先日、キャリアデザインについてのワークショップ型講座に行った。
人生の棚卸しって書いてあったから、有意義かもしれないと思い参加してみた。
参加者は片手で数えても余るくらい少なかったので、講師や参加者との距離は大変近いものであった。
講師はキャリア・女性リーダ育成の分野の研究者・大学教員(久留米出身)で、参加者は私以外w 久留米によくいる感じの40手前のおばさんだった。
その大学教授は、今追い風になってる「輝く女性」のボス的な立ち位置で、女性達を社会に進出させリーダーを育成するこのような講座に呼ばれて「社会貢献」(自称)している人であるが、率直な感想として、大変質の低い内容であり、3流以下の研究者であった。こんなペラッペラのクソ女が大学教授になれるんだな アカデミックもへったくれもありゃしない と思った。
本人は、「輝く女性」のリーダーのつもり、インテリな大学教授のつもりでいるが、すべてが浅く、勘違い女のリーダー という感じであった。「女性が輝く社会」という大きな振り子の扇動役となって蜜を吸ってる人であった。
福岡では、その場を取り繕いのペンキで完璧に塗り固めない人は馬鹿者と位置づけられると書いたが(参照:嘘(欺瞞)がデフォルト な福岡では、澄んだ目を持つ者は馬鹿者と位置づけられる)、この女も発言の端々から、その福岡臭が強くした。私はそんな場にいると、窒息感がある。とにかく息がしにくい。その場を上手に抜かりなく取り繕うのが 大人 常識 だと思い込んでる。そういうのが、古いし 教養のかけらもないし the 田舎もん なのに気づいてない… 本人はアカデミックな女史のつもり満々。この人、周りの本物の教養人たちからは見下されてるだろうな。言うことが薄っぺらいし 質が劣る。
参加者が互いに自分のことについて話しながら、自分の特性などについて整理・分析を図るワークショップであったが、私の隣に座った40手前のおばさんも、私の苦手なババァそのものであった。
よその人たちが共通して言う、福岡女の不快な特徴 : 上から目線
私はあまり硬質な話し方はせず、よく「やらわかい」「ソフト」と言われるが、そういうのを安易に解釈し、上から目線でくる。私はそういう勘違い猿女とつきあうのがとても苦手である。バカに限って、上から目線でくる。バカじゃない人は、こちらの話し方・物腰がやわらかいからといって上から目線には決してならないのである。
こういう、物を浅くしか見ることができない人と私の相性は悪い。
こういう人ってババァに多い。そして、ある時私が自分の権限を行使すると、ものすごい勢いで反応し潰してくる。動物的な上下関係でだけ動いている猿女。佇まい、物腰が やわらかく やさしい人は、当たり前の権限を行使してはならない 度重なる火の粉を振り払ってはならない いつも譲る立場・やられる立場でないといけない いつも人に奪われ、先を越されて自分のは残ってないという役割でないといけない となぜか動物的に思い込んでいるのである。こういう自動的思考女はババァに多い。
謙虚でやさしい佇まい=権限を放棄している ではないのに自動的に浅ましく解釈してくる。つまり、自分に都合のいいように歪めて解釈しているのである。…その猛烈さ、手っ取り早さに猿を感じる。その解釈は、自分の損得とのシーソーゲーム 椅子取り合戦 優位合戦という発想からきている。思慮深さは隙 と解釈される。
隣の席のババァの挙動に、今までに経験してきたババァを見て、私は体が敏感に反応して胸が苦しくなっていたのだが、その場ではもちこたえていた。
自由で対等で 知的に満たされるはずの 市民のための講座という場でさえ こんなにも色々なことを感じ苦痛になる私は 引きこもって正解だと思った。