タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく158

2014-06-01 11:49:40 | ドラマ
先日から、ビデオで、
「白夜行」というドラマを見た話しを、
しています。

このドラマは、
まだ、11才の子供だった、
亮(りょう)と雪穂(ゆきほ)が、
泥沼(どろぬま)のような生活の中、
自分たちの人生を、取り戻(もど)すために、
お互いが、自分の親を、殺すという、
交換殺人を、行い、
その後、その罪を隠(かく)すために、
罪(つみ)に罪を、重ね、
犯罪に犯罪を、かさねていくという、
物語だけれども、
冷静(れいせい)に考えてみたら、
こんな悪いやつらは、いないわけで、
同情の余地(よち)もないし、
強烈(きょうれつ)な非難を、受けて当然なんだけれど、
そこが、ドラマで、
ドラマを、見ていると、
この二人が、最終的には、
なんとか、幸せになってくれないものか・・・
ハッピーエンドで、終わってほしい!
などと、考えてしまう・・・。

これが、ニュースなどで、
その犯罪だけを、見聞きしたならば、
「なんて、ひどいやつらだ!
 死刑(しけい)にすべきだ!」
などと、当然のように、
考えるにちがいない。

ところが、ドラマだと、違(ちが)う。
なぜだろう・・・?

それは、そのドラマに、
人間性が、出ているからだと思う。
人間としての心情(しんじょう)が、
にじみ出ているがゆえに、
どうしても、かわいそうに思い、
ハッピーエンドで、終わってほしい!
などと、考えてしまう。

たとえば、大変な犯罪者であったとしても、
その犯罪者の親からしてみたら、
許(ゆる)されないのは、わかっていても、
子供のころは、
当然、かわいいところも、あったであろう。
親から見たら、
いいところも、きっと、
たんさん、見えていたに違いない。

だから、親からみたら、
どうしても、愛情の念(ねん)を、
捨てることが、できない場合も、
あると思う。


それは、なぜなのだろう?


それは、そこには、
やはり、
人間性が、あるからだ・・・!

どんな犯罪者であったとしても、
生まれたときから、
「こいつは、人間ではない!
 とんでもない悪魔(あくま)だ!」
なんて、思う親は、いないと思う。

どんな人間であろうと、
生まれてきたときは、
やはり・・・、『人間』だからです。

すなわち、
たとえ、どんな犯罪者であったとしても、
その人の中には、
人間性が、内在(ないざい)している!
ということです。

人間性を、内在していない人間なんて、
いない!!!!
すべての人の中には、
人間性が、内在(ないざい)している。

それは、そのまま、
どんな人であっても、
幸せになる可能性と権利を、
有(ゆう)しているということだと思う。

それなのに、なぜ?
人は、犯罪に走ったり、
大きな失敗をして、敗残者(はいざんしゃ)となったり、
絶望し、自殺してしまったり、
幸せとは、正反対の不幸に、
陥って(おちいって)しまうのだろうか?


すべての人の中に、
素晴らしい人間性が、
内在してるにもかかわらず・・・!


冷静に考えてみると、
確かに、すべての人の中には、
素晴らしい人間性が、内在している。
言い換(か)えれば、
すべての人間の中には、
『幸せになろうとする生命』
『幸せの息吹(いぶき)』
『幸せになろうとする無限のエネルギー』
が、内在していると言える。

にもかかわらず、
それらを、出すことができず、
不幸になってしまうということは、
その人の生命に、
「大きな、ゆがみ」
「おおきな、狂(くる)い」
「大きな、ひずみ」が、
あるということだと、思う。

そして、その自分の生命に、
出来てしまった、生命のゆがみ、狂いが、
本来、人間が持っている、
『幸せになろうとする生命の息吹(いぶき)』
『幸せになろうとする無限のエネルギー』
を、閉(と)じ込め、
見えなくし、
消し去っているのかも、しれない・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

本来、人間には、
幸せになろうとする、
素晴らしい素晴らしいエネルギーがある!

ところが、
自分の中に、できてしまった、
生命のゆがみ、狂いが、
自分の中にある、
幸せになれる
無限の素晴らしい可能性とエネルギーを、
見えなくしてしまい、
その生命のゆがみと狂いは、
自分に幸せになる可能性など、
あるとは、とえも思えなくしているのかも、
しれない。

けれど、
だれがなんと言おうと、
すべての人間の中には、
幸せになれる、
無限の可能性と、エネルギーがある!

その、幸せになれる、
無限の可能性を秘(ひ)めた、
最高のエネルギーのことを、
仏法(ぶっぽう)では、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』という。

言い換えれば、
幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命!
それが、『南無妙法蓮華経』だと思う。


すべての人の中に、
幸せになる無限の可能性とエネルギーは、
内在している。

そして、その幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命のことを、
『南無妙法蓮華経』と言うんだから・・、
その、幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
内在した生命である、
『南無妙法蓮華経』は、
すべての人間の中に存在する!
と、いうことです!!

存在するんだから、
引(ひ)き出せばいい!!

その、自分の中にある、
幸せになる無限の可能性とエネルギーを、
引き出す方法であり、行為(こうい)が、
「南無妙法蓮華経を、となえる!」
ということです。


南無妙法蓮華経を、となえることは、
自分の生命を、蘇生(そせい)される。
そして、幸せになるための、
無限の可能性とエネルギーを、
湧(わ)き上がらせ、引き出していく。

ゆえに、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
たとえ、自分の生命に出来てしまった、
「ひずみ」や「狂い」が、
どんなに大きかったとしても、
真剣に南無妙法蓮華経を、
となえ続けることによって、
その人の生命のゆがみや狂いを、
消し去り、直(なお)すことができる!

幸せの可能性とエネルギーを閉ざした壁(かべ)が、
どんなに、厚(あつ)かったとしても、
その壁を、打ち破(やぶ)り、
幸せのエネルギーと可能性を、
開花させることが、できる!


だから、創価学会の人たちは、
さまざまな苦しく辛(つら)い境遇(きょうぐう)にあろうとも、
その苦境を、打ち破り、
幸せのエネルギーを、開花させて、
現実に、幸せになっていける。
夢や希望を、かなえていくことができる。
悩みや困難(こんなん)を
乗り越えていくことができる・・!!


それが、
世界192ヶ国に広がる、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
体験し、実感している、
南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の、
まぎれもない素晴らしさだと、思う・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・