タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく98

2012-09-26 09:40:20 | 病気
先日、
チャレンジロードという、
創価学会(そうかがっかい)の中高生向けの
動画を見た話しをしたんですが、
そのチャレンジロードという動画(どうが)には、
先日、話した、
アラン・マックという、
香港の映画監督の話しのほか、
林新子(はやししんこ)さんという看護士の話しも、
出ていました。


林新子さんは、1983年に、
創価小学校に、入学。
新子さんが、2年生の時、
母が、メラノーマという皮膚(ひふ)のガンで、
入院します。

当時の医療(いりょう)では、
どうしようもない病気だったそうです。


1985年、3月、
創価学園を訪(おとず)れた、
池田SGI(創価学会インターナショナル)会長は、
林新子さんを、激励(げきれい)します。


「お母さんが、家にいなくても、がんばるんだよ!

師子(しし)の子は、強くなくてはいけない!

先生が、ついているから、泣(な)いてはいけないよ!」


創価学会では、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえることを、
ライオンが、ほえることに、たとえています。

また、真(しん)の仏法(ぶっぽう)である、
南無妙法蓮華経の仏法を、実践している人は、
人間として、
最高の法(ほう)を、たもっているので、
人間の王者である!と、
断言(だんげん)しています。


だから、創価学会員を、
師子(しし)、ライオンに、
たとえることが、あります。


創価学園で、
林新子さんに会った池田先生は、
そのあと、会食会(かいしょくかい)で、
林新子ちゃんを、隣(となり)の席に、まねき、
何度も、何度も、
励(はげ)ましました。


1985年、7月16日、
林新子さんは、登校まえに、
弟と一緒(いっしょ)に、
母を、見舞(みま)います。


お母さんは、やさしい笑顔で、
二人を、見送り続けました。


そして、その後、
眠(ねむ)るように、やすらかに、
息を、ひきとりました。


林新子ちゃんは、
朝、あんなに元気だったのに、
どうして?

と、
大変な衝撃(しょうげき)を受けましたが、
池田先生から、

「泣いてはいけない!」

と、励まされていたので、
人前では、泣かず、
トイレの中で、泣いたそうです。


次の日、学校を休まないで、
学園に行くと、
池田先生に会える機会(きかい)が、
あったそうです。


池田先生は、
包(つつ)み込(こ)むように、
二人を抱いて、

「負けてはいけない! 師子(しし)の子だから!
ぼくが、いるからね!」

と、励ましてくれたそうです。


林新子さんは、
子供心に、

「あったかいな~~!」

と、感激(かんげき)したそうです。


さらに、池田先生は、言ったそうです。


「お母さんは、ずーーっと、
心(こころ)に生きているよ!」


林新子さんのお母さんは、
看護士(かんごし)で、
いろんな人に、
どこまででも、
つくしていく人だったそうです。


母のような看護士になろうと、
林新子さんは、
看護短大に進みます。

そして、実習で、
末期(まっき)ガンの患者を、
担当(たんとう)したそうです。


そして、その患者さんに、

「おれに、かまわないでくれ!
どうせ、死ぬんだから!!」

と、突(つ)き放(はな)されたそうです。


しかし、
林さんは、負(ま)けませんでした。


朝晩、ご本尊(ほんぞん)に、
真剣に、南無妙法蓮華経を、となえ、
末期ガンの患者(かんじゃ)さんのことを、
祈ったそうです。

そして、
ガンで、全身に広がった痛(いた)みが、
少しでも、やわらぐように、
必死(ひっし)に、
マッサージを、続けたそうです。


次の日、
その末期ガンの患者さんから、

「こんなに、眠れたことは、なかった!」

と、言われたそうです。


そして、林さんは、
手から、毛穴(けあな)から、
祈(いの)りは、
すべて、通じていくんだ!と確信し、
絶対、
この思いを、忘れないようにしようと、
誓(ちか)ったそうです。


その後、林さんは、
大学の付属病院で働くようになり、
献身的(けんしんてき)な看護が評価(ひょうか)され、
2004年の聖教新聞に、
紹介されたそうです。


その新聞を読んだ池田先生が、
林新子さんに、
和歌(わか)を、贈(おく)ってくれたそうです。


『 いついつも、
 
母が見ている
 
一生涯(いっしょうがい) 』


林新子さんが、言っているんですが、
あの、ちっちゃかった時に会った出会いを、
池田先生は、
何十年も、忘(わす)れず、
一人の人を、どこまでも、
徹(てっ)して、励ましていく!


その姿(すがた)に、
本当に、感激したそうです!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


一人の人を、何十年でも、
徹して、励ましぬく!


口で言うのは、たやすいが、
そんなことが、できる人は、
なかなか、いないと思う!


それを、
現実(げんじつ)に、やってきたのが、
池田先生(池田大作)という人間だと思う。


その結晶(けっしょう)が、創価学会であり、
世界中に広がる、
創価学会員の、ひとりひとりの、
幸せなんだ!と思う。


励ましの結晶・・!!


命(いのち)を削(けず)るような激励の結晶・・!!


それが、
ひとりひとりの幸せとして、
開花(かいか)していく!


『がんばれ!がんばれ!
負けるな!負けるな!』


どんなことが、あっても、
一人の人間を、
幸せに、しぬいていく!


その生命(せいめい)の力が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)であり、
南無妙法蓮華経を、
となえる生き方なのかもしれない・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく97

2012-09-22 13:00:09 | 動画
このまえ、
古(ふる)い動画ですが、
「チャレンジロード」という映像(えいぞう)を、
見ました。

それは、
創価学会(そうかがっかい)の人か、
創価学会の会合に参加した人でもないと、
見る機会(きかい)がないだろう動画で、
かなり昔のものですが、
中高生向けに、つくられた、
創価学会員として、がんばっている人を、
紹介(しょうかい)している動画でした。


その動画(どうが)では、
アラン・マックという、
香港(ほんこん)の映画監督の話しが、
出ていました。


彼の母が、
1972年に、創価学会に入会(にゅうかい)し、
母が、変(か)わってゆく姿を見て、
父と息子であるアラン・マックも、
創価学会に、入会したそうです。


アラン・マックが、高校生の時、
池田SGI(創価学会インターナショナル)会長が、
香港に、おとずれる機会があり、
その時、池田SGI会長は、
香港の創価学会員の高校生たちを、
激励(げきれい)したそうです。


その場に、
アラン・マックも、いたそうです。


そして、池田SGI会長は、
こう言って、
みんなを、励(はげ)ましたそうです。


「才能(さいのう)には、大差(たいさ)は、ない!
頭が悪いとか良いとか、
そんなことは、
ほんのこれっぽっちの差(さ)でしかない!

粘(ねば)りです!

粘り抜(ぬ)いた人が、勝利者です!

自らの決めた道で、断固(だんこ)として、
一番を、めざそう!」


そして、アラン・マックさんは、
池田先生の励ましの言葉を、
決(けっ)して、
忘れることは、なかったそうです。



高校を卒業した彼は、
自分が、何をやりたいかも、決まらず、
イギリスの建築会社に、就職(しゅうしょく)したそうです。

けれど、
技術(ぎじゅつ)が身に付くわけでもなく、
将来(しょうらい)に、不安を感じた。


あるとき、
スペインの映画を見たことをきっかけに、
香港の映画学校に入り、
学んでいきます。

一度は、監督(かんとく)として、
作品をつくったものの、
当時の不況(ふきょう)のなか、
仕事もなくなり、
苦しい、下積(したづ)みの生活を、
重(かさ)ねていきます。


けれど、苦しい中でも、
アラン・マックは、
高校の時、池田先生に言われた言葉、

「才能には、大差は、ない!
頭が悪いとか良いとか、
そんなことは、
ほんのこれっぽっちの差でしかない!

粘(ねば)りです!
粘り抜いた人が、勝利者です!」

という言葉が離(はな)れることは、
なかったそうです。


そして、
みずから、シナリオを書き、
監督の一人として、メガフォンをとった、
「無限道・インファナル・アフェア」という映画が、
大ヒットし、
アジア映画の記録を、塗り替(ぬりか)えました。

そして、パート2、パート3も、
つくられ、
2003年には、
香港映画の最高の栄誉(えいよ)である、
香港フィルムアワードで、
最優秀監督賞と、最優秀脚本賞(きゃくほんしょう)を、
最年少で、
獲得(かっとく)しました。


そして、その喜びを、
すぐに、池田SGI会長に、
報告(ほうこく)したそうです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

言うまでもなく、
池田先生の、励ましと、言葉が、
彼にとって、
大きな大きな支(ささ)えとなり、
希望になっていたと思います。


アラン・マックは、
高校時代に池田先生に言われた言葉を、
ずっと忘(わす)れることなく、
暗記(あんき)していた。


それは、単(たん)なる励ましでも、
言葉でも、なく、
人間が、人間として、
最高の尊敬と、最高の希望と、
最高の愛情を込(こ)めた、
生命(せいめい)と生命の対話であり、
池田先生の、青年を思う、
強烈な情熱(じょうねつ)であったと、
思われます。


でなければ、
若い子供たちに、
これだけ、強烈(きょうれつ)に、
池田先生と、この励ましの言葉が、
生涯(しょうがい)にわたって残(のこ)ることは、
ありえないからです。

また、それが、
池田先生という人間であり、
池田先生の生きざまなんだと、
思います。


それは、
池田先生に会った、
あるいは、池田先生に励まされた、
創価学会の内外(ないがい)を問わない、
何十万、何百万、何千万という人々に、
希望を与え、蘇生(そせい)させ、
生涯にわたる、大きな大きな支えとなり、
希望となり、
人々に、
勝利と幸せを、もたらしています。


それが、
池田先生という存在(そんざい)なんだと思う。


だから、創価学会は、
世界192ヶ国の人々に広がり、
共感(きょうかん)の和を、広げ続けている・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく96

2012-09-19 09:36:59 | テレビ
かなり前の話しだけれど、
ディスカバリー号で宇宙(うちゅう)に行った
野口聡一宇宙飛行士が、
SMAP×SMAPという
テレビ番組に出ていたのを、
見たことがありました。


当時(とうじ)の野口聡一宇宙飛行士が、
宇宙に行った、
いろいろな、楽しい話しを
してくれていました。


それで、当時の、
国民的アイドルグループだったスマップのメンバーは、
野口飛行士が、宇宙に行くまえにも、
野口さんと、いろいろ対談(たいだん)していたようで、
宇宙に行った後の野口さんを、見て、


「野口さんは、
宇宙に行って、宇宙を見て、
宇宙に行く前とは、人間が、変(か)わった!」


と、評(ひょう)していた。


ほんとうに、変わったか、どうかは、
わからないけれど、
確かに、青い青い地球を、
目の当たりに見て、
広大(こうだい)すぎる宇宙を
実際(じっさい)に見たら、
人間が、変わるかもしれない。


美しい地球、
広大な宇宙、
それを、見たあとでは、
いままでの、ちっぽけな殻(から)が、
取り払(はら)われ、
やさしく、大らかな、
愛に満(み)ちた、大きな人間になっても、
確かに、おかしくないと思う!


当然、行ったことがないから、
わからないけれど、
宇宙を見た衝撃(しょうげき)は、
それくらい、大きいかもしれないと思う。


そんな宇宙に、
未来は、だれでも、
行けるようになるかもしれない。


けれど、現在のところ、
そうは、いかない・・。

行けるにしても、
大変な訓練(くんれん)が必要だろうし、
そうでないにしても、
大変なお金が、必要となってくるだろう。


もし、大宇宙を、
自分の目で、見ることができたなら、
野口飛行士のように、
ちっぽけな殻(から)を、打ち破(やぶ)り、
愛に満ちた、
大きな大きな自分に、なれるかもしれない・・。


それは、夢なのだろうか?


いいえ!
夢では、ないと思う!


確(たし)かに、
実際に、宇宙に行って、
宇宙を見、感じることは、
できないかも、しれない。


けれど、
宇宙を、感じることは、
できる!


実は、それが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だからです!


南無妙法蓮華経をとなえるということは、
実(じつ)は、
大宇宙と、自分の生命で、
通信(つうしん)しているようなものなんです。


宇宙と通信することができたなら、
それは、
宇宙を感じることになっていく。


宇宙的に考えると、
それが、

「南無妙法蓮華経を、となえる」

ということだと思う。


もう少し、詳(くわ)しく言うと
南無妙法蓮華経とは、
大宇宙の法則(ほうそく)であり、
大宇宙のリズムなんです。

もっと言えば、
南無妙法蓮華経それ自体(じたい)が、
大宇宙の生命そのものを、
表現しているんです。

だから、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とは、
大宇宙そのものと、言ってもいいと思う。


そして、その大宇宙の法則であり、
大宇宙のリズムである、
南無妙法蓮華経は、
小我(しょうが/小さな宇宙)である、
人間の中にも、
存在(そんざい)しているんです。


大宇宙の生命が、
南無妙法蓮華経であるとすると、
宇宙の一部分である、
自分の存在(そんざい)も、
南無妙法蓮華経だということです。


同じ「南無妙法蓮華経」というリズムであり法則が、
大宇宙にも、
自分の生命にも、
脈打(みゃくう)ち、
同じように流(なが)れ、存在している。


単純(たんじゅん)に言えば、
大宇宙が、「南無妙法蓮華経」ならば、
小宇宙である自分も、
「南無妙法蓮華経」だということです。


創価学会の人たちは、
日々、信じる対象(たいしょう)である、
『ご本尊(ほんぞん)』に、
南無妙法蓮華経を、となえて祈っていますが、
それは、
大宇宙の南無妙法蓮華経と、
自分の中の南無妙法蓮華経が
共鳴(きょうめい)していると、
表現できると思います。


それは、
大宇宙の生命(せいめい)の力、エネルギーに共鳴して、
自分の中にある生命の力やエネルギーが、
引き出されるイメージだと思う。

そして、その結果、
自分の生命は蘇生(そせい)し、
輝(かがや)いてきて、元気になり、
悩みを解決できたり、
夢や希望に向かって、
大きく飛翔(ひしょう)していくことが
できるようになっていく。


それが、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえるということです。


これも、もう少し詳しく言うと、
その「ご本尊(ほんぞん)」というのは、
実は、
その「大宇宙の法則」を、あらわしたものであり、
「大宇宙そのもの」を、
表現(ひょうげん)したものだと言えます。

それと同時に、
ご本尊は、
「小さな宇宙」である、
「自分自身の生命」を、
表現したものでも、あります。


だから、ご本尊は、
大宇宙の無限(むげん)の力と、
自分の中の無限の力の
両方(りょうほう)を表現したものだと、
言えます。


そして、
大宇宙にも、自分の中にもある、
大もとの無限の力が、
『南無妙法蓮華経』だということです。


大宇宙には、
南無妙法蓮華経という無限の力がある。

それと同じように、
自分の中にも、
南無妙法蓮華経という無限の力がある。

だから、大宇宙と交信(こうしん)するように、
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていった時、
自分の中から、
無限の生命力、無限の勇気、
無限の希望が湧(わ)き上がってきて、
幸せを勝ち取っていけるようになっていく。


いわば、
ご本尊は、
「大宇宙の無限の力」の象徴(しょうちょう)であり、
それと同時に、
「自分の生命の無限の力」の象徴となります。


だから、ぼくたちが、
大宇宙の象徴(しょうちょう)であり、
自分の生命の象徴でもあるご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
大宇宙の生命と、
少宇宙である、自分の生命が、
共鳴(きょうめい)する!

なぜ、共鳴するかというと、
「大宇宙の生命のリズム」が、
南無妙法蓮華経であると同じように、
少宇宙である、
「自分の生命のリズム」も、
南無妙法蓮華経だからです。


大宇宙も小宇宙も、
どちらの生命も、
その本質(ほんしつ)は、南無妙法蓮華経!


だから、南無妙法蓮華経を、となえる時、
大宇宙と小宇宙は、
共鳴しあい、響(ひび)きあい、
無意識(むいしき)のうちに、
大宇宙の本質を、
感じることが、できる。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

かりに、
宇宙に行って、宇宙を見るにしても、
その宇宙でさえ、大宇宙の、
ほんのわずかでしかない!

無限の大宇宙から見れば、
宇宙を、実際に見たとしても、
米粒(こめつぶ)ほどの、
ほんのわずかでしかない・・。


けれど、南無妙法蓮華経は、
無限の全宇宙であり、
南無妙法蓮華経を、となえることは、
その無限の全宇宙を、感じることに、
つながる!


おそらく、
こんなに、すごく、
こんなに、素晴(すば)らしいことは、
ないだろう!


宇宙的に考えると、
南無妙法蓮華経を、となえるということは、
そういうことかもしれない・・・。


だから、創価学会の人たちが、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえる時、
すがすがしい気持ちに、なる!

自分のなかに、
晴(は)れ晴れとした、
大きな大きな心を、感じる!


おそらく、それは、
そのまま、
大宇宙を、感じていることに、
ほかならないのでは、ないだろうか・・・。



本来(ほんらい)、大宇宙のリズムは、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』。

そして、自分の生命の本来のリズムも、
本当は、『南無妙法蓮華経』なんだけれど、
生きていく上での、
さまざまな悲しみや苦しみ、
自分の持っている、
さまざまな運命(うんめい)や宿業(しゅくごう)によって、
自分の生命のリズムに、
「ゆがみ」が、生(しょう)じてしまい、
さまざまな不幸を、引き起こす!


宿業とは、
自分が生まれながらにして、
持ち、背負(せお)ってしまっている、
悩みや苦しみや辛(つら)い境遇(きょうぐう)など、
どうしても避(さ)けることのできない、
人生における、
さまざまな辛い宿命(しゅくめい)、
そして、そのことによって引き起こる、
運命的な出来事などを、言います。


その、宿業(しゅくごう)ともいえる、
自分の中に、できてしまった、
『不幸』という生命の「ゆがみ」は、
普通の生活の中では、どうにもならない!


その『不幸』という生命の「ゆがみ」を、
本来のリズムに、もどさないかぎり、
その生命は、
幸せには、なっていかないはずです。


自分の、ゆがんでしまった、
「生命のリズム」を、
正常(せいじょう)なリズム、幸せのリズムに、
もどすためには、
宇宙のリズムが、『南無妙法蓮華経』なんだから、
小宇宙である、自分の生命(自分自身)も、
『南無妙法蓮華経』のリズムになるしかない。


だから、そのためには、
自分で、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』

しかないんです!!


それ以外、
自分の生命の、
狂(くる)ってしまったリズム、
不幸になってしまったリズムを、
本質的に、治(なお)し、
正常なリズム、幸せのリズムに、
もどす方法は、ありません!!


南無妙法蓮華経を、となえていくと、
大宇宙のリズムと、
小宇宙である自分の生命のリズムが、
完全に、
合致(がっち)していくんです!!!

だから、夢や希望が、かない、
さまざまな悩みが、解決し、
どんな苦難(くなん)も、乗り越(こ)えて、
幸せになっていけるんです!


『大宇宙のリズムと小宇宙(自分自身)のリズムを、
合致(がっち)させる!』


きっと、それが、
本当に大宇宙を、感じることであり、
それが、大宇宙の法則なんだと思う・・。


創価学会の人たちが、
全世界で、幸せになっていけるのは、
そういう理由が、
あるのかも、しれない。


まだまだ、言葉が足(た)りないけれど、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
そこまで、広大で、
そこまで、深く、
無限の真実(しんじつ)を、秘(ひ)めている・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく95

2012-09-15 12:08:08 | 日常
フランスの女性哲学者(てつがくしゃ)、
シモーヌ・ベーユが、言っているそうです。


「生命に障害(しょうがい)となる、

あらゆるものとの戦いが、

革命(かくめい)なのである」


と・・・!


前に聞いた話しだけれど、
人間は、戦っているから、
生きているんだそうです。

人間の中の、あらゆる細胞(さいぼう)は、
起きている時も、寝ている時も、
生命に危害(きがい)を加えようとする、
ありとあらゆる細菌(さいきん)や病原菌(びょうげんきん)、
それらすべてと、戦っている・・・。


だから、ぼくたちは生きている。


生命(せいめい)を、つかさどるそれらの細胞が、
戦うのを、やめたら、
ぼくたちは、腐(くさ)って、
ただのゴミのようになって、
死んでしまう。


戦うことは、大変なようだけれど、
生命にとって、それは、
必然(ひつぜん)のことなのでしょう。


だから、生命は、
『戦(たたか)う』ことによって、
成り立っていると、言えるかもしれない。


それに、人間が本当(ほんとう)にイキイキしているのは、
確かに、何かに挑戦している時のような気がする。

そういうときは、大変かもしれないけれど、
確かに、
輝(かがや)いてきて、
生きがいを感じる!


『革命(かくめい)・・・』


シモーヌ・ベーユが、言っている。

「生命に障害となる、

あらゆるものとの戦いが、

革命なのである」

と・・・!


そう考えると、
『革命』は、『生きる!』ためにあるのだろう・・。

また『革命』は、『輝(かがや)く!』ために、
あるのだろう・・・。

そう考えると、
『革命』とは、
『幸せ』になるための『挑戦(ちょうせん)』!
そのものなんだと思う。


それが、
シモーヌ・ベーユが言う、
『生命における革命』なんだと思う。



革命というと、血(ち)なまぐさいことを、
考えがちだけれど、
シモーヌ・ベーユが正しければ、
革命とは、少なくとも、
人間を、殺すことでは、ないと思う。

人間を、殺すのでは、なくて、
人間を、活(い)かすこと。


それが、ほんとうの革命なのだろう・・。


ひとりの人間にスポットを、
当(あ)てるのならば、

「生きて、生きて、生き抜(ぬ)くこと!」


それが、生命における、
真実(しんじつ)の革命のはずです・・。


だとしたら、
仕事における困難(こんなん)を打開するのも革命、
さまざまな悩(なや)みを解決するのも、革命、
一人の人間の悩みを聞き、
励(はげ)まし、元気づけるのも、革命、

病気を、乗り越(こ)えるのも、革命、
老(お)いに、負けないで生きるのも、革命!
夢を、かなえるのも、革命。

家族を思い、家族を愛し、
家族と共(とも)に、生き抜くのも、革命!


人間が、生きることには、
たえず、障害はあります。

けれど、障害に負(ま)けないこと、
障害を乗(の)り越えて、生きることが、
革命なのかも、しれません・・・。



革命というと、何か、
とんでもないことのように、思うけど、
また、何か、
特別(とくべつ)の立場(たちば)の人でないと、
関係ないように、思うかもしれないけれど、
革命は、もっと身近で、
もっと、
自分に関係あることなのかも、しれない・・・。


それが、
シモーヌ・ベーユが言う、
『生命における革命』
なのかもしれない・・・。


だから、
シモーヌ・ベーユが、言うように、
すべての人間に、革命は、ある。

瞬間(しゅんかん)、瞬間、
ひとりひとりに、革命は、ある!

一瞬、一瞬、自分の生命は、
叫(さけ)んでいるのかもしれない。

「負けるな!負けるな!乗り越えろ!!」

その生命の戦いが、
『革命』なのでしょう。


そして、その瞬間、瞬間、
一瞬(いっしゅん)、一瞬の生命を、
変革する力(ちから)のことを、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

と、言うことができます。


『南無妙法蓮華経』は、
生命を変革する力(ちから)そのものだからです。


だから、創価学会(そうかがっかい)の人たちは、
さまざまな悩みに直面(ちょくめん)したときに、
『南無妙法蓮華経』を、となえる。

夢を、希望を、
どうしても、かなえたい時に、
『南無妙法蓮華経』を、となえる。


それは、自分の生命に、
革命を、起こすためです!


そして、
創価学会では、
この革命のことを、

『人間革命(にんげんかくめい)』

と、いう!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

池田先生(創価学会インターナショナル会長)
の言葉!


『ひとりの人間における、
偉大(いだい)な人間革命は、
やがて一国の宿命(しゅくめい)の転換をも、
成し遂(と)げ、
さらに、
全人類の宿命の転換(てんかん)をも、
可能にする!』


これは、生命の叫び声かも、しれない。

ひとりひとりが、持っている、
本当の生き様(ざま)!
本当の価値(かち)!
本当の生きがい!


それが、『人間革命』なのかも、しれない!


そして、その人間革命が、できる、
唯一(ゆいいつ)の生命の法則(ほうそく)が、
『南無妙法蓮華経』です。


どういうことかというと、
悩みを解決するにしても、
夢や希望をかなえていくにしても、
困難を乗り越えていくにしても、
生命の根底(こんてい)では、
それを可能にし、つかさどっているのは、
この『南無妙法蓮華経という法則』だと
いうことです。


宇宙を動かしている根底のもの・・、

生命を変化させている根源(こんげん)にある力・・。


それが、『南無妙法蓮華経』だということです。



よく言うことだけれど、
人それぞれ、宿命(しゅくめい)がある。

なぜ、宿命というかというと、
それが、なかなか変(か)えられないからです。


変えられないから、人は、苦(くる)しむ。


その自分が背負(せお)っている、
どうしようもないような苦しみや運命、
抜(ぬ)けるに抜けられない宿命・・。

その宿命を打ち破っていける、
唯一(ゆいいつ)の秘宝(ひほう)が、
『南無妙法蓮華経』だということです。


あらゆる困難を打ち破り、
あらゆる幸せをもたらしていける力(ちから)・・。


それが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです。


だから、
「南無妙法蓮華経をとなえる」ことなくして、
宿命を変革(へんかく)していくことは、
できない・・・。


横暴(おうぼう)なようで、
それが、真実だと言えます・・・。


どんなに、あがいたとしても、
どんなに悩んだとしても、
どんなに逃(に)げても、
本当に幸せをもたらし、
現実に、プラスの変化(へんか)、幸せの変化、
幸運の変化をもたすら方法は、

『南無妙法蓮華経を、となえる』

しかない・・・・!


人生の根本的(こんぽんてき)な幸せの変化は、
南無妙法蓮華経を、となえることに始まり、
最終的にも、結局(けっきょく)
南無妙法蓮華経を、となえることに
たどり着く。


そう、言えると思います。


だから、
人間が、生きて生きて生き抜く上での、
革命とは、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』

ことに、ほかならないと、
言い切ることが、可能(かのう)となる・・・!


なぜなら、
そこから、すべてが、
変革していくからだ・・・・・・!!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく94

2012-09-10 09:26:07 | 
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の御書に、

『三沢抄(みさわしょう)』

という、
御書(ごしょ)があります。


御書(ごしょ)というのは、
日蓮大聖人が書かれた手紙や論文(ろんぶん)を、
すべて、集めたものです。

御書には、
ひとつひとつ、書かれた内容によって、
何々抄(しょう)とか、何々論(ろん)とかいった感じに、
名前が、ついています。

その何々抄とか、何々論とか、
名前がついた御書の、
ほんの一部分を学ぶだけでも、
人生において、
勝利し、幸せになっていくための、
大きな指針(ししん)と、大きな確信を、
与(あた)えてくれます。


その御書のほんの一部分ではあるけれど、
三沢抄という御書の一節(いっせつ)に、
こうあります。


『この法門、出現せば、
正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)に、
論師・人師の、申せし法門は、
皆、日、出(い)でて後の光、
巧匠(たくみ)の後の拙(つたな)きを
知るなるべし、

この時には、
正像の寺堂の仏像・僧等の霊験(れいけん)は
皆、消え失せて、
ただ、この大法のみ、
一閻浮提(いちえんぶだい)に、
流布(るふ)すべしとみえて候(そうろう)。』

です。


正法(正法時代)とは、
仏(ほとけ/釈尊[しゃくそん]/ブッダ)の教えが、
正しく行われる時期(じき)で、
釈尊が死んでから、
1千年の間を、いいます。

像法(像法時代)とは、
仏教が、形骸化(けいがいか)して、
形だけ残って、
正しい教えが、失われていく時期で、
釈尊が死んでから、
1千年後から2千年の間の時代を、
いいます。

そして、
釈尊が、死んでから、
2千年以後を、
「末法(まっぽう)」といって、
仏教が、完全に、
滅(ほろ)び去(さ)ってしまった時代です。


だから、現代は、
『末法(まっぽう)』の時代です。


一閻浮提(いちえんぶだい)とは、
全世界という意味です。

通解(つうかい)すると、

「この法門(ほうもん)が出現するならば、
正法時代や像法時代に、
論師や人師が、説いた法門は、
みな、日が出た後の光のようなものであり、
名匠(めいしょう)が出た後に、
拙(つたな)さが、わかるようなものとなろう。

この時は、
正法時代や像法時代の寺堂の仏像や、
僧等の利益(りえき)は、
みな消えうせて、
ただ、この大法だけが、
全世界に流布(るふ)するであろうと、
説かれている。」


この大法というのは、
日蓮大聖人の
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
のことで、
釈尊の仏教が、
滅(ほろ)び去った末法の時代では(現代のこと)、
この「南無妙法蓮華経」以外には、
現実の人間を幸せにでき、
本当に結果がでる、
力(ちから)のある法(ほう)は、
ありません。


また、正法時代や像法時代の
寺堂の仏像や、僧等というのは、
日本に、はびこっている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光仏教のことで、
それらは、すでに、
滅(ほろ)び去ったもので、
なんの功徳(くどく)も力も効力も、
ありません!

かえって、末法という現代の時代では、
それらの葬式仏教や観光仏教は、
人々を不幸にする、
マイナスの存在(そんざい)です。

また、神社(じんじゃ)信仰にしても同じで、
人々を不幸にする原因(げんいん)にしかなりません。


よく、世間では、
あそこは、縁切(えんき)りの神様だとか、
あそこは、安産の神様だとか、
あそこは、受験に効(き)くとか、
縁結(えんむす)びは、あそこの神様だとか、
あそこは、交通安全の神様だとか、
ひとつ、ひとつ、
ぜ~~んぶ!違(ちが)っている。

それを、いちいち、
全部、行っていたら、
大変なことに、なってしまう。

けれど、これらは、
さきほども言ったように、
正法時代、像法時代の産物(さんぶつ)なので、
なんの効力(こうりょく)もなく、
全部、デタラメです。


かえって、
全部、デタラメですから、
人生を、デタラメにする結果(けっか)になり、
人々を、
不幸に、してしまいます。


ところが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
末法(現代)の大法でる、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰は、

病気の時も、
南無妙法蓮華経を、となえればいい!

経済苦(けいざいく)の時も、
南無妙法蓮華経を、となえればいい!

家庭不和(かていふわ)の時も、
南無妙法蓮華経を、となえる!

人間関係で悩んでいる時も、
南無妙法蓮華経!

安産(あんざん)を願うときも、
受験の合格を願(ねが)う時も、
さまざまな夢を、かなえるためにも、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)!!!


すべて、

『ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえればいい!』

のであって、
他は、まったく、いらないんです!


世界中のだれであろうとも、
いつもで、どこでも、
南無妙法蓮華経を、となえる!!


ただ、それだけでいい・・!!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ほんとうは、
こんなスゴイ法(ほう)、
こんなズコイ信仰(しんこう)は、ないのですが、
あんまり、オイシイから、
信じられない・・。

オイシイ話しは、信じるな!と、
教えられていますし・・・笑


また、
万能調理機(ばんのうちょうりき)ほど、
使えないものは、ない!と、
言います。

だから、
どんなことにでも、効(き)くというか?
どんな悩みや希望にも、
対応(たいおう)してくれる、
この、創価学会の、
南無妙法蓮華経の信仰が、
信(しん)じられないんです。


南無妙法蓮華経が、なぜ?
どんな悩み、願い、希望にも、
対応できるかと、いうと、

それは、南無妙法蓮華経が、

『人間の根本の(根源[こんげん]の)生命を、
幸せに変革(へんかく)する』
からです。


「生命(せいめい)を、幸せに変革する」
ことは、
人間の人生において、
あらゆる分野(ぶんや)に、
影響(えいきょう)を、およぼします。


たとえば、
肉体(身体)を、自分の生命を、
強く健康に、変革する。

自分の心を、
負けない強い強い心に、変革する。

愛する力を、強く強く変革する。

夢を、かなえる力を、
強く強く、強靭(きょうじん)に、変革する。

家族を大切にし、世界を大切にする心を、
強く強く、変革する!

悪を許(ゆる)さない心を、
強く強靭(きょうじん)に変革する。

人生を左右する「運(うん)」を、
自分に、引っ張(ひっぱ)り込み、
「運」を、
強い強い「強運」に、変革する。

惰性(だせい)や怠惰(たいだ)、
不摂生(ふせっせい)を改善(かいぜん)し、
自分を、しっかりと制御(せいぎょ)し
律(りっ)することのできる自分に、
変革する。

勇気を出せる自分に、変革する。

夢を、かなえるために、
行動し、前進する、
挑戦(ちょうせん)する力を、
もっともっと、強いものに、変革する。

願いを、かなえる一念(いちねん/こころ)を、
強く強く、強靭(きょうじん)に、
変革する。

自分勝手な心から、
人を思いやれる、
おおらかで、大きな心に、変革する。

宿命(しゅくめい)に流され負けてしまう自分から、
宿命を打ち破(やぶ)る自分に、
変革する。


これらは、すべて、

『人間の根本の(根源の)生命を、幸せに変革する』

ということに、
あたると思います。


そして、
自分の生命が、幸せに変わっていけば、
やがて、
まわりの人たちや、環境(かんきょう)、世界も、
幸せに、変わっていきます。


自分の生命が、幸せに変革されると、
それは、まわりにも影響を与え、
まわりの、
もう一人の人の生命(せいめい)を、
幸せに、変革していくことに、
なっていきます。


一人から二人、
二人から三人へ、
それは、自分のまわりの人たち、
環境、世界を、
幸せに変革していくことに、なり、
やがて、全世界を、
幸せに変革していくことに、
つながっていきます。


これが、仏法(ぶっぽう)であり、
これが、生命の法則(ほうそく)です。


だから、南無妙法蓮華経は、
あらゆる人の、
悩み、願い、希望に対応し、
一人一人の願いを、かなえていくことが、
できる!!


それが、
『人間の根本の生命を、幸せに変革する!』
と、いうことだと思います。


そして、さきほども話したように、
人間の根本の生命を、幸せに変革していけば、
あらゆる悩みが、解決し、
努力しだいでは、
あらゆる夢が、かなうのは、
自明(じめい)の理(り)かもしれません。


自分の中の根本の生命を、
太陽のように輝(かがや)かせ、変革する!


それが、創価学会が実践(じっせん)している、
末法(現代)の時代の、
『太陽の仏法(ぶっぽう)』、

『南無妙法蓮華経』なんだと、
思います。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・