タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく78

2012-05-25 09:23:12 | 幸せ
日蓮大聖人が生きていた時代に、
「熱原の法難(あつはらのほうなん)」という、
創価学会(そうかがっかい)の人たちなら、
よく知っている、
有名な宗教弾圧(しゅうきょうだんあつ)が、
あった。


1275年ころ、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
弟子の日興上人の指揮のもと、
当時の、熱原(あつはら)というところで、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)が、
急速に、広まっていった。

他宗の坊主たちは、
危機感(ききかん)をいだき、
地元の武士らと結託(けったく)して、
日蓮大聖人の門下の弾圧を始めました。

その弾圧(だんあつ)は、
しだいに、エスカレートしていき、
多くの無実(むじつ)の農民らが、
大変な処罰を受け、
そのうち、
三人が処刑(しょけい)されました。


処刑された三人は、

「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえるのを、やめれば、
助けてやる!」

と、おどされました。


けれど、その三人は、
最後まで、南無妙法蓮華経をとなえるのを、
やめず、
処刑のその時まで、
南無妙法蓮華経を、となえきって、
死んでいきました。


これを、

「熱原の法難(あつはらのほうなん)」

と、言います。


この法難に遭(あ)った農民たちは、
みな、日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰を始めて、
ほんの2、3年の、
信仰(しんこう)の浅(あさ)い人たちでした。


そんな信仰の浅い人たちが、

なぜ?

命を捨ててまで、

南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰を、
つらぬき通したんでしょうか?


人間、正直(しょうじき)です。

あることを、つらぬく場合、
そのために、捨てるもの以上に、
大きな価値(かち)が、
その、つらぬくことに、なかったら、
それを、つらぬくことは、
絶対に、しません!


だとしたら・・、

この南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)には、
命を捨てても、なお、
それ以上、大きな価値が、ある!

ということに、なる。

でなかったら、処刑されても、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、
つらぬく理由は、
なにも、ないからです。


その理由とは、何なのだろう?


まず、考えられるのは、

人間は、幸せになるために、生きている!

ということです。

また、幸せを感じるために、
生きているとも、
言えます。


とくに、庶民は、鋭(するど)い!

庶民は、
見栄(みえ)や、飾(かざ)り、
体裁(ていさい)や慢心(まんしん)、
おごりや、権力には、
無関係だ。

だから、なおさら、

「幸せ」とは、何なのか?

ということに関しては、
ものすごく、スルドイ!

庶民だからこそ、
本当に大切なものが、何なのか?
はっきりと、見えている!

逆(ぎゃく)に、
権力者や富豪(ふごう)、有名人などは、
さまざまなプライドや、見栄、慢心があって、
真実の幸せが、見えてこない部分が、
あるのかもしれない・・。
 

おそらく、
処刑されたり、処罰(しょばつ)された、
ほんとうに貧(まず)しい、
名も無い農民たちは、
この南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、やってみて、

「これこそ、真実の幸せだ!!」

「これこそ、本当の生きがいだ!!」

と、
丸裸(まるはだか)の生命(せいめい)で感じ、
生きている歓喜(かんき)とは、何なのか?
生きていく真実の価値とは、何なのか?
はっきりと、
わかったんだと思う!

自分の生命を幸せにする、
根本(こんぽん)の法則(ほうそく)が、
庶民のスルドイ直感で、
わかったんだと思う。

だから、
たとえ、処刑されても、
南無妙法蓮華経の信仰という、
自分の生命に植(う)えられた『幸せ』を、
どうしても!捨てることは、
できなかったんだと思う!


それは、理屈(りくつ)ではなく、
感じるものであり、
生命に感じる確信(かくしん)そのものだからです。


そう考えると、
この日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法が、

どれだけ、偉大(いだい)で、
どれだけ、スゴイかが、
よく!わかると思う。

また、日蓮大聖人の仏法を、
実践している創価学会が、
世界中に、(現在世界192ヶ国)
広まり続けているのも、
うなづけます。

また、嫉妬(しっと)に狂(くる)った、
エセ・マスコミなどが、
どんなに、創価学会を、
非難(ひなん)・中傷(ちゅうしょう)しても、
創価学会が、
どんどん、発展し続けているのも、
当然(とうぜん)と、
思われる。


なぜなら、そんな嫉妬に狂った、
非難・中傷よりも、
人間にとって、
『幸せ』のほうが、
はるかに、大切だからです。


人間は、幸せを感じるために、生きてる!
あさぐろい、醜(みにく)い心の人間の、
嫉妬やデマを聞くために、
生きているのでは、ない!!


生命に、きざまれた幸せを、
みすみす、捨てるような人は、
あんまり、いない。

だから、くだらぬ非難なんかに、
耳を、かすより、
自分の、本当の幸せを、つかむために、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経の仏法を
実践(じっせん)したほうが、
よっぽど、得(とく)だからです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


真実の価値を知っている人は、
強い!


どんな苦難(くなん)にも、負けない!


こうすれば、絶対に幸せになる!
という、
体験(たいけん)を持っている人は、
絶対に負けない。

また、そう思わせるだけの価値が、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、
あるんだと思う。


だから、創価学会の人たちは、
負けない!

どんな時でも、太陽のような希望を持って、
幸せを、つかんでいける!!


負けないこと!
勝つこと!
幸せになること!


日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法は、
そのすべてに、
直結(ちょっけつ)している・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・