずい)である、
『法華経(ほけきょう)』。

この「法華経」の教えを、
理屈(りくつ)で、理解できた人は、いないと言う。

天才中の天才と言われた、
舎利弗(しゃりほつ)であっても、
とうとう、この法華経(ほけきょう)を、
理屈で理解することは、
できなかったと、いう。


では、どうして、理解したか?
結局、シャリホツは、
『信じる』ことによって、
仏法(ぶっぽう)の真髄・法華経を、
理解することが、できた。

理解することが、
先(さき)ではなく、
信じることが、先だった!

それほど、『信じる』ということには、
価値(かち)がある・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

信じないことは、ゼロだけれど、
信じることからは、
無限の価値が、生まれる!!

もちろん、間違(まちが)ったものを、
信じたら、不幸になる。
当然だ。
たとえば、戦争。
戦争を美化し、侵略(しんりゃく)戦争を、
正義の聖戦などと信じて、
死んでいった若者は、
ほんとうに、かわいそうです。

宗教にも、同じことが、言える。
間違った宗教を、信じた人々は、
必ず、不幸になる。

宗教とは、信じることが、
根本(こんぽん)になっているがために、
結果が、はっきりと、明確に出てくる。
すなわち、間違った宗教を、
信じたら、100%、
不幸という、現実の結果が、
必ず、出てきてしまう。

だから、宗教なんて、どうでもいいものだ。
ともかく、手を合わせれば、
それでいいんだなどと、
簡単に考えていると、
とんでもない、しっぺ返しを、くう!!!


間違った宗教を、信じたら、
100%、不幸になる!!!


だが、
信じることには、無限の力がある!
その信じることの、
最高峰(さいこうほう)といえる宗教において、
もし、その宗教が、本当に正しく、
力(ちから)ある宗教であるならば、
その宗教によって、
『信じる』という力は、
無限の価値と、無限のエネルギーと、
無限の希望となって、
その人の人生を、飾(かざ)り、
その人を、幸せにしていく。


それも、事実です。


そのことを、
完璧(かんぺき)に、明確に、説きあらわし、
すべての人に、実践できるようにしたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
その法則が、
現代の法華経である、
『南無妙法蓮華経』の法則(ほうそく)です。

そして、その南無妙法蓮華経の法則を、
1ミリ、一滴(いってき)の違いもなく、
純粋に、実践しているのが、
創価学会(そうかがっかい)です。


南無妙法蓮華経の法則は、
すべての人を、幸せにできる法則であるけれど、
信じないことには、
だれも、幸せにできない!!!

だから、まず、
ともかく、信じて、やってみる!
そうすれば、必ず、
さまざまな悩みや問題は、解決し、
真剣に実践(じっせん)していくことによって、
夢や希望が、かない、
必ず、どんな人でも、
幸せになっていくことが、できる!

それが、創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

いわば、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
『信じる』という、
無限のエネルギーと、無限の可能性を、
最大限に発揮(はっき)させ、
最大限に開花させる法則だと、
言えると思う。

だから、創価学会が信じ祈っている、
『ご本尊(ほんぞん)』を信じて、
ともかく、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえぬくとき、
どんな人でも、どんな境遇(きょうぐう)の人でも、
必ず、絶対に、幸せになっていける・・!

その証拠(しょうこ)として、
創価学会は、世界192ヶ国に、ひろがり、
世界中から、期待と尊敬を集め、
今も、南無妙法蓮華経を、となえぬく人々を、
幸せにしている。



映画「四日間の奇跡」の中で、
医者は言った。

『信じるということは、
 人間の脳に与えられた、
 偉大(いだい)な力のひとつだぞ・・!』

では、その、
信じるという偉大な力を、
どうやって、
開花させていけばいいのか?

信じることの力を、
どうやって、
現実の夢や希望、
幸せと結(むす)びつけていくのか?


その答えが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)にはあり、
信じるエネルギーを、
無限に、最高最大に発揮させ、
悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
夢や希望を、かなえていけるのが、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰だと、
いうことです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく165

2014-08-28 09:12:12 | 映画
このまえ、ビデオで、
『四日間の奇跡(きせき)』という映画を、
見ました。

新進ピアニストとして、
期待されていた如月(きさらぎ)は、
海外でのコンサートを終えた直後、
テロ的事件に、巻(ま)き込まれる。

そのテロ的事件によって、
ある夫婦が殺され、その子供である、
一人の少女を、如月は、助ける。
しかし、少女を助ようとした時に、
ピアニストの生命線である指を、
ピストルで撃(う)たれ、
指の神経を断裂(だんれつ)してしまう。

如月(きさらぎ)は、失意の底に沈(しず)むが、
それでも、父母を失い、
身寄(みよ)りをなくしてしまった
少女・千織(ちおり)を、
やしなうことを、決意する。

千織は、脳に障害(しょうがい)があり、
話すことも、ままならなかった。
けれど、一度聴いた旋律(せんりつ)を、
一音違(たが)わず再生できる、
特異な能力を持っていることが、わかった。
それは、ピアニストの如月だから、
発見できたと言えるが、
如月の手ほどきによって、
千織は、信じられないピアノ演奏の才能を、
発揮(はっき)していく。

如月は、各地の施設を慰問(いもん)しながら、
千織の演奏を披露(ひろう)する日々をおくり、
そこに心のやすらぎを、おぼえていく。

そんななか、
慰問先の小さな島の療養(りょうよう)センターで、
如月は、彼を「初恋の人」として
ひそかに慕(した)っていた岩村真理子と出会う。
真理子は、センター職員として
周囲の人々に親しまれ明るく働いていた。
しかし彼女も、心に深い傷(きず)を負っていた。
そして、悩んでいた。

演奏会を終えた午後、
中庭で真理子と千織は、
姉妹のように戯(たわむ)れていた。
と、その時、思いもかけぬ落雷が襲(おそ)ってきた。 
真理子は、千織をかばって大怪我(おおけが)を負い、
意識不明のままICU(集中治療室)に収容された。
彼女の命の期限はあと4日だという。

真理子に助けられた千織は、
ショック状態から覚(さ)め、意識を取り戻す。

その時、千織は、如月に告(つ)げた!

「私、真理子です。
 私は私のまま、
 千織ちゃんの身体の中にいるんです。」

真理子の心が、千織の中に!?
逆に意識不明の真理子の中には千織がいて、
真理子の命を、支(ささ)えているという。
けれど、支えるのにも限界がある。
それが、4日間だということです。

これが、映画「四日間の奇跡」の、
大まかな、あらすじですが、
その千織の体によって真理子に与(あた)えられた、
『残りの命』、四日間の奇跡を、
あたたかく切ないドラマとして、
描き出しています。


如月は、指が動かなくなり、
ピアニスト生命が絶たれ、
絶望していた。

けれど、この映画の後半で、
千織の体の中にいる真理子は、
自分の初恋の人であり、
今も愛している如月に、言います。

「自分に価値(かち)を、みとめないのは、
 もう、やめにして!」

「わたしも、ぜんぜん、気づいていなかったの!
 今日の今日まで・・・
 でも、千織ちゃんが、くれた、
 四日間の奇跡のおかげて、
 私は、間に合った!!

やっと気づけたのよ!
自分の価値に!!!

 わたし、父と母に言うの!(二人とも亡くなっている)
 『生んでくれてありがとう!』 
 そこまで、思えたの!
 だから、もう、こわくない。」

真理子は、最後の四日間、
千織の体を借(か)りて、
自分と自分の周(まわ)りの人たちを、
客観的(きゃっかんてき)に見ることが、できた。
そして、自分の価値に気づき、
『ありがとう』と言って死んでいく。


生きていく自分の価値・・・。


人間の、さまさまな悩みも、
根底には、
この『自分の価値』があるのか?どうなのか?
その『自分の価値』に対する疑問・・!
これが、必ず、あると思う。

自分には、
生きていく価値があるのか?
・・・ないのか?

表面的な、ありとあらゆる、
さまざまな悩みも、
この『自分の価値』に対する疑問から、
きていると言っても、
言いすぎでは、ないと思う。

それくらい、この、
『自分の価値』に対する命題(めいだい)は、
重要だということです。

ようするに、
この『自分の価値』が、わかり、
『自分の価値』に気づけたならば、
大半の悩みや問題は、
根本的には、ほとんど、
解決されると言っても、
過言(かごん)では、ないと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

『自分の価値』が、わかったならば・・・
『自分の価値』に、ほんとうに、
目覚(めざ)めることが、できたならば・・・・

この『自分の価値』に対する命題に、
みごとに!明確に!答え、
あらゆる、すべての人々に、
納得(なっとく)させ、感じさせ、
現実の中で、実感できるようにしたのが、
創価学会(そうかがっかい)が実践する、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』です。

南無妙法蓮華経は、
あまりにも深く、スゴイので、
説明するのは困難(こんなん)ですが、
自分の価値に目覚め、
自分の価値を、開花させ、
現実に感じていける法則(ほうそく)が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だと、言えます。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
真実の自分が、見えてくる。
たとえ、それが、大げさな言い方だとしても、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
生きていく価値が、無意識のうちに、
感じられるようになり、
無意識のうちにも、『自分の価値』が、
自分の実感として、わかってくるので、
生きるのが、楽しくなっていきます。

そして、やがて、
自分の生きていく価値、
すなわち、『使命』を、感じるようになり、
その「生きがい」である『使命感(しめいかん)』は、
自分が生きていることに、
大きな喜びと歓喜と幸せを、もたらします。

ようするに、なぜだか、わからないけど、
ウキウキして、楽しくなってくる。
希望に満(み)ち、前向きになり、
「ようし!今日も、やったるでーー!」
と言えるような、
最高の生き方が、できるようになってきます。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
根本の「自分の価値」に対する悩みが、
解決したとき、
表面的な小さな悩みや問題は、自然と解決し、
不思議(ふしぎ)と、夢や希望が、
かなうようになってゆき、
その結果、
当然、幸せになっていきます。

それが、
南無妙法蓮華経を、となえる
ということだと、
思います。


だから、創価学会は、
世間のデマや中傷(ちゅうしょう)などでは、
びくともせず、
世界192ヶ国に、ひろがり、
その「自分の価値」に目覚めた、
ひとりひとりが、
幸せと、平和の花を、
世界中に、咲(さ)かせています。


それは、あたかも、
映画「四日間の奇跡」で、
真理子が、

 「やっと気づけたのよ!
 自分の価値に!!!

  わたし、父と母に言うの!
 『生んでくれてありがとう!』 
  そこまで、思えたの!」

と言ったように、
その人に、最高のすがすがしさと、
歓喜と、充実(じゅうじつ)と、幸せを、
もたらしてくれる・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく113

2013-02-21 09:31:18 | 映画
このまえ、ビデオで、
映画「NANA」を見ました。
マンガは、見たことがないので、
ふ~~~ん、こんな感じか?と思って、
見ました。
なかなか、楽しめました。
大崎ナナ役(ボーカルの方)の中島美嘉も、
がんばっていたし、
ミーハーな女の子、小松奈々役の、
宮崎あおいも、なかなか、
おもしろかったと、思いました。

ナナ(ボーカルの方)の恋人役の男は、
あんまり、かっこいいとは、
思わなかったけど、まあ、いいか(・・・)

それは、ともかくとして、
ロックバンドのボーカルとして、
夢に向かって、立ち向かっている方のナナ、
大崎ナナの、肩のところには、
蓮(ハス)の花の刺青(いれずみ)が、してあった。
どうして、蓮(はす)の花かは、
わからないけれど、
そのナナの恋人の名前も、
『蓮(レン)』だ。
ナナの肩にきざまれた、イレズミも、
蓮(はす)の花ならば、
恋人の名前も、蓮の花、「蓮(レン)」
このへんに、
作者の、なにかしらの意図(いと)が、
あるのかも、しれない。

ナナの恋人の名前「蓮(レン)」
そして、ナナの肩のイレズミの、蓮(はす)の花、
この『蓮』は、
創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』の『蓮(れん)』でも、ある。

この南無妙法蓮華経の「蓮」は、
「蓮華(れんげ)」、
次の文字、華(げ)と、つながり、「蓮華」
やはり、蓮(はす)の華(花)、
という意味があると思う。

なぜ?蓮の花かというと、
蓮の花は、泥(どろ)の中からでも、
花を、咲(さ)かせる。
すなわち、人間に、たとえるならば、
どんな、泥のような生(お)い立ち、
つらく、暗い人生の中からでも、
素晴らしい花を、咲かせることができる!という、
象徴(しょうちょう)に、たとえられている。

この映画のナナも、
また、ナナの恋人、蓮(レン)も、
暗い、辛(つら)い過去を、もっているようだ。
けれど、どんな暗く辛い境遇(きょうぐう)に、いようとも、
精一杯、上を向いて、希望をつかみ、
自分らしい花を、咲かせていく!
そんな意味が、あるのだろうか?


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

『蓮』は、希望の象徴(しようちょう)であり、
必ず、幸せを、つかむんだ!という、
絶対に負けない勇気の象徴でもあると思う。
その、どんなことがあっても、
絶対に負けない、希望と勇気の象徴のように、
ナナは、描かれているのかも、
しれない。

また、蓮(はす)の花は、
花と実を、同時に、つける植物だそうです。
花は、負けない希望、勇気、
その希望と勇気の努力によって、
結実していく実が、
幸せという結果です。
原因と結果が、同時に、そなわっている花が、
蓮(はす)の花、『蓮』だということになる!

これは、
南無妙法蓮華経という法則(ほうそく)には、
南無妙法蓮華経という
リズム、音律(おんりつ)には、
原因と結果が、同時に、ふくまれている!
ことを、意味しています。
すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
南無妙法蓮華経を、となえたという、
『原因』によって、
同時に、必ず、『絶対に幸せになる!』という、
結果が、ふくまれてくる。

「南無妙法蓮華経を、となえる」という原因によって、
南無妙法蓮華経を、となえた時点で、
結果が、ふくまれているため、
『幸せ、勝利』という結果を、
必ず、生むことになる!

わかりづらいかもしれませんが、
原因と結果の花と実が、
同時に、ズレルことなく
開花し結実(けつじつ)していくとすると、
そのうちの一つ、
『南無妙法蓮華経を、となえる』という原因は、
『花が咲いた』ことを意味します。
『花が咲いた』と同時に、『実を結ぶ』んだから、
それは同時に、
自分の人生の中で、
『勝利と幸せの結果』が、
結実するわけです。

南無妙法蓮華経を信じて、
まぎれなく、真っ直ぐ(まっすぐ)に、
ズレルことなく進んでいけば、
実際にその通りの結果、
勝利、幸せを、つかめるということです!!


これが、
南無妙法蓮華経の不思議(ふしぎ)なる法則です。
理屈(りくつ)では、わからないと思いますが、
現実に、そうなります!
でなかったら、世界192ヶ国の、
創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、となえないだろうし、
結果が、でるから、
みんな、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
実践(じっせん)している!

また、南無妙法蓮華経が、
原因と結果の花と実を、
同時に開花させる法則だということは、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえて、
自分の夢に向かって、
努力を、していると、
『努力が、必ず、報(むく)われる!』
ということを、意味します!!

そのために、創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、となえているわけです。


まず、ともかく、
南無妙法蓮華経をとなえる。
そうすると、勝利と幸せの原因ができる。

そして、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
自分の心の中に、
「絶対に勝つんだ!」
「必ず幸せになってみせる!」
という揺(ゆ)るぎない確信が生まれる。

それは、自分の生命と心が、
幸せと勝利に、
一直線に結(むす)ばれることを意味します。

その結果、なぜだか、
幸せになるための、
最高の行動、最高の努力が、
できるようになっていく。

そうなれば、
当然の結果として、
勝利と幸せを、つかんでいける。


それが、南無妙法蓮華経をとなえて生きる、
道筋(みちすじ)だと思う。


だから、
極論(きょくろん)から言いと、
南無妙法蓮華経を、となえたということは、
その人が、人生を、勝利し、幸せを、つかんだ!!
のと、同じだと、
言い切っても、間違(まちが)いではない。
もちろん、長い人生の道のりのなかでは、
いろいろ、あるはずです。
けれど、南無妙法蓮華経を、となえた以上、
南無妙法蓮華経と創価学会を信じて、
生き抜(ぬ)いていくならば、
かならず、絶対に、幸せになる!!!
かならず、勝利の姿を、見せることができる!


それは、
どんな深い泥(どろ)の中からでも、
蓮(はす)が、花を咲かせ、
同時に実を結ぶように・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく101

2012-10-16 00:08:19 | 映画
このまえ、
映画「スターウォーズ・エピソード3」を、
見ました。

友達に、
スターウォーズが好きな人がいて、
その人の影響(えいきょう)か?
なんだか見たくなりました。


内容は、なかなか、
おもしろかったと思いました。

ぼくは、スターウォーズには、
詳(くわ)しくないのですが、
スターウォーズ作品の中でも、
なかなか良いできではないのか?
と思いました。


知っているかもしれませんが、
エピソード3では、
悪(あく)のヒーロー(?) ダース・ベイダーの、
誕生の秘密(ひみつ)が、
明かされていきます。


ダース・ベイダーは、
元(もと)は、正義と平和を守る、
アナキンという、ジェダイの騎士(きし)でした。

しかも、超優秀で、
数々の功績(こうせき)がある、
将来、有望(ゆうぼう)な、素晴らしい騎士でした。


そんな素晴らしい人間が、
なぜ?
悪の闇(やみ)に捕(と)らわれてしまい、
悪の権化(ごんげ)と、なってしまうのか?


その微妙(びみょう)なニュアンスが、
ストーリーに、
面白(おもしろ)みを加えていました。


好青年アナキンは、
正義感の強い、善意(ぜんい)あふれる青年だった。

けれど、最愛の母の死や、
さまざまな悲しみを経(へ)て、
力(ちから)に対する欲求、
また、失うことの恐怖(きょうふ)を、
強く感じるようになってくる。

そして、最愛の妻(つま)が、
死ぬかもしれないという事態になり、
妻を失いたくない強烈(きょうれつ)な愛から、
なにものも及(およ)ばない力に対する欲求(よっきゅう)が、
増幅(ぞうふく)し、
やがて、
悪に命を、売り渡していく!


それは、やがて、
最愛(さいあい)の妻の愛すらも、
失う結果になることも、気づかずに!



善(ぜん)と悪、

アナキンが、ダース・ベイダーになった
このストーリーは、
極端(きょくたん)かもしれないけれど、
これは、だれにでも、
ありうる物語だと思う。

だれでも、
子供のころや、若い時代は、
みな、理想(りそう)を抱(いだ)く好青年である場合が、
多い。

けれど、それは、
時と共に、
消えうせ、
悪を甘んじて許容(きょよう)している場合が、
多々(たた)、あるかもしれない。


理想を抱く好青年も、
悪に甘(あま)んじていく、悪(あ)しき大人も、
それは、同じ人間である。

もともと、
この人は、悪で、
この人は、善だと、
決まっているわけではない。

すべての人に、
どちらかになる可能性(かのうせい)が、
秘(ひ)められている。


すなわち、善も悪も、
同じ自分の中に、ふくまれている!


と、いうことです。


善も悪も、自分の中にある!

問題は、そのどちらを抑(おさ)え、
どちらを、増幅し開花(かいか)させていくかだと思う。

それによって、
その人の幸・不幸が、決まっていく。

しかも、それは、
最初は、アナキンのように、
ほんの些細(ささい)な、
小さな心の揺(ゆ)らぎによる。


恐(こわ)いと言えば、恐いのが、人生だ。


よく、選挙(せんきょ)になると、
議員たちが、毎日、
テレビを、にぎあわせる。

その議員(ぎいん)たちを、見ていると、
自分が、
だれであるかも忘れてしまったような、
あさましい顔をした人間が、
何人も、見受(みう)けられた。

アナキンのように、
権力(けんりょく)という魔性(ましょう)に、
食い破られ、
悪に命を売り渡した形だろうか・・・。

だが、本人は、
それすら、わかっていないだろう。


ここに人間の愚(おろ)かさも、
浅はかさも、繊細(せんさい)さも、
あると思う。


わからないのだ!

自分で。
自分が、どうなっているのか!


だが、
生命(せいめい)の立場から、考えれば、
悪には、幸せはない!

その生命には、
一瞬も止(や)むことのない恐怖と、
絶望(ぜつぼう)と、暗黒(あんこく)が、
待っているだけだ。


一瞬(いっしゅん)の安らぎも、
得られないだろう。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

だから、自分の生命を、
悪に食い破(やぶ)られては、いけない!!

そのためには、
自分に、
確固たる支柱(しちゅう)が、必要だ。

たえず、自分で、
善と悪の基準(きじゅん)を、
わからせてくれる、
完璧(かんぺき)な生命哲学(せいめいてつがく)が、
必要だ。


その完璧な生命哲学が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)です。


南無妙法蓮華経は、
自分の生命の中の最高善を
開花させる法則(ほうそく)であるがゆえに、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
たえず、自分の中から、
最高の、ベストの善性を、
発揮(はっき)することが、できるようになってくる!


これは、そのまま、
人間としての勝利を、生み、
人生に幸せを、導(みちび)く。


創価学会が、
南無妙法蓮華経を、となえる対象(たいしょう)としている、
『ご本尊(ほんぞん)』は、
自分の中の最高の善性、最高の自分、
最高に、素晴らしい自分を、
表現しきった、
自分の生命の象徴(しょうちょう)であるがゆえに、
そのご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる時、
ご本尊を、見ることによって、
たえず、自分の最高の善性を見ることになり、
善悪の基準を、
たえず、自分で、
見極(みきわ)めることが、
できるようになってくる!


だから、直感的(ちょっかんてき)に、
悪を見抜(みぬ)き、
自分の生命を、
悪に、食い破られることが、
なくなってくる!!


だから、創価学会の人は、
なんの教養(きょうよう)もない
おばちゃんであっても、
悪を、明確に見抜く目と感性(かんせい)を、
エセ教養人より、
はるかに、鋭(するど)く、持っている!


創価学会の実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経の仏法が、
人間を、より賢明(けんめい)に、より強く、
より、正しくしていく!!

と、いうことです。


それは、すなわち、
一生を通して、
最高の喜(よろこ)びと、最高の幸せと、
最高の勝利と満足(まんぞく)を、
もたらす結果となる。


ウソではなく、
それが、生命の本質(ほんしつ)です・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・