タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく79

2012-05-30 09:13:02 | こころ

すべての人の、こころの中には、
宝物(たからもの)がある。


それは、当然なのかもしれません。


なぜなら、それは、
自分の生きている証(あかし)であり、
生きていく大きな支え(ささえ)となっていると、
思うからです。

大切な大切な、こころの中の宝物。

自分が生きてきた、
また、生きている証(あかし)である
生命に刻(きざ)まれた宝物。

けれど、その、こころの中の宝物は、
ほとんどの場合、
人には、わからない、
人には、見えないものかもしれない。


けれど、
だれがなんと言おうと、
やっぱり、すべての人が、
こころの中に、宝物を持っている。


その、こころの中の宝物は、
自分の心の壁(かべ)に、閉(と)ざされて、
決して、出てこない場合もあるかもしれません。

また、そんな、こころの中の宝物なんて、
忘れ去(さ)っている場合も、
あるかもしれません。

その、こころの中の宝物を、
ほんとうは、外に出したいのに、
出せない場合も、多いかもしれない。


すべての人が、
かけがいのない『人間』であることの、
『証(あかし)』


それが、
「こころの中の宝物」かもしれない・・・。


その・・、
その人が持っている、こころの中の宝物を、
もし、ほんの、わずかでも、
わかってあげられたら・・・・!

こころの中の宝物を、
ほんのわずかでも、
認(みと)めてあげることが、できたなら・・・!

そういう人が、
世界に、一人でも、いたならば、
その人は、幸せかもしれない・・・。


人は、自分の中の、
「こころの中の宝物」を、
出したがっていると思う。

別にそんなもの、出したくもないし、
人に見せたくもないと言うかもしれませんが、
ほんとうは、
自分の中の「こころの中の宝物」を、
みんなに見せて、
自分だって、生きいてるんだ!と、
誇(ほこ)らかに、
声をあげて、
叫(さけ)びたがってるんだと思う。

「こころの中の宝物」を、
自分の中から、
おもいっきり出すことが、できたなら、
その人は、
世界一の、幸せ者だと思う。


けれど、
その「こころの中の宝物」を、
出せない悲しみ・・・!

「こころの中の宝物」を、
出すことのできない苦しみ・・・!

「こころの中の宝物」があるのに、
出すことのできない、
だれも、わかってもらえない辛(つら)さ・・・!

また、自分の中に、
「こころの中の宝物」が、
あることすら、わからず、
信じられない人も、多いかもしれない。


そこから、不幸は、
生まれるのかもしれないと思う。


その辛さ(つらさ)から、
人は、ある時は、
人を、傷(きず)つけたり、
ある時は、
大変な犯罪に、およぶことも、
あるかもしれない。


すべての人が、
「こころの中の宝物」を、
持っているにも、かかわらず・・・・!


こころの中の宝物が、
人間の生命の中に存在すると仮定(かてい)する。

そして、その、
人間の生命の中にある、
最も強く、最もあったかく、
最も清(きよ)らかで、
最も素晴らしく、
あらゆる価値(かち)と
あらゆる可能性を秘(ひ)めた、
最も輝(かがや)いてる
「こころの中の宝物」のことを、
仏法(ぶっぽう)では、
あるいは、創価学会(そうかがっかい)では、

「仏界(ぶっかい)の生命」

と、呼ぶ。

あるいは、

「仏(ほとけ)の生命」

と呼ぶ。

仏界(ぶっかい)の生命とか、
仏(ほとけ)の生命とかいうと、
仏法用語だし、
わかりずらく思ってしまうかもしれない。

また、自分には、
関係ないような気もしてくる。

けれど、『こころの中の宝物』なら、
すべての人が、もっている。

すべての人が、
その「こころの中の宝物」を、
輝かせ、開花(かいか)させていきたいと思う。

すべての人の中にある、
『こころの中の宝物』。

その、こころの宝物の中で、
最も強く、最も深く、最もたくましく、
この『こころの中の宝物』があるおかげで、
何ものにも負けず、
どんな苦難(くなん)も跳(は)ねのける、
強くて、あったかくて、やさしくて、
最高の幸せと、無限の可能性を秘(ひ)めた、
最強最高の生命(せいめい)。


そんなものが、あるとしたら、
それが、だれもが望(のぞ)む、
最強無敵(さいきょうむてき)の
『こころの中の宝物』だと思う。


そして、その最強無敵の『こころの中の宝物』に、
名前をつけて、
『仏界(ぶっかい)の生命』
と呼んでいる。


すぺての人の中に、
『こころの中の宝物』があることは、
わかると思う。

だとしたら、自分の中に、すべての人の中に、
最強無敵の『こころの中の宝物』があることも、
推測(すいそく)ができると思う。


そして、それは、実際(じっさい)にある!!


世界中の、どんな人でも、
どんな環境(かんきょう)の人でも、
必ず、幸せになっていける、
『こころの中の宝物』。

どんな悩みも、どんな困難(こんなん)も、
必ず乗り越(こ)えていける、
『こころの中の宝物』。

どんな運命(うんめい)や環境も、
打ち破(やぶ)り、人間革命して、
必ず、勝っていける、
『こころの中の宝物』。

その可能性とエネルギーと、
影響力(えいきょうりょく)が、
とても表現できないほど、
スケールが大きく、無限大(むげんだい)だから、
表現しようがないので、
その『こころの中の宝物』のことを、
『仏界の生命』と呼んでいる。

そして、素晴(すば)らしいことに、
こころの中の宝物が、すべての人の中にあるのと、
まったく、同じように、
その最強無敵の「こころの中の宝物」である、
『仏界(ぶっかい)の生命』は、
すべての人の中にあり、
すべての人が、持っている!!!


創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が、

「世界中のすべての人が、
自分の中に、
仏界(ぶっかい)の生命があることが、
わかったら、
戦争は、なくなる!」

と、言っていた。


たしかに、そうだと思う。


仏界の生命とは、
どんな人でも、必ず幸せをつかんでいける、
最強無敵の『こころの中の宝物』です。

その、「こころの中の宝物」が
あることが、わかったら、
また、その「こころの中の宝物」を、
自分の中から、出すことができたなら、
それだけで、
その人は、満(み)たされ、
犯罪(はんざい)や、戦争を起こす必要が、
無くなっていく。

なぜならば、
必ず幸せをつかんでいける
「こころの中の宝物」が、
自分の中にあることが、わかり、
また、それを、自分の中から、
出すことが、できたなら、
それは、そのまま、
自分の価値、自分の存在を、
自分で認め、人からも、
認められることに、なっていくからです!


その、満たされた心からは、
犯罪は、起こらないと思う!!!


その、すべての人の中にある、
『仏(ほとけ)の生命』という、
最強の「こころの中の宝物」を、
自分で、わかり、自分で認め、
自分で、自分の中から、
引き出す、
世界で唯一(ゆいいつ)の方法を説いたのが、
『仏法(ぶっぽう)』であり、
それが、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法です。


そして、その、
『仏界(ぶっかい)の生命』という
最強無敵の「こころの中の宝物」を引き出す、
世界で、たった一つの方法!


それが、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』

ということなんです。


だから、
『南無妙法蓮華経を、となえる』と、
自分の中の、「こころの中の宝物」に、
目覚(めざ)め、
自分の中から、「こころの中の宝物」を、
引き出すことが、できるようになり、
やがて、
さまざまな夢や希望、幸せを、
つかむことが、
できるようになってくる。


それが、

『ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえる』

ということだと思う。


少し、掘(ほ)り下げて話すと、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしています。

だから、仏の生命そのものの名前が、
「南無妙法蓮華経」だと言っていい。

そして、ご本尊(ほんぞん)とは、
その仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、あらわした、
自分の生命の鏡(かがみ)のようなものです。

南無妙法蓮華経という仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあるので、
どんな人でも、
その『仏の生命(せいめい)』を引き出せば、
必ず幸せになっていける。

そのことを、あらわした、
自分の生命の象徴(しょうちょう)のようなものが、
『ご本尊』です。

だから、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえていった時、
自分自身の心を見て、
自分の心を呼び覚ますように、
その人の中から、最高の「こころの宝物」が、
引き出され、
自分の生命に、
大いなる価値と幸せを感じ、
勇気や知恵や、歓喜(かんき)となって、
その人を輝(かがや)かせ、
やがて、それは、悩みを解決したり、
夢を、かなえたりして、
現実の結果となって、
その人を、幸せに導(みちび)いていく・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

すべての人の中に
「こころの中の宝物」はある。

そして、その「こころの中の宝物」の中で、
最も強く、最も深く、最もあたたかく、
最もたくましい、何ものにも負(ま)けない、
無限の可能性を秘めた、
最も幸せな、「こころの中の宝物」!


それが、『仏界(ぶっかい)の生命』であり、
『仏(ほとけ)の生命』だと言えます。


そして、さきほども言ったように、
『仏界の生命』の本源的(ほんげんてき)な名前のことを、
『南無妙法蓮華経』と言います。

南無妙法蓮華経とは、本源的な、
最強無敵の「こころの中の宝物」の名前だと言えるので、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということは、
その「最強無敵の、こころの中の宝物」の名前を呼び、
呼び出すことになります。


だから、呼ばれて、
自分の中から「こころの中の宝物」が、
引き出され、開花していく。


また、逆(ぎゃく)に言えば、
南無妙法蓮華経は、
『仏界の生命』『仏の生命』を表現した、
唯一(ゆいいつ)の名前ですから、
その名前を呼ぶ以外、
『仏の生命』という、
最強無敵の「こころの中の宝物」を、
引き出す方法は、ありません。

『南無妙法蓮華経を、となえる。』

それは、仏界の生命という、
最強無敵の『こころの中の宝物』を引き出す、
たったひとつの、
唯一(ゆいいつ)の方法なんです。

だから、人生、いろいろ、ありますが、
最終的には、

『南無妙法蓮華経を、となえるしかない!!』

と言っても、さしつかえありません。

そして、その南無妙法蓮華経の仏法を、
世界規模(きぼ)で実践しているのが、
創価学会(そうかがっかい)です。

だから、
世界の良識ある、有能は人物たちは、
(大げさに聞こえるかもしれませんが)
創価学会に、まるで、
世界を救えるのは、創価学会だけだ!
とでも、言わんばかりに、
創価学会に、期待し、絶賛(ぜっさん)し、
世界の希望を、たくしている!


けれど本当は、おおげさではなく、
実際(じっさい)に、そうかもしれません。

それほど、創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法は、スゴク、
現実と世界と人間を、
着実(ちゃくじつ)に、ひとつひとつ、
善(ぜん)の方向に、平和の方向に、
幸せの方向に、変革(へんかく)している。

またそれが、世界の善意の人たちの、
一貫(いっかん)した、
創価学会に対する、見方(みかた)です。


やがて、そのことに、
日本も、
また一人、また一人と、
水かさが増すように、
気づいていくことでしょう・・・・!


そして、
創価学会の、素晴らしさ、偉大(いだい)さを、
素直に、
賞賛(しょうさん)せざるおえない時代も、
来ることでしょう・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく78

2012-05-25 09:23:12 | 幸せ
日蓮大聖人が生きていた時代に、
「熱原の法難(あつはらのほうなん)」という、
創価学会(そうかがっかい)の人たちなら、
よく知っている、
有名な宗教弾圧(しゅうきょうだんあつ)が、
あった。


1275年ころ、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
弟子の日興上人の指揮のもと、
当時の、熱原(あつはら)というところで、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)が、
急速に、広まっていった。

他宗の坊主たちは、
危機感(ききかん)をいだき、
地元の武士らと結託(けったく)して、
日蓮大聖人の門下の弾圧を始めました。

その弾圧(だんあつ)は、
しだいに、エスカレートしていき、
多くの無実(むじつ)の農民らが、
大変な処罰を受け、
そのうち、
三人が処刑(しょけい)されました。


処刑された三人は、

「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえるのを、やめれば、
助けてやる!」

と、おどされました。


けれど、その三人は、
最後まで、南無妙法蓮華経をとなえるのを、
やめず、
処刑のその時まで、
南無妙法蓮華経を、となえきって、
死んでいきました。


これを、

「熱原の法難(あつはらのほうなん)」

と、言います。


この法難に遭(あ)った農民たちは、
みな、日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰を始めて、
ほんの2、3年の、
信仰(しんこう)の浅(あさ)い人たちでした。


そんな信仰の浅い人たちが、

なぜ?

命を捨ててまで、

南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰を、
つらぬき通したんでしょうか?


人間、正直(しょうじき)です。

あることを、つらぬく場合、
そのために、捨てるもの以上に、
大きな価値(かち)が、
その、つらぬくことに、なかったら、
それを、つらぬくことは、
絶対に、しません!


だとしたら・・、

この南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)には、
命を捨てても、なお、
それ以上、大きな価値が、ある!

ということに、なる。

でなかったら、処刑されても、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、
つらぬく理由は、
なにも、ないからです。


その理由とは、何なのだろう?


まず、考えられるのは、

人間は、幸せになるために、生きている!

ということです。

また、幸せを感じるために、
生きているとも、
言えます。


とくに、庶民は、鋭(するど)い!

庶民は、
見栄(みえ)や、飾(かざ)り、
体裁(ていさい)や慢心(まんしん)、
おごりや、権力には、
無関係だ。

だから、なおさら、

「幸せ」とは、何なのか?

ということに関しては、
ものすごく、スルドイ!

庶民だからこそ、
本当に大切なものが、何なのか?
はっきりと、見えている!

逆(ぎゃく)に、
権力者や富豪(ふごう)、有名人などは、
さまざまなプライドや、見栄、慢心があって、
真実の幸せが、見えてこない部分が、
あるのかもしれない・・。
 

おそらく、
処刑されたり、処罰(しょばつ)された、
ほんとうに貧(まず)しい、
名も無い農民たちは、
この南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、やってみて、

「これこそ、真実の幸せだ!!」

「これこそ、本当の生きがいだ!!」

と、
丸裸(まるはだか)の生命(せいめい)で感じ、
生きている歓喜(かんき)とは、何なのか?
生きていく真実の価値とは、何なのか?
はっきりと、
わかったんだと思う!

自分の生命を幸せにする、
根本(こんぽん)の法則(ほうそく)が、
庶民のスルドイ直感で、
わかったんだと思う。

だから、
たとえ、処刑されても、
南無妙法蓮華経の信仰という、
自分の生命に植(う)えられた『幸せ』を、
どうしても!捨てることは、
できなかったんだと思う!


それは、理屈(りくつ)ではなく、
感じるものであり、
生命に感じる確信(かくしん)そのものだからです。


そう考えると、
この日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法が、

どれだけ、偉大(いだい)で、
どれだけ、スゴイかが、
よく!わかると思う。

また、日蓮大聖人の仏法を、
実践している創価学会が、
世界中に、(現在世界192ヶ国)
広まり続けているのも、
うなづけます。

また、嫉妬(しっと)に狂(くる)った、
エセ・マスコミなどが、
どんなに、創価学会を、
非難(ひなん)・中傷(ちゅうしょう)しても、
創価学会が、
どんどん、発展し続けているのも、
当然(とうぜん)と、
思われる。


なぜなら、そんな嫉妬に狂った、
非難・中傷よりも、
人間にとって、
『幸せ』のほうが、
はるかに、大切だからです。


人間は、幸せを感じるために、生きてる!
あさぐろい、醜(みにく)い心の人間の、
嫉妬やデマを聞くために、
生きているのでは、ない!!


生命に、きざまれた幸せを、
みすみす、捨てるような人は、
あんまり、いない。

だから、くだらぬ非難なんかに、
耳を、かすより、
自分の、本当の幸せを、つかむために、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経の仏法を
実践(じっせん)したほうが、
よっぽど、得(とく)だからです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


真実の価値を知っている人は、
強い!


どんな苦難(くなん)にも、負けない!


こうすれば、絶対に幸せになる!
という、
体験(たいけん)を持っている人は、
絶対に負けない。

また、そう思わせるだけの価値が、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、
あるんだと思う。


だから、創価学会の人たちは、
負けない!

どんな時でも、太陽のような希望を持って、
幸せを、つかんでいける!!


負けないこと!
勝つこと!
幸せになること!


日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法は、
そのすべてに、
直結(ちょっけつ)している・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく77

2012-05-21 09:15:21 | アニメ
このまえ、
アニメ・火の鳥(復活編)を、
見ました。

有名な、
手塚治虫のアニメ「火の鳥」の、
復活編(ふっかつへん)です。

以前、
火の鳥・黎明編(れいめいへん)を
見た話しをしましたが、
それとは、ストーリーと登場人物が、
変わってきます。


25世紀、月面の研究施設の爆発に
巻(ま)き込(こ)まれたレオナは、
脳を損傷(そんしょう)し、
ほとんど、死にかけていたが、
人工頭脳(じんこうずのう)の埋(う)め込み手術によって、
蘇生(そせい)する。

しかし、手術の影響か、
爆発(ばくはつ)以前の記憶をなくしてしまう。


さらには、
人間が、ガラクタに見え、
ロボットが、人間に、見えてしまう。


そして、廃棄(はいき)されかけたロボット、
「ちひろ」を、
人間だと思い、恋をする。

手術をした医師は、言う。


「人工頭脳というロボットの脳(のう)を
埋(う)め込んだために、
レオナは、
ロボットの心を、持ってしまったのか?」


レオナは、自分の残された生身(なまみ)の脳から、
やがて、記憶を取り戻(もど)し、
物語は、
確信に、せまっていく。



ロボットの脳を持った人間は、
ロボットの心を、持ってしまう。


漫画家(まんがか)らしい、
不思議(ふしぎ)な発想だと思う。


けれど、現実の人間にしても、
同じようなことが、言えるかもしれない。


人は、自分の境涯(きょうがい)以上に、
人間を見ることが、できないからです。


たとえば、
スキャンダルやデマばかり書いている、
三流雑誌の編集者(へんしゅうしゃ)たちは、
商売が、かかっているとはいえ、
人間なんて、一皮(ひとかわ)むけば、
金、女、権力しかないんだと、
考える。

だから、どんな善意(ぜんい)の行動も、
金、女、権力が、からんだ、
うすぎたない行為(こうい)としか、
見ることができない。

三流雑誌の編集者でなくても、
そういう人は、いる。

自分が、金や女、権力など、
欲望(よくぼう)のことしか考えられないので、
どんな崇高(すうこう)な善意の行動も、
自分と同じ、
みにくい、あさましい行動としか、
見ることが、できない。


かわいそうと言えば、かわいそうだが、
それが、その人の境涯(きょうがい)だからです。


人は、自分の境涯以上に、
人を、見ることが、できない。


だとしたら、自分の境涯を、
最高に素晴らしく
高めることができたなら、
その人は、他の人も、
最高の、素晴らしい人間だと、
見ることが、できる!


ここに、仏法(ぶっぽう)の必要性が、出てくる。


真実(しんじつ)の仏法は、
自分の中に、最高に素晴らしい、
最高に魅力的(みりょくてき)な、
強くて、あたたかくて、やさしい、
仏(ほとけ)のような生命がある!
と、説く。

そして、その、
最高に素晴らしく、
最高に魅力的な、
強くて、あたたかくて、やさしい、
仏(ほとけ)のような生命を、
自分自身の中から、引き出すために、
仏法(ぶっぽう)の信仰(しんこう)が、ある。


よく、営業の世界でも、
創価学会の人が、抜(ぬ)きん出て、
活躍(かつやく)している場合が、
多々(たた)、ある。

創価学会(そうかがっかい)の会合なので、
その業界では、トップの成績をあげた!
という話しを、
よく、聞く。


その人の努力や能力もあるけれど、
その人の、最高の武器(ぶき)は、

『ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえている』

と、いうことだと思う。

なぜなら、
『ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえる』
という行為は、
仏性(ぶっしょう・仏の生命)という、
強くて、あったかくて、やさしい、
素晴らしくて、魅力的な、
自分の中の最高の生命を引き出す、
『唯一(ゆいいつ)の方法』だからです!

自分の中から、仏性(ぶっしょう)という、
最高の素晴らしい生命を引き出し、
その最高に素晴らしい生命(仏性・仏の生命)に
目覚(めざ)めた人間は、
自分が、仏性という最高に素晴らしい生命を、
知っているがゆえに、
最高の生命に、目覚めているがゆえに、
他の人も、
最高に、素晴らしい人間として、
見ることができるからです。


営業も、やはり、人間対人間、

お客様を、心から、
最高に素晴らしい人間として、
見ることができたら、
また、それは、相手の、
最高に素晴らしい生命(仏性・仏の生命)を
引き出すことにも、つながり、
ビジネスが、うまくいくのは、
必然(ひつぜん)の道理(どうり)だからです。

だから、営業の分野でも、
仏法の真髄(しんずい)である「ご本尊」に、

『南無妙法蓮華経を、となえている』

ということは、
その人にとっての、
最高の武器と、なりうると思う。


※ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、
創価学会の人たちが、
信じ、祈っている対象(たいしょう)の本尊で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、
あらわしたものが、
ご本尊です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

営業の真髄(しんずい)が、人間性だとしたら、
その人間性を、最高に開花させるのが、
仏法(ぶっぽう)であり、
それが、

「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!」

と、いうことだと、思う。


創価学会が、
世界192ヶ国に広がり、
世界中で、尊敬と期待を集めているのは、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、
世界の、あらゆる人たちの人間性を高め、
開花(かいか)させているからだと、
思う。


アニメ・火の鳥で、
人工頭脳を埋め込まれたレオナは、
人間を、ガラクタとしか、
見ることができなくなり、
ロボットしか、人間に見ることが、
できなくなった。


それは、人工頭脳という、
特殊な頭脳を、
埋め込んだからだ。


けれど、人間の中にある、
「仏性(ぶっしょう)」という
最高に尊(とうと)く、
偉大な生命を引き出すためには、
なにも、特殊(とくしゅ)なものを、
埋め込む必要は、ない!


仏性という生命は、
人間に、最初から、もともと、
そなわっているからです。


だだし・・、

その仏性を引き出す方法は、

自分自身で、
『南無妙法蓮華経』を、
となえるしか、ない・・・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく76

2012-05-17 09:11:57 | こころ
ぼくの会社は、
ビルの11階にあるので、
エレベーターを待(ま)っている時間と
エレベーターの中で、
聖教(せいきょう)新聞を、読みます。

何を読むかというと、
聖教新聞の一面の下に、毎日のっている、
「名字の言(みょうじのげん)」
というコラムを読みます。

だいたい、11階に着くまでには、
読めちゃうし、
すごく良いことが書いてあるので、
いつも、励(はげ)まされ、
勉強にもなっています。


そんな「名字の言」に、
以前、こんな話しが、のっていました。


それは、
かなり前に載(の)った記事ですが、
創価(そうか)小学校の入学試験の日、
入学試験にのぞんだ、
ある子供の話しでした。


その子は、正直(しょうじき)、
あまり、勉強していなかったので、
合格するとは、思っていなかった。

けれど、その子は、
その入学試験が開始になる前に、
一生懸命(いっしょうけんめい)、
勉強している子供を、
みつけた・・!


「ぼくは、ダメかも、しれないけど、
この子なら!」


と、
その子は、自分の思いを託(たく)し、
勉強している子供に、
消しゴムを、あげた。


「いっしょに、がんばろう!」


と。


消しゴムを、もらった子供は、
みごと、合格した。

入学式、
消しゴムを、もらった子供は、
消しゴムを、くれた子供を
探(さが)したけれど、
その子は、いなかった。


そして、あの子の分まで、
がんばろう!


と、思った。


そして、その子は、
創価中学、高校と、進学し、
そのたびに、もしかしたら、

消しゴムを、くれた子供が、いないだろうか?

と、みんなに話した。


けれど、その子は、いなかった。


けれど、
消しゴムを、あげた子供は、
そのことを、
ずっと、おぼえていた。

聖教新聞などに、
創価学園の子供たちが、のったりすると、

「あー!この子だ」

と、見つけて、
いつも、励(はげ)みにしていた。


12年の歳月(さいげつ)が過ぎ、
消しゴムを、あげた子供は、
創価大学に、合格した。

消しゴムを、もらった子供も、
創価大学に、入学した。


そして、二人は、
大学で、
感激(かんげき)の再会を、はたした。


消しゴムを、もらった子供は、
いつか、この「消しゴム」を見せよう!と、
ずっと、ずっと、
小学校の入学試験で、もらった消しゴムを、
大切に持っていた。


そして、その消しゴムを、
あげた子に、見せることができた。


ペンギンの形をした、消しゴムだった。


そのあと、名字の言では、
こう、書いてあった。

『とかく、敗者には冷たい世の中。
その中にあって、
不合格者に、
励(はげ)ましの手紙を送ることが、
伝統(でんとう)になっている創価学園。

創立者・池田名誉会長も、

「学園を目指(めざ)そうとした人は
皆(みな)、学園生です」

と、
あたたかく見守り続けている。』

と・・。


最後のくだりは、
創立者が、どういう人間か?
すごく、よくわかる、
エピソードだと、思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

以前、
創価大学の同窓(どうそう)の集(つど)いに
参加した人の話しを、
聞いた。

何十年ぶりに集まった、
創価大学の同窓の方々を前に、
創立者である、
池田創価学会インターナショナル会長が、
話しを、してくれたそうだ。

まるで、一人一人と、
対話するような話しだったそうです。

「もう少し、話してもいいか?
もう少し、大丈夫か?」

と、同窓生たちに、聞き、
そのたびに、
「ハイ」という元気のいい、
返事が、返ってきた。


池田先生が、

「もう、終わったほうが、いいか?」

と、聞いたら、
思わず、一人の卒業生が、

「ハイ!」

と、返事をした。

池田先生は、こう、きりかえした。

「財布(さいふ)には、いくら、はいってるんだい?」

その卒業生は、
それほど、大学から遠くないので、
必要なかったせいで、

「三千円です!」

と、答えた。

池田先生は、大の大人が、
三千円では、かわいそうだと思ったのだろうか?

「ちょっと、壇上(だんじょう)に来なさい!」

と、その卒業生を呼ぶ。

その卒業生は、壇上で、
池田先生に、財布の中身(なかみ)を見せた。


二千五百円しか、なかった。


池田先生は、

「私が、二千円もらうから、
そのかわり、二万円を、
お小遣(こずか)いとして、あげよう!」

と、言い、
池田先生も、手持ちはなかったけれど、
関係者から二万円を借(か)り、
二千円を、
その二万円に、
変えた


失敗も、プラスに変えて、
逆(ぎゃく)に、
思い出と励(はげ)ましに変えてしまう、
こころのマジックのような
話しだと思った・・。


それは、親が、子供を思うような、
垣根(かきね)をもたない、
人間らしいシーンでもあると、
思った・・。


また、それが正直な、
池田先生の気持ちだと思う。


そこには、権威(けんい)も、
変な規律(きりつ)もない。

人間が、人間を思う、
あたたかい真心(まごころ)が、
あるだけだ。


人間が、人間として、
一人の人間を、励(はげ)まし、
思いやる。


人を思いやる、
真心の連鎖(れんさ)が、
創価学会なのかもしれないと、
思った・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく75

2012-05-13 11:54:37 | 苦難
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
まえに、聖教(せいきょう)新聞の
「わが友に贈(おく)る」で、
(わが友に贈る、は、池田先生が、
毎日、聖教新聞に、のせてくれている、
4、5行の短いメッセージです)

『十の困難(こんなん)が、あれば、

二十の力を出す。

百の障害(しょうがい)が、あれば、

二百の力を出す。

それが本物の信心(しんじん)だ!』


と、言っていました。


十の困難が、あるから、
もう、無理(むり)なのではない!

百の障害が、あるから、
もう、ダメなのではない!

人間には、
どんな困難も乗り越(こ)える、
『力(ちから)』が、ある!

ということだろうか・・。


十の困難も、大変だけれど、
百の障害は、もっと、大変だ。

大変のレベルが、
どんなに違(ちが)っても、
人間の心には、
それをも、乗り越える、
無限(むげん)の力が、ある!
ということだと思う。

すなわち、心には、
際限(さいげん)がない!

心の力には、際限がないがゆえに、
どんな障害をも越える力と、なる。

ただし、心は、見えない!
また、はかることが、できない!


だから、逆(ぎゃく)に、むずかしい。


心の力(ちから)が、これだけだと、
はかることができ、
それが、目に見えれば、
がんばるのも、簡単(かんたん)だ。


ところが、見えない・・・!


先日も、話しましたが、
創価学会(そうかがっかい)二代会長の、
戸田城聖先生は、

「ご本尊(ほんぞん)は、幸せ製造機(せいぞうき)だ。」

と、言いました。

ご本尊とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命(せいめい)そのものを、あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける、
偉大(いだい)で、素晴らしい、仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、
あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)ですが、

・・・そのご本尊は、

おそらく・・・

その目に見えない心のエネルギーを、
無限に増幅(ぞうふく)して、
目に見える結果に変えてしまう、
エネルギー変換装置(へんかんそうち)のような役目を、
はたしているのかもしれません・・・。


日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
生命の無限のエネルギーの法則(ほうそく)を、
『ご本尊』として、あらわし、
残してくれたおかげで、
ぼくたちは、
その生命の無限のエネルギーを表(あら)わした、
『ご本尊(ほんぞん)』に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえることによって、
心のエネルギーを、
祈りのエネルギーを、
幸せという、現実の結果として、
変換(へんかん)することが、できるようになったと、
言えないだろうか・・・。


心のエネルギーが、
無限であることは、わかっても、
それを、実際に使いこなし、
現実の結果に変えていくことは、
難(むずか)しい。

けれど、『ご本尊』という、
心のエネルギー変換装置を使うことによって、
どんな人でも、だれでも、
心の無限の力を引き出し、
心のエネルギーを、
幸せという、現実の結果に、
変換(へんかん)することが、できる!

そのために、
日蓮大聖人は、
『ご本尊(ほんぞん)』を、
未来の、すべての民衆のために、
残されたような気がする。


『ご本尊』が、
心のエネルギー変換装置だとしたら、
そのシステムは、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
の法則であり、
また、同じように、
『ご本尊』という、
心のエネルギー変換装置を
稼動(かどう)させるエネルギーが、
『南無妙法蓮華経』なんだと思う。

だから、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、
真剣に、たくさん、たくさん、
となえるほど、
心の願いは、早く、かなえられ、
実現していく!


そう言えるかも、しれない。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ただし、
日蓮大聖人は、

『この、ご本尊、
まったく余所(よそ)に、求むる事なかれ。

ただ我ら、衆生の
法華経(ほけきょう)を持(たも)ちて
南無妙法蓮華経と、となうる
胸中(きょうちゅう)の肉団(にくだん)に、
おはしますなり。』

と言っているように、
本源的(ほんげんてき)には、
ご本尊の生命は、
自分自身の中にある。

けれど、人間、
目に見えないと、
なかなか、理解しないし、
感応(かんのう)できない。

目に見える、祈る対象(たいしょう)として、
『ご本尊(ほんぞん)』が、あるから、
現実の自分を幸せにしていくための、
信仰(しんこう)として、成立していく。

だから、祈る対象としての、
『ご本尊』の存在は、
絶対に、欠(か)くべからざるものだし、
とても、とても、大切だと思う。


ともかく、
戸田先生は、

『ご本尊は、幸せ製造機だ』

と、言った。


人間、どう考えようと、
その人の自由だけれど、
人生、
この言葉を、信じたほうが、
得(とく)だし、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえ、
信じて、実践(じっせん)したほうが、
一生、はるかに、得をする!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・