1.温の国会演説の問題点
中国首相・温の演説については、評価する意見も多い。
=====
田中秀征:温家宝首相に見習え、政治家は演説を官僚任せにするな
比喩や警句が絶妙で、キャッチ・コピーやキーワードになり得る。
特に、昨年の安倍首相の訪中を「氷を割る旅」とし、今回の温首相の訪日を「氷を溶かす旅」としたことは秀逸。これによって今回の訪日の意義を明快に規定しただけでなく、日本側を簡単にこの土俵に乗せてしまった。
日本の外交当局は、この温演説に事前に注文をつけたが、実際には「一つも手を加えることができなかった」(外務省幹部)らしい。一言で訪中の意義を表現された段階で勝負はついてしまっていた。(中略)温演説は昨年から周到に準備が始められたという。演説の骨格は本人や政権中枢が決め、官僚スタッフがそれを磨き上げたのだろう。
=====
確かに、譬喩や故事を散りばめるなど、日本では小泉前首相しかできなかったことを、アメリカの大統領なみにこなした温のコミュニケーション能力は日本人政治家がもっと学ぶべきであろう。しかし、多くの問題も指摘されている。議員諸氏の感想は以下の通りである。
温首相演説に“百家争鳴”…与野党議員が談話
温家宝首相の国会演説と与党議員の反応
日々是チナオチさんは、言葉の量に注目する分析を出している。
【温家宝来日】言いたい放題やりたい放題!それでも日本は拍手喝采。orz
中南海の黄昏さんは、台湾『自由時報』の反論を紹介している。
温家宝はSF条約をよく読めバカたれ!@自由時報
本ブログでは、中国外交部から日本語訳が出ていたので、これをコピーして、内容についてコメントして見る事にする。
2.温演説日本語版の注目点
温家宝在日本国会的演讲(全文)
友情と協力のために――日本国国会における温家宝総理の演説(二〇〇七年四月十二日 日本東京にて)
尊敬する河野洋平議長閣下
尊敬する扇千景議長閣下
国会議員の諸先生方(1)
(1)原文は「各位議員先生」で、台湾では「~さん」ぐらいの極軽い敬称。日本語の「先生」に訳すのは明らかにおかしい。googleで中国外交部の使用例を見ると、「議員先生」という言い方はたった3例で、演説では今回のみである。たしかに、敬称一覧には「議員先生」が出ているが、日本の他に使用例がないのはなぜだろうか?不思議に思って調べてみると、「議員 演講」で、胡の各国での演説がヒットした。最近の例を3つ示す。
(1)胡錦濤在韓國國會的演講(韓国国会での演説)
2005年11月17日,國家主席胡錦濤在韓國國會發表了題為《加強友好合作 共創美好未來》的重要演講,全文如下:
尊敬的金元基議長,
各位議員朋友,
女士們,先生們,朋友們:
今天,有機會來到大韓民國國會,並同各位議員見面,我感到十分高興。首先,我要感謝金元基議長的盛情邀請。借此機會,我願向在座的各位議員,並通過你們向韓國人民,轉達中國人民的真誠祝福。
(2)胡錦濤主席在法國國民議會的演講(全文)(フランス国民議会での演説)
尊敬的勃雷議長先生,
各位議員,
女士們,先生們:
今天,有機會來到久負盛名的波旁宮,同各位議員見面,我感到十分高興。首先,我代表中國政府和人民,向在座各位,向偉大的法蘭西人民,致以良好的祝願!
(3)胡錦濤在加蓬國民議會發表的演講(全文)(ガボン国民議会での演説)
尊敬的邦戈總統,
尊敬的拉維裏議長和恩達馬議長,
各位議員,各位大使,
女士們,先生們:
我非常高興有機會訪問加蓬,並在象徵中加友誼的國民議會大廈同各位議員及各國駐加蓬的使節見面。首先,我謹代表中國政府和人民,向各位、並通過你們,向加蓬人民和非洲人民致以誠摯的問候和良好的祝願!
どの演説でも、胡は「議員先生(議員さん)」とは言っていない。韓国では「議員朋友(親愛なる議員)」、他所では「各位議員(議員諸氏)」と呼んで、日本で使った呼び方「議員先生」はまったく使っていない。
つまり、日本でだけこの言い方を使っているのである。しかも、女性議員がいることが分かっていて、全部を「先生」と呼んだのは、外交上極めて、非礼と受け止めざるを得ない。他所では、「先生」「女士」と分けて呼んでいる。これは女性差別そのものである(中国の演説を襃めていた某政党の女性議員などにこの件をご注進申し上げるべきかもしれないが)。
早急に文言について、厳重に確認を求めるべきではないか。田中明彦:日中関係資料集所收の中国大陸側挨拶を見ると、以下のようになっている。
(1)田中総理の催した答礼宴会における周恩来総理挨拶
尊敬的田中角榮首相閣下,
各位日本貴賓們,
朋友們,同志們:
今天晚上,田中首相閣下舉行宴會,盛情款待我們。
(2)中曾根康弘総理歓迎晩餐会における胡総書記スピーチも同様だった。温は、以前の呼称は使っていない。
最近の例では以上のようになるが、台湾で調べたところ、実は、1960年代の蒋介石総統の佐藤総理大臣への挨拶に、前例があった。
款宴日本總理大臣佐藤致詞――中華民國五十六年九月八日――
佐藤總理大臣閣下、佐藤夫人、各位日本國會議員先生、各位佳賓:
中日兩國友好關係,自貴國元老吉田茂先生與前總理大臣岸信介先生相繼訪問以來,已樹立了強固合作基礎。『先總統 蔣公思想言論總集序』
温が、こうした故事まで調べて、演説で「議員先生」を使ったのだとすると、日本側はとうてい中国の敵ではない。温は、演説内容でもそうだが、中華民国時代を中華人民共和国にパラフレーズさせているのである。
関連話題として、もう一つ、「"温家宝" 演讲 」で調べると出てくる演説は、国際会議を除くと大学などでの講演が多く、国会は見られない。国会で演説しているのは、胡である。その点でも、今回の温の演説は異例と言える。
なぜ胡ではなく温が来たのか。googleで中国外交部を調べ、胡と温の訪問先の最近の傾向を見ると答えは簡単で、胡はだいたい友好を謳うために支配地域(韓国、中央アジア諸国、アフリカなど)、友好国(ロシア、フランスなど)、戦略的に重要な威圧できる国(メキシコ、フィリピン、ベトナムなど)などに出かける傾向がある。
「胡锦涛」で外交部のサイトを調べると、外遊して演説している国がたくさん出てくる。ちなみに、胡は、今年2月にはセーシュエル、3月にはロシアに”ご行幸”遊ばされている。最近の傾向からいえば最初から日本に来る気は毛頭なかった。
「温家宝」を調べると、係争地に出かけ工作を行っている傾向がある。最近では、今回の韓国(おそらくFTAの関係)・日本、そのほかヨーロッパのEC関係、アフリカなどである。日本は、工作が必要な係争地域なので、温が派遣されたといえる。友好の象徴として出かけることはなさそうである。しかし、外交能力は高い。
ちなみに、yahoo:中国の国家主席 胡錦涛と首相の温家宝の地位と仕事の違いをご教授下さい。お願い...の答えは、中国人の回答は論外だが、そのほかのご回答も優等生過ぎて、既成知識から現実を解釈するという戦争では一番してはいけないことをしている。もっと、ネットと言葉を活用していただきたい。競争は戦争の比喩である。
温はいつも難しい外交工作を一手に引き受けている。その点では、温を日本に派遣したのは正しかった。今回、日本政府が温に恩を着せておくのは、悪くはない。
本日は、貴国の国会において演説をさせて頂き、衆参両院の議員の諸先生方とお会いする機会を得ましたことを大変うれしく思います。まずはご在席の先生方をはじめ、日本国民の皆さまに対し、心から祝福を申し上げ、長期にわたって中日友好のために貴重な貢献をしてこられた日本各界の友人の皆さまに対し、心から感謝を申し上げますとともに、崇高なる敬意を表します。
今回は私の貴国に対する二回目の訪問であります。前回は15年前、同じく桜満開の四月でした。中国人民に対する日本国民の友好的な感情が深く印象に残りました。この度の貴国訪問は、日本の最新の発展ぶりを見るためであり、さらには、中日関係の改善と発展のために力を尽くし、貢献したいためであります。昨年10月の安倍総理大臣の中国訪問は氷を割る旅であったと言うならば、私の今回の訪問は氷を融かす旅となるよう願っております。私は友情と協力のために貴国にきました。これが正に私のこの度の日本訪問の目的であり、本日の演説のテーマでもあります。
友情と協力のために、長い中日友好の歴史の伝統を受け継ぎ、発揚する必要があります。二千年余りにわたる往来の中で、中華民族と日本民族は学び合い、お互いの経験を参考にして、それぞれ発展し進歩してきました。
秦と漢の時代から、稲作、桑植、養蚕、紡績、製錬などの生産技術が相継いで中国から日本に伝わり、漢字、儒学、仏教、律令制度と芸術なども日本に吸収され、参考にされました。日本は十数回にわたって遣唐使を派遣しました。阿倍仲麻呂はその中のすぐれた代表者の一人です。阿倍仲麻呂は中国で数十年間暮らし、唐王朝の要職につき、王維、李白など著名な詩人たちと親交を深めました。鑑真和上は日本へ渡航するため、五回も失敗したすえ、両眼が失明しました。それでも、和上は志を変えることはありませんでした。六回目に渡航を成し遂げたときはすでに66歳の高齢になりました。鑑真和上は衆生済度(しゅじょうさいど)の仏法を日本に伝え、長年の宿願を果たすために、通算12年間もの歳月を費やしました。鑑真和上は中日両国人民の友情を増進するために自分のすべてを捧げられました。昨年の12月、河野洋平議長は中国文化祭の開幕式において、「日本文化の伝統に中国文化の香りが漂っていることは、日中の間に切っても切れない縁があることの表れである」とおっしゃいました。わたしが申し上げたいのは、中国の文化が日本に伝わって、貴国の先人達が日本の伝統的文化を保ちつつも新たに創造を加え、大いに発展をさせました。そして、明治維新以降、日本の経済社会が急速に発展を遂げた時に、中国から大勢の青年が日本に来て、近代的な科学技術と民主的な思想を学び、中華民族を振興させる道を模索し、中国の発展と進歩を促進しました。中国民主主義革命の先駆者である孫文先生の革命活動は、多くの日本の友人から支持と支援を受けました(2)。周恩来先生、魯迅先生、郭沫若先生等の先達も日本で留学生活を送り、日本国民と深い友情を結びました。
中日両国の友好往来は、その時間の長さ、規模の大きさと影響の深さは、世界文明発展の歴史に類を見ないものであると言えましょう。これはわれわれが共有している歴史の伝統と文明の財産であり、いっそう大切にし、子々孫々にわたって伝え、大いに発揚するに値するものであります。
(2)孫文先生:原文は「孫中山先生」で、ここでも中国語の「先生」を日本語の敬称「先生」に訳している。当然、中華民国をそのまま中華人民共和国の歴史に包含する形で語っており、温の苦心が窺われる。以下の、中華人民共和国で評価される周恩来先生、魯迅先生、郭沫若先生も、中華民国時代の留学生で、中華民国をそのまま中華人民共和国の歴史に包含する形で語っている。台湾が、意識されているのは間違いない。
友情と協力のために、不幸な歳月の歴史的教訓を総括し銘記する必要があります。周知のように、中日両国人民の二千年以上にわたる友好往来は、近代において50年余りの痛ましい不幸な歴史によって断たれたことがあります。当時の日本が発動した中国侵略戦争によって、中国人民は重大な災難に見舞われ、おびただしい死傷者を出し、多大な損害を被り、中国人民の心に言葉では言い表せないほどの傷と苦痛を残しました。また、あの戦争は日本国民にも莫大な苦難と痛みを与えたことは、年配の方々には今なお記憶に新しいでしょう。歴史を考えるとき、われわれは次のような示唆を得ることができます。中日両国の平和と友好は両国の運命と国民の幸福にかかわるものであります。一つの国家、一つの民族にとって、歴史の発展のプロセスにおいて、プラスの経験も、マイナスの教訓も、いずれも貴重な財産であります。自らの歴史の経験と教訓から学ぶほうが、より直接に、より深く、より効果的にそれを得ることができます。これは一つの民族が奥深い文化的伝統を有し、自国の明るい将来に自信に満ちている表れです。
中国の古い世代の指導者がかつて度重ねて指摘したように、あの侵略戦争の責任は、極少数の軍国主義者が負うべきであり、一般の日本国民も戦争の被害者であり、中国人民は日本国民と仲良く付き合わなければなりません。戦火が飛び散っていたなかで、聶栄臻元帥は戦場で日本人の孤児美穂子さんを救助し、自ら世話をし、そして手を尽くして彼女を家族の元に送りました。1980年、美穂子さんは家族とともに中国へ行って聶栄臻元帥を訪ねました。この話に多くの人々が心を打たれました。戦後、2808人の日本人の子供たちが中国に置き去りにされ、残留孤児となりました。(3)戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人が彼らを引き取って、彼らを死の危機から救い出し、育てあげました。中日国交正常化の後、中国政府は孤児たちの肉親探しに大きな支援を与えました。現在までにすでに2513人の日本人孤児が日本に戻りました。彼らの多くは帰国後に、「中国養父母謝恩会」などのような民間団体を自発的に設立し、中国で養父母達の共同墓地と「中国養父母感謝の碑」を寄付?建立(こんりゅう)しました。その中に次のような碑文が書かれています。「中国養父母の人道的精神と慈愛心に深く感謝し、ご恩を永遠に忘れません……」と。
(3)中国残留日本人:問題はここにあるように単純ではない。「中華人民共和国政府の帰国を積極的に行わなかった不作為を指摘する声も有る」(wikipedia)。それに、戦争被害者を政争の具にしているのは、中国も日本も同じことで、中国の恩情などを表す例にはとうていならない。ただし、温のあげている2808人は中国帰国者支援・交流センターの最新の統計で、理科系出身の温がこうした資料や数字の正確さにこだわりをもっている性格であることがわかる。温と渡り合うには、同じように理詰めで論が組み立てられる理科系の人あるいは文科系でも実証的な性格の人物でないと、波長が合わない。日本人の政治家で適材を早急に探し、育てるべきで、小泉前総理のようなタイプでは水と油で、国際会議などで大喧譁になったのは当然だった。しかし、交渉相手の性格、発想がはっきりわかったのは、日本にとって大きなポイントである。温と具体的に問題を解決するには、詰め将棋のような話しのできる人物を相手に選ぶことである。)
3.日本にとって
今回の温訪問は、複雑な思惑の絡んだ、東アジアの変動を象徴するできごとだった。日本としては、失ったポイント(マスコミのバカさ無能さが知り尽くされた、利に弱い日本人が多く中国の工作上利用価値が高いことが知られた、天皇陛下を人質に取られた、外務省などの日本の官僚はバカで無能であることが如実に中国に分かってしまった・・・)は、非常に大きいが、温の演説で、一定の言質を取ることができ、理詰めの温の性格を知ることができたのは、プラスである。
お人好しの日本人や似権派はそれはそれとして、3割りの人が冷静に計算をしていれば、中国と渡り合うことは難しくはない。
結果的に、安倍総理のさまざまな試行錯誤や準備は、”肉を切らせて骨を裁つ”に近づいている。
=====
日米政府、原子力共同行動計画に署名 2007年4月24日(火)12:33
経済産業省は24日、「日米原子力共同行動計画」を策定し、署名したと発表した。
行動計画は、米政府が昨年2月に発表した「国際原子力エネルギーパートナーシップ」(GNEP)構想に基づき、〈1〉日本が原子力の研究開発で協力〈2〉日本が米国の原子力発電所の新規建設を支援〈3〉日米が協力し、核燃料供給の国際的な枠組みを構築――などが柱だ。地球温暖化対策につなげる狙いだ。同計画は、甘利経済産業相、伊吹文部科学相、麻生外相と、米国エネルギー省のボドマン長官が19日付で署名した。
甘利経産相は、24日の記者会見で、「日米原子力エネルギー同盟時代の幕開けと位置づけられる」と述べた。
=====
たとえ60点でも、”汝のなすべき事をなせ”は、私たち責任ある世代にも言えることである。
(後篇に続く)
中国首相・温の演説については、評価する意見も多い。
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田中秀征:温家宝首相に見習え、政治家は演説を官僚任せにするな
比喩や警句が絶妙で、キャッチ・コピーやキーワードになり得る。
特に、昨年の安倍首相の訪中を「氷を割る旅」とし、今回の温首相の訪日を「氷を溶かす旅」としたことは秀逸。これによって今回の訪日の意義を明快に規定しただけでなく、日本側を簡単にこの土俵に乗せてしまった。
日本の外交当局は、この温演説に事前に注文をつけたが、実際には「一つも手を加えることができなかった」(外務省幹部)らしい。一言で訪中の意義を表現された段階で勝負はついてしまっていた。(中略)温演説は昨年から周到に準備が始められたという。演説の骨格は本人や政権中枢が決め、官僚スタッフがそれを磨き上げたのだろう。
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確かに、譬喩や故事を散りばめるなど、日本では小泉前首相しかできなかったことを、アメリカの大統領なみにこなした温のコミュニケーション能力は日本人政治家がもっと学ぶべきであろう。しかし、多くの問題も指摘されている。議員諸氏の感想は以下の通りである。
温首相演説に“百家争鳴”…与野党議員が談話
温家宝首相の国会演説と与党議員の反応
日々是チナオチさんは、言葉の量に注目する分析を出している。
【温家宝来日】言いたい放題やりたい放題!それでも日本は拍手喝采。orz
中南海の黄昏さんは、台湾『自由時報』の反論を紹介している。
温家宝はSF条約をよく読めバカたれ!@自由時報
本ブログでは、中国外交部から日本語訳が出ていたので、これをコピーして、内容についてコメントして見る事にする。
2.温演説日本語版の注目点
温家宝在日本国会的演讲(全文)
友情と協力のために――日本国国会における温家宝総理の演説(二〇〇七年四月十二日 日本東京にて)
尊敬する河野洋平議長閣下
尊敬する扇千景議長閣下
国会議員の諸先生方(1)
(1)原文は「各位議員先生」で、台湾では「~さん」ぐらいの極軽い敬称。日本語の「先生」に訳すのは明らかにおかしい。googleで中国外交部の使用例を見ると、「議員先生」という言い方はたった3例で、演説では今回のみである。たしかに、敬称一覧には「議員先生」が出ているが、日本の他に使用例がないのはなぜだろうか?不思議に思って調べてみると、「議員 演講」で、胡の各国での演説がヒットした。最近の例を3つ示す。
(1)胡錦濤在韓國國會的演講(韓国国会での演説)
2005年11月17日,國家主席胡錦濤在韓國國會發表了題為《加強友好合作 共創美好未來》的重要演講,全文如下:
尊敬的金元基議長,
各位議員朋友,
女士們,先生們,朋友們:
今天,有機會來到大韓民國國會,並同各位議員見面,我感到十分高興。首先,我要感謝金元基議長的盛情邀請。借此機會,我願向在座的各位議員,並通過你們向韓國人民,轉達中國人民的真誠祝福。
(2)胡錦濤主席在法國國民議會的演講(全文)(フランス国民議会での演説)
尊敬的勃雷議長先生,
各位議員,
女士們,先生們:
今天,有機會來到久負盛名的波旁宮,同各位議員見面,我感到十分高興。首先,我代表中國政府和人民,向在座各位,向偉大的法蘭西人民,致以良好的祝願!
(3)胡錦濤在加蓬國民議會發表的演講(全文)(ガボン国民議会での演説)
尊敬的邦戈總統,
尊敬的拉維裏議長和恩達馬議長,
各位議員,各位大使,
女士們,先生們:
我非常高興有機會訪問加蓬,並在象徵中加友誼的國民議會大廈同各位議員及各國駐加蓬的使節見面。首先,我謹代表中國政府和人民,向各位、並通過你們,向加蓬人民和非洲人民致以誠摯的問候和良好的祝願!
どの演説でも、胡は「議員先生(議員さん)」とは言っていない。韓国では「議員朋友(親愛なる議員)」、他所では「各位議員(議員諸氏)」と呼んで、日本で使った呼び方「議員先生」はまったく使っていない。
つまり、日本でだけこの言い方を使っているのである。しかも、女性議員がいることが分かっていて、全部を「先生」と呼んだのは、外交上極めて、非礼と受け止めざるを得ない。他所では、「先生」「女士」と分けて呼んでいる。これは女性差別そのものである(中国の演説を襃めていた某政党の女性議員などにこの件をご注進申し上げるべきかもしれないが)。
早急に文言について、厳重に確認を求めるべきではないか。田中明彦:日中関係資料集所收の中国大陸側挨拶を見ると、以下のようになっている。
(1)田中総理の催した答礼宴会における周恩来総理挨拶
尊敬的田中角榮首相閣下,
各位日本貴賓們,
朋友們,同志們:
今天晚上,田中首相閣下舉行宴會,盛情款待我們。
(2)中曾根康弘総理歓迎晩餐会における胡総書記スピーチも同様だった。温は、以前の呼称は使っていない。
最近の例では以上のようになるが、台湾で調べたところ、実は、1960年代の蒋介石総統の佐藤総理大臣への挨拶に、前例があった。
款宴日本總理大臣佐藤致詞――中華民國五十六年九月八日――
佐藤總理大臣閣下、佐藤夫人、各位日本國會議員先生、各位佳賓:
中日兩國友好關係,自貴國元老吉田茂先生與前總理大臣岸信介先生相繼訪問以來,已樹立了強固合作基礎。『先總統 蔣公思想言論總集序』
温が、こうした故事まで調べて、演説で「議員先生」を使ったのだとすると、日本側はとうてい中国の敵ではない。温は、演説内容でもそうだが、中華民国時代を中華人民共和国にパラフレーズさせているのである。
関連話題として、もう一つ、「"温家宝" 演讲 」で調べると出てくる演説は、国際会議を除くと大学などでの講演が多く、国会は見られない。国会で演説しているのは、胡である。その点でも、今回の温の演説は異例と言える。
なぜ胡ではなく温が来たのか。googleで中国外交部を調べ、胡と温の訪問先の最近の傾向を見ると答えは簡単で、胡はだいたい友好を謳うために支配地域(韓国、中央アジア諸国、アフリカなど)、友好国(ロシア、フランスなど)、戦略的に重要な威圧できる国(メキシコ、フィリピン、ベトナムなど)などに出かける傾向がある。
「胡锦涛」で外交部のサイトを調べると、外遊して演説している国がたくさん出てくる。ちなみに、胡は、今年2月にはセーシュエル、3月にはロシアに”ご行幸”遊ばされている。最近の傾向からいえば最初から日本に来る気は毛頭なかった。
「温家宝」を調べると、係争地に出かけ工作を行っている傾向がある。最近では、今回の韓国(おそらくFTAの関係)・日本、そのほかヨーロッパのEC関係、アフリカなどである。日本は、工作が必要な係争地域なので、温が派遣されたといえる。友好の象徴として出かけることはなさそうである。しかし、外交能力は高い。
ちなみに、yahoo:中国の国家主席 胡錦涛と首相の温家宝の地位と仕事の違いをご教授下さい。お願い...の答えは、中国人の回答は論外だが、そのほかのご回答も優等生過ぎて、既成知識から現実を解釈するという戦争では一番してはいけないことをしている。もっと、ネットと言葉を活用していただきたい。競争は戦争の比喩である。
温はいつも難しい外交工作を一手に引き受けている。その点では、温を日本に派遣したのは正しかった。今回、日本政府が温に恩を着せておくのは、悪くはない。
本日は、貴国の国会において演説をさせて頂き、衆参両院の議員の諸先生方とお会いする機会を得ましたことを大変うれしく思います。まずはご在席の先生方をはじめ、日本国民の皆さまに対し、心から祝福を申し上げ、長期にわたって中日友好のために貴重な貢献をしてこられた日本各界の友人の皆さまに対し、心から感謝を申し上げますとともに、崇高なる敬意を表します。
今回は私の貴国に対する二回目の訪問であります。前回は15年前、同じく桜満開の四月でした。中国人民に対する日本国民の友好的な感情が深く印象に残りました。この度の貴国訪問は、日本の最新の発展ぶりを見るためであり、さらには、中日関係の改善と発展のために力を尽くし、貢献したいためであります。昨年10月の安倍総理大臣の中国訪問は氷を割る旅であったと言うならば、私の今回の訪問は氷を融かす旅となるよう願っております。私は友情と協力のために貴国にきました。これが正に私のこの度の日本訪問の目的であり、本日の演説のテーマでもあります。
友情と協力のために、長い中日友好の歴史の伝統を受け継ぎ、発揚する必要があります。二千年余りにわたる往来の中で、中華民族と日本民族は学び合い、お互いの経験を参考にして、それぞれ発展し進歩してきました。
秦と漢の時代から、稲作、桑植、養蚕、紡績、製錬などの生産技術が相継いで中国から日本に伝わり、漢字、儒学、仏教、律令制度と芸術なども日本に吸収され、参考にされました。日本は十数回にわたって遣唐使を派遣しました。阿倍仲麻呂はその中のすぐれた代表者の一人です。阿倍仲麻呂は中国で数十年間暮らし、唐王朝の要職につき、王維、李白など著名な詩人たちと親交を深めました。鑑真和上は日本へ渡航するため、五回も失敗したすえ、両眼が失明しました。それでも、和上は志を変えることはありませんでした。六回目に渡航を成し遂げたときはすでに66歳の高齢になりました。鑑真和上は衆生済度(しゅじょうさいど)の仏法を日本に伝え、長年の宿願を果たすために、通算12年間もの歳月を費やしました。鑑真和上は中日両国人民の友情を増進するために自分のすべてを捧げられました。昨年の12月、河野洋平議長は中国文化祭の開幕式において、「日本文化の伝統に中国文化の香りが漂っていることは、日中の間に切っても切れない縁があることの表れである」とおっしゃいました。わたしが申し上げたいのは、中国の文化が日本に伝わって、貴国の先人達が日本の伝統的文化を保ちつつも新たに創造を加え、大いに発展をさせました。そして、明治維新以降、日本の経済社会が急速に発展を遂げた時に、中国から大勢の青年が日本に来て、近代的な科学技術と民主的な思想を学び、中華民族を振興させる道を模索し、中国の発展と進歩を促進しました。中国民主主義革命の先駆者である孫文先生の革命活動は、多くの日本の友人から支持と支援を受けました(2)。周恩来先生、魯迅先生、郭沫若先生等の先達も日本で留学生活を送り、日本国民と深い友情を結びました。
中日両国の友好往来は、その時間の長さ、規模の大きさと影響の深さは、世界文明発展の歴史に類を見ないものであると言えましょう。これはわれわれが共有している歴史の伝統と文明の財産であり、いっそう大切にし、子々孫々にわたって伝え、大いに発揚するに値するものであります。
(2)孫文先生:原文は「孫中山先生」で、ここでも中国語の「先生」を日本語の敬称「先生」に訳している。当然、中華民国をそのまま中華人民共和国の歴史に包含する形で語っており、温の苦心が窺われる。以下の、中華人民共和国で評価される周恩来先生、魯迅先生、郭沫若先生も、中華民国時代の留学生で、中華民国をそのまま中華人民共和国の歴史に包含する形で語っている。台湾が、意識されているのは間違いない。
友情と協力のために、不幸な歳月の歴史的教訓を総括し銘記する必要があります。周知のように、中日両国人民の二千年以上にわたる友好往来は、近代において50年余りの痛ましい不幸な歴史によって断たれたことがあります。当時の日本が発動した中国侵略戦争によって、中国人民は重大な災難に見舞われ、おびただしい死傷者を出し、多大な損害を被り、中国人民の心に言葉では言い表せないほどの傷と苦痛を残しました。また、あの戦争は日本国民にも莫大な苦難と痛みを与えたことは、年配の方々には今なお記憶に新しいでしょう。歴史を考えるとき、われわれは次のような示唆を得ることができます。中日両国の平和と友好は両国の運命と国民の幸福にかかわるものであります。一つの国家、一つの民族にとって、歴史の発展のプロセスにおいて、プラスの経験も、マイナスの教訓も、いずれも貴重な財産であります。自らの歴史の経験と教訓から学ぶほうが、より直接に、より深く、より効果的にそれを得ることができます。これは一つの民族が奥深い文化的伝統を有し、自国の明るい将来に自信に満ちている表れです。
中国の古い世代の指導者がかつて度重ねて指摘したように、あの侵略戦争の責任は、極少数の軍国主義者が負うべきであり、一般の日本国民も戦争の被害者であり、中国人民は日本国民と仲良く付き合わなければなりません。戦火が飛び散っていたなかで、聶栄臻元帥は戦場で日本人の孤児美穂子さんを救助し、自ら世話をし、そして手を尽くして彼女を家族の元に送りました。1980年、美穂子さんは家族とともに中国へ行って聶栄臻元帥を訪ねました。この話に多くの人々が心を打たれました。戦後、2808人の日本人の子供たちが中国に置き去りにされ、残留孤児となりました。(3)戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人が彼らを引き取って、彼らを死の危機から救い出し、育てあげました。中日国交正常化の後、中国政府は孤児たちの肉親探しに大きな支援を与えました。現在までにすでに2513人の日本人孤児が日本に戻りました。彼らの多くは帰国後に、「中国養父母謝恩会」などのような民間団体を自発的に設立し、中国で養父母達の共同墓地と「中国養父母感謝の碑」を寄付?建立(こんりゅう)しました。その中に次のような碑文が書かれています。「中国養父母の人道的精神と慈愛心に深く感謝し、ご恩を永遠に忘れません……」と。
(3)中国残留日本人:問題はここにあるように単純ではない。「中華人民共和国政府の帰国を積極的に行わなかった不作為を指摘する声も有る」(wikipedia)。それに、戦争被害者を政争の具にしているのは、中国も日本も同じことで、中国の恩情などを表す例にはとうていならない。ただし、温のあげている2808人は中国帰国者支援・交流センターの最新の統計で、理科系出身の温がこうした資料や数字の正確さにこだわりをもっている性格であることがわかる。温と渡り合うには、同じように理詰めで論が組み立てられる理科系の人あるいは文科系でも実証的な性格の人物でないと、波長が合わない。日本人の政治家で適材を早急に探し、育てるべきで、小泉前総理のようなタイプでは水と油で、国際会議などで大喧譁になったのは当然だった。しかし、交渉相手の性格、発想がはっきりわかったのは、日本にとって大きなポイントである。温と具体的に問題を解決するには、詰め将棋のような話しのできる人物を相手に選ぶことである。)
3.日本にとって
今回の温訪問は、複雑な思惑の絡んだ、東アジアの変動を象徴するできごとだった。日本としては、失ったポイント(マスコミのバカさ無能さが知り尽くされた、利に弱い日本人が多く中国の工作上利用価値が高いことが知られた、天皇陛下を人質に取られた、外務省などの日本の官僚はバカで無能であることが如実に中国に分かってしまった・・・)は、非常に大きいが、温の演説で、一定の言質を取ることができ、理詰めの温の性格を知ることができたのは、プラスである。
お人好しの日本人や似権派はそれはそれとして、3割りの人が冷静に計算をしていれば、中国と渡り合うことは難しくはない。
結果的に、安倍総理のさまざまな試行錯誤や準備は、”肉を切らせて骨を裁つ”に近づいている。
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日米政府、原子力共同行動計画に署名 2007年4月24日(火)12:33
経済産業省は24日、「日米原子力共同行動計画」を策定し、署名したと発表した。
行動計画は、米政府が昨年2月に発表した「国際原子力エネルギーパートナーシップ」(GNEP)構想に基づき、〈1〉日本が原子力の研究開発で協力〈2〉日本が米国の原子力発電所の新規建設を支援〈3〉日米が協力し、核燃料供給の国際的な枠組みを構築――などが柱だ。地球温暖化対策につなげる狙いだ。同計画は、甘利経済産業相、伊吹文部科学相、麻生外相と、米国エネルギー省のボドマン長官が19日付で署名した。
甘利経産相は、24日の記者会見で、「日米原子力エネルギー同盟時代の幕開けと位置づけられる」と述べた。
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たとえ60点でも、”汝のなすべき事をなせ”は、私たち責任ある世代にも言えることである。
(後篇に続く)
「在日本对妇女一般称女士、小姐,对身份高的也称先生,如“中岛京子先生”。(日本では女性は一般に女士、小姐と呼び、地位の高い人は「中島京子先生」のように先生とも呼ぶ。)」
他の国で使われている「女士們,先生們」は英語の「Ladies & Gentlemen」を直訳しただけのように思われます。また、韓国のように中国首脳から朋友と呼びかけられるのも考えもののような気がします。中華圏の身内(=子分)と見なされているのではないかと邪推してしまいますので。
温家宝演説の「各位国会議員先生」は、外交的非礼というよりも、むしろ日本に対してはやや気をつかって、日本の習慣を取り入れていると受け取っていいのではないでしょうか。