タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく60

2012-02-27 06:54:13 | アニメ
このまえ、
アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」を
見ました。

原作(げんさく)は、
手塚治虫の有名なマンガ「火の鳥」 で、
ぼくも昔、熱中(ねっちゅう)して読んだのを
思い出して、
なつかしくなりました。


ヤマタイ国の王女、ヒミコは、
権力(けんりょく)を手にしながらも、
自分の老(お)いと死に、
おびえていた。


永遠(えいえん)の命(いのち)を持つ、
「火の鳥」の生き血(ち)を飲めば、
永遠に若く、生きられるという・・。


ヒミコは、
火の鳥の「生き血」を求め、
その火の鳥の住むという
ヒの国を、襲撃(しゅうげき)し、
滅(ほろ)ぼしてしまう。

ヒの国の少年ナギは、
ヤマタイ国の将軍(しょうぐん)、猿田彦に助けられ、
生きのびる。

また、
ナギの姉ヒナクと、恋人グズリも、
山に、のがれ生き延(の)びる。

しかし、ヒナクとグズリは、
火山の爆発(ばくはつ)によって、
山の深い縦穴(たてあな)の中に、
閉(と)じこめられてしまう。

やがて、ヤマタイ国は、
自分たちが侵略(しんりゃく)してきたと同じように、
馬に乗る騎馬民族(きばみんぞく)に攻(せ)められ、
滅ぼされる。

ヒミコも、
火の鳥の生き血を飲むことなく、
死んでしまう。

猿田彦も、ナギも、死んでいく。


見終わって、強く感じたのは、
なんとも言えない、つらい感情でした。

難(むずか)しいことを言えば、
すごく、

「無常(むじょう)」

というものを、感じました。


希望が見えるシーンとしては、
猿田彦と婚姻(こんいん)関係にあった、
ウズメが、最後、

「猿田彦は、負けてはいない!
なぜなら、私のおなかには、
猿田彦の子供が
宿(やど)っているからだ!

猿田彦の生命は、受けつがれたんだわ!」

と、叫(さけ)ぶシーンと、

年月を経(へ)て、
グズリとヒナクの子・タケルが、
脱出(だっしゅつ)不可能と思われた縦穴を、
火の鳥の励(はげ)ましを受けて、
抜(ぬ)け出すシーンだろう。


にもかかわらず、このアニメには、
なんとも言えない悲しみが、
つきまとう。

それは、普段(ふだん)は、
あまり感じることがない、


「人間は、いづれ、年老い、死ぬ!」


という、
無常感(むじょうかん)からだろう。


無常とは、仏教の思想の一部だけれど、
深(ふか)いといえども、
まだ、浅(あさ)はかな思想だと、
言わざるをえない。

なぜならば、人生、はかない!
世の中は、たえず移(うつ)り変わり、無常だと、
意識したところで、
今、生きている人間を、
現実に、
幸せにすることは、できないからです!


無常感を、感じたところで、
現実を、勝ち抜(ぬ)く力には、ならない!!


けれど、本当の仏法(ぶっぽう)は、
無常ではない!


無常のように、あきらめたような、悲しみはない!


本当の仏法は、
まるで、
太陽のように、明るい!


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
言っていた。

『悲観(ひかん)は、いらないんだよ!
感傷(かんしょう)すら、いらないんだよ!
だだ、希望だけを、いだいて、
生きていけば、いいんだ!』

と・・。


それが、現実にできる、
哲学(てつがく)と生命観(せいめいかん)があり、
現実を強力に切り開いていくエネルギーが、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)であり、
その実践(じっせん)が、

「南無妙法蓮華経を、となえる」

と、いうことだと、思う。

頭が良いとか、悪いとか、
金や地位(ちい)が、あるとか、ないとか、
そんなことは関係なく、
死ぬ時にも、
まるで太陽のような希望と幸せを
抱(いだ)いて、死んでいける!


それが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、
本当の仏法(ぶっぽう)です・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

人は、このアニメの
ヤマタイ国の王女、ヒミコのように、
永遠なるものを、
求めているのかもしれない。


本当の希望、
本当の幸せ。

その象徴(しょうちょう)が、
火の鳥であったんだと思う。


また、それほど、
大げさでないにしても、
自分の悩みを解決できる糸口(いとぐち)となるもの・・、

自分の夢や希望をつかむために、
何かのきっかけと手立(てだ)てを、
人は、求めている。


そして、最終的に、
本当に幸せになっていける方法を、
求めている。


けれど、その幸せになってける方法を、
つかめないまま、
まるで、アニメ火の鳥の王女・ヒミコや
登場人物たちのように、
そのまま、死んでいくことが多いことも、
現実だと思う。


そこに、人は、
無常を感じ、
不幸を感じていく。


ここに、人間が生きていくうえでの、
根底的な不幸が、存在(そんざい)している。


この『無常』につらなる、
根底的(こんていてき)な不幸を打ち破(やぶ)らないかぎり、
人が本当に望む幸せは、
もたらされない!

と言えると思います。


だから、アニメ火の鳥の王女・ヒミコは、
火の鳥を求めていった・・。


ヒミコが火の鳥を求めたように、
人は、
無常を打ち破るもの・・、
根底的な不幸を打ち破るものを、
求めている。

そしてその、心の底(そこ)で、
だれもが求めている、
根底的な不幸を打ち破る力(ちから)が、
実(じつ)は、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法の信仰(しんこう)なんです。


それは・・、
あたかも火の鳥のように、
無常につらなる、さまざまな不幸を、
打ち破っていく!


無常を打ち破り、永遠なるもの、
火の鳥のような幸せを、勝ち取らせてくれる。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)そのものが、
まぎれもない希望であり、
まぎれもない幸せだからです。

その結果として、
どうしても解決(かいけつ)しなかったような、
さまざまな悩みが解決できたり、
大きな壁(かべ)のように思えた夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。


だから、かりに、
火の鳥を、探(さが)すとしたら、
それは、どこでもない、
自分のこころ(生命)の中にある、
『希望と幸せ』が、
火の鳥なんだと思う・・。


その火の鳥と言えるような希望と幸せを、
輝(かがや)かし、つかんでいく方法を、
人は、求めているんだと思う。

そしてその、
火の鳥と言えるような「希望と幸せ」を、
どこまでも燃(も)やし続ける生き方ができるのが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


だから、南無妙法蓮華経の仏法を、
真剣に実践している人は、
他のだれよりも、
希望と幸せを、感じることができる!


それは、どんな悩みや困難(こんなん)にも負(ま)けないで、
勝利と幸せを勝ち取っていける道に、
つらなっている・・。


まるで、それは、
火の鳥のように・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく59

2012-02-21 07:46:54 | ドラマ
先日、DVDで、
『奇跡(きせき)の動物園・旭山(あさひやま)動物園物語』
というドラマを、見ました。

旭山動物園の話しは有名だから、
知っていましたが、
飼育員(しいくいん)たちの知恵と努力には、
ほんとうに感心させられました。

また、動物たちの、
かわいいこと!かわいいこと!
その生き生きとした姿(すがた)が、
画面を通しても、
伝(つた)わってきました。

また、人間が、
知恵と努力を、しぼっていけば、
これほどまでも、変わっていけるんだ!
と、なんだか、
希望を、もらった気がしました。


まえに、
聖教(せいきょう)新聞の
「名字(みょうじ)の言(げん)」にも、
(名字の言とは、聖教新聞に毎日のっている、
短く、読みやすく、まとめられたコラムです)
その「旭山動物園」の記事が、
のっていました。


旭山動物園は、
以前(いぜん)、入園者の減少から、
閉鎖寸前(へいさすんぜん)まで、
追い込(こ)まれたそうです。

予算もない。
施設(しせつ)も老朽化(ろうきゅうか)、
取り立てて珍(めずら)しい動物が、
いるわけではない。

おまけに病気で、
動物が、
あいついで倒(たお)れました。


八方(はっぽう)ふさがりの
逆境(ぎゃっきょう)を切り開いたのは、
職員の、

『夢』と『知恵(ちえ)』と『情熱(じょうねつ)』

だった。


『動物を一番よく知っているオレたちが、
動物のすごさを、伝えよう!』


人前で話すのが苦手(にがて)な飼育員が、
ワンポイントガイドに挑戦した。

動物が、
最も生き生きしている姿を見てもらおうと、
展示(てんじ)にも、
工夫(くふう)を重ねた。


奇跡の復活劇(ふっかつげき)は、
一人ひとりが、自分のできるところから、
挑戦(ちょうせん)した結果だったそうです。


それと同じように、
だれにも、試練(しれん)や苦難に
直面(ちょくめん)する時がある。

現実の厚(あつ)い壁(かべ)を前に、
躊躇(ちゅうちょ)して立ち止まるか、

自分のできることから行動を起こすか、

そこに、変革(へんかく)の分(わ)かれ目がある!


「足下(そっか)を掘(ほ)れ!
そこに、泉(いずみ)あり。」


聖教新聞には、そう書かれていた。



確かに、
人生には、
さまざまな大きな壁(かべ)が、
のしかかっている。

苦難(くなん)とか試練とか、いうより、
あきらめと、惰性(だせい)の壁が、
いちばん、大きい気もする。


それでも、まあ、生きていけるからです。


けれど、
夢や希望を実現しようとしたら、
そうは、いかない!!


何かを起(お)こさなければならない。


奇跡ともいえる勝利の結果も、
結局(けっきょく)は、
小さな小さな行動から始まる。

そのひとつひとつは、
目に見えないかもしれない。

けれど、その小さな行動は、
大きな大きな希望を生む!

希望は、行動を生み、
行動は、また、
希望を大きくしていく。


きっと、これが、
希望や夢を実現(じつげん)する
メカニズムなんだと、
思う。


そのメカニズムを、
究極(きゅうきょく)まで、きわめたものが、

『仏法(ぶっぽう)』

だと思う。


仏法では、
『一念三千(いちねんさんぜん)』
の法則を、説(と)く。

一念三千とは、
自分の一念(いちねん/こころ)の違いによって、
結果として、
違(ちが)う三千の世界ができあがる!
という意味です。

一念とは、一瞬(いっしゅん)の心であり、
ほんの一瞬です!

その一瞬の心の違いによって、
未来が、人生が、
大きく変(か)わっていく。

また、その一念を変えることによって、
自分の環境(かんきょう)や人生、
未来を、
大きく変えていくことができる。


それが、一念三千(いちねんさんぜん)という、
法則(ほうそく)です。


生きるとは、
その、一念(いちねん/こころ)の
積(つ)み重ねだと、
言うこともできます。

だから、ほんの短い一瞬(いっしゅん)だけれども、
その一瞬(いっしゅん)に、
人生のすべてが、かかっている!


一瞬の心によって、
人生のすべてが、変わっていく!

不幸になるか?
幸せになるか?
は、


一瞬の一念(こころ)に、かかってくる!!!


そう考えると、
心(一念)は、
本当に大切になってくる。


では、絶対(ぜったい)に幸せになる一念(こころ)とは、
なんだろうか?


人間は、絶対に幸せになる一念(こころ)を、
出すことが、できるのだろうか?


単純(たんじゅん)に考えると、
もし、ぜったいに幸せになる心(一念)を、
出すことが、できたなら、
その人は、
幸せになれる!

けれど、現実には、
幸せでない人、不幸な人が、
山ほど、いる!

また、はたから見たら、
幸せそうに見えても、
実際(じっさい)は、
幸せでないと思っている人も、
たくさん、いる。


それは、幸せになる心を、
出す方法を、
知らないということだと思う・・。


『絶対に幸せになる心(一念)を、
出すことが、できたなら!!』


その絶対に幸せになる心(一念)を、
出す!方法が、
創価学会(そうかがっかい)が実践(じっせん)している、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!』

ということだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


こころは、すべてを変えていく。


こころは、あらゆる未来を創造(そうぞう)し、
あらゆる幸せを生み出し、
あらゆる勝利を、もたらしてゆく。


本当は、心ほど、
大切(たいせつ)なものはない・・・!


そのことに注目(ちゅうもく)することは、できる。

けれど、現実に、
生身(なまみ)の人間が、
人生の中で、心を変えていくなんて、
ほとんど、できた話しではない。

まして、幸せになる心、
絶対に幸せになる心など、
自分で生み出していくなんてことは、
不可能(ふかのう)と言ってもいいと思う。

だから、人は悩み、苦しみ、
世界中に、
さまざまな不幸が溢(あふ)れている。

そして、現実的に、
それを変える術(すべ)がない。


けれど、本当(ほんとう)は、
その心を幸せに変革していくことができたなら、
本質的(ほんしつてき)には、
ほとんどの悩みが解決(かいけつ)し、
また、心を幸せに変革していくことによって、
あらゆる幸せが、もたらされると、
言うこともできます。


人生の鍵(かぎ)は、
自分の中から、
自分の生命(せいめい)の中から、
本当に幸せになることのできる心を、
いかに?出していくか・・!


ここに、かかっているのでは
ないだろうか・・・。



人間の生命の中で、
最(もっと)も強い心。
最も輝(かがや)き、最もあったかく、
あらゆる幸せを生み出すことのできる心・・。

どんな困難(こんなん)も乗り越(こ)え、
無限のエネルギーと
創造力(そうぞうりょく)によって、
あらゆる幸せをつかみ取っていける、
最強の生命であり、最強の心・・!!

その心を、

『絶対に幸せになる心』

と名付(なづ)けたならば、
世界中のすべての人が、
どんな人でも、
その『絶対に幸せになる心』を
出すことができるように、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』と
『ご本尊(ほんぞん)』
(南無妙法蓮華経を、となえる対象[たいしょう]の本尊)
を、残されたんだと思う。

そして、その日蓮大聖人のメッセージを、
世界中に広げてきたのが、
創価学会です。


絶対に幸せになる心(一念)を、
自分の中から、出すことができたら、
その人は、幸せになる!


その、自分の中から、
絶対に幸せになる生命を
湧(わ)き上がらせていける、
唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、
創価学会が実践する、


南無妙法蓮華経を、となえる
仏法(ぶっぽう)の信仰(しんこう)なんです。


そして、その通り、
創価学会の人たちは、
あらゆる悩みを克服(こくふく)し、
さまざまな壁(かべ)を乗り越えて、
実際に幸せになっていった。

それは、
自分の中から、
無限の可能性を秘(ひ)めた、
『絶対に幸せになる心』を
出していった結果であると表現(ひょうげん)しても、
間違(まちが)えにはならないと思う。


ひとりひとりの人間にもたらされた、
生命の変革・・!

そのことによって起こった、
人間革命のドラマ・・!


それは、現実に、
創価学会の世界192ヶ国の人々が、
体験していることであり、
実感(じっかん)していることであり、
その幸せと、歓喜(かんき)をもって、
今も、世界に、
証明(しょうめい)しつづけている・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく58

2012-02-15 09:04:34 | 勝利
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
御書(ごしょ)の中に、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた
論文や手紙を、すべて集めたものです)


『苦(く)を苦と、悟(さと)り、
楽を楽と開き、
苦楽(くらく)ともに思い合わせて、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と、
となえきっていきなさい!

これこそ、自受法楽(じじゅほうらく)
ではないですか。』
 

という一節(いっせつ)が、あります。


自受法楽(じじゅほうらく)という言葉が
難(むずか)しいですが、
この「自受(じじゅ)」とは、
「みずから受(う)ける」という意味で、
人ではない、自分自身で決まるということだそうです。

その次の「法楽」は、
「法(ほう)の楽しみ」と読めるから、
法、法則(ほうそく)、
宇宙の法則、宇宙のリズム、
生命(せいめい)の法則を、
楽しむということだろうか?

だから、「自受法楽(じじゅほうらく)」は、
みずからの生命を、
ありのままに、楽しむということだろうか?


創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長の
池田先生が、
人に何かをしてもらったり、
他から与(あた)えられるような、
ちゃちな幸せではなく、
自分が自分で、幸福をつくり、
自分で、幸福を味(あじ)わっていく。

どんな苦楽も、
悠然(ゆうぜん)と楽しんでいける、
強く大きな自分になっていく。


それが、
『自受法楽(じじゅほうらく)』だと、
言っていた!


また、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえていくと、
必ず、そうなっていく!とも、
言っていました。


けれど、
苦しい時も、楽しい時も、
「南無妙法蓮華経と、となえる」とは、
どういうことだろうか?


苦と楽では、
まったく、正反対です。

その、どちらの状況(じょうきょう)の時にも、
「南無妙法蓮華経と、となえていく」と、
『自受法楽(じじゅほうらく)』になっていく?


なぜだろうか?


南無妙法蓮華経は、
原因(げんいん)と結果(けっか)が、
同時に含(ふく)まれた、
宇宙の法則だという。

南無妙法蓮華経は、いわば、
瞬間(しゅんかん)、瞬間を、
幸せに変化させていく法則です。

過去(かこ)は、関係(かんけい)ない。
苦しかろうが、楽しかろうが、
南無妙法蓮華経は、
その瞬間を出発点(しゅっぱつてん)として、
未来を、必ず幸せに変化させていく。


その強力なエネルギーが、
南無妙法蓮華経なんだろうか・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

世界は、宇宙は、生命は、
たえず、変化(へんか)していく!

問題は、

「良(よ)く変(か)えるか!」

「悪く変えるか!」

だ。


ものごとが、うまくいき、
楽しくてしょうがない時でも、
いい気になって、図(ず)に乗っていると、
かえって、それが原因になって、
大きな不幸を、もたらすことも、
多々(たた)、ある。

だからといって、
すべてが、うまく、いがず、
不幸が、降(ふ)りかかっているような時は、
自暴自棄(じぼうじき)になって、
人生を、あきらめてしまう場合も、多い。


上にあげた二つの例(れい)は、
「悪(わる)く変わる」一例(いちれい)です。


悪く変わるのは、たやすい。

悪く変わるのには、何の努力も、いらない!


けれど、良く変わるのは、
容易(ようい)ではない!

それこそ、達人(たつじん)でもないと、
良く変わることは、
尋常(じんじょう)ではない。


自分は良く変わっていると、
自信(じしん)をもって言える人は、いるだろうか・・。


自分は、これからもずっと、
良く変わっていけると、
自信をもって、
言い切(き)れる人がいるだろうか。


この『変わる』ということに関(かん)しては、
人は、
表面的(ひょうめんてき)には、
いろいろなことをする場合もあると思う。

けれど、
本質的(ほんしつてき)には、
なかなか、変われないというのが、
正直(しょうじき)なところだと思う。

だから、
人は、悩み、
壁(かべ)を感じ、
人生を、なんとなく、
なおざりに生きるしかない場合もある。


調子(ちょうし)の良い時は、いいでしょう・・。

けれど、調子の悪い時は・・、

また、自分に、
さまざまな困難(こんなん)が襲(おそ)ってきた時は、
どうするだろうか・・・。

それこそ、
変わるしかない!
乗り越(こ)えるしかない!ことは、
わかっていても、
それができず、
大変な苦しみの中、
自分が追(お)い込(こ)まれていくことも、
あると思う。


ようするに、
根本的(こんぽんてき)に、変わる方法を知らない。

本源的(ほんげんてき)に、
自分を変えていくことが、できない・・。


そこに不幸が生まれ、
苦しみが生まれ、
人生を、あきらめてしまう人たちも、
多々、いる・・。


けれど、
人々は、あまり知(し)らないけれど、
だれでも、良く変わる、
宇宙の法則が、ある!

だれでも、良く変わる、
生命の法則が、ある!

だれでも、簡単(かんたん)にできる、
良く変わるための、
絶対的な、
生命の法則が、ある!


それが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
です!


南無妙法蓮華経は、
自分の生命のリズムを、
苦しい時は、無理(むり)やりにでも、
幸せになる『良いリズム』に、変える!

楽しい時は、反動(はんどう)がこないように、
幸せのリズムを、
絶対に、はずさず、
なお一層(いっそう)、
幸せになる『良いリズム』に、
変えていく!


それが、南無妙法蓮華経の力だと思う。


だから、どんな時でも、
苦楽、ともに、
南無妙法蓮華経を、となえるんだと
思う!


結論から言うと、
南無妙法蓮華経は、勝利のリズムです。
勝利者のリズムです。

だから、日々、南無妙法蓮華経を、となえ、
となえきっている人に、
かなう人は、いない!

そして、南無妙法蓮華経は、
自分自身で感じることのできる幸せを、
おそらく、
最高最大に、高めてくれる!!

正直、ぼくも、
「南無妙法蓮華経を、となえる」
ということを、
知っているから良いけれど、

もし、
「南無妙法蓮華経を、となえる」
ことを知らなかったら、

それは、地獄(じごく)であっただろう・・!
と、心から思う・・・!


南無妙法蓮華経を、となえて生きるのと、
南無妙法蓮華経を、となえないで生きるのとは、
確(たし)かに、
天国と地獄くらい差(さ)があり、
人生と未来に、
決定的な違(ちが)いが出てきてしまうからです。


南無妙法蓮華経は、人々を勝利に導(みちび)く。

南無妙法蓮華経は、人々に、
幸せの道を切り開いてくれる。

南無妙法蓮華経は、人々のどんな悩みであっても、
解決していく力(ちから)となり、
どんな困難の壁(かべ)も
乗り越(こ)えるエネルギーとなる。

そして、その人の夢や希望に向(む)かって、
最高の幸せを、つかませてくれる!


それは、
まぎれもない事実(じじつ)であり、
世界192ヵ国に広がる創価学会の人々が、
現実に体験し、
実感(じっかん)していることだと、思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく57

2012-02-08 07:11:05 | 日常
今から百年も前に、
新渡戸稲造(にとべいなぞう)という人が、
言っていたそうです。


「日本という国ほど、
デマを、まち散(ち)らしている人間を、
のさばらせている国は、ない!!」


確(たし)かに、
そうなのかもしれない。

日本の国民性というか、
風習(ふうしゅう)というか、
そのようなことに深く立ち入らない、
「ことなかれ主義(しゅぎ)」
が、あるのかもしれない・・。

デマをまき散らす理由としては、
「経済的理由」
「政治的理由」
「目立(めだ)ちたいという欲求(よっきゅう)」
などがあるようです。

また、悪意(あくい)や憎(にく)しみにより、
デマを流す場合もあると思う・・。


以前、
創価学会(そうかがっかい)も、
ひどいデマを流(なが)され続けたけれど、
それは、
悪意や憎しみに、
金銭的(きんせんてき)理由が、
からんだものだと思う。


当時(とうじ)のデマは、
繁栄(はんえい)していた
週刊誌(しゅうかんし)でのデマが多かった。

当時は今よりも、
週刊誌の影響力(えいきょうりょく)が、
強かったんだと思う。

金にさえなれば、何を言っても、いいんだ!
と言わんばかりの、
三流週刊誌が、のさばっていた。

創価学会のことを書くと、
雑誌が売れるというので、
ウソ、デタラメを、書きまくる。

それらの記事は、
悪事ばかり働き、
創価学会に、いられなくなって、
脱会(だっかい)した者たちが、
金ほしさと、創価学会憎さに、
捏造(ねつぞう)した記事だった。

だから、
その記事には、

「いつ?、どこで?、だれが?」

という、
明確(めいかく)な論拠(ろんきょ)が、
まったくない!

それらの記事は、
裁判(さいばん)によって、デタラメであることが、
明確に認(みと)められ、
雑誌社側が敗訴(はいそ)。
(創価学会の勝利)

そして、雑誌社側は
罰金(ばっきん)を払(はら)わされ、
また、自分の雑誌に、
謝罪(しゃざい)の文章を、
のせさせられました。


明治大学の教授(きょうじゅ)が話しているんですが、
創価学会のデマ記事に、
必ず、でてくる、
プロパガンダ(宣伝)のひとつとして、
創価学会の元(もと)幹部による証言(しょうげん)が、
あげられるそうです。

当然、
元(もと)創価学会の幹部(かんぶ)だからと言って、
信憑性(しんぴょうせい)があるとは、
とうてい、言えない。

なぜなら、
元幹部という彼らは、
詐欺(さぎ)や乗っ取(のっと)りを、たくらみ、
問題や悪事を起こして、
創価学会に、いられなくなった人たちなので、
創価学会憎(にく)さが先(さき)にあり、
とても、正しいことを、言ってるとは、
考えられない。


それに、
これらの元創価学会幹部というのは、
さきほども話しましたが、
悪事や詐欺を起こして、
創価学会に、いられなくなったんだから、
お墨付き(おすみつき)の、
大うそつきです。


そういう人が話している記事を、
信じるというほうが、
おかしい。


これも、明治大学の教授が、
言っているんですが、

「普通、週刊誌とかで、たたかれたら、
個人にしろ、団体にしろ、
世の中から、抹殺(まっさつ)されてしまう!

それなのに、創価学会は、
何十年も、ひどいデマで、
週刊誌に、たたかれ続けているにもかかわらず、
飛躍的(ひやくてき)に、
発展(はってん)し続けている!」


『この事実は、驚(おどろ)くべきことである!』


と。


これは、創価学会が、
どれだけ正しく、
どれだけ素晴らしいかの証明(しょうめい)だと思う。


どんなに、デマを書き散らそうとも、
真実は、消えない!


すなわち、
人間が、
ほんとうに、
ほしいものは、幸せです!


創価学会は、その幸せを、
ひとりひとりの人間に、
与(あた)え続けてきた!


だから、どんなデマも、
創価学会を、
壊(こわ)すことはできなかった。


人は、真実(しんじつ)の幸せのあるところに行き、
真実の幸せに、集まってくる!


それは、
ひとりひとりが求める、
悩みや問題の解決を可能にし、
切実(せつじつ)な夢や希望をかなえる
大きな力(ちから)となって、
人々に幸せを、もたらしてきた。

ひとびとの心に、
現実に幸せを実感(じっかん)させ、
勝利と歓喜(かんき)を、もたらしてきた。


この心の底(そこ)からの歓喜と感動を、
壊(こわ)すことなど、できるはずがありません。


だから、創価学会は、
どんなに、迫害(はくがい)のデマを受(う)けても、
広がり続け、
現在、世界192ヶ国に広まったんだと、
思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

イギリスの有名な歴史家に
「アーノルド・トインビー」という偉人(いじん)がいます。

彼の著作のなかに、
『歴史(れきし)の研究』
という大著(たいちょ)があります。

歴史を、
文明の興亡(こうぼう)の視点(してん)から
論(ろん)じたもので、
文明(ぶんめい)は、
外部における自然・人間環境(にんげんかんきょう)と
創造的(そうぞうてき)な指導者の
二つの条件によって発生(はっせい)し、
気候変動(きこうへんどう)や自然環境、
戦争、民族移動(みんぞくいどう)、
人口の増大などの、
『挑戦(ちょうせん)』に、
『応戦(おうせん)』しながら成長する。

しかし逆(ぎゃく)に文明は、
挑戦に応戦することに失敗することによって、
弱体化(じゃくたいか)する。


すなわち、

『文明を興(おこ)すものは何か?』

を探求(たんきゅう)した結果、
それは、
人種(じんしゅ)でも、恵(めぐ)まれた環境でもなく、
かえって劣悪(れつあく)な気候(きこう)の変化や、
外部の文明からの圧力(あつりょく)、
刺激(しげき)、困難(こんなん)に、
立ち向かうなかで生まれる!!


その『挑戦』に対する『応戦』によって、
文明は、生まれる。


そう、結論(けつろん)しています。


創価学会が、これだけ発展しているのも、
デマなどの強烈(きょうれつ)な挑戦に対して、
徹底(てってい)して、
応戦してきたからだと思う。

そして、その『挑戦』に、

『勝った!!!』

からだと、思う。


もっと言えば、
どんな挑戦にも勝ちうる、
強烈なエネルギーが、あった!!
ということだと思う。


その強烈なエネルギーが何か?
といえば、

それが、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰であることは、
いうまでもない・・!!



現代、
あらゆる人が、
『挑戦』に、『応戦』するエネルギーを、
求(もと)めている。

それが、
一個(いっこ)の人間にしても、
団体にしても、
世界にしても、
あらゆる『挑戦』に、
『応戦』し、
そして『勝つ』ことのできる、
法則(ほうそく)であり、秘策(ひさく)であり、
無限の力であり、エネルギーが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
であるといっても、
言い過(す)ぎではないと思う。


また、それが、

『南無妙法蓮華経を、となえる』

ということだと、思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく56

2012-02-03 09:32:43 | 映画
この前、
映画「あずみ」を見ました。

小山ゆうの同名の漫画『あずみ』を
原作(げんさく)とした映画で、
若いころの上戸彩が、
主演で、がんばっています。

少女剣士(けんし)「あずみ」が、
敵(てき)を、バッタバッタと切りまくる、
時代活劇(じだいかつげき)です。

娯楽映画(ごらくえいが)なので、
お菓子をつまみ、お酒を飲みながら、
お気楽(きらく)に、
楽しめると思います。

上戸彩も、
一生懸命(いっしょうけんめい)、
カッコつけていました。

きっと、大変だっただろうと思う。

だた、最初のシーンで、
仲間(なかま)で10人、
山で、修行(しゅぎょう)している時に、
師匠(ししょう)の言いつけで
仲(なか)の良い2人ずつになって、
その2人で殺し合って、
残った5人が、役目(やくめ)を果(は)たすために、
山を出るシーンがあって、


「いくらなんでも、作りすぎだ!!」


と思った。


だって、戦うのに、
人数が多いほうが、いいに決まってる!

最後、みんな、死んで、
あずみと、もう一人の、
2人しか残らないんだけど、
まあ、よく考えると、
2時間の映画のなかで、
10人もいたら、
死ぬシーンが、たくさん、ありすぎて、
映画にならないとは思うので、
映画としては、
最初、仲間と殺しあって、
5人に、しぼって、
正解(せいかい)だとは思います。
(最初から5人でもいいのに・・・)


娯楽(ごらく)映画ではあるけれど、
この映画を見ていて、
耳に付(つ)いた言葉があって、
やけに、

「使命(しめい)」

という言葉が、でてきた!


「戦争を起(お)こそうとしている悪いやつらを、
やっつけるのが、
おれたちの使命だ!」

とか、

「使命を、はたすんだ!」

というような使い方です。


ふだんの生活では、
あまり使わない言葉なので、
すごく、耳に付く言葉だった。


「使命(しめい)」・・・
命(いのち)を使うということ!。


生きている以上、
だれでも、命を、使っている・・。

だだ、何のために、
命を使うかということを、
正直、自覚(じかく)しているような人は、
なかなか、いないと思う。

かんぐって言えば、
だいたい、自分のために、
あるいは、家族のために、
ともかく、精一杯(せいいっぱい)、
生きているという感じが多いのではないかと思う。

また、趣味(しゅみ)やレジャーなど、
自分を楽しませることも、
生きていく上では、かかせない。

ただし、それだけで、
『使命』と言えるような、
充実感(じゅうじつかん)があるかは、
疑問(ぎもん)だ!

また、そんな使命といえるような充実感など、
求めていないのかもしれない・・・。


それほど、使命という言葉は、
使いづらい。


けれど、創価学会(そうかがっかい)では、
この「使命」という言葉を、よく使う。

「あなたには、かけがいのない使命が、あるんだ!」

と、よく、言う。


その使命とは、なんだろうか?


また、池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、

「その人が、その人であるだけで、
かけがいのない、生きていく価値(かち)がある!」

と、言っている。


だとしたら、使命とは、なんなのか?


おそらく、使命とは、
自分に、生きていく価値があることに、
目覚(めざ)め、
自覚していくことかもしれない。


人は、『使命』という言葉を、
あまり、口にしない・・・。


けれど本当は、
自分の生きている価値を認(みと)め、
また、認められることほど、
幸せなことは、無い!と思う。


それは、そのまま、
最高の充実感を持った、
『生きがい』と、なるからだ。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


なぜ?
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえるのか?


というと、

その人の中にある、
その人が、本来(ほんらい)持っている、
仏(ほとけ)のように素晴(すば)らしい命、
仏のように素晴らしい、
自分の価値を、
開花させるためだと、
言う。

仏(ほとけ)の命といっても、
わからないと思うけれど、
自分の中にある、
無限(むげん)の可能性(かのうせい)、
無限の価値、
無限のエネルギー、
無限の創造力(そうぞうりょく)のようなものだと思う。

その生命に内在(ないざい)する、
無限にして、とらえどころのない、
プラスの生命力(せいめいりょく)を、
「仏(ほとけ)の命」
「仏の生命」
と、
表現している。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
どんな人でも、
『プラスの生命』である、
自分の価値に、目覚(めざ)めていく。

自分が、やるべきことが、わかってくる!

ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえることによって、
本来、自分が持っている仏(ほとけ)の生命が、
自分の中から、わきあがり、

「自分にも、使命があるんだ!」

と、
わかってくる!

そうすると(南無妙法蓮華経を、となえていると)
いつ、何を、していても、
たとえ、平凡(へいぼん)な、
いつもと同じ事を、やっているにしても、
不思議(ふしぎ)だけれど、
その行為(こうい)は、
すべて!使命として、
価値のある行動に、
変わっていく!

もっと言うと、
その使命を、
自分の心と体で、感じ、
本当の自分のものとして、
現実に実感(じっかん)することが
できるようになっていく。


単純に言うと、
人生と生命が、
輝(かがや)きだす!ということです。


すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の生きること、すべてが、
プラスとして、
肯定(こうてい)できるようになっていく!!

南無妙法蓮華経を、となえることによって、
いままで、自分の中では、
マイナスだと思っていたことまで、
すべてが、逆(ぎゃく)に生かされ、
価値が出てくる!


その、すがすがしい感覚と驚(おどろ)きは、
言葉では、言い表(あらわ)すことは
できないかもしれませんが、
ともかく、マジに、スゴイし、
うれしい!と思う。


南無妙法蓮華経を、となえる時、
自分を否定(ひてい)できる人は、
ひとりも、いなくなる!

どんな人も、お世辞(せじ)ではなく、
生きることに、大きな大きな、
使命を、帯(お)びてくる!!

そして、使命の自覚は、
その人に大きな成長と、
飛躍(ひやく)を、もたらす!

そうなれば当然(とうぜん)、
その人は、
大きな大きな幸せを、つかむことになる!


それが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
生き方です。


おそらく、これ以上、
幸せな生き方は、ないと思う。


だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
何もなくても、なぜだか、
歓喜(かんき)してきて、
生きるのが、楽しくなってくるんだと、
思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・