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Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

完全に信用すること

2018-10-07 | 楽しい・ワクワク

「あ、わかった…(?)」ってことがあった。

そのなにかの裾をつかまえようとしたら、スーって逃げちゃった。こういうことってよくあるよね。ひらめきって、常識とか理性とかじゃない所から、色んなことが一瞬リンクした時にふいに起こって、それをつかまえようとしたら、待ってくれずにスーって行ってしまうよね。

自分がありのままの自分を受け容れ尊重する ありのままの自分でいることに疑いをもたず、そのまま許す 自分の価値は自分で認める てことなんだ 

って一瞬思った。それが(1+3000÷-0.05879546947325×√501×-3√483×30031/84698764345÷5987657989+7489365……  )×★  の×★ぐらい重要みたいな。★が、0なのか1なのか-1なのかで、すべてが変わるみたいな。

それが 自信 だったんだ。自信というのは、力んだり、テンションの引っ張られた 緊張状態じゃない。むしろその逆で、ありのままの自分に疑念とか、これじゃいけないとか、恥だとか否定されるべきだとか思わず、そのまま許すこと それが自信。

【confident】
・con=completely=完全な
・fid=fidere=信用する
→完全に信用する→確信のある

ちょっと手繰り寄せながら書きます。あの時の閃きを。

自分のことで、ダメだと思ってきたこと。それは、教育とか社会通念とか常識、道徳、本、 色んな所からダメなことだとされていること。でも、自分のありのままの個性の一部、(一部というには大きな私の構成因子)は、そうなんだ。それは、私が選んだものじゃなくて、生まれつき、生い立ち などによって持たされた個性。私の場合、それを一等否定するのは皮肉なことに 人格者や教養人や徳の高い人である。だからなおさら、真面目なw私はこれはダメなことなんだって思ってきた。

でも、ありのままのこれを、受け容れ それどころかそこに魅かれる人がいる。私がいくらそれを自分で否定して踏みにじって認めようとしなくても、その人はそれを見出し、引き出そうとしてくる。私はその人はダメな人だって思ってきた。その人は間違っている。徳の低い人 教養の低い人 だと思ってきた。理性では。常識では。

でも、私の心の声は逆のことをささやいてきた。私はこの人が好き。だってこの人は、私のありのままの個性を、見出だし、好きになり、もっと欲しがってる。そして、理性や常識が認める 徳の高い人達を 好きじゃない だって私のありのままを否定するもの って。

大事なのは、社会通念や他人の言うこと を取り入れることではなく、自分が自分の個性を尊重する ことなんだって思った。ネットや本に書かれていることを見て、自分を卑下したり疑念をもったり恥辱を感じたりすることなく、完全に自分を信じる 確信する ってことなんだ。

自分の辿ってきた道を、受け容れる みたいな。それは、私に起こった不幸をポジティブにひん曲げて解釈するとかじゃなくて(そういうのは私が最も嫌う行為である)私が、置かれた不幸な状況の中で、とりあえずすごくがんばって生き延びた みたいなことをである。

私が辿ってきた道は 可哀そうな 望ましくない道です。うんそだね、発達心理学的 精神医学的には絶対にそだね。専門家でなくてもね、だいたいそう言うと思うし、それは うんそだね。

でも、私はそういう道を辿ってきた。で、それならではの私の個性をもつに至っている。

好むと好まざるに関わらず。世間的に良いことか悪いことかに関わらず。

そのありのままの個性を、否定せず、尊重し、価値として自分で認める。

それが、泥船を漕いで行く人生か  自分だけが見れる景色を見に行く人生か の分かれ道。

そんな感じのこと(合ってる…?わからない)を思い、一瞬強烈にハッとした。なんであんなにハッとしたのか 今もうわからない。

 

すべてを決めるのは、自分がそれを完全に信用している(=confident)か疑っているか。

それですべてが変わる。(                 )×★←完全なる信用

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