「どこにでも、嫌なことを言う人はいる。でも我慢して、みんな、顔で笑って心で泣いて やっている。」って院長大先生が私に説教っぽく言った。(参考:精神科医の説教)
あれから続く、心の傷つき、頭のモヤモヤ キシミ。
その正体が、紐解かれてきた。頭にへばりついているモヤモヤ キシキシは、とても苦痛で不快だけど、そこには自分にとって大事なキーが潜んでいた。だから、モヤモヤの正体を暴こうとするのは有意義だと思う。
その台詞を1番言ってはいけない相手に言ってる 自分で言うのもなんだけど その台詞、私には言って欲しくない
色々と聞かれて話したけど、院長大先生は 私がとうとう、社会に踏み出せなくなった核心をわかってない
私は、自分の損得や私利私欲や感情 ではなく いつも 社会的な意識で 行動してきた 特に弱者の立場の人をいつだって庇って 支援して やってきた
これに対して嘘つきと言う人がいたら その人は損得や私利私欲や感情で 動くのが当たり前だという意識でずっとやってきた猿に近い人だろう
両親からの育てられ方の影響がとても大きいのと 公的な教育などの場で発信される、そういうメッセージを真面目に受けとめてきた というのと
私のそういう態度は 人に歓迎された
でも、私は初めて、自分で 初めて知った 親からの借り物の受け売りではなく 自分でわかったこと
日本の社会は 隙あらば人を食い物にしようとするハイエナの吹き溜まり だって
私のそういう態度を歓迎した人達は 自分にそれが都合がいいから
歓迎というだけでなく 多くは 漬け込み 利用 踏み台 搾取 というので返ってきた
それは、私が特に庇ってきた 弱者 その人達によって だった
その弱者の中には、在日韓国人や中国人・ネパール人労働者 いじめられっ子がいる
それでとうとう、私は社会に一歩も出ることができなくなった
母は、色んな社会運動に献身してきたが、その中に女性の社会参画がある。女性の地位向上のために 自分の時間・エネルギー・金を使って献身してきた。でもそんな母を 組織の中のいち労働者としての母を 一等踏みつけにし足を引っ張っり迫害し侮辱を浴びせたのは女性管理職であった よくわかる。社会進出して地位を確立した女性「リーダー」たちが男性管理職よりも酷い という現象はそこかしこに溢れている。勘違いした「輝く女性」たちである。私も、そういう輩にはたくさん出遭って、実害を多々被ってきた。全然女性のためになっていないし 女性をさらに踏みつけ苦しめ 強烈に足を引っ張る 感情の塊の女性管理職 たちの悪い女性「リーダー」たち。それで、社会では、勘違いした「輝く女性」たちによる実害を被っている人達が 「やっぱり女は劣っている」「多くの弊害がある」「いい加減にしてくれ」「これ以上バカ女を調子に乗らせるな」「社会進出すべきでない」と言っている。 正直、私も同感… 社会から引っ込め 勘違い女 と常々思っている。でも、一向に引っ込む気配はなく、ますます振り子の扇動に乗って勢いは増していくだけなので、私が引きこもっているのである。
母は、そんな感想を一等、理解している。だって彼女自身が他でもない女性管理職に虐められ続けたのだから。昨今のさばっている勘違い女たちによる被害を受けてきたのだから。その状況を、母は「過渡期」だって言う。
でも私は言う。過渡期なんていうのは、神様の台詞だ 私は神様じゃない 自分の生きてる時間 働いている時間 に苦しみ続けるのはもういやなんだ 私は歴史を上から見てない 今生きてる時間が大事 私は人類の歴史の発展の駒じゃない
そしたら母も、もちろんそうだ 過渡期だからしかたないのではない って言った
「どこにでも、嫌なことを言う人はいる。でも我慢して、みんな、顔で笑って心で泣いて やっている。」
という院長大先生の説教は なんというか あまりにも次元が低く空しかった。誰も救わない言葉 押し付けられてきた引っかぶり役がもう無理になって心が壊れた患者に対して トンチンカンに向けられた言葉
母は、その医者の全体像の中の残念な側面として受け止めろと言うが、私にとってはOUTな言葉なのかも知れない