タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく72

2012-04-29 14:48:27 | ドラマ
先日から、
ドラマ「野ブタを、プロデュース」
を見た話しを、しています。

このドラマは、
不器用(ぶきよう)で、いじめられっ子の女子高生を、
二人の男子高校生が、
人気者にプロデュースする!
という物語になっているんですが、
ドラマだから、こういう魅力的(みりょくてき)な話しに
なるけれども、
現実のことを、考えたら、
自分を、だれかが、
プロデュースしてくれるようなことは、
まず、ありえないだろうと思います。

現実の世の中では、
お金が、からむか、利益(りえき)が、からむような、
芸能人でもなかったら、
だれかが、自分をプロデュースしてくれるようなことは、
99%、起こりえない。


残る可能性としては、
「自分で自分を、プロデュースする!」
ということだと思う。


けれど、自分を自分で
プロデュースするっていったって、
自分ほど、やっかいなものはないし、
自分ほど、思うようにならないものも、
ないかもしれない。


けれど、何かを成し遂(と)げた、
偉人(いじん)と言われる人たちは、
無意識のうちにも、
自分を、
プロデュースしているんだと思う。


客観的(きゃっかんてき)に考えてみると、
自分をプロデュースするためには、
怠惰(たいだ)で、怠(なま)け者の自分だったり、
感情に流される自分だったり、
そういう安易(あんい)に流される自分を、
コントロールする、
自分を客観的に見れる、
よほど優秀な、

『もう一人の自分』

といえる自分が、必要となってくる。


けれど、その優秀な、

『もう一人の自分』

を作ること自体、
大変に困難(こんなん)なことは、言うまでもない。


その・・、
自分をプロデュースしてくれる、
最高のプロデューサーが、いてくれたら・・!


自分の可能性や夢を、
みごとに実現してくれる、
天才的なプロデューサーが、
いてくれたら・・・・!


自分の人生は、大きく変わり、
開花(かいか)していくかもしれない。


けれど、実(じつ)は、
あなたにとっても、
すべての人々にとっても、
自分の可能性や夢を、
みごとに実現してくれる、
天才的プロデューサーが、
います。


実は、それが、
創価学会(そうかがっかい)が、信じ、
祈る対象としている『ご本尊(ほんぞん)』だと、
言えるんです。


そして、自分をプロデュースすることが、

『ご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる』

ことだと言えます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

いきなり、突拍子(とっぴょうし)もないことを、
言っているようですが、
少し、説明すると、
『ご本尊(ほんぞん)』は、
最高の自分を、表(あら)わしています。

無限の可能性と、無限の知恵と、
無限の力を持った最高の自分!


それが、『ご本尊』だと言うことができます。


こんどは、
『南無妙法蓮華経』の説明を少々すると、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』は、
宇宙のすべてを変化させる、
無限の可能性と力を引き出す、
エネルギーそのもの!
みたいなものなんです。

だから、『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
『ご本尊』という無限の可能性と知恵、
無限の力を持った最高の自分と、
現実に今、生きている自分の生命(せいめい)が、
「南無妙法蓮華経」という、
無限の可能性を引き出すエネルギーによって、
電流のように直結(ちょっけつ)し、
そこから、生命の変革(へんかく)がもたらされ、
『ご本尊』という最高の自分による、
あらゆる可能性を引き出す、
自分自身のプロデュースが、
開始されると、
表現することができます。


最高の自分である『ご本尊』は、
無限の知恵、無限の力、無限の可能性そのものだから、
そこから、プロデュースされた自分は、
自分が、思いもよらなかった、
素晴らしい自分が、引き出されたり、
思いもよらなかった幸せ!
思いもよらなかった夢や希望を、
かなえたり、
時として、自分が、
まるで考えていなかった世界へ、
自分を、踊(おど)り出させていきます。


どういうことかというと、
『ご本尊』の知恵と力(ちから)は、
自分自身には、到底(とうてい)、
計(はか)り知れないから、
その計り知れない知恵と力によって、
プロデュースされたならば、
当然、自分の思いもよらない幸せを、
実現することになっていき、
自分の思いもよらなかった夢や希望を、
かなえていくことに、なったりしてきます。


これが、創価学会が実践(じっせん)している、

『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』

という、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということが、
可能です。


だから、創価学会の仏法の信仰を、始めると、
すべての人が、ドラマになります!

すべての人が、ドラマの主人公となって、
大きな幸せのドラマを、展開(てんかい)することが、
できるようになっていく!!


おそらく、
こんな楽しい人生は、ないでしょう。


それが、世界192ヶ国に広がり、
世界中の人たちに、
幸せのドラマをもたらしてきた、
創価学会の、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』
だと言えます・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく71

2012-04-25 09:06:31 | ドラマ
先日、
「野ブタを、プロデュース」という
ドラマを見た話しを、しました。

そのドラマの最初のころ、
野ブタ(信子)を、
高校の人気者にプロデュースすることになる、
修二が、
唯一(ゆいいつ)、
自分の憩い(いこい)の場にしていた、
川辺の柳(やなぎ)の木が、ありました。


あるとき、いつものように、
その川辺の柳の木のスポットに行ったところ、

柳の木がない?

その柳の木は、抜(ぬ)かれて、
なくなってしまっていた。

そこで、たまたま、
修二は、
柳の木に首を吊(つ)って、
自殺(笑・・)しようとしていた、
野ブタ(信子)に、
会うことになります。

その後、
修二のクラスに、
信子が転校(てんこう)してきて、
大変なイジメに会う信子を見て、
修二は、信子(野ブタ)を、
人気者にプロデュースすることを、
決意することになります。


その中で、修二は、
信子に言います。

「おまえ自身が変わらないと、
また、いじめられるぞ!

根(ね)こそぎ、ひっこぬかれるぞ!
それでいいのか?」


その後、
修二と野ブタ(信子)は、
二人が、めぐり合った場所にあった柳の木が、
船に乗せられて、
別の場所に運ばれているのを見つける。

修二は、喜び、
信子を自転車に乗っけて、
一緒に、船で運ばれている柳の木を、
見つめ続ける。

修二は、言う。

「柳(やなぎ)もまさか自分が海の上を行くなんて、
思ってなかっただろうね!」

「生きていれば、なにが起こるかわからない。」

信子は、言う。

「あるんだ!生きていける場所、

あたし、大きな木になれるかな・・

誰にも、ひっこぬかれない、
大きな木になれるかな・・」


修二は、言う。

「なるしかねーだろ!」


苗木(なえぎ)は、枯(か)れない限り、
成長し続け、
そのために、根を深く広く張(は)って、
栄養を、取り入れ、
少しずつ、大きな大木へと、
成長していく。


それが、自然の道理(どうり)かもしれない。


仏法(ぶっぽう)では、
創価学会(そうかがっかい)では、
人間を、本当に幸せにすることのできる、
真実の仏法の法則(ほうそく)があることを、
一人の人間に、気づかせて、
その、仏法の信仰に、
目覚(めざ)めさせていくことを、

『仏種(ぶっしゅ)を植(う)える』

と、いいます。


「仏種」とは、仏(ほとけ)になる種(たね)。


仏(ほとけ)とは、
幸福の王者、勝利の王者という意味だから、
「仏種を植える」とは、
その人の生命に、
幸福になる種(たね)、
勝利者になる種を、植えることになります。


種が、芽生(めば)え、苗木となり、
栄養分を、たくさん取って
成長していけば、
当然、大木となっていきます。


それが、自然の道理です。


それと同じように、
一人の生命(せいめい)に植えられた、
仏種(幸せになる種、勝利者になる種)は、
時とともに、成長していけば、
必ず、
幸せという大木に、成長していきます。


それが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法です。


だから、創価学会に入会し、
ご本尊(ごほんぞん)に、

(ご本尊とは、南無妙法蓮華経を
となえる対象である、文字で描かれた
曼荼羅(まんだら)の本尊で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その、必ず幸せになっていける
偉大な仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、
あらわしたものが、ご本尊です。)

・・そのご本尊に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰を始めることは、
その人の生命に、
仏種が植えられたことになり、
南無妙法蓮華経を、となえ始めたということは、
その人の生命の仏(ほとけ)の種(幸せの種)が、
芽(め)を出し、苗木として、
成長を始めたことを、
意味します。


その苗木に栄養を与(あた)えることが、

『南無妙法蓮華経を、となえる』

ことであり、
また、創価学会の、
仏法を根底(こんてい)とした活動ということに
なります。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

この幸せの苗木は、
南無妙法蓮華経を、となえることと、
創価学会(そうかがっかい)の活動という、
自分の生命の「幸せの栄養(えいよう)」を
与え続ければ、
必ず、だれでも、
幸せと勝利という、
大きな、大きな大木に成長していきます。


これは、どんな人がやっても、
変わらず、
必ず、同じ、
幸せという結果が、出ます。

もっとも、木々にも種類があるように、
仏種(ぶっしゅ)も、その人の、その人らしい、
幸せの姿として、開花していきます。

けれど、
途中(とちゅう)で、
南無妙法蓮華経をとなえることを、
やめてしまったり、
創価学会から、離(はな)れてしまったりすると、
仏種という、幸せの苗木は、
枯(か)れてしまいます。


すなわち、幸せには、なれない!


ということです。


それは、植物に
水を、与えなかったら、
枯れてしまうのと同じです。

また、光が、
まったく、閉(と)ざされてしまったら、
枯れてしまうのと同じです。


生命の次元(じげん)から考えると、
南無妙法蓮華経を、となえないことは、
植物に、水を、与えないのと同じです。

また、創価学会から離れることは、
植物に、光を、まったく当(あ)てないのと、
同じです。


幸せのためには、
人間の生命も、
植物とおなじように、
水と光が、必要なんです。


だから、本当に幸せになりたかったら、
本当に勝利したかったら、
生命における、幸せになるための、
水と光を、求(もと)めるべきです。


その『水』の役割(やくわり)をするのが、
『南無妙法蓮華経』であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ということになります。

そして、『光』の役割をするのが、
『創価学会』という存在(そんざい)になります。


この言葉に、ウソは、ありません。
必ず、そうなります。


世界192ヶ国に、
創価学会が根付(ねづ)いているのは、
そのためです。


それが、創価学会の人たちが、植えている、
幸せの苗木!
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法だと思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく70

2012-04-21 14:12:28 | ドラマ
このまえ、
「野ブタを、プロデュース」
というドラマを、見ました。


不器用(ぶきよう)で、いじめられっ子の女子高校生を、
二人の男子高校生が、
人気者に変えていこうと
奮闘(ふんとう)する物語になっています。


いじめられっ子の信子(通称、野ブタ)は、
いつも、信子を、いじめているグループの、
ボス的存在のバンドー(女性)に、
年に1度行われる高校の恒例(こうれい)行事、
公衆の前で
『愛の告白(こくはく)を行う』という
『1・1・4 (イイヨ) 』の日、(11月4日)
というイベントで、
嫌(いや)がらせに、
愛の告白を、させられることになる。

相手は、野ブタを人気者にしようと、
がんばっている修二だ。

信子(野ブタ)は、
勇気を出して、
バンドーのところに行き、
イベントでの告白を、
やめさせてくれるように頼(たの)む!

けれど、バンドーは、
「1・1・4 (イイヨ) 」のイベントは、
いちど、申し込んだら、
キャンセルできないんだ!
と言って、つっぱねる。

信子(野ブタ)は、言う。

「私は、クラスで、浮(う)いてるけど、
バンドーさんだって、もっと浮いてます。」

バンドーは、言う。

「そんなことは、あんたに言われなくても、
幼稚園の時から、わかってるんだよー!」


信子は、言う。


「人は、変われると思う。」


バンドーは言う。

「別に、私、変わりたくないし・・」


信子は言う。

「なんで、同じこと繰(く)り返すんですか?
なんで、変わろうと思わないんですか?」


バンドーは、立ち去(さ)る。

立ち去るバンドーに向かって、
信子は、言う。


「人は、変われます!」


いよいよ、
「イイヨの日」(11月4日)が、来る。

告白者(野ブタ)が、告白すると、
告白を受ける人が、二つのロープのうち、
ひとつのローブを、引く。

OKだったら、告白者(信子)の上には、
花吹雪が舞(ま)い、
NOだったら、告白者(信子)の頭に、
バケツから、水が、かぶせられる。


告白を受ける修二は、答えが出ない。


その時、信子は、

「告白する相手を変える!」

と言いだす。

司会者は、それを受け入れる。

なんと、信子は、告白する相手に、
女性であるバンドーを、選ぶ。

バンドーは、前に出て、
二つのロープの前に立つ。

そして、一本のロープを引く。


信子の頭には、花吹雪(はなふぶき)が、舞う。


バンドーは、

「間違っちゃったよ!」

と、捨て台詞(ぜりふ)を残して、
立ち去る。


あとから、修二たちは、
どうして、バンドーは、
花を、降(ふ)らしたんだろうと、
野ブタ(信子)に聞く。


信子は、言う。


「自分も、変われるんだ!って、
思いたかったんじゃないのかな・・?」



自分も、変われる。

これは、本当は、だれでも、
思っていることかもしれない。

別に、変わる必要なんかない!
と言っても、
心の底では、変わりたいと思っているのかも、
しれない。

「変われる」ということが、
わかっていたら、

「変わりたい!」と、

素直(すなお)に言えるのかもしれない。

また、必ず、
変われる保証(ほしょう)があるならば、
変わることに、
挑戦しようとするのかもしれない。


けれど、
現実という世界の中で、
いやというほど、
「変われない!」ということを、
体験してきてしまったために、
「変わりたい!」とも言えないし、
本心を、心の底に沈(しず)めてしまって、
変わりたいとも思わなくなっているのかも、
しれない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

本来(ほんらい)、
宇宙も、生命も、
変化し続ける。

それが、生命の本質(ほんしつ)だ。

ただし、良く変わるのは、
至難(しなん)の技(わざ)だ。

その、生命を、宇宙を、
良い方向に、
強力に変革(へんかく)していく力のことを、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

という。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
自分の生命(せいめい)が、
良い方向に、
急激(きゅうげき)に変わっていく。

自分の生命が、変わるということは、
自分の生きている環境(かんきょう)、
世界、宇宙も、
変わるということです。


それが、
南無妙法蓮華経の力(ちから)です。


だから、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえることは、
自分が、変われることを、
心の底から、認(みと)めることになり、
また、自分の生命が、
現実に、変わっていくので、

『人って、変われるんだ。
自分は、変われるんだ!!』

と、心から、叫(さけ)び、
感じることに、なっていく。


『南無妙法蓮華経を、となえられる』

ということは、
自分が、変われる武器(ぶき)、
自分が、変われる希望と勇気を、
同時に手に入れたのことに、等しい。

だから、どんな時でも、
余裕(よゆう)がある。

だから、創価学会(そうかがっかい)の人たちは、
どんな状況の時でも、
底抜(そこぬ)けに明るく、
元気がある。


信子(野ブタ)は、言った。


「人は、変われます!」


その言葉を、堂々(どうどう)と、
希望を持って、確信を持って、
最大限の歓喜(かんき)を持って、
言うことが、できるのが、
創価学会の生き方です。


あたかも、それは、
バンドーが、信子に、
花吹雪を、降らせたように・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく69

2012-04-15 12:27:32 | 幸せ
最近、
うちのマンションの隣(となり)の土地に、
マンションが建設された。

当然(とうぜん)
うちの古いマンションに比べれば、
立派(りっぱ)で、高価そうだ。

どんな人たちが住むんだろうか?
と、想像(そうぞう)してみたりもする。


それで思い出したけれど、
以前、
耐震強度偽装問題(たいしんきょうどぎそうもんだい)
というのが起こった。

コストを抑(おさ)えるために、
耐震強度を偽装して、
震度(しんど)5強でも、
倒壊(とうかい)するようなマンションが
建てらていたということで、
大きな社会問題になりました。

最近は、意識(いしき)が高いから、
そんなことはないと思うけれど、
このご時世(じせい)だから、
何があるともかぎらない・・・。


そんなことを考えたりもした。


うちのマンションは、
それよりもっと古(ふる)いから、
大丈夫だろうか?とか、
いやいや、次に地震がきたら、
ひとたまりもない・・・などと、
アホなことを、考えたりもする。


ともかく、隣の新しいマンションにも、
夢と希望を、ふくらませて、
引っ越(こ)してくるんだから、
安全な建物であってほしいと思う。


やはり、家にしろ、マンションにしろ、
購入(こうにゅう)することにでもなったら、
人生の大変な決断(けつだん)だから、
それこそ、いろいろと大変だろうと思う。
いろいろと、気も使うだろうと思う。

ある意味、ひとつの夢が、かなった!
ということで、
幸せを、満喫(まんきつ)したい気分にも、
なるだろうと思う。

そのマンションや家に、
欠陥(けっかん)があったり、
安全や耐震(たいしん)に問題があったりしたら、
それだけでショックで、
その失望(しつぼう)は、
はかりしれないだろう。

自分にあてはめて考えてみると、
自分の部屋に、なにかしら、
ほんのちょっとだけでも、
欠点や欠損(けっそん)があるだけで、
ものすごく、気になってしまう。


それは、当然のことなのだろう・・・。


そう考えると、
もし、自分のマンションに、
大きな欠陥(けっかん)があるとしたら、
耐震や安全に問題があるとしたら、
だれでも、すぐさま、
そんなマンションは、返上(へんじょう)して、
他の、安全なマンションに、
住もうと、するだろうと思う。


けれど、それが、
自分の生命(せいめい)だったら、
どうだろうか・・・?


自分の生命を構築(こうちく)する、
根幹(こんかん)にあるもの。
それが、欠陥品だったら、
ただちに、
交換(こうかん)しようと、するだろうか・・・?


回(まわ)りくどい言い方をしましたが、
自分の生命を構築する、
あるいは、人生を構築する、
その人生の根幹(こんかん)にあるものが、
実は、
『宗教』だと、言うことができます。

『宗教』は、
ほんとうのところは、
その人の人生の幸不幸を決定する、
根幹の部分を、しめている。

この『宗教』という、
根幹の部分に欠陥があると、
その人の人生は、
とんでもないことになり、
大きな不幸に、おちいったりする。


これが、宗教というものです。


けれど、人々は、
そのことに、気づかない!!!


マンションとか、
物質的な、あるいは表面的なことには、
気づき、
大いに、その問題の重要性(じゅうようせい)を考え、
行動をするのに、
もっと、大切な、
自分の生命の根幹をしめる宗教の問題には、
まったく、感心を示(しめ)さず、
気づくこともない!

ところが、
自分が、生まれながら持っている、
あるいは、
先祖から継続(けいぞく)して持っている宗教が、
間違(まちが)った、
欠陥だらけの宗教だった場合、
マンションどころか、
自分の人生そのものが、
倒壊(とうかい)してしまう。


その人の持つ、
さまざまな不幸の原因(げんいん)は、
実は、自分の生命の根幹をしめる、
宗教の欠陥、あるいは、
間違った宗教によって、起こる!!
と、言っていい。


その自分の生命の根幹にあるはずの宗教に、
欠陥があれば、
自分の生命のリズムは、くずれ、
倒壊(とうかい)していく。

そして、ありとあらゆる、
人が恐(おそ)れる、
さまざまな不幸の形となって、
その人の人生を、崩(くず)し去っていく。


それが、間違った宗教です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

人は、自分の住むマンションに
欠陥や問題があることが、わかれば、
すぐさま、
その欠陥マンションを捨て、
新しい安全なマンションに、
住もうとするでしょう。

それと同じように、
自分の生命の根幹にある宗教が、
欠陥品であり、間違っているとしたならば、
すぐにでも、
その間違った宗教を捨て、
正しい宗教に、つくべきです!!


その正しい宗教、
絶対に安全で、
決して、欠陥のない、
すべての人を、幸せにすることができる宗教が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)です。


宗教の哲学(てつがく)的な概念(がいねん)は、
とても厳密(げんみつ)で、きびしく、
残念ながら、
本当に、その人の生命を支(ささ)え、
幸せにできる宗教は、
この、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)しかない!と、
言い切ることができます。

失礼ですが、他の宗教は、
どこかに、必ず、欠陥があり、
欠陥があるということは、
その人の生命に、
あるいは、そん人の人生に、
欠陥、すなわち何かが欠けるという、
不幸という結果が、
大なり小なり、
出てきてしまうということです。

だから、自分の生命を支える骨格(こっかく)を、
完全に安全なものにし、
さまざまな人生における
障害(しょうがい)を防(ふせ)ぎ、
本当の意味での、
幸せで、希望に満ちたものにしたいのならば、
すぐにでも、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法に、とびつき、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
始めるべきです。



人は、大きな災難(さいなん)なり、
なにかの大変なできごとが、
自分に降(ふ)りかかってみないと、
その重要生に気づかない・・・。

それと同じように、
人間の生命においても、
その人が持っている宗教の正邪(せいじゃ)によって、
自分の幸不幸が、決まってしまうことに、
人々は、まったく、気づこうとしない!


いや、一生、気づかないかもしれない・・!!


けれども、気づかなくても、
いやおうなしに、
自分の生命を構築している、
間違った宗教による弊害(へいがい)、不幸は、
自分の人生における、
なんらかの時に、なんらかの形で、
降(ふ)りかかってきて、
その人を、絶望(ぜつぼう)させたり、
不幸のどん底に、陥(おとしい)れたりする。


それが、
人間の生命と人生における、
欠陥構造物(けっかんこうぞうぶつ)といえる、
間違った宗教です。


すべての不幸の根源(こんげん)には、
間違った宗教がある。


そのことに、早く、早く、
気づいてほしい・・・・!


そして、
幸せを構築するうえで、
生命を幸せにする、
完全な構造物といえる宗教が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法です。


その証拠(しょうこ)として、
創価学会は、世界192ヵ国に広がり、
世界中の人々の悩みを解決し、
夢や希望をかなえて、
幸せと勝利を、もたらしている。


だから、

そのことに・・・、

早く、早く、気づいてほしい・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく68

2012-04-05 06:54:58 | 映画
このまえ、
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』を、
みました。

片山恭一のベストセラー小説
「世界の中心で、愛をさけぶ」を
基(もと)にしたラブストーリー で、
以前、セカチューブームなる
社会現象(しゃかいげんしょう)を
巻(ま)き起こした感動作だそうです。


見てみて、やはり、
切(せつ)なくて、悲しい、
いい映画でした。

よく、ここまで、ピュアに、
また、ツボを、おさえた映画を、
つくれたものだなあ!
と、感心もしました。


けれど、悲しい話しは、
悲しい話しで、
悲しいのは、いやです。


映画だから、美しく昇華(しょうか)できるけれど、
現実に、これだけの悲しい出来事に、
あったとしたら、
ここまで、前向きに昇華できるかは、
疑問(ぎもん)です。


人間、いろいろな思い出がある。

悲しいこと、楽しいこと、
死は、悲しい出来事の、
もっとも、過酷(かこく)なものかもしれない。

その、すべてを、
自分の生きるエネルギーとして、
受け入れ、
今を、精一杯(せいいっぱい)、
生きる力に変えることが、できるか?
と、いったら、
そこにも、疑問が、残る。

逆(ぎゃく)に、
どんなに美しく、楽しい思い出が、
あったとしても、
過去に、おぼれ、
現実を見失(みうしな)っていってしまう場合も、
あると思う。

また、悲しい思い出は、
一生、重荷(おもに)となって、
その人の人生に、のしかかっていく場合も、
あると思う。


仏法(ぶっぽう)では、
変毒為薬(へんどくいやく)という、
法則を、説いている。

薬(くすり)というものは、
使い方を間違えなければ、
実際は、毒(どく)であっても、
薬になる場合が、あるようだ。

それと同じように、
自分の人生に、ふりかかってきた、
どんな、つらい、悲しい、
過酷(かこく)な出来事であったとしても、
その毒を、薬に変えて、
自分を、今よりも、もっと、
幸せにしていくエネルギーに
変えることができる!
と説(と)く法則(ほうそく)です。


けれど、現実の人生では、
自分に、ふりかかってきた、
つらく、悲しい、過酷な出来事や運命を、
プラスに変えていくのには、
あまりにも、つらく、過酷なため、
不可能(ふかのう)になる場合が、
多いかもしれない。


自分に襲(おそ)いかかった過酷な運命といえる、
『毒』を、『薬』に変えるためには、
あまりにも、つらいために、
普通の、何倍、何十倍、何百倍という、
エネルギーが、必要となるからです。


そんな、つらい運命に、みまわれた時に、
はたして、
それだけのエネルギーを、
出すことが、できるだろうか?


と考えた時、その可能性は、
かぎりなく、少なくなっていく。


だだし、もし、
そういう過酷な、つらい運命に、
みまわれた時、
普通の時の、
何倍、何十倍、何百倍というエネルギーを、
自分の中から、出す、
『方法』を、知っていたのなら、
つらい運命を、乗り越(こ)える可能性は、
大きくなっていく。


自分の中には、
どんなに、つらく、悲しく、過酷な運命さえも、
乗り越えていく、力(ちから)がある。


また、その無限の力を、引き出す方法を、
自分で、知っていたのなら!


その力を、出そう!という勇気さえ、あれば、
どんな過酷な運命も、
乗り越えていける!!


その、どんな過酷な運命さえも、
乗り越えていける、
無限(むげん)の力のことを、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
という。

そして、どんな過酷な運命さえも、
乗り越えていける無限の力を、
自分の中から、出す方法が、

『南無妙法蓮華経を、となえる!!』

と、いうことだと思う。


だから、
創価学会(そうかがっかい)の人たちの多くは、
その、過酷な運命に、さらされた時でも、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』を、
真剣に、となえることによって、
普通だったら、不可能と思えるような
過酷な状況(じょうきょう)であっても、
その運命を、
乗り越えてきている!

そして、逆(ぎゃく)に、
過酷な運命に、あう前よりも、
大きな幸せを、
つかむことが、できている。


これが、変毒為薬(へんどくいやく)の法則です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

過去における、楽しい思い出にしろ、
つらく、悲しい思い出にしろ、
それを、
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』のように、
昇華(しょうか)していくためには、
今、輝(かがや)く必要がある。


今、輝かなかったら、
すべての思い出は、むなしく、はかなく、
悲しい思い出に、なってしまう。


今を、最高に、輝かせ、
今を、最大に幸せに変えていく
エネルギーのことを、
『南無妙法蓮華経』
と、いうんだと思う。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
どんなに、つらい思い出も、
どんなに悲しく、過酷な思い出も、
すべてが、今の自分を、
彩(いろど)り、輝かせてくれる、
美しい花に、変わっていく!!


それが、
南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
創価学会の生き方だと思う。


だから、創価学会の中には、
世界中に、さまざまな困難(こんなん)や、
過酷(かこく)な運命を乗り越え、
生き生きと、
すがすがしく、輝(かがや)いて、
幸せを、勝ち取っている人たちが、
たくさん、たくさん、いる!!


それは、あたかも、
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』で、
主人公が、
悲しみを昇華(しょうか)していったように、
それを上回(うわまわ)る、
幸せと、勝利と、歓喜(かんき)を、
その人に、もたらしてくれる・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・