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タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく68

2012-04-05 06:54:58 | 映画
このまえ、
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』を、
みました。

片山恭一のベストセラー小説
「世界の中心で、愛をさけぶ」を
基(もと)にしたラブストーリー で、
以前、セカチューブームなる
社会現象(しゃかいげんしょう)を
巻(ま)き起こした感動作だそうです。


見てみて、やはり、
切(せつ)なくて、悲しい、
いい映画でした。

よく、ここまで、ピュアに、
また、ツボを、おさえた映画を、
つくれたものだなあ!
と、感心もしました。


けれど、悲しい話しは、
悲しい話しで、
悲しいのは、いやです。


映画だから、美しく昇華(しょうか)できるけれど、
現実に、これだけの悲しい出来事に、
あったとしたら、
ここまで、前向きに昇華できるかは、
疑問(ぎもん)です。


人間、いろいろな思い出がある。

悲しいこと、楽しいこと、
死は、悲しい出来事の、
もっとも、過酷(かこく)なものかもしれない。

その、すべてを、
自分の生きるエネルギーとして、
受け入れ、
今を、精一杯(せいいっぱい)、
生きる力に変えることが、できるか?
と、いったら、
そこにも、疑問が、残る。

逆(ぎゃく)に、
どんなに美しく、楽しい思い出が、
あったとしても、
過去に、おぼれ、
現実を見失(みうしな)っていってしまう場合も、
あると思う。

また、悲しい思い出は、
一生、重荷(おもに)となって、
その人の人生に、のしかかっていく場合も、
あると思う。


仏法(ぶっぽう)では、
変毒為薬(へんどくいやく)という、
法則を、説いている。

薬(くすり)というものは、
使い方を間違えなければ、
実際は、毒(どく)であっても、
薬になる場合が、あるようだ。

それと同じように、
自分の人生に、ふりかかってきた、
どんな、つらい、悲しい、
過酷(かこく)な出来事であったとしても、
その毒を、薬に変えて、
自分を、今よりも、もっと、
幸せにしていくエネルギーに
変えることができる!
と説(と)く法則(ほうそく)です。


けれど、現実の人生では、
自分に、ふりかかってきた、
つらく、悲しい、過酷な出来事や運命を、
プラスに変えていくのには、
あまりにも、つらく、過酷なため、
不可能(ふかのう)になる場合が、
多いかもしれない。


自分に襲(おそ)いかかった過酷な運命といえる、
『毒』を、『薬』に変えるためには、
あまりにも、つらいために、
普通の、何倍、何十倍、何百倍という、
エネルギーが、必要となるからです。


そんな、つらい運命に、みまわれた時に、
はたして、
それだけのエネルギーを、
出すことが、できるだろうか?


と考えた時、その可能性は、
かぎりなく、少なくなっていく。


だだし、もし、
そういう過酷な、つらい運命に、
みまわれた時、
普通の時の、
何倍、何十倍、何百倍というエネルギーを、
自分の中から、出す、
『方法』を、知っていたのなら、
つらい運命を、乗り越(こ)える可能性は、
大きくなっていく。


自分の中には、
どんなに、つらく、悲しく、過酷な運命さえも、
乗り越えていく、力(ちから)がある。


また、その無限の力を、引き出す方法を、
自分で、知っていたのなら!


その力を、出そう!という勇気さえ、あれば、
どんな過酷な運命も、
乗り越えていける!!


その、どんな過酷な運命さえも、
乗り越えていける、
無限(むげん)の力のことを、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
という。

そして、どんな過酷な運命さえも、
乗り越えていける無限の力を、
自分の中から、出す方法が、

『南無妙法蓮華経を、となえる!!』

と、いうことだと思う。


だから、
創価学会(そうかがっかい)の人たちの多くは、
その、過酷な運命に、さらされた時でも、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』を、
真剣に、となえることによって、
普通だったら、不可能と思えるような
過酷な状況(じょうきょう)であっても、
その運命を、
乗り越えてきている!

そして、逆(ぎゃく)に、
過酷な運命に、あう前よりも、
大きな幸せを、
つかむことが、できている。


これが、変毒為薬(へんどくいやく)の法則です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

過去における、楽しい思い出にしろ、
つらく、悲しい思い出にしろ、
それを、
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』のように、
昇華(しょうか)していくためには、
今、輝(かがや)く必要がある。


今、輝かなかったら、
すべての思い出は、むなしく、はかなく、
悲しい思い出に、なってしまう。


今を、最高に、輝かせ、
今を、最大に幸せに変えていく
エネルギーのことを、
『南無妙法蓮華経』
と、いうんだと思う。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
どんなに、つらい思い出も、
どんなに悲しく、過酷な思い出も、
すべてが、今の自分を、
彩(いろど)り、輝かせてくれる、
美しい花に、変わっていく!!


それが、
南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
創価学会の生き方だと思う。


だから、創価学会の中には、
世界中に、さまざまな困難(こんなん)や、
過酷(かこく)な運命を乗り越え、
生き生きと、
すがすがしく、輝(かがや)いて、
幸せを、勝ち取っている人たちが、
たくさん、たくさん、いる!!


それは、あたかも、
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』で、
主人公が、
悲しみを昇華(しょうか)していったように、
それを上回(うわまわ)る、
幸せと、勝利と、歓喜(かんき)を、
その人に、もたらしてくれる・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく56

2012-02-03 09:32:43 | 映画
この前、
映画「あずみ」を見ました。

小山ゆうの同名の漫画『あずみ』を
原作(げんさく)とした映画で、
若いころの上戸彩が、
主演で、がんばっています。

少女剣士(けんし)「あずみ」が、
敵(てき)を、バッタバッタと切りまくる、
時代活劇(じだいかつげき)です。

娯楽映画(ごらくえいが)なので、
お菓子をつまみ、お酒を飲みながら、
お気楽(きらく)に、
楽しめると思います。

上戸彩も、
一生懸命(いっしょうけんめい)、
カッコつけていました。

きっと、大変だっただろうと思う。

だた、最初のシーンで、
仲間(なかま)で10人、
山で、修行(しゅぎょう)している時に、
師匠(ししょう)の言いつけで
仲(なか)の良い2人ずつになって、
その2人で殺し合って、
残った5人が、役目(やくめ)を果(は)たすために、
山を出るシーンがあって、


「いくらなんでも、作りすぎだ!!」


と思った。


だって、戦うのに、
人数が多いほうが、いいに決まってる!

最後、みんな、死んで、
あずみと、もう一人の、
2人しか残らないんだけど、
まあ、よく考えると、
2時間の映画のなかで、
10人もいたら、
死ぬシーンが、たくさん、ありすぎて、
映画にならないとは思うので、
映画としては、
最初、仲間と殺しあって、
5人に、しぼって、
正解(せいかい)だとは思います。
(最初から5人でもいいのに・・・)


娯楽(ごらく)映画ではあるけれど、
この映画を見ていて、
耳に付(つ)いた言葉があって、
やけに、

「使命(しめい)」

という言葉が、でてきた!


「戦争を起(お)こそうとしている悪いやつらを、
やっつけるのが、
おれたちの使命だ!」

とか、

「使命を、はたすんだ!」

というような使い方です。


ふだんの生活では、
あまり使わない言葉なので、
すごく、耳に付く言葉だった。


「使命(しめい)」・・・
命(いのち)を使うということ!。


生きている以上、
だれでも、命を、使っている・・。

だだ、何のために、
命を使うかということを、
正直、自覚(じかく)しているような人は、
なかなか、いないと思う。

かんぐって言えば、
だいたい、自分のために、
あるいは、家族のために、
ともかく、精一杯(せいいっぱい)、
生きているという感じが多いのではないかと思う。

また、趣味(しゅみ)やレジャーなど、
自分を楽しませることも、
生きていく上では、かかせない。

ただし、それだけで、
『使命』と言えるような、
充実感(じゅうじつかん)があるかは、
疑問(ぎもん)だ!

また、そんな使命といえるような充実感など、
求めていないのかもしれない・・・。


それほど、使命という言葉は、
使いづらい。


けれど、創価学会(そうかがっかい)では、
この「使命」という言葉を、よく使う。

「あなたには、かけがいのない使命が、あるんだ!」

と、よく、言う。


その使命とは、なんだろうか?


また、池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、

「その人が、その人であるだけで、
かけがいのない、生きていく価値(かち)がある!」

と、言っている。


だとしたら、使命とは、なんなのか?


おそらく、使命とは、
自分に、生きていく価値があることに、
目覚(めざ)め、
自覚していくことかもしれない。


人は、『使命』という言葉を、
あまり、口にしない・・・。


けれど本当は、
自分の生きている価値を認(みと)め、
また、認められることほど、
幸せなことは、無い!と思う。


それは、そのまま、
最高の充実感を持った、
『生きがい』と、なるからだ。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


なぜ?
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえるのか?


というと、

その人の中にある、
その人が、本来(ほんらい)持っている、
仏(ほとけ)のように素晴(すば)らしい命、
仏のように素晴らしい、
自分の価値を、
開花させるためだと、
言う。

仏(ほとけ)の命といっても、
わからないと思うけれど、
自分の中にある、
無限(むげん)の可能性(かのうせい)、
無限の価値、
無限のエネルギー、
無限の創造力(そうぞうりょく)のようなものだと思う。

その生命に内在(ないざい)する、
無限にして、とらえどころのない、
プラスの生命力(せいめいりょく)を、
「仏(ほとけ)の命」
「仏の生命」
と、
表現している。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
どんな人でも、
『プラスの生命』である、
自分の価値に、目覚(めざ)めていく。

自分が、やるべきことが、わかってくる!

ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえることによって、
本来、自分が持っている仏(ほとけ)の生命が、
自分の中から、わきあがり、

「自分にも、使命があるんだ!」

と、
わかってくる!

そうすると(南無妙法蓮華経を、となえていると)
いつ、何を、していても、
たとえ、平凡(へいぼん)な、
いつもと同じ事を、やっているにしても、
不思議(ふしぎ)だけれど、
その行為(こうい)は、
すべて!使命として、
価値のある行動に、
変わっていく!

もっと言うと、
その使命を、
自分の心と体で、感じ、
本当の自分のものとして、
現実に実感(じっかん)することが
できるようになっていく。


単純に言うと、
人生と生命が、
輝(かがや)きだす!ということです。


すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の生きること、すべてが、
プラスとして、
肯定(こうてい)できるようになっていく!!

南無妙法蓮華経を、となえることによって、
いままで、自分の中では、
マイナスだと思っていたことまで、
すべてが、逆(ぎゃく)に生かされ、
価値が出てくる!


その、すがすがしい感覚と驚(おどろ)きは、
言葉では、言い表(あらわ)すことは
できないかもしれませんが、
ともかく、マジに、スゴイし、
うれしい!と思う。


南無妙法蓮華経を、となえる時、
自分を否定(ひてい)できる人は、
ひとりも、いなくなる!

どんな人も、お世辞(せじ)ではなく、
生きることに、大きな大きな、
使命を、帯(お)びてくる!!

そして、使命の自覚は、
その人に大きな成長と、
飛躍(ひやく)を、もたらす!

そうなれば当然(とうぜん)、
その人は、
大きな大きな幸せを、つかむことになる!


それが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
生き方です。


おそらく、これ以上、
幸せな生き方は、ないと思う。


だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
何もなくても、なぜだか、
歓喜(かんき)してきて、
生きるのが、楽しくなってくるんだと、
思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく43

2011-12-05 09:09:21 | 映画
●映画・『君が世界を変えていく』を、見て●


このまえDVDで、
映画「君が世界を変えていく」を、
見ました。


おそらく、
創価学会(そうかがっかい)の人でなかったら、
まず、見ることはないDVDだと
思うんですが、
アメリカコロンバス国際映画祭(さい)という
映画祭で、
「ドキュメンタリー社会問題部門(ぶもん)」と
「脚本(きゃくほん)部門」で、
2部門のグランプリに、
輝(かがや)いたそうです。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)の、
エッセーをもとに作られていて、
メインの話しとしては、
アーノルド・トインビーというイギリスの、
歴史学者の逸話(いつわ)が、
展開(てんかい)されています。

アーノルド・トインビーと言っても、
知らない人も、多いと思いますが、
世界では、アインシュタインや、シュヴァイツァーに、
匹敵(ひってき)するような人物だと、
評価(ひょうか)されているようです。

そのトインビー博士が、
当時(とうじ)、あった、
ギリシャ・トルコ戦争の取材(しゅざい)のため、
トルコに行く。

当時、1915年に、オスマントルコによる、
アルメニア人虐殺(ぎゃくさつ)が行われ、
西欧(せいおう)では、
トルコ人は、人間ではないように考えられ、
また、宣伝(せんでん)されていた。

その中で、トインビー博士は、
当然(とうぜん)、ギリシャ側の話しも聞くと同時に、
トルコ人難民(なんみん)の現場にも行き、
トルコ人たちの話しも、
じかに、聞いていく!

そして、戦争における真実(しんじつ)を、
なんの差別(さべつ)もなく、記録し、
それを、そのまま、
イギリスの新聞に、載(の)せた。

そのため、イギリス人のくせに、

「なんで、トルコ側(がわ)に立つんだ!」

と、イギリス中から、
反感(はんかん)と怒(いか)りを買い、
当時、ロンドン大学の教授であった
トインビーは、
大学を、辞(や)めさせられる!


しかし、トルコでも、
大きな反響(はんきょう)を呼んだ!


「なんだって!イギリス人が、
トルコの、おれたちの言い分(ぶん)を、
初めて、新聞に公表(こうひょう)してくれた!」


その驚(おどろ)きと、喜びは、
大きかったようだ。


このトルコでの経験が、きっかけとなって、
トインビー博士は、
大著(たいちょ)『歴史の研究』を、
完成させていく。


一方の意見だけを聞いていたら、
真実は、見えてこない。
現場(げんば)に行き、もう一方の意見も、
じかに聞き、対話(たいわ)していく。


その中に、真実が見えてくる。


なぜかと言えば、
そこにいるのは、
同じ人間だからだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


真実を語ることは、勇気がいると思う。


けれど、
偉大(いだい)な人間は、
迫害(はくがい)に屈(くっ)しない。

その誠実な、おおらかな心を持って、
悠々(ゆうゆう)として、堂々と、
真実を、語りぬいてゆく!

そのトインビー博士が、
自分から、


『会いたい!対談(たいだん)したい!』


と、願ったのが、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)
だと、いう。

そして、トインビー博士と、池田先生との、
対談集『二十一世紀の対話』は、
現在では、20ヶ国語以上に、翻訳(ほんやく)され、
世界的名著(めいちょ)として、
世界の平和を願う人々に、
読まれ、愛され続けている。


そのトインビー博士が、
池田先生との対談を、終えようとした時、
池田先生に、言ったそうです。

トインビー博士は、一流の大学などから、
博士号(はくしごう)を、いただいているんですが、
池田先生に向(む)かって、


「あなたは、私より、はるかに多くの、
博士号や名誉称号(めいよしょうごう)を、
もらうことになるでしょう。」


と。


そして、池田先生は、
現在、世界の大学から、
300を超(こ)える名誉称号(名誉博士、名誉教授など)を、
いただき、
トインビー博士の予言(よげん)どおりと、
なっている・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく32

2011-10-15 11:53:31 | 映画
先日、
映画、「ロング・エンゲージメント」を
見た話しをしました。

先日、話したような
ラブ・ストーリーであると同時に、
この映画は、戦争の悲惨(ひさん)さを、
ありありと、表現している映画でもあると、
思った。


戦争から逃れようと、
わざと怪我(けが)をした5人の兵士は、
処刑(しょけい)を宣告される。

よく考えてみると、
どちらが、正気(しょうき)か、わからないけれど、
その5人の中のひとりが、
映画の主人公・マチルダの恋人、マネクです。

そのマネクを中心に、
処刑を宣告(せんこく)された5人が、
なぜ?わざと怪我をし、
戦争から逃(のが)れようとしたのか?
5人それぞれの、
さまざまな人生の悲哀(ひあい)と苦悩が、
描かれていきます。

その5人の物語から、
マチルダは、マネクの消息(しょうそく)を、
からまった糸を、解(と)きほぐすように、
探していきます。

見ていて、映画とはいえ、
やはり、想像を絶(ぜっ)する戦争の悲惨さを、
感じました・・・・!



現代でも、戦争は、無くなってはいない。


なんて、愚(おろ)かで、
なんて悲惨なんだろうと、
思うけれど、
そう思っている自分も人間であるが、
戦争を起(お)こしているのも人間です。

宗教が、戦争に利用されていることも、ある。
戦争を起こす宗教も、良いとは思わないが、
宗教を、戦争に利用している権力者(けんりょくしゃ)は、
最も、悪いと思う。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

「戦争を起こすことは、宗教の自殺行為だ!」

と言っていた!


ほんとうに、そうだと思う!


「憎しみ」、「怒り」、「復讐(ふくしゅう)」

この悲惨なる悲しみの心に、
打ち勝つ力(ちから)が、人間には、あるのだろうか?


答えは、『ある!』だ!


人間には、憎しみや怒りを超(こ)えた、
強くて、あったかくて、やさしくて、
自分も幸せにし、人も世界も、幸せにできる、
満(み)たされた最高に幸せな生命がある!

その強くて、あったかくて、
自分も世界も、幸せにできる、
最高に充実(じゅうじつ)した生命のことを、
仏法(ぶっぽう)では、
『仏界(ぶっかい)』の生命という。

仏(ほとけ)のように、現代的に言えば、
人間の王者のように、堂々とした、
すべてを、包(つつ)み込むような強靭(きょうじん)な、
しかも、あったかい生命!

それが、仏(ほとけ・仏界)の生命だと思う!


その仏(ほとけ)の生命は、
だれでも、なんの違(ちが)いもなく、
すべての人間の中に、そなわっている!


それが、人間の生命であり、
人間である以上、必然的(ひつぜんてき)に、
仏(ほとけ)の生命が、
そなわっている!ということです。


池田先生が、

「世界のすべての人たちが、
自分の中に、この仏の生命(仏界の生命)が
あることが、わかったら、
戦争は、無くなる!!」

と、言っていた!


たしかに、そうだと思う!


自分に、自分も、まわりの人たちも、世界も、
幸せにする力があるとこを
知っていたら、
戦争を起こす必要が、ないからです!

なぜならば、
その仏(ほとけ)の生命を、自分の中から、
引き出すことによって、
自分も、世界も、変えていくことが、
できるからです。

その充実感と、満たされた心からは、
戦争を起こそうとする心は、
起こってはこない!


なにもできない絶望感(ぜつぼうかん)から、
戦争は、起こってくるのだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえているということは、
世界を、変えていることに、等しい。

なぜならば、
南無妙法蓮華経を、となえるという行為(こうい)は、
自分の中から、仏の生命(仏界の生命)を
引き出す、唯一(ゆいいつ)の方法だからです。

これ以外に、自分の中から、
仏の生命(仏界の生命)を引き出す方法も、
また、仏の生命を実感し、
認(みと)め、

「自分の中にも、素晴(すば)らしい仏の生命が、
あるんだ!!」

と、確信する方法も、ない!


だから、それは、そのまま、
自分の周(まわ)りの人たち、環境(かんきょう)、世界から、
仏界(ぶっかい)の心、すなわち、
平和の心、幸せの心を、引き出すことに、つながり、
世界を、幸せの方向に
変えていくことに、つながっていく。

だから、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえるという
信仰を根本とした、
創価学会(そうかがっかい)の活動は、
世界最高の平和活動なんだと、思う!


それを、客観的(きゃっかんてき)に見た、
世界の有識者たちは、
創価学会の活動を、絶賛(ぜっさん)し、
最高の尊敬と期待と希望をもって、
最大級の賞賛を、
創価学会に、あたえている・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく31

2011-10-10 12:49:03 | 映画
このまえ、
「ロング・エンゲージメント」
という映画を見ました。

とても、いい映画でした。
戦争のシーンは、
あまりにも残酷(ざんこく)で悲惨(ひさん)でしたが、
戦争後のシーンに戻ると、
ウイットやユーモアも、のぞかせ、
それでいて、
ひたむきな純(じゅん)な魅力(みりょく)が、
良く出ていました。


戦争で、マチルダの恋人、マネクは、
死んだと報告(ほうこく)されるが、
マチルダは、それを、信じない!
ただただ、

「マネクは、生きている!」

という、
自分の直感(ちょっかん)だけを信じ、
からまった糸のような小さな手がかりを頼(たよ)りに、
愛するマネクの消息(しょうそく)を
追っていく!

そして、
マチルダの直感は、
現実となり、
感動的なラストへと向かっていく。


その姿を、へんにドラマチックにはせず、
等身大(とうしんだい)の人間として、
表現しているところが、
すごく、良いと思った。



直感というものは、信念(しんねん)に似ている!


へたな願望のような、
浅(あさ)はかな勘(かん)は、
あまり、当たることはないし、
また、そういう勘(かん)が、
人を幸せに導(みちび)くことは、
少ない。

けれど、信念をともなった直感は、
時として、人を幸せに、みちびく。


人は、だいたいは、
常識(じょうしき)や理屈(りくつ)で動くものだ。
けれど、時として、
常識や理屈では違(ちが)っていても、
どうしても、こうするべきだ!という、
直感に従(したが)う時もある。

また、常識や理屈では、
そうすべきではないのに、
感情が、どうしてもこうしたい!という
強い信念を、ともなうこともある。

そういう時は、その直感に従ったほうが、
成功する場合もある。

なぜ?そうしたか?と聞かれて、


「どうしても、そうしたかったからだ!」


と、答えるしかない時もある。


理屈を、とるべきか?
直感を、とるべきか?

その見極(みきわ)めが、
たいへん難(むずか)しいと思う。


仏法(ぶっぽう)では、
その信念を、ともなった直感のことを、
「仏智(ぶっち)」と言う。

「仏(ほとけ)の知恵」という意味だ。

この仏智(ぶっち)は、ヒラメキに似(に)ていて、
理屈はともあれ、
仏智(ぶっち)として、
ひらめいたとおりに行動すると、
成功する。

成功するから、仏智なんだけれども・・。


ぼくが知っている創価学会(そうかがっかい)の婦人に、
理屈は、すごく苦手だけれど、
直感が、すごく!鋭(するど)い人がいる。

その人は、こころに、ご本尊(ほんぞん)を、
いつも、抱(だ)きしめているような人だ。

(ご本尊とは、創価学会で、
南無妙法蓮華経を、となえる対象[たいしょう]として、
信じている、祈りの対象です。)

彼女は、理屈は、わからなくても、

「だって、私は、そうしたいんだもの!」
「だって、私は、そうしたほうが、いいと思うんだもの!」

と、よく言う!

それで、常識から考えて、
無理(むり)ではないかと思われるようなことも、
成功させている!

だから、ぼくは、
「そうして、良かったですね!」
としか、言えない。

すごい人だと、思う。


問題は、この仏智が、
どうやったら出てくるかだと思う。

はっきり言うと、
『仏智(ぶっち)』は、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえないと、
出てこない!


南無妙法蓮華経は、自分の生命の中にある、
最高に素晴らしい、仏(ほとけ)の生命を
ひきだす、鍵(かぎ)に、似ている!

だから、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の中にある、
仏(ほとけ)の知恵を開くドアが開(あ)き、
ヒラメキが、出てくる!


創価学会員で、創造的(そうぞうてき)な仕事をしている人が、
創造上の壁(かべ)にぶつかった時に、
南無妙法蓮華経を、何時間も、となえて、
仏智であるヒラメキを、ひきだして、
何度も、何度も、
壁を、乗り越(こ)えてきたという話しは、
よく、聞く。


ぼくも、どうしたらいいか、悩むときなどは、
南無妙法蓮華経を、たくさん、たくさん、
となえると、
理屈ではなく、
絶対に、こうするべきだ!という、
直感と確信が、わいてきて、
はっきりと、進む道を選ぶことができたことが、
たくさん、あった!

また、これからも、
そうしていくだろうと思う。


南無妙法蓮華経を、となえると、
未来の見えない道を、ある意味、
仏智として、
自分に見えるようにしてくれる!

幸せになる道を、わからせてくれる!
それが、仏智(ぶっち)だと、思う。

すごいことだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経を、理屈で、
理解できる人は、いないと思う。

今日、話した仏智にしても、
南無妙法蓮華経の力の、
ほんのわずかな力(ちから)に、すぎないと思う。

南無妙法蓮華経の力は、
ほんとうに、すごすぎて、
とうてい、わからないと思う。


だから、結論(けつろん)として言えることは、


『南無妙法蓮華経は、信じるしかない!』


ということだ・・・・。


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