goo blog サービス終了のお知らせ 

Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

Amebaブログに引っ越し中

2025-07-16 | 楽しい・ワクワク

Aspies&ADHDes  に移行します。あと数日で反映される予定です。
お待ちください。あっちでもよろしくお願いいたします。

こちらのブログはサービス終了日まで見れるようにしますので
コメント書かれて大丈夫です。

ブログ主

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goo blogサービス終了(2025年11月18日予定)に伴うブログの引越し

2025-04-14 | 楽しい・ワクワク

goo blogサービス終了(2025年11月18日予定)に伴い

ブログの引越しをしないといけない。やった事ないけど、私のようなIT音痴でもできるかな。

このブログは放置状態にも関らず一定数の人達が毎日訪問していて

語りの場(主に福岡の民度の低さについて)にもなってるから、ちゃんと引っ越そうと思っています。

コメントは見ています。 ブログ主

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ブログ背景の変更

2022-03-25 | 楽しい・ワクワク

さっき気づいたら、ブログの背景が、勝手に無地のテンプレートに

変わっていました。今まで使っていた、緑の丘の上の赤茶色の古い家の背景は

使えなくなったみたいです。とても気に入っていたのですが。悲しい。

なので代わりに、急に変わった感じがしにくく馴染みやすい背景に変えました。

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コメントありがとうございます。

2019-02-24 | 楽しい・ワクワク

みなさんコメントありがとうございます。

ちゃんと読んでるけど、返信が遅れたりしなかったりでごめんなさい。

でもちゃんと読んでます。コメントがくると、嬉しく思います。

****************************

どんな経由で私のブログを見られるのでしょうか。福岡の民度についての検索が多いのかな。

ブログのことはあまりわからないままやっています。

コメント (6)
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照明

2018-12-03 | 楽しい・ワクワク

照明に興味があって、この比較実験は面白いし役に立つ。

ペンダントライトのシェードで変わる、光の楽しみ方。

ボーンチャイナのシェードがとてもよさそう。自身も光って、下もしっかり照らす。

うちにナルミボーンチャイナの照明ランプがあって、夜机や床に置いて灯してる。これも自身が光り、周りも照らす。光の質がすごくいい。やさしくて、かつしっかり照らしてくれてお月様みたいで癒される。ボーンチャイナはw数が少ない光源でもしっかり照らす。こんなに素敵な照明素材なのに、あまり普及しないのが不思議。

フロアランプは、照明器具の1つの幹に40wや60wの電球を3、4灯つけるタイプのものよりも、1つの幹に1灯だけのタイプのものを部屋の各所に置いてつける方が、同じ電力量でより効果的な間接照明ができると思う。

少ない電力消費で、効果的に室内照明をアレンジしたい。壁に反射するオレンジ色の照明って癒される。鏡を使うのも手だ。

窓や部屋の間仕切りのカーテンは、クリーム系とかだと光をよく反射する。白は汚れに強迫的になるし家ではリラックスできないからカーテンに白は避けている。また、遮光カーテンも好きじゃないから非遮光で太陽光を通すものしか買わない。あとLEDの光が固くて鋭くて苦手なのと、有害性の報告記事も多々出ている中で、自分や家族で人体実験をしたくはないから私は使わない。昔からある白熱球か蛍光灯を使っていて、暖かいオレンジ色の電球色にしている。電球色にも、メーカーによって色々差があり、K(ケルビン)の値を見るといい。3000Kとか2700Kとか。値が低い程オレンジ度合が濃くなり、高い程青白くなる。冬場は特に、オレンジの光によって暖かく感じるという恩恵がある。

ボーンチャイナが秀逸な照明シェードだという話であった。

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薔薇の花

2018-11-15 | 楽しい・ワクワク

薔薇の花も好き。

小さな子どもの頃から、魅せられていた。

薔薇の花って、どうしてあんなに優雅で気品があって幸福感があるんだろうね。

薔薇園に行くと、満ち足りた気持ちになる。どの薔薇もおしなべて、つぼみから開く途中の花が、一番香りがよいことに気づいた。完全に開いたのより、開く途中のが最高にかぐわしい。

一緒にいた人にそう言うと、「人間もそうだよね」だったか「何でもそうだよね」だったか 言った。

開く途中が一番芳しい。確かに、そうかもね。才能が開く途中が一番その香りを発する。

そして花開いて、傲慢になったら腐臭を発していく… ずっと芳しい人もいる。

薔薇の香りをかぐと、子どもの頃かいだ時の感動をいつも想い出す。すごくいい匂い。

YardleyのEnglish Roseの香水を個人輸入してみたら、届いたのはものすごく変な香りだった。ローズの香り全然しなかった。なにかの間違いかな いい匂いの香水は他にもってる。あまりつけないけど。

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完全に信用すること

2018-10-07 | 楽しい・ワクワク

「あ、わかった…(?)」ってことがあった。

そのなにかの裾をつかまえようとしたら、スーって逃げちゃった。こういうことってよくあるよね。ひらめきって、常識とか理性とかじゃない所から、色んなことが一瞬リンクした時にふいに起こって、それをつかまえようとしたら、待ってくれずにスーって行ってしまうよね。

自分がありのままの自分を受け容れ尊重する ありのままの自分でいることに疑いをもたず、そのまま許す 自分の価値は自分で認める てことなんだ 

って一瞬思った。それが(1+3000÷-0.05879546947325×√501×-3√483×30031/84698764345÷5987657989+7489365……  )×★  の×★ぐらい重要みたいな。★が、0なのか1なのか-1なのかで、すべてが変わるみたいな。

それが 自信 だったんだ。自信というのは、力んだり、テンションの引っ張られた 緊張状態じゃない。むしろその逆で、ありのままの自分に疑念とか、これじゃいけないとか、恥だとか否定されるべきだとか思わず、そのまま許すこと それが自信。

【confident】
・con=completely=完全な
・fid=fidere=信用する
→完全に信用する→確信のある

ちょっと手繰り寄せながら書きます。あの時の閃きを。

自分のことで、ダメだと思ってきたこと。それは、教育とか社会通念とか常識、道徳、本、 色んな所からダメなことだとされていること。でも、自分のありのままの個性の一部、(一部というには大きな私の構成因子)は、そうなんだ。それは、私が選んだものじゃなくて、生まれつき、生い立ち などによって持たされた個性。私の場合、それを一等否定するのは皮肉なことに 人格者や教養人や徳の高い人である。だからなおさら、真面目なw私はこれはダメなことなんだって思ってきた。

でも、ありのままのこれを、受け容れ それどころかそこに魅かれる人がいる。私がいくらそれを自分で否定して踏みにじって認めようとしなくても、その人はそれを見出し、引き出そうとしてくる。私はその人はダメな人だって思ってきた。その人は間違っている。徳の低い人 教養の低い人 だと思ってきた。理性では。常識では。

でも、私の心の声は逆のことをささやいてきた。私はこの人が好き。だってこの人は、私のありのままの個性を、見出だし、好きになり、もっと欲しがってる。そして、理性や常識が認める 徳の高い人達を 好きじゃない だって私のありのままを否定するもの って。

大事なのは、社会通念や他人の言うこと を取り入れることではなく、自分が自分の個性を尊重する ことなんだって思った。ネットや本に書かれていることを見て、自分を卑下したり疑念をもったり恥辱を感じたりすることなく、完全に自分を信じる 確信する ってことなんだ。

自分の辿ってきた道を、受け容れる みたいな。それは、私に起こった不幸をポジティブにひん曲げて解釈するとかじゃなくて(そういうのは私が最も嫌う行為である)私が、置かれた不幸な状況の中で、とりあえずすごくがんばって生き延びた みたいなことをである。

私が辿ってきた道は 可哀そうな 望ましくない道です。うんそだね、発達心理学的 精神医学的には絶対にそだね。専門家でなくてもね、だいたいそう言うと思うし、それは うんそだね。

でも、私はそういう道を辿ってきた。で、それならではの私の個性をもつに至っている。

好むと好まざるに関わらず。世間的に良いことか悪いことかに関わらず。

そのありのままの個性を、否定せず、尊重し、価値として自分で認める。

それが、泥船を漕いで行く人生か  自分だけが見れる景色を見に行く人生か の分かれ道。

そんな感じのこと(合ってる…?わからない)を思い、一瞬強烈にハッとした。なんであんなにハッとしたのか 今もうわからない。

 

すべてを決めるのは、自分がそれを完全に信用している(=confident)か疑っているか。

それですべてが変わる。(                 )×★←完全なる信用

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自分の欲している物に逆らわないこと

2018-09-29 | 楽しい・ワクワク

私が辿ってきたのと似たような苦しみであがいている人達へ。

私は幼少期から随分長い間、自分の欲している物を、否定して禁じて生きてきた。そういう生い立ちだったので。

だから、自分が何を欲しているのかもわからない という末期的っぽい哀しい状態になっていた。

でも、数年前に、自分の欲しがっている物に向き合う 否定しない って決めてから、今ではこんなに変わった。

長い間、自分の感覚や欲求を否定して生きてきた人が、そんなに簡単に変化するものか と思うだろうが、決めてからは、なんら努力とかすることなく、いつの間にか変わっていた。だって努力ってやりたくないことをする時の言葉だけど、自分の欲しがってる物に向き合うっていうのはやりたいことをすることだから、努力は不要である。

「これがいいんだ」と声高に主張してくる広告、「こうするべきだ」「常識だ」といった社会的なメッセージ、権威者がこう言った 大学の教授のお墨付き どこどこ研究研究所の報告とか そういうのに洗脳されずに 自分の感覚を信じるようにした。信じるというと力んで聴こえるけど、自分の感覚を否定せずに、従うってこと。社会的なメッセージは、誰かの利益、意図に結びついている手垢まみれのものだから、あまり真剣に受けとらないようにした。社会的に当たり前 とされていることを、当たり前と思わないようになった。理性も信用しなくなった。理性とは、いかにも理性的な顔をしてはいるが、文化・社会によるバイアスがかかりまくったものだから。結局は誰か(支配層)にとって都合のいいものだったりする。

自分の感覚や欲求に耳を傾けるようになると、今自分がなにを聴きたいか、真ん中の音楽を選び取れるようになった。もし「真ん中ではない」「ちょっと違う」と感じれば、すぐに止めて、真ん中の音楽をかけ直すようになった。(参考:内なる声がyesと言う選択

何かを選んで買う時も、第3者的な「これがいい」「これにしとき」「え?まさかそれ買うの?」っていう一般論が私の頭を乗っ取りそうになっても、「でも私はこれがいいの」って選べるようになった。その時には「なぜかわからないけど、これがいい」「これになぜか満たされる」「このなにかが私にしっくりくる」と思い、なぜ一般的にはおかしな選択のそれがいいのか説明はできなくても、後でその説明が自分でわかったりする。そこには時差があったりする。

自分の感覚や欲しがっている物とずれた物を手にして、自分に対して声高にそれがいい理由を主張して納得させようとしたりなど しなくなった。そういうのを、当ブログでは 自己欺瞞とかひねり上げと呼んでいる。それを、しなくなった。自分の感覚や欲求を受け容れて、それを肯定して生きるようになった。

すると、自己欺瞞とひねり上げばかりしながら生きている人(例えば福岡によくいる女)から、猛烈に攻撃的な視線を向けられたりする。何ひとつ絡んでいなくても、見ているだけで激しい感情を煮えたぎらせて攻撃してくる女。私を見ていると、自分の否認して押し殺して抑圧してきた物たちの蓋が開きそうになって、それに耐えられないらしい。

そういうのを僻みって言います。彼女達に何ひとつ絡んでおらず、ただ視界に入るだけの僻みの対象に、彼女達は「迷惑な人」だと主張する。言葉は適切に使うべきだ。「目障り」なだけなのだ。「迷惑」なのは、まさに、何の絡みもしていない存在にそこまで強い敵意と攻撃を向けるあなた方の方。自分の生き方による感情の処理ができずに僻みの対象にそれをさせようとするあなた方の方。

自分が社会に媚びを売ってやってきたのでしょう。その恩恵(私にとってはしょぼい恩恵)もあなた達は受けてきたでしょう。その恩恵とは縁遠い人を、虐げたり優越感を感じてやってきたでしょう。それがあなたの生き方。それでいて、そうしない人を僻んで攻撃するのは強欲というものじゃない?あなた、自分の生き方の陰陽を知らなきゃ。

私は、自分の生き方の恩恵も苦難も受け容れてるよ。誰かに自分の感情の尻拭いをさせたがったりしない。自分の生き方の責任をとれない人が、僻みの対象を攻撃する。そしてそういう人が、日本特に福岡にはうじゃうじゃしてる。だから関わらないのが正しいって思ってる。

話が逸れたけど、長い間、自分の感覚や欲求がわからなくなっていても、それらに向き合い出すと意外と難なく、変化する という話である。難はない。自分を尊重することだから^^

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秋は、大好き

2018-09-01 | 楽しい・ワクワク

やっと夏が終わり、秋が来た。

秋は過ごしやすくて、大好き。クラシックが似合う。秋にはモーツァルト、シューベルト、サラサーテ、クライスラーなどが定番的に聴きたくなる。そしてもっと寒くなると、チャイコフスキーである。

冬はジャズが聴きたくなり、春になるとベートーベン、その他古典ピアノである。5月はレゲエやブルース、6月はショパンとリストとレイハラカミ、お経、ジャンゴ・ラインハルト、7月と8月はヨハン・シュトラウスやスメタナ、ショーロを使ったブラジル系の音楽で、盆過ぎはお経で、今秋である。

秋は、私の好きな蚤の市がさかんにあるし、読書の秋だし、ゴブラン織りも似合うし、食べ物もおいしくて、好き。ゴブラン織りの西欧の風景画って、なんであんなにいいのかな。

 

珈琲って、豆の香りは大好きだけど 飲んだら不安になることがよくある。

こんな記事見つけた。

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悲報2:不安感をもたらす

カフェインは、不安感をコントロールするのに役立つ神経伝達物質のγ-アミノ酪酸(GABA)のレベルを低下させると同時に、主なストレスホルモンであるコルチゾールとエピネフリンの影響を増幅させると考えられている。

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珈琲を飲むと、たしかに不安になることがけっこうあるかも。あの香りは最高なんだけど。

ジンジャーティとかハーブティに変えてみようかな。

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やさしい物に囲まれた暮らし

2018-08-15 | 楽しい・ワクワク

持ち物や身の回りの物すべてを、流行の最新のイケてるっぽい物で揃えている人を見ると、「古い物はどこに行ったの?」と不安な気持ちになる。そういう人はドヤ顔で颯爽ぶっているが、私はそういう人から 自分アピールが何より大事 という知性のなさを感じる。資源、環境、エネルギー、大量消費社会… 色んな議題がある中で、そんなことより自分アピールが一番大事 ということである。知性のなさは、下品さである。でも彼女らは、いかにも自分は上品であるかのように思っている様子である。

私は、今ある物を大切に使い続ける ことの方に、価値を感じる。

だから私もそういう風に暮らしている。そうすると、私の生活は、ずっと使い続けている物たちで囲まれる。それは、イケてる というのとは違うかもしれない。でも、I feel fineである。大切に使われてその機能をきちんと果たし続けている物たちは、やさしさ というものを纏うようになる。やさしい物に囲まれていい気分である。

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海外に住んでいる日本人のブログは興味深い

2018-07-22 | 楽しい・ワクワク

私の好きなブログの一例

雨宮の迷走ニュース コメントに反論してみる。日本って本当に息苦しいわ (ドイツで暮らしている女の子。この子と友達になりたい。)

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通じ合える友人

2018-07-22 | 楽しい・ワクワク

私は福岡にいると、人との関わりによって精神的苦痛が起こることがすごく多い。

その人が「支援」者であっても、福岡、九州の常識にどっぷりつかっていて文化をメタ的に見れない人であるならば、その人の上から目線の無知な説教によって深く傷つけられ それに反発し それに相手は傷つきこちらが悪者扱いされる というパターンになる。人の善意をひどい言葉で返した暴れん坊って。無知で傲慢な「支援」者は、自分が当事者をどれだけ見下しているか 侮っているか 尊重してるふりしながら否定しているか に気づかず そこに反発されると おそらく、その無自覚の傲慢さゆえに 深く傷つく 内心逆鱗に触れる(?)そして 掌返して背を向けるのである。

嫌なことがとても多いけど、いいことも書いてみる。

すこし前から、共鳴し合える友人に出会えた。同じ女性で、私と感性が共鳴する人だ。感じてることが一致する。また彼女は私が見えていないことも見えている、洞察の鋭い人。

でも彼女は私と違って、タフで強くてソーシャルスキルが高くて 上手い人だ。

嫌なことが起きると神経が高ぶって 動悸がして 脈が速く打ち 顔がこわばって 声が出なくなる そんな私と違って 彼女は、鋭い感性をもちながらも上手にふるまえる強い人で、周囲の人気者である。

であるが、彼女を慕う人たちは彼女と共鳴していないので、孤独を感じてきたようである。人に親しまれているが、話が本当にできる人がいない。

そんな中、彼女が出会ったのが私である。

彼女は、ぼっちの私にぞっこんになり 引く手あまたなのに私の元にやってくる。もてる彼女が、ぼっちの私に吸い寄せられている。この現象は、前にもあったように思う。人気者ヒエラルキーのトップに君臨する人が、ヒエラルキーの底辺 というより その三角形の中にさえ入っていない はじき者の私に夢中になる という現象である。

私は自分のことをJorkerに似てると思うことがある。(参考:ジョーカーマン

私は彼女と話すことで共鳴し合い、いい風が通り、助けられている 支えられている。彼女はたくさんの人を明るく照らし、好かれている。一方でこうも思う。

彼女を助けられるのは、私だけかもしれないって。

それは、助けようと彼女に何かするのではなく、ただ自分のありのままを彼女に見せることによってである。

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セロトニンって、精神状態を守るあのベールのこと…?

2018-06-30 | 楽しい・ワクワク

 

さっきの話(振り子の扇動する社会通念と逆な、私にとっての真実)の続きだが、私は週末や連休がとても苦手。不安が募り、苦しくて辛い。私はこの週末の敏感過ぎる苦しみを、学術的に追究することにした。

すると日曜の晩に、明日から始まる仕事の毎日に向けて、ガラスの仮面というのか、薄いベールが私の顔を覆い出しているまさにその瞬間を捕えた。この薄いベールは、世に言う緊張感 に近いが、どうもこの言葉は体育会的 説教臭くて 押し付けがましくて もっと他の表現はないだろうか。緊張感というのは、本来体育会的でも押し付けがましくもない言葉だろうが、多分私が過去にこの言葉を使って体育会系の演歌っぽい福岡の大人に説教をされてきたからである。「緊張感を持て~きょーつけーー!!礼!!着席!!!」って。

この薄いベールは、不快な刺激、嫌なことが私の神経に直に浸透することから守ってくれる。クッションのような、防波堤のような、直止め というのか。一膜挟む感じ。週末や連休は、このベールがなくなって完全に地を這うような神経になっている。神経が、まさに腫れ物になってる。私は恐ろしい不安に占拠される。嫌なことが私の神経の襞をのっとってしまう。憂鬱な思考に脳がジャックされてしまう。ベールを被ると、強い不安、恐怖から解き放たれる。

このことは私にとって意味のある発見である。そしてうつ仲間にも、きっと。

このベールって、もしかして、セロトニン…?

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振り子の扇動する社会通念と逆な、私にとっての真実

2018-06-30 | 楽しい・ワクワク

世間で言われていること 常識的な通念 と 逆な真実 に最近気づく。私に関しては、社会通念と逆なことが色々とある。

世間での、文化的な思い込みにとらわれないで生きることに目覚めてからだ。

(参考:ハレ と ケ という概念は間違ってる

人は、変わる。すごく変わる。そこに、演歌っぽい体育会系っぽい努力や渾身はなく、ただなにかに心から気づく 目覚めれば、そこから一気に変わる。そのなにかが例えば既に世の中で言われていることでも、言葉でなぞっただけで全然わかっていなくて、自分で本当にそう思いさえすれば、そこからは頑張らなくても力まなくてもすごく変わる。自分でわかればそこからは速いし大きい。

世間通念、既成観念に縛られずに自分で考えていいんだ! ってわかってから、それらとは逆な真実に出会い、面白い。

全部逆なのが、本当の真実 というのではなくて、 

すべての事象には表と裏 メリットとデメリットがあり 表だけとか メリットだけ というのはない ということだろう。振り子が扇動し世間で普及している「これがいい」という通念もすべて、逆が言えるのである。あらゆる諺には全て、逆のことを教える諺がある。

例えば、昨今 人との絆が叫ばれている。人との関わりがとても素晴らしいものだって。でも、私のありのままの経験では、人との関わりは歓びよりも、圧倒的に苦しみをもたらす。それは私の資質が日本の社会に向いていない 日本人と考え方が合わない I am not for here というのが大きいと思う。私は現代の日本にいて、人との関わりでは圧倒的に苦しみの方が多かった。だから引きこもりになったのだ。歓びに出会えるのは、日本社会の例外的に特殊な場所にいた時や、日本に点在している、少数派の人たち 好きになり尊敬できる人、心が澄んで綺麗な人と稀に出会った時である。日本の、福岡での人との関わりは、私にとって苦しみを多くもたらす。生来、人と接するのが大好きな性質の私なのに、引きこもりになった。買い物も、人の少ない夜とかが落ち着く。人との関わりは、そんなにいいもんじゃない という逆の真実である。これは、日本では である。こんな殺伐とした民度の低い社会でなかったら、人との関わりはいいものだし私だって謳歌するだろう。

また、土日や連休が楽しい という社会通念も私には逆で、私は週末や連休はとても不安になって苦しい。それは私の自閉症の特性、またうつ病 からきている。うつ病者が、夜に元気になるのもわかる。またこれもうつ病からきていると思うが、雨がザーザー降り出すと安心する。「雨雨降れ降れもっと降れ」と思う。雨や嵐、焚火のBGMのCDを持ってる。色んな宗派のお経のCDも持っていて、いい感じである。雨の音やお経は私を安心させる。

また、日本の家庭照明は明るすぎて、あの白い蛍光灯の光が昔から好きじゃない。欧米の家庭では、蛍光灯の天井照明は使わない。会社や病院で使う照明で、家庭で使う照明ではないと考えられている。オレンジ色の間接照明を使う。またその光も煌々と照らさず、薄暗くしている。私は、そっちの心地よさに共感するので、そういう風にしている。お風呂の電気はつけずに、5Wのなつめ電球を脱衣所と風呂の間の窓に灯して入っていて、薄暗くていい感じだ。今まで白い蛍光灯に慣れていたから最初は「暗い」と思うが、薄暗いのも慣れる。そしてリラックスできる。もう少し明るくしたい時は、脱衣所の洗面台の照明をつけて間接的に照らす。なつめ電球はW数を上げると随分光量も違う。クリア電球かホワイト電球かでも、随分光の雰囲気が違ってくる。日本で一般的には「薄暗っ」と言われる明るさが私には落ち着けて、煌々と電気のついた部屋ではリラックスできない。

また、新しい物がよくて 古い物はだめ という通念(宣伝)も私には逆で、私は古い物が大好きだ。日本の家は、時間が経つほど価値が減る一方だが、欧州では古い程価値が上がるそうだ。建築や陶芸の世界には経年美化という言葉がある。新しい物でスタイリッシュに揃えられた部屋や人の持ち物を見ると「古い物はどこに行ったの?」と不安になる。古い物を大切に使うことに私は魅力を感じる。そういう意味では、京都はよかった。

化粧も、色々すればするだけ綺麗になる という考え(宣伝)が幅を利かせているが、私にとっての真実は、化粧は益損分岐点を超えると 元より悪くなる。そしてその分岐点は意外とすぐに来る。(参考自分と共鳴する振り子に乗る)ほんのちょっとでいいというのが私にとっての真実である。

また 持っていることは 持っていないことよりも いい という通念(宣伝)も 逆が言える。服、バッグ、靴、アクセサリーとか、素敵な物は色々売ってる。でも、それらを素敵だからと買っていたら、たんすを圧迫し スペースを圧迫し 生活が複雑になり物理的・心理的負担が増える。物が多いと、部屋が散らかりやすくなる。それよりは、物を極力もたない方がいい。(参考:牛乳をこぼしたら、床がきれいになる) 住む環境を狭く複雑にしてまで、それを買う価値があるか と考える。物を買うということは、今持ってる使える物を使わなくなる ということである。今持ってる使える物の果たしている機能にappreciate(感謝)していない ということである。果たしている機能の恩恵にappreciateしなかったら、もっともっとと欲望を振り子に扇動されて翻弄されるだけである。(参照:ごみを出さない生活出会い直し満ちてることを知る

続く

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古い物と一緒に生きて行く そこに迎え入れる

2018-06-17 | 楽しい・ワクワク

物は極力買わないのが前提であるが、生活の質を上げるために、何かを生活の場に取り入れる時の、素敵な選び方。

今自分がいる文脈に 新鮮に調和するものを選ぶ というものである。

私は古い物が好きで、永く大切に使いたいと思っている。古いことは、私にとっては良いことである。

物を新たに家の中に迎え入れる時に、どういうものを選ぶか。

今の文脈に新鮮に調和するものである。

その選び方は、今まで一緒にいてこれからも一緒にいる家や物をリスペクトすることであり 新しく迎え入れる物と どっちも大切にするという姿勢である。

だから、それを選ぶことで今まで一緒に生きてきた物達を否定することになるような物は選ばない。今までの物をrespest 、appreciate 肯定する ものを迎え入れる。

この考えは、私にとっては 書き留めておきたい 小さくない哲学である。

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