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Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

クラシックを聴くと心が鎮まる

2018-07-28 | ピアノ・音楽・芸術

私はクラシックが大好き。

ベートーベンが一番好き。ベートーベンを聴くと、琴線にふれる。不思議な力が宿る音楽。

最近聴いてるのが バイオリン協奏曲 二長調 作品61(Violin concerto in D Major, Op. 61)

すごくいいよ。この曲とか大公とか ベートーベンの紡ぎ出す弦の主旋律がすごく好き。太い魂って感じで。土っぽい美しさ。研ぎ澄まされてるけど 洗練っていうのと違う。土や木の匂いがする。生きてる匂いがする。直(ちょく)って感じがする。私も言われる 直って。やさしい気持ちになる。心穏やかになる。これはベートーベン独自のもので 他の優れた作曲家たちと絶対的に違うものだ。

roll over beethoven と喚いてエレキギターをかき鳴らしているロックの人たちへ 君たちよりベートーベンの方が遥かに真性のロックだから。 

シューベルトも格別に好き。孤立していたベートーベンの数少ない友人で理解者だった。

モーツァルト、ショパン、リスト、スメタナ、ヨハン・シュトラウス、チャイコフスキー、ドビュッシー など 全般的に大好き。

クラシックを聴くと、心が鎮まる。

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人を「支援」する資格

2018-07-28 | 発達障害

文化や常識の中からしか物を見れない人は、「発達障害」として生きづらい人の支援などできないしやってはいけないと思う。当事者に2次災難 3次災難を起こしさらに苦しめることになる。

(参考:「社会のルール」をメタ的に見れない人には発達障害を「支援」できない 「支援」者による2次災難は、元々の災難を凌駕する この限りない空しさを、誰かに告げようか 福岡市藤崎の、発達障害者作業所の実態 自分のガードに全力で専念する「支援」者 ものわかりがいい子は振り子にとって都合がいい子 )

世の中で生きにくいことには慣れていても、「支援者」による苦痛は絶望につながり耐えがたいものがある。

ただ姐御面して颯爽ぶってはりきりたいだけの人には、「支援」に関わるべきではない。自己満足したいだけだから。「支援」と言いながら、当事者を本質的には否定して見下しているのが、いずれ出るから。

人の「支援」をする資格として、文化や常識に埋没しない視点・社会のルールをメタ的に見る能力 は不可欠である。また、自分の無意識の意識を自覚しようとする態度 も同じく不可欠である。これがない人には、非定型発達者の支援はできないし、ことが悪くなる。

ただ姐御面、兄貴面したいだけのはりきり「支援」者は、その無自覚の傲慢さに対して当事者に反発されると、その傲慢さ故に、内心憤怒する。見下している相手から、手を噛まれた みたいな。支援者としてふさわしい人なら そのことに真摯に向き合い、何が起こったかを紐解き、自身にも問いかけ、成長し人間としての深み、教養、知性が増し、素晴らしい支援者となる。

でも、偽「支援」者はそうはならず、急に支援そっちのけで掌返してそっぽを向くのである。こういう人達見てると、怠け者という言葉が浮かんでくる。かれらは、物事を真摯にみようとする姿勢がない。簡単に言うと、面倒くさがり。そんな人たちは、「支援」に向いてない。真摯さが「支援」の不可欠要素だから。

そういう人達は、自分たちより知的に低く、安心して優位に立てる可愛らしい障がい者のみを相手にしていれば、災難を派生させずにすむと思う。

障がい者差別解消法による合理的配慮義務 が施行されてその雇い入れ義務に伴い、「支援」機関が雨の後のたけのこのように勢いよく増えても、中身が追いついてない。

枠組みだけできて 中身が追いついてない。だから、形だけ先行している裏で、災難も多数生まれている。

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「支援」者による2次災難は、元々の災難を凌駕する

2018-07-22 | 発達障害

障がい者差別解消法による合理的配慮義務 が施行されて、その雇い入れ義務に伴い、「支援」機関が勢いをつけて増えている。就労移行支援施設や、就労継続支援機関 など…これらは税金で運営されている。

(参考:通じ合える友人 この限りない空しさを、誰かに告げようか

が、私は「支援者」による2次災難について述べさせていただきたい。

法律や罰則はできたものの、「支援」の中身が伴っていない 実態がある。もちろん会社の合理的配慮も、形だけでまったく中身がなく当該障がい者を苦しめていることが多いし、「支援」機関のスタッフの質も、お粗末であることが多く、私から言わせてもらえば、社会的な弊害の方が大きいと思う。

私は、身体的には不自由なく健康で、知的な障害はない。知能検査ではすべての項目において平均より上であったが、それ同士のばらつき ムラの大きさ(=脳の特性)から、診断されたのである。また私は自分の生活に関わる疑問点を逐一調べて明らかにする 調べ癖があり、非常に詳細に知ろうとするから、その疑問分野においての知識が深くなることがある。(昔、私はその界隈の賃貸物件を調べているうちに非常に詳しくなったため、不動産屋に「うちで働かないか」と言われたことがあった。) 

私は、自分に関係する事柄への知識には強くなる。

かれら「支援」者たちの多くにはあるパターンがある。

かれらは、自分より知的にもその他でも無力な、可愛らしい障がい者を守ってあげる ことに誇りとやりがいをもっている。

かれらは、最初、障がい者に対し颯爽と頼りがいを発揮してバックアップしようと意気込むが、その障がい者が自分よりも知的に上であったり、社会的視野の面でも自分の知らないことをよく知っていて、自分の無知に対して反論したりすると、途端に掌を返し「支援」そっちのけで自己防衛に走り、最初のやる気は今いづこ、できない理由を尤もらしく並べあげ、その障がい者を追い出そうとする。

このパターンは、法則と言ってもいいくらい、同じである。

かれらは、自分よりわかりやすく弱い 知的に低い人相手しかしたくないようである。

いくら、その障がい者が困っていても、自分を余裕にさせる可愛げ 白痴っぽさ がないと、助けるのを拒否する。「してやってるやさしい私たち」への得意顔が私には感ぜられた。

かれらは最初、善意面で障がい者に対して胸を叩いて支援を意気込むが、その根底 深層心理(?)にはその人への見下し 尊重するふりした否定があり、それが遅かれ早かれ 当事者への失礼なたしなめ 無知なお説教 傲慢な諭し などの言動に現れ 白痴でない当事者を深く傷つけるのである。

かれらは会社と障がい者 との橋渡しとして「任せて」と兄貴姐御ふぜいで颯爽と意気込むが、体制への迎合 というか 権力や主流や多勢にお利口さんに合わせさせる という考えでことを運ぶから、言葉の端々に ひどい傲慢が出てくるのである。

ちょっとうまく言えない。

私は、ある女性「支援」者の対応に深く傷ついた。その言葉は、彼女の「支援」の本質(=見下し 否定)を核心的に現した言葉に思えた。上から目線のそのたしなめは私の頭を真っ白にするような暴力性があり、私は自分を守るために強く反発した。すると、私が悪者になって 急に態度を翻されたのである。

先に傷つけた人は、自覚なく、私に傷つけられたと被害面してる。私は彼女を傷つけた自覚はあるが、彼女が私を傷つけたことに気づいてない。

自覚のない暴力をふるう人が、それに強く反抗した人の「暴言」に傷つき 憤怒する。

あなたたちが先にふるった 無意識の暴力は?

私はかねてから、 無意識と 意識のロンパリについてこのブログに書いてきた。医療従事者や、「支援」者に見られるエピソードなど。

「支援」者による 無自覚の 傲慢 による2次災難は、元々の災難を凌駕するくらい、私にとってはショックなものである。

文化をメタ的に見る視点や 知識 教養のない人が安易に姐御面して「支援」をすると、白痴的ではない障がい者相手だと、ことが悪くなる。

かれらのやってることは、今の社会=「障がい者」を障がい者たらしめている社会 「障がい者」としてしか生きていけない社会 に媚びを売ることであり その弊害は大きい。

支援の名の元に 生きづらい社会の拍車をかけている めぐりめぐって 「障がい者」=この社会で生きづらい人 をさらに苦しめている。

私は、社会の中で傷つくことには随分慣れたけど どうしても

この偽りの「支援」者たちの有害さについては スルーすることができないのである。

生きにくい社会に拍車をかけて 得意げに「支援」者面している自己満足の人達である。

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日本が嫌い

2018-07-22 | 社会・教育のこと

日本人の嫌なところ(すごく嫌な目に遭ってきたから、少々語気が荒くなっています)

・自分も我慢しているからあなたも我慢しなさい 我慢しない人は許せない 猛烈な僻み根性

・(これは福岡人の特徴)→ 羨望、嫉妬、僻みなどの自分の感情に責任をとらず、「その感情を湧き起こした」人が責任をとるべきだ という筋違いの甘えが当たり前にまかり通っている。「あなたが僻みの感情を湧き起こしている」と責め、その感情を湧き起こさせない振る舞い(親しみやすい道化、自虐的ふるまい)を強要してくる。

感情=行動 で生きることに自覚がないしブレーキがない。感情 と 行動 の間に 自覚とか理性とか知性 が ない。その暴力性をはらむ諭しに不快を示すと「感情的にならんと」とか上から目線で言ってくる。感情的な生き方をしているのは徹頭徹尾あなたの方… 猿が人間に構図すりかえの説教をする。落ち着きのないのは自分なのに、その理不尽な説教に不愉快になった人を 急に一歩引いてみせて 落ち着きのない感情的人間 に仕立てあげてくる。このすりかえの嫌がらせには天才的なものがある。=モラハラの天才

・(これは福岡人の特徴)→ 自主規制 このうざさったらない。誰も禁止していないのに 自ら率先して自主規制し それだけにとどまらず 人にもその自主規制を押し付ける

勝手に自主規制しているだけなのに 人がやるのが許せず(=僻み)「言ってくる人がいるから。面倒くさいでしょ?」=だから言われる前にやめろ とその他不特定の人=架空の人々をバックにつけて自分が気に入らないだけの罪のない行為をやめさせる。実際には、そいつ以外にそのことを言ってくる人はおらず、それを問題にしているのはそいつだけで、そいつが許せないだけである。そいつは他の人にもその行為に目敏く気にしていんねんつけてやめさせていた。「気にしてるの、お前じゃん。」「お前以外にそのこといちいち気にして言ってくるやついねーからw」と思う。「世間は許さない」というお前が許さないだけ。自主規制の僻みでww うざいから死ねよと思います。

・(これも福岡人の特徴)→ 形骸化 形だけアピールして、中身がない。やってるアピール アリバイ作り 帳面消し 証拠残しをしてるだけで 中身がない。だからものすごい本末転倒やあり得ない冗談みたいなばかなことが起こる。

思考停止 同調圧力 流れに乗る 自分で考えない

・(これは福岡人の特徴)→ 頭が悪い 自分で考える習慣がないからw

まだ途中だから追って更新する

 

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海外に住んでいる日本人のブログは興味深い

2018-07-22 | 楽しい・ワクワク

私の好きなブログの一例

雨宮の迷走ニュース コメントに反論してみる。日本って本当に息苦しいわ (ドイツで暮らしている女の子。この子と友達になりたい。)

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通じ合える友人

2018-07-22 | 楽しい・ワクワク

私は福岡にいると、人との関わりによって精神的苦痛が起こることがすごく多い。

その人が「支援」者であっても、福岡、九州の常識にどっぷりつかっていて文化をメタ的に見れない人であるならば、その人の上から目線の無知な説教によって深く傷つけられ それに反発し それに相手は傷つきこちらが悪者扱いされる というパターンになる。人の善意をひどい言葉で返した暴れん坊って。無知で傲慢な「支援」者は、自分が当事者をどれだけ見下しているか 侮っているか 尊重してるふりしながら否定しているか に気づかず そこに反発されると おそらく、その無自覚の傲慢さゆえに 深く傷つく 内心逆鱗に触れる(?)そして 掌返して背を向けるのである。

嫌なことがとても多いけど、いいことも書いてみる。

すこし前から、共鳴し合える友人に出会えた。同じ女性で、私と感性が共鳴する人だ。感じてることが一致する。また彼女は私が見えていないことも見えている、洞察の鋭い人。

でも彼女は私と違って、タフで強くてソーシャルスキルが高くて 上手い人だ。

嫌なことが起きると神経が高ぶって 動悸がして 脈が速く打ち 顔がこわばって 声が出なくなる そんな私と違って 彼女は、鋭い感性をもちながらも上手にふるまえる強い人で、周囲の人気者である。

であるが、彼女を慕う人たちは彼女と共鳴していないので、孤独を感じてきたようである。人に親しまれているが、話が本当にできる人がいない。

そんな中、彼女が出会ったのが私である。

彼女は、ぼっちの私にぞっこんになり 引く手あまたなのに私の元にやってくる。もてる彼女が、ぼっちの私に吸い寄せられている。この現象は、前にもあったように思う。人気者ヒエラルキーのトップに君臨する人が、ヒエラルキーの底辺 というより その三角形の中にさえ入っていない はじき者の私に夢中になる という現象である。

私は自分のことをJorkerに似てると思うことがある。(参考:ジョーカーマン

私は彼女と話すことで共鳴し合い、いい風が通り、助けられている 支えられている。彼女はたくさんの人を明るく照らし、好かれている。一方でこうも思う。

彼女を助けられるのは、私だけかもしれないって。

それは、助けようと彼女に何かするのではなく、ただ自分のありのままを彼女に見せることによってである。

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行くと疲れるのは、福岡中心部が自己愛のるつぼだから

2018-07-16 | 福岡が合わない

昨日、久しぶりに天神に行ってきた。

小学生のA君が電車に乗りたい、前一緒に行ったサイゼリアに行きたいと言ったので。私は、休日に福岡人で混雑した天神に行きたくないし、買い物の必要もないし、流行のきらめきに関心がないのでしぶったが、彼の強い希望で行った。

博多や天神に行くと、いつも同じ感想。疲れる。神経が消耗する。

というのも、そこを行き交う人達が、毎回いやで。

私は本来、外出して人と出会ったり交流したりするのが好きなのだが、そこにいるのが福岡人ならその関わりは、嫌なものである。歩いてるだけでも。

おしゃれ すごく おしゃれ 歩いてる人達 どの人も。若者もおばさんも。

でも、すごくいや。イケてない。

ドヤ顔で 自己愛的で 威圧的で 敵対的で 戦闘的で 防衛的で 武装してる 冷たい人達

やさしさや 思慮深さや こんにちは^^っていう気持ちとか ちょっと微笑んだり 出会いを楽しむとか そういうのがない

頭の先から爪の先まで完璧にしていても、自己愛の塊なのが田舎猿。

いい歳したおばさんもである。おばさんが綺麗なワンピースを着たり、素敵な恰好をするのは私も好き。

でも、自己愛(自惚れ)に満ちていて、他人に対して 思慮や思いやりがなく 高い所から威圧的にドヤ顔してすまして上品ぶってるカッコつけいきみおばさんを見ると、私は彼女にすごく未熟な精神や教養のなさを感じる。雑誌から抜け出てきたような完璧なファッションですましていても、とてもださく感じるのである。

自分がどう見られるか 自己演出 人目を魅きたい というのが最大の関心事。それが何より大事 頭の中はそのことでいっぱい。中身のなさが透けて見える。「西洋の服を着た猿」その通りなのである。

福岡には、そういう いい歳して未熟な 勘違いいきみばばぁが多い。そういう若い女が多いのは周知のことであるが、おばさんもそうである。

本人たちが 自己陶酔して かっこつけていればいる程 ファッション的に完璧であればある程 だささが増すのである。わかるかなぁ 私のこの感覚

おしゃれは私も好き。素敵な恰好をして 街を歩くのも 家に友達を招くのも 好き。

でも、他に大事なこと あるし。

それに、あの人たちのおしゃれって 雑誌とか広告とかで 扇動されてる型を 完璧になぞったものである。

そこには自由な感性や美意識やメッセージがなく ただ流行を完璧に真似てるだけ。そういう人を「美意識が高い女性達」と形容するのをよく聞くが、間違ってる。彼女たちの美意識はむしろ低い というか ない。美意識が高い人が、雑誌や広告を周到に真似るようなことしないもの。

自分の感性や美意識や生き方に自信のない人が、既成価値(業界の儲けの為に意図して作られた価値)に寄りかかって これが正解 とドヤ顔でやることだもの。

ださくてださくてたまらない。

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いじめられてきた人の巻き返し

2018-07-11 | モラハラに遭ってる仲間に

このことを、仲間に伝えたい。

いじめられ、食い物にされ、漬け込まれ、傷つけられ、踏み台にされ続けてきた人たちへ。私の話だけど。

繰り返した苦しい経験のあかつきに(っていう程、過去の話じゃなくて、いつだって紙一重だし。いじめられに転ぶことは今現在も大いにあるけど)

巻き返しっぽい変化を感じてる。それは、劇的なものじゃなくてじわじわ でも たしかに手ごたえがあるもの。

知らないうちに、身についた オーラというのか 

人を静かにさせる 影響力というのか うまく言えないけどそういうのが自分に備わってきたことを 時々感じる。

いじめられてきた人がみな、そうなる訳じゃない。いじめられたから、人にやさしくなれる というのは多くの場合当てはまらず、より弱い者をいじめる 自分がいじめる側に回る いつでも掌返す 弱者にすごくきびしく出る 強き(いじめる側)にへつらい弱きに強く出る そんな人の方が多いと思う 日本には。今たまたまやられてる側だけど、いじめる人達と同類のクズをたくさん見てきたし、今でも。(ぜひ参考:価値のある人かどうかの品定め

私はそうならず、巻き返しを感じている。

もちろん誤解しないでほしい。自分が強者側に立ったとか 貧乏が超金持ちに成り上がった大逆転劇 とかそういう意味ではない。でも、人を静かにさせる 時にゴクリとさせる オーラが自分に備わってきてると思う。

そうなるまでには、繰り返し 苦しみ 傷つき 哀しみを味わってきた。うつ病になったのだから。治ってないし…

かつての私と何が違うかっていうと、かれらのことがよくわかっていて 全部透けてみえてますぜ お見通しですぜっていう風格 どこかすわってる目 どこか落ち着いてる佇まい(職場で私をいじめていたおばさんに会った。

かつての私は人を信じていて天然丸腰の、「隙だらけ」の少女であったのに対して。

武装して 睨みをきかせて 険のある ギスギスした人間になるのか いや違う。全然違う

同類じゃないのは昔も今も変わらない。

違いは、今はかれらの行動パターンが完全に把握できていて透けて見えてるってこと。猿の観察者。行動パターンが把握できてる ってことは、何度も繰り返し害を被る立場で経験してきたから。そして、気づくよ。判で押したように同じパターンだから。かれらのやることは、どこ行っても、みな同じパターン。だから、もう次が読めるようになる。その読みは、まぁ当たる。外れなし。

また、巻き返しは自分をいじめた人達相手に っていうことじゃない。

もちろん、そうなるなら何より愉快だけど、多くの場合は、そうなる前に潰されてその集団から去る 追い出される。自分をまさにいじめた人達相手にではなく、その後出会う似た人達(それが日本の多数派)相手にっていう意味で、私は語ってる。

巻き返しって、あるよ。

それには、資格がある。かれらと同類にはならない っていう条件だよ。

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Against what?

2018-07-09 | 発達障害

「大麻を吸うと反逆的になるから禁止する」との政府の主張に対し、ボブ・マーリーが言った。”They say "No, you must (not) use it because It make(s) you revel." ....  Against what?”"って。

 

それだ。 Against what?

 

反抗的だ -Against what?

素直に従わない -Against what?

空気を読まない  -どんな空気?

みんながやってるのに習慣に従わない -どんな習慣?

 

私は、反抗的な子じゃない 斜に構えてない 素直な子 

私は、素晴らしい慣習なら、歓んで同調するし 参加する 

素晴らしい場なら、歓んで それに同調して それに拍車をかける

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この限りない空しさを、誰かに告げようか

2018-07-09 | 発達障害

この気持ち、誰かに伝えたい。

私と同じこと感じてる、この日本各地に点在している人達へ。

でもうまく言えそうもない。哀し過ぎて、苦し過ぎて、空し過ぎて。

でも、知ってる。私と同じ気持ちの人がいるってこと。

そして、この気持ちをなるべく上手に書くことは、私の大きな仕事だって。このことをうまく言えたら、それは大きな意味のあること。

この空しさと関係する過去の記事:「社会のルール」をメタ的に見れない人には発達障害を「支援」できない 福岡市藤崎の、発達障害者作業所の実態 自分のガードに全力で専念する「支援」者 ものわかりがいい子は振り子にとって都合がいい子 

障害者支援機関や医療機関の「支援者」によって、当事者にさらに苦しみ、悲しみが訪れることは多い。私以外にもたくさんの人が言ってる。

「支援」とドヤ顔で言いながら、障害者を否定して 定型(日本のおかしな主流)に合わせさせている人たちがたくさんいる。その手の偽「支援者」たちは、障害者を劣ったものと位置づけている。早い話が 見下している。無知で傲慢な人達。

藤崎の障害者作業所の運営者は本当にひどかったけれど、あそこまででなくても、煎じ詰めれば同じような「支援者」はたくさんいる。そういう人は、当事者に やさしく甲斐甲斐しく頼もしく笑顔いっぱいで接しても、遅かれ早かれ、その本性、本質が出る。そして、当事者はとても傷つく。

何が起こってるかわかってない当事者なら、傷ついたりしない。そんな感性も思考ももってないから。

私は、「支援者」だと思ってた女性に、いかにも福岡人らしい 無知なおばさん節でたしなめ お説教をされて唖然として、苦しくて すごく哀しい。

びっくりするほど知識に乏しく 視野も私よりずっと狭い 狭い福岡の常識を常識と思っているようなおばさん それなのに上から目線で 私に諭さないで欲しい。あなたが言ってること おかしいし 法的にも明確に間違ってる。いい加減なことを上から目線で諭してこないで

もし彼女が上から目線でなかったら、私は「○○さん、それは間違ってるよ、これが正しいよ」って言うことできるけど、彼女は上から目線で しかもその内容が聞くに堪えない程知性のない言葉だったから、とても苦しくなって 「頭が悪いこと言わないで。勉強が足りてない。」「あなたがそんなにばかなことを言うと、私はとてもショックだし不安になる。」って高ぶって言った。すると、彼女はとても傷ついて私に怯えてしまった。

彼女の無知かつ上から目線の説教は、私にとってはすごく、暴力的だった。だから必死で自分をその暴力性から守って、強く跳ね返した。すると、私が支援者を怯えさせた暴れん坊 になった。私は、自分があまりにもショックで、強い言葉で抗議したのは自覚してる。でも彼女は、自分が私をどれだけ哀しませたかは自覚してないと思う。だから、高ぶった私の方が、悪い子 暴れん坊になる。

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いじめに負けるな?

2018-07-03 | 社会・教育のこと

いじめの責任は、いじめてる人達にしかない 行動の責任は それをしている人が負うべきもので、その人しかとれない いじめられやすい特徴というのはあるけれど いじめやすい人をいじめる人が 猿人ってだけで  「あなたが周りの人の僻みの心を引き起こしてる」はぁ?寝言もほどほどにしとけよ ばばぁ 

こんな理屈が大手を振ってまかり通る、甘えの強い日本 自分の行動の責任を他人にとらせようとする この考えはいかにも日本らしい的外れで 甘えに他ならない 

いじめの責任を いじめられてる人に 負わすことがどれだけ筋違いかがわからない 頭の悪い人達がうようよしてる日本 わたしはこんな国にいることが怖い 危険だと感じる

いじめは悪質な犯罪なのに いじめに負けるな とかさ お門違いも甚だしい

レイプに負けるな 痴漢に負けるな 強盗に負けるな 

いじめに負けるな などという言葉が、平気で幅を利かせて横行してる日本の知性のなさが露呈してる。

そりゃいじめ大国日本だよな

だっていじめに負けるな だもの

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得るはずのない人が「人望」を得る日本

2018-07-03 | 福岡が合わない

弱い者いじめをする人 人に嫌がらせをする人 おとしいれる人 人を操作して空気を支配する人

よく、「そんな人は人望を得られません。周りはちゃんと見てます。誰もそんな人について行こうとはしません。自ずと自滅します」みたいに書いてあるのを見るけど

そんなことはない。人望を得るはずのない人が 周囲に担ぎ上げられる 一番おかしな人が中心にいて 実質的な権力をもっているという現象は福岡でも東京でも多々見てきた。そういう経験の方が、圧倒的に多い。そして自分はその人へ人望を向けないでいると、いじめの対象になるというのも経験の科学である。

それは、周囲の人達が 恐怖で動かされるから。たやすく洗脳され 流れに乗る ばかな人だから 

または、その人がおかしいのわかってるけど 同調して 取り巻いてる 弱くて 倫理観も理性も知性もない人だから

周りの人達に 真実を見る力 自分で考える力 がない場合、「人望」を得るはずのない人が得ている。私はこれをたくさん見てきた。

おかしな人にみんながついて行って 取り巻いて 同調して 媚びへつらって 色んなことが動く。その人の意に則して。

こうであって欲しい というのと実態は違う。冒頭に書いたような、よく言われている言葉は、周りの人達に 真実を見る力 自分で考える力 がある場合 恐怖で動かされない人たちの場合 という注釈をつけなければ、誤りである。この注釈に適合することの方が稀なのだから。

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