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タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく108

2012-12-30 10:50:36 | アニメ
先日、
「最終兵器彼女」というアニメを
見た話しを、したんだけれど、
日本では、アニメというメディアが、
娯楽(ごらく)や文化として、
高度に発展しているせいなのか、
それ系(けい)のジャンルでは、

よく、人が死(し)ぬ。


おまけに、暴力(ぼうりょく)シーンが多い。


日本では、子供でも、大人でも、
アニメというジャンルが、
確立(かくりつ)しているから、
いいけど、
日本のようなアニメというジャンルが、
確立していない国では、
日本のそういうアニメには、
抵抗(ていこう)がある場合もあるようだ。


以前、
どこの国だか、忘(わす)れたけれど、
ある国で、
日本のアニメを、放映(ほうえい)したそうです。


そしたら、あまりに、
暴力シーンが多いということで、
子供の親から、
苦情(くじょう)が殺到(さっとう)して、
大変、困(こま)ったそうです。


そこで、その国の放送局の人が、

なにか良いアニメは、ないか?

と、目を付けたのが、
池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)が、
原作(げんさく)したアニメだそうです。


池田先生(SGI会長)が原作のアニメは、
その国で、大変、好評(こうひょう)で、
親たちからも、感謝の声が、
殺到(さっとう)したそうです。


なぜかというと、
日本のようにアニメというジャンルが、
確立してない国では、
やはり、アニメに、
子供の情緒(じょうちょ)教育、子供の育成、成長にとって、
より良い影響(えいきょう)を、あたえるもの、
子供に、
勇気や希望、やさしさや愛情(あいじょう)といった、
生きていくうえで、大切なもの、
好(この)ましいものを、学んでほしいという、
気持ちが、強いようです。


ところが、日本の商業的なアニメには、
それが、見えづらい。


良いアニメも、たくさんあるし、
ちゃんと見れば、
いろいろ学ぶことは、
たくさん、あると思うんだけれど、
やはり、
日本の文化的感覚(ぶんかてきかんかく)をもたない
海外の親から見たら、
ないに等(ひと)しいように、見えるんだと思う。


だから、困るのですが、
それとは、反対(はんたい)に、
池田先生が原作したアニメには、
親が、子供に学んでほしいことが、
すべて、つまっている!

親から見ても、
また、子供から見ても、
こんな素晴(すば)らしいアニメは、
ないわけで、
親にも子供にも
大変な反響(はんきょう)を、呼(よ)んだのも、
うなずけます。


ぼくも、その話しを聞いて、
池田先生が、原作したアニメを見てみましたが、

確かに、いい!
本当に良(よ)い!

『このアニメは、
本当(ほんとう)に子供に、見てほしい!』

と、思いました。


池田先生が原作したアニメは、
なぜ、そんなに、いいかというと、
ぼくは、詳(くわ)しくありませんが、
そこには、
有名な声優(せいゆう)も出ていなければ、
有名な漫画家(まんがか)の魅力的なキャラクターも、
ありません。

別に、お金もうけのために作られた、
売らんがためのアニメではないので、
当然、日本のアニメ業界の原則(げんそく)から言うと、
魅力的(みりょくてき)なものは、
なに一つ、
ないかもしれません・・。


けれど、にもかかわらず、
子供に、幸(しあわ)せになってほしい!
子供に、勇気を、持ってほしい!

子供に、
やさしさと、人を思いやれる、
人間に、そだってほしい!

未来の宝(たから)である子供たちに、
なんとしても、成長してほしい!

負(ま)けないでほしい!

という、真心(まごころ)が、
ありありと、にじみ出るように、
溢(あふ)れ出ているからです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ただ、ひたすら、
子供の幸せだけを、考えて、
作られたアニメ!

日本のように、アニメが、
商業メディアとして、
大きなシェアを占(し)めている国の、
儲(もう)けるためのアニメ、
売るためのアニメの世界とは、
当然、違(ちが)いますが、
けれど、そこには、
あったかい世界が、
存在(そんざい)していると思います。


魅力的なキャラクターも、
魅力的な声優も、
まったく、出ていないにもかかわらず、
(詳しくないので、わかりませんが・・)
見終わった後、

『なんて、いいアニメだろう!!』

という、
感慨(かんがい)が、すがすがしく、
溢(あふ)れ出てきます。

晴れ晴れとした、
勝利感すら、感じます。


そこには、池田先生が、
生命の根底まで、思索(しさく)しつくした、
生命哲学(せいめいてつがく)が、あり、

本当の幸せとは、何か!
本当の勝利者とは、どんな人なのか!
本当に幸せな生き方とは、どういう生き方なのか!

子供にも、わかるように、
ただ、子供の幸せだけのために、
子供に対する、祈(いの)るような深い愛情と、
かぎりなく大きな、
信頼と期待、希望が、
純粋(じゅんすい)すぎるくらいに、
込(こ)められているからです。


外国の親たちが、絶賛(ぜっさん)し、
感謝を寄(よ)せて、当然かもしれない。


なんと表現していいか、わかりませんが、
池田SGI会長が、原作した、
アニメを見た人は、

「世界には、
こんなに、やさしく、
こんなに、愛情深(ふか)く、
こんなにも、子供たちのことを、
考えている人間が、いるんだ!」

と思うような、
なんだか、うれしくなるような、
あったかく、やさしい気持ちになるような、
そんな感情を、
心のどこかで、感じるかもしれません。


それは、そのまま、
創価学会(そうかがっかい)が、めざしているものであり、
創価学会員が、めざしている世界観であり、
それを可能にする生命哲学が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)であることは、
いうまでもない。


そして、
その思想(しそう)と哲学(てつがく)は、
世界192ヶ国の創価学会員の中で、
実践(じっせん)され、
現実に、192ヶ国の創価学会員に、
幸せと勝利を、もたらしている・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく107

2012-12-23 14:43:21 | アニメ
この前、
「最終兵器彼女(さいしゅうへいきかのじょ)」
というアニメを見ました。

かなり前のアニメですが、
以前から題名が引(ひ)っかかっていて、
見たくなりました。


見てみたら、最初は、
なんか、まだるっこくなって、
抵抗(ていこう)を感じました。

けれど、だんだん、慣(な)れてきたら、
おもしろくなってきて、
楽しめました。


や~~~!
何と表現(ひょうげん)していいのかわかりませんが、
ある意味、
すごいアニメだと思いました。


なぜかというと、
日本のアニメは、
なんだかんだ、盛(も)り上げるためなのか、
はたまた、人間を殺すのが好きだからか、
よく、人が死にます。

後半のストーリーになると、
それ系のストーリーだと、
毎回、人が死んだりする。


けれど、
この「最終兵器彼女」というアニメは、
本当に、みんな!死んじゃう!!


最終回は、世界に、
主人公、一人しか、残らない!


世界の人、みんな、殺しちゃうなんて、
すごすぎる!!!


それで、世界中の人が、
みんな、死んじゃって、
主人公、一人だけ、生き残って、
それでも、最終兵器となって死んでいった、
自分の彼女を、
愛し続けるというストーリーなんだけれど、

う~~ん!、

話しが極端(きょくたん)なだけに、
確かに、
すごく純粋(じゅんすい)なラブストーリーかもしれない。



すべての人が、いなくなって、
自分ひとりだけが、残(のこ)る。



それでも、彼女を愛し、生きようとする。


人間は、一人でも、生きられるのだろうか?


ひとりでは、生きられないかもしれないが、
この世(よ)には、いなくなったとしても、
愛する人が、いたとしたら、
その人のことを思って、
生きられるのかもしれない。


何かを、思い、何かを、愛しつづける!


それが、生命の本質(ほんしつ)だろうか?


この物語は、極端(きょくたん)ではあるけれど、
ある種の強力なインパクトを、
与(あた)える。


それは、
人間、死(し)ぬ時は、
『一人だ!!』ということです。


どんなに愛する人が、いたとしても、
大好きな友達が、いたとしても、
死ぬ時に、
一緒(いっしょ)に連れて行くことは、
できない・・!!


死ぬ時は、
一人で死んでいかなければならない。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
こんな意味のことを、言っていた。


「どんなに、愛する人がいたとしても、
どんなに、愛する家族が、いても、
いつかは、死ぬ。

必ず、いつかは、別(わか)れなければならない!

それが、人生の本質だ。

けれど、
我(が) (自分の生命のこと) は、
永遠だ!

だから、我(が)を、
大切にしなければいけない!

我を、強く、たくましく、
最高に幸せな生命として鍛(きた)え、
輝(かがや)かせていかなければならない!」


我(が)を、大切にするとは、
わがまま放題(ほうだい)に、
欲張(よくば)りになれということでは、
当然、ない。

我という自分の生命は、永遠(えいえん)だから、
より大きく、より、おおらかに、
強く、たくましくしていけば、
その我という自分の生命(せいめい)が、
太陽のように輝(かがや)いて、
愛する人を、
愛する家族を、
また、あらゆる人たちを、
自分の生命の輝きによって、
幸せにしていける!!

と、いうことだと思う。


死ぬ時は、ひとりだ。


それは、ある意味、
最終兵器彼女というアニメで、
世界中の人が、みんな死んじゃって、
世界に、たった一人、
残されたのに、似(に)ている。


世界に、一人だけ、残されたとしたら、
どうだろうか?


だれも、いない!


その時は、
自分の心だけが、支(ささ)えだ!

自分の心が、どけだれ、強いか?

自分の心が、どれだけ、大きいか?

すなわち、愛する人を、
どれだけ、愛(あい)しているか?

どれだけ、多くの人を、愛してきたか?

どれだけ、多くの人のために、
尽(つ)くしてきたか?

どれだけ、人のために、生きてきたか?


その人間としての、
もっとも、根幹的(こんかんてき)な部分だけが、
支えとなるだろう。


人々を愛する生命の輝き、
人のことを思い、
人のために尽(つ)くし生きた、
その心の大きさ、生命の輝きだけが、
支(ささ)えとなるだろう!


世界に、たった一人しか、
残(のこ)らなかったとしたら、
お金も権力も名誉(めいよ)も、なんにもならない!

ただの、ガラクタ!

その時、輝くのは、
人々を愛した生命の輝き、
人々に尽(つ)くした心の大きさ!

それだけが、
その人に、価値(かち)を生む。


幸せの本質(ほんしつ)とは、
そういうものなのだと、思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


おそらく、死ぬときも、そうだろう。


お金も、権力(けんりょく)も名誉も、
持っていけない!

あるのは、
自分という丸裸(まるはだか)の生命だけ!

そうなったら、
どれだけ、人のために尽(つ)くしたか?
どけだけ、人のために生きたか?
どれだけ、愛する人たちを、
愛することが、できたか?

それだけが、その人の価値となる!

それだけが、その人の宝物(たからもの)となる!


その時、初めて、
自分が、どれだけ幸せなのか?

丸裸の自分の生命だけになったとき、
はっきり、わかる!!


そのとき、

「ああ!自分は、なんと幸せなんだろう!
自分の生命は、こんなにも輝かしく、
美しく、素晴らしいものだったのか!」

と心の底(そこ)から思える、
最高最大の、
溢(あふ)れんばかりの幸せを、
感じることのできる生き方が、
実は、
創価学会(そうかがっかい)の生き方であり、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)です。


南無妙法蓮華経を、となえていると、
自分の中から、
仏界(ぶっかい)という最高の生命、
強くて、あったかくて、愛に満(み)ちて、
何ものにも負(ま)けない、
最強の生命が、
自然のうちに、わきあがってくるので、
人を愛する生き方、
人々のためになる生き方が、
自然(しぜん)に、
できるようになってくるからです。

また、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
生命の中の幸福を、
無限に開花(かいか)させる法則(ほうそく)なので、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
自分の生活そのものが、
生きることそのものが、
人々を幸せにすること、世界を幸せにすることに、
つながっていきます。

だから、結局、
自分の存在(そんざい)が、
人々を幸せにするための、
最高の存在に、変(か)わっていきます。


だから、死ぬ時に、

「ああ!自分は、なんと幸せなんだろう!
自分の生命は、こんなにも輝かしく、
美しく、素晴(すば)らしいものだったのか!」

と、感じることが、
できるんだと思います。


実際に、
創価学会の活動と信仰(しんこう)を、
一生懸命(いっしょうけんめい)やってきた人の死顔は、
ほんとうに、安らかで、
まるで生きてるように、
晴れ晴れとして、幸せそのものです。


よく、成仏(じょうぶつ)というけれど、
まぎれもなく、
仏(ほとけ)の顔を、しています!


それは、まさしく、
自分という丸裸の生命になった時に、
お金も権力も名誉も、何の役(やく)にもたたない、
だだ、自分の生命の輝きだけが価値を持つ時に、
どれだけ、人のために尽(つ)くしたか?
どけだけ、人のために生きたか?
どれだけ、愛する人たちを、
愛することが、できたか?
という、
本当の幸せの価値(かち)を問う瞬間(しゅんかん)に、

『ああ!
自分は世界一の幸せものだった!!
自分は、最高最大の勝利者だ!!
私は、勝った!!』

と、心の底から、
思い、感じ、確信(かくしん)した、
幸せの王者、勝利の王者、
生命の王者の顔に、ほかならない!!


だから、創価学会員の死顔は、
最高に素晴らしい!


それは、本当の幸せのために、
生きてきた証(あかし)だ。

生きることが本当の幸せだった証であり、
本当の幸せを、
つかんだ証(あかし)だ!

また、その生きかたが、できるのが、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰であり、
創価学会員の生き方です・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・