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Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

うつ病の人はものを見る目が曇ってる?

2019-01-30 | うつ病とその回復

うつ病の人は、ものを見る目が曇っていて、人に対して過剰に不信感、疑念をもつ

みたいなことを言う人がいる

でも、当事者として、逆だと思う。(参考:暗いのは、その人が暗い人だからじゃない

これに当てはまらない例も多々あるだろうけど、私が出会ったうつ病の人は

人を見分ける感性が鋭い

心の核にやさしさが宿る人を、そうでない群衆の中から見分ける感度が鋭い 私自身もそうだと思う

見分けた人に対しては、ふつうの人以上に、その存在を喜び 価値をわかっていて尊敬と信頼をよせ、その人を大切にする。目が曇ってなんて、いない。 

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理性のブレーキ

2018-06-30 | うつ病とその回復

引きこもりから、社会参加するようになり、わかっていた通りの福岡人の実態を再確認(しかも思っていた以上に強烈)している。

私はやはり、自覚の重要さについて思う。(参考:民度の低い共同体での身のたて方

自分を取り巻く人達の現実が酷いものなら、自分を守らないと傷つけられ、食い物にされ、踏み散らかされて潰される。相手が、人の品位ややさしさや思慮深さ、教養を すべて つけ入る隙 だと変換してなめてくるなら、対応を変えないと自分が深く傷つけられる。

こういう人は、動物的な本能で怖いか怖くないかで 出方が自動的に決まる。怖いから媚びへつらい下手に出て、怖くないから侮り下に見てなめる という行動パターンである。怖いか怖くないか という動物的な行動原理。こういう人ばっかりの、日本 特に福岡と札幌。(参考:価値のある人かどうかの品定め

そんな人達相手に、自分を守る為には、なめられないようにしないとって なる。

自分の能力を人にアピールするのはださいこと、そんなことしたくないという価値観をもっていても、アピールしなかったら周囲の人がどこまでも浅ましく勘違いして漬け込んでくるなら、自分の能力を見せつけて強者然としてないと ってなる。なめんなよ っていうのはとてもださいことなのに、そうしなかったらどこまでも勘違いしてくる。だって、行動原理が 怖いか怖くないか だもん。そんな、動物的な人が日本の(殊に福岡の)多数派なのである。動物にはその動物性に訴えるしかない というのが、私が辿り着いた、醜い真実。

私は本来、能力アピールとか寒くてださいと思い、やわらかく やさしく 思慮深くしてる。でもそれでは傷つけられ劣位に追いやられるばかりだったので、これ以上潰されたくはないので、相手がそういう人ならば、それなりの対応をするようになった。

これって、私が昔から苦手だった 福岡によくいる下品なねーちゃんだよね ギスギスして、目つきが鋭くて 威嚇して武装してる 柄の悪い福岡のねーちゃん 

この時、自覚・理性のあるなしが 動物か人間かを分けると思う。

こんなこと本当はしたくない こんな行為は大嫌い こんな行為が社会を殺伐とさせている 私の望む社会じゃない とても低レベルな社会 でもその低レベルの中で生きることを余儀なくされてる 私はただの人間 女神さまじゃないから やられ続けるのはもう嫌なんだ これ以上踏み散らかされ役は嫌なんだ 

っていう自覚の有無が、動物か人間かの分かれ道。自覚があれば、理性がある。ただ現実の渦の中に埋もれて本能的にやってる大多数の人達は、人間というより猿に近い。

西洋の服を着た猿で合ってる。その通りである。

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大人しいと下に見てくる人

2017-11-14 | うつ病とその回復

大人しいと下に見てくる人っているよね

私は、基本的に大人しいタイプだ。仲良くなったらお互いにたくさん話すけど、社会的には大人しい物静かなタイプだ。そして人とつるまず基本1人でいる。

すると、それをなぜか下に見て なめてくる人がいる。例えば、なにかの集まりやコミュニティとかに途中から新しく加わって来て、その中に必死に入って行こうとする人が、私に対しては下に見てなめていたり。私は、新しく入ってきたその人に対して、やさしく迎えようとする姿勢でいるのに、相手は私のことは完全に雑魚とみなして眼中になくて蹴散らして、そのコミュニティで声の大きな人、権力を握ってそうな人達には必死で取り入っている とか。そういう、無意識の打算があからさまに行動に出てる人はたくさん見てきた。私はそういう人が大嫌い。

そのコミュニティの中で、私はたしかに声は小さいし大人しいし人とつるまず基本1人でいるけれど、みんなは昔馴染みだったりして私のキャラクターをわかっていて、私のことを軽んじたり下に見たりしていない。後から入ってきたその人だけが、安易に私のことを なめて 軽く見ていい人と思ってる。力をもっていると彼女が判断した人達にすごい勢いで取り入って親交を急激に深めようとし、私のことを虫けらのように踏み荒らしていく。

そんな人はたくさんみてきた。それがよく見える立ち位置にいるので。

そして、彼女は段々とそのコミュニティに馴染んでいき、私がその中で 大人しいけど下に見られているわけではないこと、コミュニティの中心的な人と幼馴染であることを知ると、途中から私のことを邪険に扱うのをやめだす。

このパターンである。これを私はクソと呼んでいる。

途中で私をなめるのをやめても、私は、この人が最初に私に対してどんな態度をとったか 忘れはしない。私はその人をやさしく迎えようとしたのに、その人は私にどんなに失礼でぞんざいなふるまいをしたか 傷つけられた気持ちとともにはっきり憶えている。

こんな経験が多いから、人を信用しないようになった。クソが多い。

逆に、大人しくても 声が小さくても そんな安易なunderestimate 見くびり をしない人は信用のおける人である。だから私はクソかそうでないかがよく見える立ち位置にいる。

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モヤモヤを紐解くと心が穏やかになる

2017-10-27 | うつ病とその回復

誰かに言われた言葉で頭がモヤモヤ、キシキシしてそれがずっとへばりついている時は

そのモヤモヤを紐解いて 正体を暴くと、とりあえず心が穏やかになる。

言った人に反論したり抗議したりしなくても 

モヤモヤの核心を自分で理解すると とりあえずは心が落ち着く。自分へのトリートメントである

言った人への怒りや信頼の失墜が消えるわけではない。

気持ちを切り替えろ と世に言われるが

モヤモヤには大事なメッセージが含まれていることがある 

だから私は、気持ちをスイッチする技術よりも、モヤモヤの正体をなるべく早く自分の中で把握する技術の方が 備えるべきだと思う 

そして、言った人に立ち向かうか 何も言わずにただその人への評価を下げるだけにするか はその後決める

なるべくその場で、モヤモヤ キシキシの理由が明確にわかるようになりたい

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精神科医の説教②

2017-10-27 | うつ病とその回復

「どこにでも、嫌なことを言う人はいる。でも我慢して、みんな、顔で笑って心で泣いて やっている。」って院長大先生が私に説教っぽく言った。(参考:精神科医の説教

あれから続く、心の傷つき、頭のモヤモヤ キシミ。

その正体が、紐解かれてきた。頭にへばりついているモヤモヤ キシキシは、とても苦痛で不快だけど、そこには自分にとって大事なキーが潜んでいた。だから、モヤモヤの正体を暴こうとするのは有意義だと思う。

その台詞を1番言ってはいけない相手に言ってる 自分で言うのもなんだけど その台詞、私には言って欲しくない 

色々と聞かれて話したけど、院長大先生は 私がとうとう、社会に踏み出せなくなった核心をわかってない

私は、自分の損得や私利私欲や感情 ではなく いつも 社会的な意識で 行動してきた 特に弱者の立場の人をいつだって庇って 支援して やってきた

これに対して嘘つきと言う人がいたら その人は損得や私利私欲や感情で 動くのが当たり前だという意識でずっとやってきた猿に近い人だろう

両親からの育てられ方の影響がとても大きいのと 公的な教育などの場で発信される、そういうメッセージを真面目に受けとめてきた というのと

私のそういう態度は 人に歓迎された

でも、私は初めて、自分で 初めて知った 親からの借り物の受け売りではなく 自分でわかったこと

日本の社会は 隙あらば人を食い物にしようとするハイエナの吹き溜まり だって

私のそういう態度を歓迎した人達は 自分にそれが都合がいいから 

歓迎というだけでなく 多くは 漬け込み 利用 踏み台 搾取 というので返ってきた

それは、私が特に庇ってきた 弱者 その人達によって だった 

その弱者の中には、在日韓国人や中国人・ネパール人労働者 いじめられっ子がいる

それでとうとう、私は社会に一歩も出ることができなくなった

母は、色んな社会運動に献身してきたが、その中に女性の社会参画がある。女性の地位向上のために 自分の時間・エネルギー・金を使って献身してきた。でもそんな母を 組織の中のいち労働者としての母を 一等踏みつけにし足を引っ張っり迫害し侮辱を浴びせたのは女性管理職であった よくわかる。社会進出して地位を確立した女性「リーダー」たちが男性管理職よりも酷い という現象はそこかしこに溢れている。勘違いした「輝く女性」たちである。私も、そういう輩にはたくさん出遭って、実害を多々被ってきた。全然女性のためになっていないし 女性をさらに踏みつけ苦しめ 強烈に足を引っ張る 感情の塊の女性管理職 たちの悪い女性「リーダー」たち。それで、社会では、勘違いした「輝く女性」たちによる実害を被っている人達が 「やっぱり女は劣っている」「多くの弊害がある」「いい加減にしてくれ」「これ以上バカ女を調子に乗らせるな」「社会進出すべきでない」と言っている。 正直、私も同感… 社会から引っ込め 勘違い女 と常々思っている。でも、一向に引っ込む気配はなく、ますます振り子の扇動に乗って勢いは増していくだけなので、私が引きこもっているのである。

母は、そんな感想を一等、理解している。だって彼女自身が他でもない女性管理職に虐められ続けたのだから。昨今のさばっている勘違い女たちによる被害を受けてきたのだから。その状況を、母は「過渡期」だって言う。

でも私は言う。過渡期なんていうのは、神様の台詞だ 私は神様じゃない 自分の生きてる時間 働いている時間 に苦しみ続けるのはもういやなんだ 私は歴史を上から見てない 今生きてる時間が大事 私は人類の歴史の発展の駒じゃない 

そしたら母も、もちろんそうだ 過渡期だからしかたないのではない  って言った

 「どこにでも、嫌なことを言う人はいる。でも我慢して、みんな、顔で笑って心で泣いて やっている。」

という院長大先生の説教は なんというか あまりにも次元が低く空しかった。誰も救わない言葉 押し付けられてきた引っかぶり役がもう無理になって心が壊れた患者に対して トンチンカンに向けられた言葉

母は、その医者の全体像の中の残念な側面として受け止めろと言うが、私にとってはOUTな言葉なのかも知れない

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心屋にはまる友人Y②

2017-10-17 | うつ病とその回復

心屋にはまる友人Y

の件で、核心的なことが見えてきた。前記事に書いた彼女の特徴は、表面上のものだった。

・人にすごく気を遣う。人にどう見られるかを異常に気にする。

・良識的で、真面目で、いい子

と書いたけど、私は彼女が上手に化けた姿を真に受けていただけで、本当のことは違った。たまに半日どっちかの家で過ごしたり、食事に行ったりするだけでは、彼女の化けをその通りに受け容れて、本当の姿を見誤っていたが、一緒に丸1日過ごすと、わかった。単純に1日だけでという訳ではなく、1日寝食を共にしたことで、今までのエピソードの点と点が繋がったのだ。

問題の核心は、彼女が化けている姿と本当の姿が逆 というものだと思う。

彼女が人にどう見られるかを異常に気にする というのは真実。でも、・人にすごく気を遣う ・良識的で、真面目で、いい子 というのは化けであり、本当は逆なことがよくわかった。本当は、とても雑で 手荒くて がさつ だった。それを、正反対であるかのように上手に化けているのである。所作とかは、とても上品でしとやかにしているけれど、「え?」ってなるようなエピソードはたくさんあった。

約束の時間を守ったためしはなく、1時間とか当然の感じで遅れてくる。うちで遊んだ時、まだ使えるからとっておくつもりの私の私物や、まだ入っているお菓子の袋をブルドーザーのようにガサーっと捨てる。もちろん悪意とかでなく、本人は気を利かせて掃除をしたつもりなのだ。ゴミ箱に、勝手に色々捨ててある… 

たった1泊、外で数人で過ごす為に用意しておいた紙コップや紙の皿も、どんどん使ってぽいぽい捨てるから(大量消費)、まさかの、足りなくなってしまう。私の持ってきた備品の袋の中に、床を拭いた汚いティッシュがたくさん入っていたり(その袋がなんであるか確かめないで、入れたのだった)とにかく、雑で、荒い。それが、彼女の本質。そのこと自体は個性だからいいのだけど、本人はその真逆に化けている このロンパリが彼女の抱えている心の問題の核心だと私は思う。

彼女には子どもが2人いるが、子どもたちへの接し方も、雑で、荒い。子どもに説明をせず、すべて「やめて」「せんでよ」「しゃーしいったい」「うるさい」とヒステリックに喚いているだけで、教育的なことをやってない。自分の都合でお菓子、スマホ、TVを使って黙らせているだけ。だから、子どもたちは猿同然で、やることはなんでもありの節操なし、滅茶苦茶になっている。私の胸やお尻をしょっちゅう触って揉んできたり、風呂を覗くのは愛嬌まじりに許したが、局部を触ってきた時には強く振り払った。車の中も、家の中も、カオス。

これが、本当の姿なのに、彼女はそうじゃない人(上品、気配り、真面目)を懸命に演じていて化けているのである。私も今まで、それを真に受けていたけれど、彼女の実際を近くで見ていたら、いわゆる「底辺」そのものなのであった。母の再婚相手の連れ子(義理の兄)と同棲しできちゃった婚をしていることにも「底辺」を感じる。

彼女の演じている「ふり」とロンパってるのが問題であり、ロンパってなかったらいいと思う。ロンパってるから、心屋なんかの世話になるのではないか。

「あんなに他人にきめ細やかに気を遣う繊細な淑女の家が、こんなにも汚くて超臭い。おかしい。絶対おかしい!ここに、ヒントがある!!私なんて彼女よりずっと、我慢して生きてないけど、部屋はまぁまぁ綺麗だけど…w」って 前記事に書いたけど

その通り、ここにヒントがあった。彼女は繊細な淑女ではなかったのだ。

私は、今まで友達だと思っていた彼女の本質に気づいて、これからどうしようか 考えている。

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見捨てられ不安

2017-09-19 | うつ病とその回復

私が自閉症スペクトラムとは、誤診ではないかと思っている。ADHDは確かに特性がある。

でもこれも第4の発達障害つまり ー不適切あるいはその子の性質に対して著しく不適合な生育要因が不運にも重なった子、虐待を受けた子などが、発達障害の症状を呈するというものー ではないかと思っている。発達障害と、第4の発達障害は経験豊富で慎重で思慮深い医師でも見分けがつけにくいそうだ。

自閉症ではなく、スキゾイドパーソナリティ障害ではないかと思ってた。その特徴がたくさん該当したから。

でもそれも自分を傷つくことから守るためにそうなっているのであって、本当は、その逆ではないかと思っている。本当は、見捨てられ不安が強い

たくさんの皮を剥いて行ったら、そのことが残った。

「見捨てられ不安」に関する説明には、このような注釈がよくある。

「逆に、それをおし隠して無理に自立して生きているケースも珍しくありません。問題なさそうに見え一見それとは分かりにくいものです。」

「幼い頃、面倒を見てもらう事をあきらめ、自分の事は自分でやるという考え方を身につけて
早熟的な自立をしたケースもあります。
 こういう人は子供のころから「しっかり者」と見なされる傾向があります。このような人は、一見しっかり者で問題がないように見えます。しかし、深いレベルに見捨てられ不安を抱えています。」

「親に無償の愛をもらえなかったからこそ、誰かにそれを与えて欲しいという気持ちを何よりも強く持っています」

それって私のこと…?

 私のところに泣いてすがってくる「見捨てられ不安」の塊の子がいる。私以外にもすがる相手はいて、男である。彼のことを全然好きじゃないのに、とにかく誰でもいいから(に見える)経済的と精神的にしがみついていないと生きていけない子。sex依存・酒場依存でもある。そのなりふりかまわないしがみつき行動が、常軌を逸しているから、「絶対あんた、なんかだよ」って思う子。その子は可哀そうな生い立ちで、1人で立てない、不安で不安でたまらない子で、私に泣いてすがってくる。その子を支えてあげたいしいつも受け容れてる。そんな中、私はそのありのままに泣いてる姿を なんというのか 羨ましい というか ちょっと違うけどそんな気持ちで見たりする。私は、そこにさえ遠かったから。あんたの方が、私より、出口に近いよ みたいな…

傷つくことから自分を守るために、スキゾイドになった。

誰かが離れて行くことに極端に敏感だから、誰よりも鈍感になった 

その白いのっぺらぼうの仮面がなかったら、どうやって生きて来れた?毎日泣いてたらよかった?その白い仮面は生きていく術だった

見捨てられ不安の強さは、他者への共感能力という副作用ももっている。

接客において、クレーム(complaint)を言うお客さんに対処することに自信がある。単に尤もな指摘であるもの(claim)には当然対応できるが、一般的には些細と言われることに「モンスター」的に(この言葉大嫌いだけど、昨今普及している通りに表現する)指摘したりするお客さんへの対応にも、私は全く苦痛を感じず、対処する自信がある。そんなお客さんが、見捨てられ不安が強いことを、汲み取ることができるから。ことを悪くした経験は一度もなく、みんな、気持ちがおさまって気がすんで帰って行く。「モンスター」とか言ってる人は、クレームの対応どころか接客に向いてない。

幾重にも堅牢に囲まれた要塞に閉じ込められてきたものと向き合うと、色んなことが急激に転換する。天と地がひっくり返る さかさまになる さかさまが元の姿だから 今そんな時期のような気がする。

そして、直観する。私は、これから、ほんとうのピアノを弾くことができる。

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うつ病の私に響く格言

2017-09-18 | うつ病とその回復

Happiness is when what you think, what you say, and what you do are in harmony. ガンジー

過去も現在も未来もないんだ。
時間は過ぎ去りもしないし、新しくもやってもこない。
うつくしい時間は、つねに、いまここに、目の前にあるんだ。
静かな日の光のように。 長田弘

自分の目標を達成している人、 あるいは今の自分に本当に満足している人には滅多に出会うものではない。 それなのに人生を左右するような問題の選択を大多数の意見に委ねるべきだろうか?

人生における大きな喜びは、 君にはできないと世間がいうことをやることである。

幸せとは欲しいものを得たり、なりたいものになったり、したいことをしたりするところから来るものではなく、今得ているもの、今していることを、あなたが好きになるところから生まれる。

なぜいつも遠くへばかりいこうとするのか? 見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみかたを学べばよいのだ。 幸福はいつも目の前にあるのだ。

自発的な努力によらなければ、善良にも偉大にも幸福にもなることはできない。
─ウィリアム・ロバートソン

欠点に言うべきこと

善人は弱さや欠点さえ味方につける。自慢のたねがわが身に害にならなかった者がひとりもいなかったように、欠点がどこかでわが身のために役に立たなかった者もひとりもいない。……誰しも生きているあいだは、自分の欠点に感謝する必要がある。……われわれの強さは弱さから生い茂ってくる。 エマソン「償い」

 自分の領分だけに眼を限れ。
─ビーチー(英 航海者)

自分のするべきことだけを一生懸命やりましょう。他人の事や、自分の力の及ばないことは、放っておきましょう。


目的地に達しうるかどうかは頭のよしあしなどにはかかわらない。信じて持続できるものを見つけたか否かのみにかかわる。
─堀田善衛(作家)

逆境にある人は常に「もう少しだ」と思って進むとよい。いずれの日か、前途に光明を望むことを疑わない。
─新渡戸稲造

人は何事につけ、思い切って即座にやめれば、それで即座にけりがつくものである。ところがもし、やめるのに適当な時機というものを見付けてからと思うと、いつまで待ってもその時機がくるものではない。
「菜根譚」


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所在ない時は

2017-08-01 | うつ病とその回復

所在ない時は、洗濯物を取り込んでたたんだり、掃除をしたり、乾いた食器を棚にしまったり、洗い物があったらしたり、靴を洗ったり、爪を切ったり、目を洗面器につけて洗浄したり、TV台のほこりを拭いてついでに窓のサンのほこりも拭いたり、身の回りのことを、所在ない気持ちのまま、やってみるのがいい。

神経症の森田療法に、作業療法というのがあって、(病院内の掃除とか草とりとか、作業をさせる。それはちょっと…w)気分に翻弄されずに、その気分のままに、仕事をする というものである。

所在ない時は、その気分のまま、身の回りのことをやるのがいいと思う。

BGMはお経とか、いいと思う。

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私は自分と一重になってきている

2017-05-12 | うつ病とその回復
心理士による検査結果報告に「超自我が強い」と書かれたことがあったが、それは当たってる。

私は昨年、自分の欲望や感情を自分自身には忌憚なく発してキャッチして自分と一重になることを目指した。

超自我が強くて欲望やありのままの気持ちを封じ込めている人は、いじめの対象になりやすい。
ストッパー、ブレーキが常に強く効いている。不要な罪悪感をもちやすい。
当然の権限を行使するにも罪悪感にさいなまれる。これは、私の育ち方のせいだが、ここでは触れない。

私は、アスペというよりもスキゾイドパーソナリティ障害の方がしっくりきていた。

でもあれから、欲望や感情を取り戻すという目標に向かって生きてきて、自分と一重になってきている。

一重になると、頭がよくなる、鋭利になる、反射神経がよくなる。(自分の中での比較であるw他人との比較ではない)

まだまだ回復途中の真っ只中だが、その感触はある。



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うつ病を克服する道への、小さな光

2017-05-10 | うつ病とその回復
大事なき所に小事がはびこる。

気分の切り替えに時間がかかる私のような人のために、記録したいと思う。

私は今、うつ病が少し、改善しつつある道の途中にいる。

それは、私が好きなことを解き放ったことがきっかけである。
自分の好きなことを、押し殺さず、逃げずに、解き放ったのである。
私の場合、ややこしく整理が必要だったのは無理もない。
ピアノが好き、音楽が好き、だけどそれらの分野において音楽とは正反対とも言うべき
窮屈で、批判的な権威主義、階級制度がはびこっている。
最も音楽家でない人達が、君臨しているのである。
だからピアノは私にとってとても複雑なものになり、好きな気持ちに曇りがかかってしまっていた。
本当はピアノが大好きなのに、ピアノにまつわるものが私を苦しめる、恥入らせる、分をわきまえろ、
冷ややかに批判する存在になってしまっていた。
ピアノがそうしたんじゃない、ピアノにまつわる人達がそうしたんだ。ピアノはいつだって、私を迎え入れてくれる。それを、冷ややかに品定めの視線で、権威主義の人達が批評してくるのだ。
こういう、有害な現象はピアノに限らず他の芸術分野でも多々、特に日本では、起こっている。
そこで私は整理した。どういう時にはピアノが楽しく、どういう時には楽しくなかったか。
すると、自由があれば楽しく、なければ楽しくないということが浮き出てきた。
そして、私は自由の方がピアノよりも優先なことがわかった。

こうやって複雑になって絡まった気持ちを解き解して行き、ピアノが好きなことを受け容れるようになった。すると、うつ病に改善の光が差している。

もちろん、私が感じる嫌なことをしてくる人達は多々いるし、私の洞察が外れているとは思っていない。
でも、好きなことにcommit devoteするようになると、嫌なことが起こっても前よりはそれが頭の中に
張り付いてくる時間は減った。激減というわけではないが、前より減った。

そして私はこのような仮説をもっている。うつ病の人、注意を嫌なことにフォーカスしてしまう思考の人は私と同じように、本当にやりたいことや好きなことを一番避けて生きる ということをしているのではないか。好きなことによって深く傷ついた経験は、皮肉なことに、好きなことをその人から一番遠ざけてしまうという現象があると思う。恋人なんかもそうかな。
そうなってしまうと、やっていることは1番好きなこと以外 のことだから、本当には夢中になれない。
もし、1番好きなことを避けて選んだ何かを、こなしたりある程度成功させたりできても、やむにやまれぬ原動力がそこにないから、ある時足が止まってしまう。

夢中になることがあれば、嫌なことをされても、好きなことをしているうちに忘れてしまう。

だから、うつ病の人達は、嫌なことの他に、では何が好きかを心(脳)の中に持っていて
それにすぐにアクセスできるようにしなければならない。

医者でもなんでもないが、うつ病の私はこう思う。
だいたい、精神科医で本当に治療をしているやつはほとんどいないだろう。
治療をする気がない、手っ取り早い金儲けとしか思っていないクソ精神科医だらけではないか。
そんなやつにかかるより、うつ病の人間が見出した小さな光の話を聞いた方がいいだろう。
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I hate Japan

2017-05-07 | うつ病とその回復
I hate Japan.

I really want to escape from this country.
Hardly meet a person in Japan whom I respect, trust, understand each other and form friendship.
Although I have a few friends and I respect my parents, it is difficult to find such a person in Japan.
It is rather easy to be friend with some people not Japanese than with Japanese in Japan.

Why are most of the people who have power and high position such crap?
They are interested in how they maintain their higher position or develop their carries but what
they primarily should do. To them, things they primarily have to do is in low-priority.

Almost never have I seen a person who are in high position functioning his or her duty owing.
I am wondering why so many craps get their ineligible positions.

Media and magazines speak loud "Beautiful Japan, Great Nipponjin" and I never agree.
The louder they speak it, the stronger they demonstrate they actually are opposite of it.

This country has many problems.

I grew up in Japan and people around me especially women, of the same sex but my mother,
tried to beat and kill my freedom, power, self‐esteem, creativity and hope, as they have
already been done. They have intense emotion of envy without consciousness.

I'm scared of people in Japan. Naturally I love going out and encountering people
but I've got to be enable to go out because of experiences accumulated.

This is my diary and I am writing as I feel.
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うつ病を改善するための認知フォーカスの移動

2017-05-05 | うつ病とその回復
連続で、福岡の嫌がらせ女の記事を書いた。
福岡に異常に多いいがみ女から身を守るための知恵は必須である。

では、ピアノがどんな時に楽しかったかを整理する作業と同じように
では、どんな女との関わりは楽しかったかを書いてみる。
この、認知対象を次に向ける作業は、うつ病対策に非常に大切だと思う。

私には友達が少ないけどいて、その人は私と同じ気持ちで生きづらさを抱えている人だ。
その人は自身で言う通り、それを上手に説明することができないが、私と話すことによって
生きづらさの説明ができるのだと思う。その人は説明が下手で、私も会話の最中、理解できずに
主語を度々確認しながら、理解していく。またその人は福岡県小郡市での人間関係がとても嫌で生きづらいのだけど福岡から出たことがないから、説明ができない。他所を知っている私の方が、説明はできる。だから私によく会いたがるし何かあれば電話をしてくる。
私は彼女と一緒にいると心から安心し、信頼し、互いにいい感じだと思う。

他には、最近出会った町の社会福祉協議会の精神保健福祉士が大変話のできる女性でお互いに喜んでいる。
私は彼女に相談する立場だけど、彼女は私と話すと興味深い、面白いと言ってくれた。役所の保健課にも、とても有能だと思う精神保健福祉士の女性がいる。

高校からの友達のMちゃんがいるが、私とこの子の生き方考え方は全く異なり、共感できないし仲間だとも思えない。知性もないし話していて楽しくない。でも、Mちゃんは私との関係を続けたがり、時々会いたがる。私は彼女の生き方と正反対で、彼女のいる状況(アル中薬中夫と共依存なのは明らかだが、そういう言い方はしていない)に対して思うことを言うがそれは彼女が一生懸命にこね回してしがみついている考えを逆撫でするものである。怒ってあんたなんかもうつきあわない 絶交よとなってもおかしくないのに、そうはならず、その状況から逃げようともしないけど、私に定期的に会いに来る。彼女が抑圧している気持ちを、私の口から代わりに言うのを聞きたいのかなと思っている。

後は、ピアノ調律師の女性がいて、その子とは友達だと思っている。
その子の前では自由に楽しくピアノが弾けるし、ピアノが好きな気持ちは共感し合える。

それから、在日外国人で生きづらさを抱えている大学時代からの友人とは互いに時折連絡している。
その子は繊細で精神が不安定で、気まぐれ気分屋で社会的に良識的な行為は期待しちゃいけない相手だが
友人としてこれからも時折連絡を取り合う。ちょっと気分で利用されてる感はあるけど気になる子

興味深い話を互いにできる友人がもっと欲しい。
私がセラピストのような存在になる関係は珍しくない。役に立てて嬉しいと思う。相手は私のことをとても慕ってくる。wでもお互いに知的好奇心を刺激し合うような友達がもっと欲しい。またその動機に共感できる人がいい。

男にはけっこうそういう人がいたけど、女ではなかなかいない。
女は僻み女が福岡では圧倒的に多い。会話の中身で互いにフォーカスできる相手と話すのはとても楽しい。すぐにマウンティングの場に替えてくる女とは関わりたくない。

あ、またネガティブで締めちゃった。
お互いに知的探究心を刺激し、共感し、新しく気づき合うような友達関係をもっと大きくしたい。
そのためには、私はもっと勉強しないといけない!
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楽しい時の感触をしっかりとつかまえて

2016-11-10 | うつ病とその回復
私はうつ症状が強くあり、悪いことに注意が行く。

うつになるだけの、経験をしてきた。そんな醜悪な社会=日本にいるのは、たしかだ。

でも嫌なことをしてくる人達、生きづらい社会を強化している人達に対する洞察が決して外れていなくても、たまに降ってくる、いいことに対してしっかりと感触をつかまえるべきだ。

それが、低劣な奴らから潰されない ということだ。もし、たまに降ってくるいいことよりも、嫌なことにばかり注意が向けられるのなら、それは嫌なことをしてくる、低劣な人達に人生を乗っ取られている 状態である。

軽蔑する人達によって、自分の大切な注意・時間・エネルギーが奪われる とは悔しいことだろう。

だから、いいことへの注意を手離さないようにしたい。

これは、自分に言い聞かせながら書いている。

とても楽しい経験をした時の感触を、しっかりとつかまえて、できればそれを自分で呼び寄せられるのが目標。(私はモラハラに遭っていた時にこれを努めていた。するとモラハラ女達は、それを強力な嫉妬心で潰しにかかってきた。彼女たちは、躍起になってターゲットの心の中の灯を消そうとしてくる。)

私の仲間たちにも、言いたい。こんな醜いくだらない社会の中で、怒るのはまとも。周りの愚衆に踏み潰されるのもまとも、嫌なことばかりなのはまとも。
岡本太郎も言った。この日本で、幸せだなんて言うのは愚鈍な感性の人だけだと。

でも、それでも、楽しい時の感触をしっかりとつかまえるべきだ。次にまた来たらわかるように。そして、嫌なことで心の中が覆われている時でも、自分でその感触を呼び起こせるようになるために。

うんざりなんて、してて当たり前。絶望なんて、してて当たり前。諦めるのは簡単だ。簡単過ぎてつまらない。 ってハイロウズが「1人で大人 1人で子供」という曲で歌っている。
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人を幸せにしない国、日本 その中で楽しい瞬間を集めていこう

2016-11-04 | うつ病とその回復
私は今まで、理不尽なことを、しやすいと動物的に判断した相手にしてくる野蛮な人たち(体感では日本の人口の9割以上)に我慢できずに、途中から反撃してきた。それは、モラハラ、パワハラの知識や法律を勉強したり、客観的事実を日付と時間付きで記録したり、陰湿な嫌がらせにその場で毅然として反撃しようとしたり(私にはできない。彼女達は無意識のレベルで非常に陰湿なことを自然にやってのけるのだから、私がいくら息巻いてそのおかしさに対抗しようとしても、太刀打ちできない。彼女たちは理性で動いていない。僻みなどの強烈な感情で動いている。陰湿さのキャリアが違い過ぎて、太刀打ちできない。これはマリー・イルゴイエンヌも書いている。私が必死で対抗しようとしているその不慣れな様を、向こうは余裕の笑みで見ていた。)ありのままだと攻撃され食い物にされ潰されるのだから、必死で武装しようとしてきた。

この努力は、この哀しい日本において、必要に駆られたものであり、意味がある。

自分を守るために必要な対抗手段。そうしないと、潰される。だから私はその手段を磨いてきた。

でも、とても疲れてしまった。

いつまで、これをし続ければいいのだろう。

日本の民度が低いのは、日本の構造自体が卑しい考えによるものだから。

メディアの報道の仕方を見ても、その異臭は漂ってくるだろう。この劣悪な精神構造の中でも人格を保つ人はいるけれど、それは3%ぐらいで、あとの多数派は、動物みたいに反射的に動かされる人ばかり。また、ごく少数派の人たちも、仲間同士で闘えたらいいのだけど、私みたいに個人で闘うのは、精神的にとても苦しい。

すごく頑張ってきたけど、この辺でもうお終いにしたい。私が闘っているのは、自分の力では大きすぎる振り子相手なのだから。

精神がまいってしまうのは必然だと思う。

そして、その振り子の伝播因子となって自動的に手先となっている愚衆と関わらなくていい場所に行きたい。

私たちを守る法律や考え方を、歴史の中で先人たちが命懸けで築いてくれた。思想犯として拷問死した人たち。低劣な人達に、高潔な思想の人が殺される。でも、その恩恵を受ける民衆は、その人達の高い精神とは程遠い人間ばかりで、浅ましく卑しい考えの人たちが主流である。節操なく損得で反射的に立ち回って、利用できるものを利用し特権にあぐらをかく人達ばかりである。そして、自分の立場の安泰のために標的にした人物を精神が壊れるまで攻撃して平気な人ばかりではないだろうか。自分が立ち回らないと、すごい勢いで食い物にされるので、立ち回らない私はいつもこの役回りを押し付けられる。だから社会の裏が見えやすい。


でも、自分と同類の人や外国の人や教養の深い人や芸術家と触れ合った時に、日本ではあまり感じることのできない自由でとても楽しい気持ちになることを忘れていない。そういう時は、水を得た魚のようになって喜ぶ。そこには、日本の至る所に渦巻いている、次元の低い承認欲求、優位合戦、有能アピール、足引っ張りなどはなく、透明で、シャボン玉のように七色に光る、クリアでやさしく穏やかな空気が漂っている。こういうのを感じた時は、しっかりとその感触をつかまえるべきだ。それが今度来た時にそれとわかるように。またそういう人達とは、不思議なことに、言葉をそんなに交わさなくても、波長というので通い合う。(そしてそういうのを持ちえない、負の波長で通じ合う卑しい考えの人たちは、これを激しい嫉妬心で邪魔しようとする。踏み台役のはずの人間が本当の歓びを感じていると僻みをたぎらす)

それは、つい最近島村楽器で体験した。

店内で、高校か大学生ぐらいの少年たちがエレクトロニックドラムコーナーで遊んでいた。私はその側の多機能電子ピアノを触りに行った。そして内蔵曲からルパン3世を選んで流し、メロディを弾いて遊んだ。するとその少年たちが、軽快なドラムでそれに合わせて叩きだした。向こうからはコンガが聴こえてきた。少年の一味である。とても上手で、非常にCoolなジャムセッションとなった。とても楽しく自由な気持ちになった。

そこでは、日本至る所で渦巻いている負の波長とは反対の、えもいわれぬ楽しい波長があった。
ドラムの少年が振り向いて私の顔を見たが、私は不器用で目を合わせて微笑むなどできなかったが、下を向いて弾きながら楽しい顔をして見せた。

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