タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく73

2012-05-03 12:15:46 | 幸せ
ぼくの知り合いに、
1ヶ月の家賃(やちん)が、
普通の人の1ヶ月の給料以上という、
高級マンションの管理人(かんりにん)をやっている人が
いるんですが、
その人の話しを聞いていると、
お金持ちだからといって、
本当に幸せか?というと、
どうも、そうでもないらしい。

いろいろ、問題を起こす、
常習犯がいたり、
詐欺(さぎ)で、どこかに
逃亡(とうぼう)してしまう人が出たり、
いくら、お金があっても、
大変な病気に、悩んでいたりして、
管理人も、いろいろと、
大変だそうです。


そして、その管理人、いわく。


「お金持ち、イコール、幸せではない!」


と、つくづく、言っていました。


だだし、これは、
別(べつ)に、
お金持ちにかぎった話しではないと、
思います。

ぼくなんか、正直(しょうじき)、
お金は、たくさん、たくさん、欲(ほ)しいし、
お金持ちでなくても、
悩(なや)みや、問題は、たくさん、ある!

かえって、悩みは、
お金がない分、多いかもしれない。

けれど、それは、逆(ぎゃく)に、
お金があっても、同じで、
お金がある分、余裕(よゆう)があるので、
本来、なかなか、見えてこない、

本当に幸せであるか?どうか?

ということが、
まざまざと、見えてくるのかも、
しれない。


そして、自分は、本当は、
幸せではない!


ということに、
思い知らされる場合が、
多いということだろうか?


ぼくには、良く、わかりませんが、
その管理人の人が、言うには、

「あんまり、お金は、なくてもいい!」

と、思うように、なったそうです。


お金がなければ、
生活が、できないわけだし、
当然、お金があったほうが、
幸せだとは思うけれど、
それだけでは、本当の幸せを、
つかむまでには、いたらない!
と、いうことだろうか?

確かに、
「本当に、幸せだ!」という、
充足感(じゅうそくかん)は、
お金が、あるかないかでは、ない!

だから、もちろん、
大変なお金持ちであっても、
「本当に、幸せだ!」という、
充足感を、持っている人は、
いると思う。



創価学会(そうかがっかい)のある女性が、いて、
その女性の夢は、
海の見える大きな屋敷(やしき)に住み、
家には、メイドが、たくさん、いて、
毎日、王女様のように過(す)ごす!


・・・・だったそうです。


ところが、彼女は、
ラッキーな結婚に、めぐまれ、
海外に行くことになって、
自分の願いが、すべて、かなってしまった!

そうです。


海の見える美しい家、
なんでもしてくれるメイド、
なんの心配(しんぱい)のない生活、


けれど、その女性は、
もう、
一週間で、飽(あ)きたそうです!


それで、彼女が思い、願(ねが)ったことは、

「早く、日本に帰って、
創価学会の活動が、おもいっきり、したい!」

と、いうことだったそうです。


彼女の祈(いの)りが、強いのか、

※祈るとは、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえて祈ることです。

その願いも、かなったそうです。


今では、創価学会の活動をすることほど、
幸せなことは、ない!

と言って、
喜々(きき)として、
活動し、生活しているそうです。


ここで、問題となるのは、
海の見える素晴(すば)らしい家、
なんの不自由もない、メイドのいる生活、

普通、考えたら、
こんな幸せなことは、ない!と思うんですが、

彼女が、なぜ?
それを、幸せでない!

と、感じたかと、いうことです。


それは、その何不自由もない生活より、
はるかに、幸せなことを、
自分で、体験しているからです。


自分の生命で、
裕福(ゆうふく)ということより、
はるかに幸せな感情を、
実感(じっかん)したことがあり、
知っているからです。

創価学会の活動、
創価学会の中で、生きるということ。

それが、どんなに幸せなことか、
彼女は、身(み)をもって、
実感していたからです。


だから、どんな裕福な生活も、
彼女に、本当の幸せを、
感じさせることは、できなかった。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

世界中には、お金以上の幸せを、
知っている人が、たくさん、いると思う。

けれど、お金以上の幸せを、
たくさん、知っている人であっても、
創価学会の中で、生きる幸せ、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえて、生きていく幸せを、
知らない人は、
やまほど、いる!

※ご本尊(ほんぞん)とは、
南無妙法蓮華経を、となえる信仰の対象(たいしょう)で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになることのできる、
偉大(いだい)な、素晴らしい仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、あらわしたものが、
ご本尊です。

そして、ほんとうは、
そのご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえる幸せ、
創価学会の中で生きる幸せほど、
幸せなことは、
おそらく、
他では、絶対(ぜったい)に、ないです。


なぜ、そう言えるかというと、
創価学会の中で生きる幸せ、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、
となえて生きる幸せを、
自分の生命(せいめい)で、わかっているからです。


ぼくごときが言うのも、おこがましいですが、
それでも、
はっきりと、明確(めいかく)に、
知っているからです。

これは、体験しないと、
わからないからです。

自分で、やってみなかったら、
本当の幸せが、どういうものか、
わからない!


それは、当然の道理(どうり)だと思う。


創価学会員ではない人たちも、
自分は、幸せだと、思っている人は、
たくさん、いると思う。

けれど、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰を、
やってみると、
今までの自分が、ほんとうは、
幸せでなかったことが、
よく、わかってくる!!

それが、わかるから、
当然(とうぜん)、
創価学会は、世界中に、
広がり続けている。
(現在、世界192ヶ国に、広まっている。)


これは、お金持ちであろうと、
貧乏(びんぼう)であろうと、同じことです。


お金持ちの人は、お金だけでは、
癒(いや)されなかった、
言葉では、言いあらわせない不幸を、
貧乏の人は、
その窮乏(きゅうぼう)による不幸を、
創価学会の南無妙法蓮華経を
となえる信仰(しんこう)によって、
現実に克服(こくふく)し、
そのどんな不幸も、はるかに超(こ)える、
自分の生命に、太陽が昇(のぼ)るような、
本当に、すがすがしい幸せを、
勝ち取り、感じることが、できる。

真っ暗な闇(やみ)も、
太陽が、昇れば、
あっというまに、消えてしまう。

それと同じように、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰に
ついたあとには、
一点の曇(くも)りもない幸せを、
感じることが、できる!


まず最初に、
自分の心で、
自分の生命で、
太陽のような幸せを、
感じることが、できる。

そして、その心は、
やがて、
自分の宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)し、
さまざまな悩みを、解決し、
自分の人生を、大きな幸せへと、
転換(てんかん)していってくれる。


それが、どんな不幸も打ち破(やぶ)り、
幸せの太陽を昇らせる、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・