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Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

神の審判が下ると言うが

2018-11-26 | モラハラに遭ってる仲間に

家に、時々エホバの女性達がくる。

いつも、慎ましやかな服装で。エホバには、おしゃれをしてはいけないという戒律があるのかしら みんな、地味。別にいいけど。

彼女たちは、じきに神による審判が下る と言う 

早く来てください 今すぐ来てください

と言うと 神はその最善の時期を見計らっている みたいなことを言う

見計らっている間に さらなる犠牲者が傷つき苦しみ死に続けている

とっくに来ていたその時期を 見逃して 惨事を繰り返させてる

神がいたら、こんな醜い腐敗しきった世界を許し続けるわけないよね

歴史の中で、苦しみながら闘って 迫害されて 殺されてきた人たちによって 少しずつ変わってきた それが本当のことで 神の裁きなんて 働いたことは一度もないよね

世の中を よく変えてきたのは 稀に心ある人達。そうでない大衆の中で 稀な心を持った少数の人達。かれらの苦しみ 悲しみ 傷つき 嗚咽 尊厳の剥奪 拷問 暗殺 死刑 バッシング 社会的信用の剥奪 敗訴 棄却 再審請求棄却 そういう犠牲によって気が遠くなるスパンで少しずつ変わってきた それが本当のこと。

神の裁きなんて 働いたことはないよ 逆の裁き さかしまの裁き ならいくらでも働いてきたよね 今だって。稀に心ある少数の人の身を挺しての勇気が、それに困る人たちや心ない烏合の大衆によって潰される殺される 

うちに来るエホバの女性達はみんないい人 彼女たちも、いじめられる側で苦しんで生きてきた人。でも知性は感じられない だから話しているとつまらなくなる。歴史や社会をちゃんとみない

 神はいない 社会を変えてきたのは 稀に心ある人達のはかり知れない犠牲 

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闘ってる人達へ

2018-09-29 | モラハラに遭ってる仲間に

モラハラやパワハラやいじめなどと闘っている人達に、私からぜひ助言させて欲しいことがある。

闘っていると、まるでその本人は神様 仏様 キリスト様 仙人様 のようでなければならないという錯覚に陥りがちである。

いじめてる側の人達や、周囲の人達や裁く側の人達が、いじめなどの被害者に完璧を求めてどんな小さな粗でも猛烈に突いてくる というおかしな現象は多々みてきた。これはもう、動物的な自動反応なのか。いじめてる人達の、比べものにならない欠点・醜悪さを棚に上げてである。そして、闘っている本人は、自分が完璧でないといけないかのように思い込んでしまいがちである。周りが、それを要求してくる。あなたが、完璧でないといけないと思うと悦んで漬け込んでくる。ものすごい勢いで。

その罠にはまらないでと助言したい。

あなたは 完璧じゃないし それは当たり前。

好きな異性のタイプや、音楽、映画、色、車、食べ物があって嫌いなものも同じくらいあって、あまり人に言えないような趣味があったり フェティシズムがあったり 普通の人間。

そのことを、決して忘れないで、それがなにさ だから何?っていう気持ちでいて欲しい。

闘う中で、自分がまるで神様のように完璧でないといけない っていう周りからの自動的な勘違いに呑まれることなく 普通の好き嫌いのある人間であることを忘れないでね。

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福岡に異常に多いモラハラ体質人間

2018-08-12 | モラハラに遭ってる仲間に

引きこもりだった私は社会参画したが、やっぱり、わかっていた通り、いやそれを優に超える 福岡人の悲惨な気質を目の当たりにし、その害を日々被り、精神が再び病んでいる。

福岡に多いモラハラ体質の人間(略してモラ)の特徴

利用だけする。損か得か。怖いか怖くないか それだけが行動原理。

 

福岡ではモラが珍しい訳じゃなく、すごく多い モラ率がすごく高い

やはり、こんな所には住めないかも…

すごくつらいから、また後で書く…

 

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ものすごい秀逸さを感じるモラハラ洞察と対処法

2018-08-05 | モラハラに遭ってる仲間に

このブログです。

離婚しない 『モラハラ』『自己愛性人格障害』対処の超裏技!! 

 

「離婚しない~」と書いてありますが、夫に限らず、職場や学校でのモラハラ加害者(自己愛性人格障害者)にも同じことが言えます。非常に洞察が鋭く的を射ている。対処法も実に当を得ている。
(ただ、対処法は確かに、綺麗ごとではない裏技であり、危険を伴う。モラハラ被害者になるような人には難易度が高く、匙加減が難しい。だってその純粋さ やさしさ 打算のなさ 正直さがモラハラ被害者たる所以なのだから。上手に巧妙に裏腹に虎視眈々と匙加減できる「悪人」なら、絶対タゲにならないから…て思う 非常に難しいし危険なことをこの人は言ってる。危険な相手に言ってる。一番それができない相手に言ってる。でもどんな綺麗ごとよりも本当のこと言ってる。)
 
モラハラ被害者の方は読まれることをお勧めします。
 
モラハラ関連の記事やブログはたくさんある中、あまりの秀逸な洞察に、目が釘付けです。
 
そして、こうも思うんです。
 
モラハラ(自己愛性人格障害)がターゲットに及ぼす害悪はすさまじいものがあり、そんな人間は異常でありいかにも少数派であるかのように見えるが
 
福岡では、そんな人ばっかりなんだよ って。
 
オーバーじゃなくて、本当です。福岡には、モラハラ加害者(自己愛性人格障害)が異常に多い。自分がない 空洞の人達(私は生きながらに死んでる人、亡者と言いました。)が福岡では多数派なんです。全然珍しい人種ではない。
 
恐ろしい土地だと思います。昔も今も、その感覚は変わらない。
 
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このブログ読んでるけど、つらい。本当のこと書いてあるけど、読むほどつらい。特に、モラハラ加害者の説明をしている記事。そんな人ばっかりの福岡県。哀しい。苦しい。2018.8.12
 
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いじめられてきた人の巻き返し

2018-07-11 | モラハラに遭ってる仲間に

このことを、仲間に伝えたい。

いじめられ、食い物にされ、漬け込まれ、傷つけられ、踏み台にされ続けてきた人たちへ。私の話だけど。

繰り返した苦しい経験のあかつきに(っていう程、過去の話じゃなくて、いつだって紙一重だし。いじめられに転ぶことは今現在も大いにあるけど)

巻き返しっぽい変化を感じてる。それは、劇的なものじゃなくてじわじわ でも たしかに手ごたえがあるもの。

知らないうちに、身についた オーラというのか 

人を静かにさせる 影響力というのか うまく言えないけどそういうのが自分に備わってきたことを 時々感じる。

いじめられてきた人がみな、そうなる訳じゃない。いじめられたから、人にやさしくなれる というのは多くの場合当てはまらず、より弱い者をいじめる 自分がいじめる側に回る いつでも掌返す 弱者にすごくきびしく出る 強き(いじめる側)にへつらい弱きに強く出る そんな人の方が多いと思う 日本には。今たまたまやられてる側だけど、いじめる人達と同類のクズをたくさん見てきたし、今でも。(ぜひ参考:価値のある人かどうかの品定め

私はそうならず、巻き返しを感じている。

もちろん誤解しないでほしい。自分が強者側に立ったとか 貧乏が超金持ちに成り上がった大逆転劇 とかそういう意味ではない。でも、人を静かにさせる 時にゴクリとさせる オーラが自分に備わってきてると思う。

そうなるまでには、繰り返し 苦しみ 傷つき 哀しみを味わってきた。うつ病になったのだから。治ってないし…

かつての私と何が違うかっていうと、かれらのことがよくわかっていて 全部透けてみえてますぜ お見通しですぜっていう風格 どこかすわってる目 どこか落ち着いてる佇まい(職場で私をいじめていたおばさんに会った。

かつての私は人を信じていて天然丸腰の、「隙だらけ」の少女であったのに対して。

武装して 睨みをきかせて 険のある ギスギスした人間になるのか いや違う。全然違う

同類じゃないのは昔も今も変わらない。

違いは、今はかれらの行動パターンが完全に把握できていて透けて見えてるってこと。猿の観察者。行動パターンが把握できてる ってことは、何度も繰り返し害を被る立場で経験してきたから。そして、気づくよ。判で押したように同じパターンだから。かれらのやることは、どこ行っても、みな同じパターン。だから、もう次が読めるようになる。その読みは、まぁ当たる。外れなし。

また、巻き返しは自分をいじめた人達相手に っていうことじゃない。

もちろん、そうなるなら何より愉快だけど、多くの場合は、そうなる前に潰されてその集団から去る 追い出される。自分をまさにいじめた人達相手にではなく、その後出会う似た人達(それが日本の多数派)相手にっていう意味で、私は語ってる。

巻き返しって、あるよ。

それには、資格がある。かれらと同類にはならない っていう条件だよ。

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アピールの裏にあるのは、それと真逆の実態

2018-06-17 | モラハラに遭ってる仲間に

自分から周りに「こんな自分」をアピールする人は、その逆が真実であることが多い。

(参考:承認欲求の満たし方のレベル

自称)サバサバした男っぽい女性 → 逆

気前がよく、太っ腹で気にしないことを周囲にアピール→ 逆 本当はものすごくセコイしケチ

嫁アピール、子煩悩アピール 家庭円満アピール→ 逆 家庭は壊れてる 浮気症 

声高にいちいちアピールする場合、その裏には真逆の実態がある。

私は、お金に細かいことや神経質なことを悪いことと思ってない。私は経済的には底辺だからお金には細かいし金を守るし、衛生面で神経質なところがあるけど逆の方に偽装するためにアピールしたりしない。ありのままの姿で構わないので。おおらかぶったり呑気ぶったり、気にしないぶったりしない。だって私のすごく気にする部分、どこまでも追究する部分を悪いと思ってないし。逆の方にアピールを作為的にしなくても、別の面では 大胆で 無頓着なときがあるから、ありのまま見せればいいと思う。

声高にアピールする人は、実態は逆であることが多い。

「何でこの人、こんなに”こう思わせるための”印象操作うざいんだろう 静かにして」と思ってた人が、犯罪、いかさま不正をしていたという経験があった。やっぱりね、と思った。だっておかしいもん。アピールが。実態がしゃれにならないくらい黒い程、逆の方にアピールしたがる。逆の方にゴムを引っ張らないと不安で仕方がないのだろう。黒いことをしている人は、自分が白いことを声高にアピールせずにはいられない。

自分のやってることに自信もってたら、声高にアピールする必要ないもの。

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空気中に存在する物質

2018-05-26 | モラハラに遭ってる仲間に

立て続けにこういう話題であるが、このことを本気で思ったので。

その場の人間関係が悪いと「空気が重い」とか「閉塞感のある空気」とか言い

快適な人間関係がそこにあると「空気が軽い」とか「開放的で明るい空気」とか表現する。

この「空気」は心理によるものであり、その場の空気を構成している物質はなんら変わりないものと思ってきたが、最近、空気中の物質に変化があるのではないかと思っている。オカルトとかじゃなくて、そういう現象は起こっているのではないかと。

いつもその場の空気(いわゆる空気)を支配しているモラハラ加害者やその取り巻きがいないと、物理的な意味での空気が全然違う。

いつもは窒息感 緊迫感 張りつめた感じがあり 硬くて重い 空気であるが

モラハラ加害者と、浅ましく立ち回るその追従者がいなくて、そこにいるのはその被害者や、良識あるやさしい人だけ であると 空気が軽くて 透明で 穏やかになる。

呼吸のしやすさが、全然違う。

この空気の差がとても有意だったため、実際に空気中の物質も変化しているのではないかと考えている。

例えば、空気(いわゆる空気)を支配するモラハラ加害者や取り巻きたちの邪悪な考えや、他のその場にいる人達の不安、緊張、自己保身の防衛心といった様々な思いが、なんらかの物質を空気中に発し、そこの空気はそれらの物質で充満するーー そういうのがあるのではないかと思うほど、空気が違う。

以前出入りしていた職場(私は外部の者として)でこういうことがあった。水面下で陰湿ないじめの対象になって常に緊張状態にさらされ多大なストレスがかかっている女性に、上手にいじめている側の女がなにくわぬ顔で業務上の書類を持って接触した瞬間、パン!!っと大きな破裂音がした。ものすごい静電気? わからないけど。その巧妙いじめ女は「キャー」と大きな声を上げて、その女性を「化け物」「憑依された者」のように後ずさってどん引いて反応していたが、その女の方こそばれないようにいつも彼女を攻撃し追い詰めている化け物で、彼女は被害者であった。強い緊張状態、ストレスにさらされていると、その人の体から強い電気が発せられるのかと感じる出来事であった。

よく、空気がいい とか重いとか言うけれど、物理的にも空気中の物質に変化が起きているのではないかと 本気で考える という話であった。

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自己愛性人格障害の前では、理が逆転し倒錯する

2018-05-03 | モラハラに遭ってる仲間に

今の季節から、梅雨までの間が一番好き。雨は私を癒し慰めてくれる。

福岡は、男女問わず、自己愛性人格障害者が異常に多い。そもそも日本は世界的にも自己愛率が高いという報告があるが、福岡は輪をかけてひどい。

自己愛(以下省略)の前では、自然の法則というのか理というのか そういうのが逆転し倒錯する という話を、ぜひ知ってもらいたいと思う。 (参考:強きにへつらい 弱きに強い福岡人

例えば、自分を尊重し親切にやさしく接する人に 好意や敬意をもち 自分を軽視し侮辱しモラハラをする人には 嫌悪感や軽蔑 をおぼえる というのが 理であるとすると

自己愛者においては、この理が逆転し 自分を尊重しやさしくする人を 見下し軽視しないがしろにし 自分を侮辱しモラハラする人には 尊敬の念をもつ。これは無意識のもので、はっきりと出る反応である。

つまるところ、早い話が「時分に強く出る人には弱く そうでない人には強く出る」動物的な習性のままの人ということで、本能のまま 野性的過ぎる、自然の法則過ぎる人 とも言えるだろう。つまり、あまりにも低レベルな人だと言える。

いじめられている人を助け庇い援護したら、その人が今度はあっち側に仲間入りして、助けた人をいじめる という現象は私も何度も経験したしたくさん聞く話である。

自己愛の前では、思いやりをもって接すれば同じように返ってくる とか 品位を失わないでいればそれが伝わり相手も品位で返す とか そういうのが全く通用しないばかりか、逆の結果となるのである。このことは、覚えておいた方がいい。

漬け込まれ ないがしろにされ 侮られる という結果になる。

だから、そういう人たちに対しては、とても哀しいことだけど、その動物性に訴えるしかないのである。これをずっと長い間拒否してきた私がずたずたに傷ついた果てに辿り着いた本当のことである。品位や厚意は漬け込まれ食い物にされるだけだったのに、硬質な姿勢(激しく言うと、威嚇)によってのみ、報われたのである。まことに哀しく 情けない真実であるが、これが本当のことである。

ただし このことも覚えておいて欲しい。

日本 特に福岡にはそんな人ばっかりだけど、そうでない人もいて、そんな人たち(少数派)に対しては あなたの本来の誠実さ 品位を保って欲しい。それが本来、あなたの標準であることだけはいかなる時も忘れないで手放さないで欲しい。

でないと、この日本は 動物だけの野蛮な国になってしまうから。

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価値のある人かどうかの品定め

2018-03-10 | モラハラに遭ってる仲間に

私は、これまでにしてきた苦しくて哀しい経験から、今こう思ってる。

弱い立場の人 虐げられている人 を助ける時には、注意が必要である。

私は、このことをわかっていなかった。だから深く傷つけられ精神を病んだのである。

弱い立場の人を庇い、助け、援護する時には、その相手がそれに値する人格をもっているか

このことを条件にしないといけない。

もし、その人に 知性(どういう社会の片棒担ぎたいのかという立場。損得勘定の対極、自分さえよければの逆にあるもの)、倫理観、誠実さがないのなら、その人は助けるに値しない人である。自分の家族を大切にしていて守ろうとする気持ちをいくらもっていても、これらがない人は価値のない人である。自分の家族を守りたいのは自分を守りたいことと同じ本能の欲求で、動物と同じである。人格とは、次元が違う。

たまたま弱者の立場にいて苦しんでいるけれど、これら(「哲学」と表現する)がない人なら助ける価値はない。

むしろ、助けると 庇うと 強烈なしっぺ返しをお見舞いされ、ずたずたにボロボロに傷つけられる。こういう人達は、損得勘定で、形勢を見て簡単に掌返してくる。自分を虐めてきた強者の側について、助けた人を陥れるようなことを平気でするのである。自分の目先の損得だけの、風見鶏。更に弱い者をいじめる。これは私が見てきた、ヒト科の猿にみられる現象である。

貧すれば貪する というが、哲学のない弱者のものすごい浅ましさ、したたかさを知っておくべきである。

だから、たまたまかれらが弱い立場に置かれているのだけれど、その人に 哲学(知性 倫理観 誠実さ)がないのなら、助ける価値はない。

このことは、私がたくさんの傷を経て、思い知ったことである。そしてつい最近、ちょっと火傷して(早めに気づいたから火傷で済んだ)再確認したことである。

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自分がなにやってるかわかってない人達

2017-12-10 | モラハラに遭ってる仲間に

職場でものすごいモラハラが横行している場所にいる時に思ったこと。

その現場のボス(といっても、なんの権限も裁量権もない、ただの平だけど主任的な業務を任されている奴である)が超絶モラハラ男であった。以下、モラ男と呼ぶ。

モラ男は、「弱い」立場の人間にすさまじいモラハラ 虐め パワハラを繰り返していた。

モラ男は、人を操作するいやらしい男であった。いつも凄まじいパワハラをしているくせに、機嫌のいい時にはその相手にフレンドリーにしたり 楽しい職場を演出したりして、人々の心を操ろうとして来る。私には全てお見通しであり、彼の洗脳、操作にかかることはなかった。彼のそういう操作、懐柔(手なずけ)がつくづくいやらしくて反吐が出た。

そして、彼のでっちあげるヒエラルキー 差別 に同調する下衆な奴らが大半で、モラ男と一緒になってその虐め モラハラを担ぎ上げていた。モラハラがコミュニケーションスタイルになっていた。モラハラするな というよりも、モラハラが文化なのであった。だからそういう奴らに「モラハラするな」「パワハラするな」と言うと、そいつらは「何も言えなくなる」のである。だってあらゆる場面でのコミュニケーション型がモラハラなのだから。「何も言えなくなる」と言う奴らは、モラハラでない普通のコミュニケーションをとったことがないのである。

「弱い」「劣っている」と仕立てあげた相手を酷く虐めてくさして自分を上げる 自分の「男らしさ」優位性を誇張するというまことに幼稚で低レベルでバカ丸出しなのに、気づかないからそれをし続けるのである。

その下衆たちを見ていて思ったのが、彼らはバカすぎて、自分がやってることがなんなのか わかっていない 自覚がない ということである。本人たちはカッコつけて自己演出、印象付け 格付けに成功しているつもり でも実際には自分たちの幼稚さ レベルの低さ 醜さ 恥を露呈しているだけなのだ。

教養がなく学がないから 自分たちの行為が丸裸の赤っ恥だということに気づかないまま、得意げにし続けるのである。

この人達は、教養や学を身につけることはないから、延々とこの恥さらしをし続けるのである。

さらに、このことにも触れないといけない。このようなモラ男の行為がまかり通るのは、周りが彼以上にバカだからだということである。彼の操作 洗脳にまんまとひっかかるバカだから、モラ男が絶大な力をもってのさばり続けるのである。もし周りが、彼がなにやってるかわかってたら、彼を軽蔑し、そのやり方に乗らなければいいのである。そいつを「おかしな人」「やばい人」として締め出せばいい。私は彼のいやらしい意図はすべてお見通しであったため、彼には恐れられていた。でも、彼の操作が成功するのは、周りが彼以上にバカだからである。このことは、どうしても無視してはならない事実であろうと思う。

また自分がなにやってるか自覚がない というのは、昔の記事にも書いたけど女もそうだ。媚び諂い 立ち回り 揚げ足取り なすりつけ 自己アピール 足の引っ張り 他人のミスの強調 人を利用する 踏み台にする そういった下劣な行為をしているのに自覚がない女は、見境なく 節操なくそれを繰り返すのである。教養がないと、どんな恥なことも平気でできるのである。自分で気づいてないから。そして、自覚がないどころか、自分のことを すごく常識的で節度のある女だとさえ思ってる。

そのまま死んでくれないかなぁ 

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呑み込まれない 逆に呑み込む

2017-10-23 | モラハラに遭ってる仲間に

多数派と異質な空気をまとう人

私もそうだと思う 異質なものを排除したがる野蛮な人達の中にいて

いじめられるか いじめられないか

それを決める、色んな要因がある (いじめの責任を被害者に帰せるものではない。いじめる奴が100%悪いのである。いじめやすい人をいじめる奴が野蛮な猿というだけである)

例えばバックに誰がついてるかw 異質なものでも、バックに権威や力がついていればいじめられない。その子の親族がなにかの権威だったり力をもつ者だったりである。

あるいはその人自身がなんらかの権威をもっているか 圧倒的に秀でた能力をもっているか。 その人が、ボクシングや空手や射撃やビリヤードのチャンピオンだったりすることを周知されていると、その場で異質な者でもいじめられない。

しかしもし圧倒的に秀でた能力を持っていても、なんら身を助けないことも多い。素晴らしく情感豊かにピアノを弾く能力があったり 詩を書く才能があったり 哲学に造詣が深かったり 植物に詳しかったりしても コンビニの職場では、同僚・上司からの見られ方において有利にならない (往々にして逆に不利になる。精神が上品な人、感性が鋭くて豊かな人は、俗悪の吹き溜まりの中では不利になる)

呑み込まれない というのを、仲間に言いたい。

呑まれないで、逆に相手を圧倒する これができたらいいね

俗悪な人達に囲まれて、その文化に染まらない人は 野蛮な猿に安易に見下される

上下関係の構図がすぐできる 劣っていることにされる それはひとえに、俗悪な人達の考えが浅く、ばかだからである

同調圧力 窒息感にまみれた空気 周りが発信してくる見当違いのメッセージ

俗悪な人達は、完全に勘違いした優劣意識 上下意識でやってくる それに負けて乗ってしまってはだめ 

すごく不愉快で居心地悪くてたまらないけど 

自信を失わないで佇んで 自分のありようを疑ってはだめ 自分の舵はしっかり持って けっしてその場の波(振り子)にとらせてはだめ 

呑み込まれずに ふるまっていたら 逆に相手が呑み込まれたりする

笑っちゃうよ

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いじめのターゲットにされやすい人の状態

2017-09-24 | モラハラに遭ってる仲間に

自分の経験から、私なりに解釈した、いじめのターゲットにされやすい人の状態を、仲間のために発信したいと思う。

これは、「いじめられる人に原因があるとして、その人に責任を帰する」ものではない。いじめは教養のない、動物的で野蛮な行為であり、する人がその責任を負うものである。いじめられる人にその責任を着せるのは明確に誤りである。行動の責任は、それをやっている人にしかとれない。

ヒトが動物的に、いじめのターゲットにする 人の状態というのがあり、私なりに見えたことを紹介したい。動物的な猿人によるいじめを誘発する 人の状態 というのを書くのであり、その人に原因があるからその人に責任がある というものではないことを特記したい。それを混同する分別なき人達が多いからである。いじめやすい人をいじめる人が野蛮な猿というだけの話である。

***********************************

罪悪感をもちやすい

真面目で、自分の欲望や感情に堅牢に蓋をして理性的に行動する人

誰かのメッセージ(支配側にとって都合のいいもの 洗脳)を無意識に自分に内面化している(洗脳にはまっている)人 その尺度の中で一生懸命がんばる真面目な人

ダブルバインドに無防備で、それを許してしまう人

境界を侵されることに無防備な人 

真面目すぎて、嫌がらせ・足の引っ張りをされていることに無防備な人

自分の幸福を追い求めることに罪悪感、ためらいがある人 抑圧している人

自分の感覚よりも、「もっと大きな」意義を大事にする人

重複が多く、とりとめなくなったが、これらが、当事者だった私が経験から学びとった、いじめの対象にされやすい要素である。これらの状態の原因は、親子関係などの生育環境がほとんどである。

**********************************

だから、私は言いたい。

自分の幸福な瞬間を迷いなく、ためらいなく、追い求めるべきだ って。

大きな意義よりも、あなたが今ここでどう感じているか その方が大事だって。

いじめる人達が、あなたが真面目に操を立てている品位のある考えを、浅ましく利用してそれをあなたに徹底するように強いてくる。自分たちは、そんな品位のかけらも備えてないくせに。あなたには、どんな時だって完璧な品位・論理・良識を求めてくる。少しの揺るぎも許さず、完璧な徹底を強いてくる。自分たちは、それらのかけらも持っていないくせに。これは、モラハラ研究のマリー・イルゴイエンヌもその著に書いている。いじめる人達は、相手の誠実さ、品位 これらを猛烈に利用して、悪意の渦にさらしながら、強要し続けるのである。そして、ちょっとしたことを激しくつついて揚げ足取りしてくるのである。これは、裁判などの場でも起こる倒錯した悲劇である。被害者の方に、よってたかって、完璧を求めるのである。いじめた人達の、いじめられた人の何千倍の責められるべき行為、散りばめられた悪意を棚に上げてである。

あなたは、神様じゃないし 釈迦じゃないし 聖人じゃないし 仙人じゃない

自分に無理強いをしてはだめ 

生育過程で無茶な要求をされ続けたこと、自分のできることを超えたことを常に要求されたことを、内面化して自分に対してそれをやり続けてはだめ 自分で自分を、牢屋に入れてはだめ

あなたは、自分の欲求 感覚 感情 好き嫌い をもった、普通の人間

それを、当然のこととして受け容れて 自分に無茶なことを強いるのはやめて

あっけらかんと認めて欲しい 

今までそれを禁じられてきたのだから、今度は反動で激しくそれが出るのかもしれない。よく聞く現象だ。無理をして頑張ってきて、そのせいで報われるどころか更に自分を苦しめて 不遇にし その理不尽な矛盾に対して爆発する 怒りが溢れだす 

その激しい反動は避けられず通過するのかもしれない。でも、その後で、調和がやってくる。

繰り返す苦しみをくぐり抜けた人たちこそ、その調和がどんなに素晴らしいものかを知って、楽しめるだろう。

Happiness is when what you think, what you say, and what you do are in harmony.

Mohandas Karamchand Gandhi 

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職場で私をいじめていたおばさんに会った。

2017-08-29 | モラハラに遭ってる仲間に

職場で私をいじめていたおばさんのうちの1人に、道の駅で会った。私は気づいたけど、向こうは最初気づいていなくて、後で気づいたみたい。

私はあの頃から、この日記に書いたように、日本のほとんどの人は、知性のない動物なんだと学んだ。力でしか動かない。力がそこに入ると、いとも容易くいかようにも動かされるヒト科の動物であった。私は、世の中そんな人ばっかりだとは知らなくて、もっといいものだと信じてきたのだけど。

彼女がいることにギョッとはしたものの、あの時のように、繊細で、汚れがなくて、人の良心を信じていて、真面目で清らかだった、「隙だらけの」少女から変わった私は、堂々と優雅にふるまった。相手が単なる猿であることを見透かしているのだから、何にも動揺することはない。なにもいきんで威圧的にってわけじゃない。ただ、自信をもって。これは、あの頃もっていなかった確信的な術。あの職場で私をいじめた女達が勢揃いでも、優雅に堂々とお買い物できただろう。だって、どっちが格上か下か、はっきりわかっているし、自分がどう佇むべきか、あの頃と違ってわかってるし。

私をいじめていたおばさんは、すれ違い様にきょどっていたから途中で私のことに気づいたみたい。彼女は私とうまくすれ違えずに、私の行こうとする足先に、吸い寄せられてきた。本当に、吸い寄せられてきた。よほど私の存在が彼女を動揺させたんだ。

そして、足止めされた私が立ち止まると、きょどって腰を垂れて道を開けてきた。

なに?そのひれ伏し様…

この人、やっぱり、相変わらずなんだなって思った

力によって「自動的に」動かされるだけの猿人 猿は死ぬまで治らない…

私があの頃のようになんの計算もない、純粋でナイーブな少女のままで、天然丸腰だったらこの場でも、きっと全然違って、私に上から出たんだろうな。今では、日本(特に福岡)ではあんな猿女ばっかりなこと、そしてそんな中で自分はどう身を守るかを知ってる私がババァよりうわて。ババァどもが猿なのは、当時も十二分に知ってたんだけど、身の処し方はわかってなかった。汚れてなかったので…wだからいじめられたのだ。

だから、いじめられる人には聞いて欲しい。

堂々と、優雅に、少しの風格をもって 佇んで。相手は猿なんだ 猿は力でしか動かない ってことを上から見透かしながら。猿たちは、その動物的嗅覚で、その少しの波調に敏く 出方を決める。呆れちゃうけど、それでしか動いてない。舵をしっかり持って、絶対に相手に譲ってはだめ。評価するのは私 相手じゃない そんなつもりでいて。とはいっても、力んで、過剰に、つっぱったらだめ。それじゃダサくなっちゃう。いきみ女はイケてない。あくまでも、優雅に。

がんばって。私は、いじめられる人の味方。

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感情で動く知性のない猿女たち

2017-05-04 | モラハラに遭ってる仲間に
2記事前の「性格の悪いいがみ女への対処法」に書いたが
モラハラ女は最初から個人的な感情でこちらを攻撃してくる。一貫して、感情で動いている。

これは、非常に重要な気づきである。

私は、かつてバイトの面接に行って、そこの店に立っていた女性店員に「すみません、17時からのアルバイト面接に来ました、○○と申します」と丁重に伝えたそれだけで、その人は私のことを敵視している、排除の視線なのがはっきりわかった。

私はこの短い要件を伝えただけで、何も彼女に関わっていないのに、私の容姿、佇まい、話し方を見ただけで個人的感情にとりつかれているのがわかった。気に入らないって。
そして、もうその時から嫌がらせは始まっていた。私を、レジの所に立ちんぼさせて、明らかに今優先する必要のない仕事をわざとしてなかなか採用担当者に取り次いでくれないで放置するのだ。「…?」のまま、レジの所に無意味に立たされ続けた。(今思ったのが、遅刻あるいは時間ギリギリにきた ようにして足を引っ張ったらしい。でも、面接官の男性は私を即採用した。私が少々遅れて行っても同じだったと思う)この女がリーダー的な立場だったので、後に嫌がらせ、陥れの嵐で大変苦痛なバイトとなった。

他には、歩いている時にも、すれ違い様にすごく意地悪な目つきで静かに攻撃してくる女性がいる。

私の場合、男性からはやさしく、親切に扱われること、女性は何のかかわりもしていないのに攻撃する人が多々いることから、私は同性の僻みの感情を掻き立てやすい存在のようである。男からと女からで全然待遇が違う。私がレジをしていると男性客がとても優しいことや、時々名刺やメモをもらうことなどから、私は男性から好意をもたれやすい佇まいであると言えよう。しかし福岡の男からは、その度合いは弱くなる。女性への洗練された行為は、東京などと比べ福岡の男は明らかに劣る。また、他人を僻む気持ちの少ない女性からも、好意は持たれやすいと思う。

私は、何の関わりもしていない人に対して、個人的感情にとりつかれたりはしない。私に何もしていないのに、その人の容姿や佇まいや話し方や私生活で、その人に一方的な悪感情を抱くことはない。自分になんの関係もしていないのに悪感情を抱くだけでなく、攻撃までしてくる人は、よくそんな理不尽なことできるよな、と思う。猿っぽい。

その人に何もしていないのにその佇まいや雰囲気だけで、激しい感情をもたれる場合、煎じ詰めれば僻みになる。

それは容姿や金に限ったことではなく、生きる姿勢に対してでもある。自分が押し殺したものを押し殺していない人、自分が我慢していることを我慢していない人、自分がした理不尽な経験(体育会システム、男尊女卑は当たり前)をしない人 成長とは自分の権限を傷つけられることに慣れることと思っている人が、まったくそう思っていない人 権威には従うのが当たり前と思っている人が、そう思っていない人に対して、人特に福岡の女は猛烈に僻みを向ける。ここに、底辺同士の足の引っ張り合いがある。彼女たちは、本当の元凶である敵には抗議するどころか最大に媚びて、自分より弱い立場の人あるいは同じ立場の人が同じ苦しみ同じ我慢をするように引きずり降ろしてくる。その僻みエネルギーは獣のように猛烈なものがある。そして福岡のいがみ女は自分の心理、動機に無自覚である。このことを、猿っぽいと言う。

レベルの低い福岡女とは関わらない方が賢明である。猿女の僻みエネルギーは強烈で、関わると危険が伴う。福岡で、女の敵は女である。この状況は本当に、浅ましく野蛮なものである。
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いがみ女への対処法②

2017-05-04 | モラハラに遭ってる仲間に
もし、陰湿ないがみ女がその場限りの一過性の人なんだったら

もう言っちゃってもいいと思う。職場とかなら暴言は揚げ足取りの好材料だけど。

「僻んでんじゃねーよブス」とか。

僻みの対象かつ攻撃しやすい相手を陰湿に攻撃してくる女に対しては
元来の思慮深い物腰、話し方を捨てて、思いっきり暴言をぶつけて、勘違いした上下関係をひっくり返してそいつをびっくりさせるのもいいと思う。相手は、この人になら言ってもいい やってもいいと勝手に本能的に上下関係を判断してやってるのだ。だから、こちらを弱い相手となめて攻撃してきた奴に、思いっきり反撃してもいいと思う。やられたことをそのまま返す。

その時の、相手のびっくりし様は、なかなかしてやったりだったりする。まさか、このおしとやかな御嬢さんが、真面目そうなか弱そうなおじょうさんが、そんなに強かったとは。だいたい、そこで相手は負けに入る。もし相手が勘違いした力関係でなく論理や良識で話していたのであれば、私が暴言を言ったらそこで軽蔑、呆れ となって然るべきなのに、いがみ女がここで負けに入るのは、そいつが論理で話していなかったことの証拠である。強い者には弱く、弱い者には強く出るという 低劣な反射で動いているだけの人は、こちらが威力で返すとびっくりして負ける。「あ、相手間違ったみたいです(汗」みたいに。
勘違いした力関係で動かない人は、最初から陰湿な攻撃などしてこないのだ。100%そうだ。
前記事:やっぱり福岡無理かも(>_<) の続きhttp://blog.goo.ne.jp/tigerlily0804/e/fc41336475be11147201162777cdd6fb参照

また、私は本来、容姿によって上下関係を自動的に判断する発想はないつもりである。無意識のレベルでも絶対してないとは言い切れないが、知性の面ではしていないつもりだ。私は動物であるだけでなく、知性も少しはある。だが相手が、自分を僻みの対象かつ攻撃しやすい弱い相手として攻撃してきたら、「僻んでんじゃねーよブス」と言ってもいいと思う。

良い子は漬け込まれる。基本は良識的、思慮深く謙虚であっても、相手がそれにつけこんで攻撃してきたらその悪意をそのまま返していいと思う。

なんでこう言うかというと、私はそれをしてこなくて、うつ病になったからだ。
毒を以て毒を制する。人間のクズには、極道として返す。

こうやって力んで言い聞かせてるのが、不慣れな証拠なんだけどw
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