『殺シノ調ベ』/BUCK-TICK (1992年3月21日発売)
参加楽曲
全楽曲参加
横メモ
91年から星野さん(以後ヒデさんと呼びます)とプライベートでも呑みにつれていってもらったりして(自分、お酒が呑めて良かったねぇ~)、親交を深めておりました。(僕の偏見でしたが、ヒデさんはとてもスタイリッシュに生活をしていたので、それ以降尊敬の念を込めて「シティー派」と呼ばせてもらっております^^)
そして年末に渋谷でライブがあるということなので、初めて<BUCK-TICK>を観させてもらいました。僕は5人のパワーにただただ圧倒されてしまいました。(こんな僕がレコーディングに参加なんて出来るのだろうか・・・)
Tさんのお誘いで、92年頭からレコーディングが始まりました。
僕は相変わらずラジオ制作をしていたのですが、可能な限り昼間から録音に参加してました。
発売日が3月なので、かなり詰まったスケジュール。後半は3つのスタジオでそれぞれがバラバラに録音してました。
僕がいたスタジオでは、主に櫻井さんとヒデさんが一緒でした。
櫻井さんの歌ダビングを初めて間近で見ましたが、凄さに鳥肌が立ちました。
彼もとても優しい方で、いろいろな話をしてくれました。(僕のイメージでは絶対笑わない人だと思ってましたが、アイスを食べながらカメラ目線で微笑んでくれました^^)
リズム隊のみなさん(アニイさん、ゆうたさん)は、僕が録音する頃は録り終わっているので残念ながら会えませんでした。(お話が出来るようになるのはその後です)
もう一人のギタリスト今井さんは、とても寡黙な方でした・・・(ちゃんと話せるようになるにはその後2年かかりました^^;)
黙々と録音してました。そして彼が奏でるサウンドに僕は鳥肌が立ちました。
ギターでシンセの音も出せる事をその時初めて知りました。
印象に残っている曲は『M・A・D』で、僕が録音している状態ではまだ原曲に近い状態でしたが、今井さんに渡ったらお聴きのものに変化していました。
(この人の頭の中を見てみたいと思わずにはいられませんでした)
このレコーディングでは僕はほとんど手弾きでした。時間との闘いで大変でしたが、色々学べて有意義な一時を体験出来ました。
バラバラに録音していても、一つにまとまった途端とてつもないサウンドに進化するバクチク。
彼らの凄さに付いて行きたいと思ったレコーディングでした。・・・つづく
参加楽曲
全楽曲参加
横メモ
91年から星野さん(以後ヒデさんと呼びます)とプライベートでも呑みにつれていってもらったりして(自分、お酒が呑めて良かったねぇ~)、親交を深めておりました。(僕の偏見でしたが、ヒデさんはとてもスタイリッシュに生活をしていたので、それ以降尊敬の念を込めて「シティー派」と呼ばせてもらっております^^)
そして年末に渋谷でライブがあるということなので、初めて<BUCK-TICK>を観させてもらいました。僕は5人のパワーにただただ圧倒されてしまいました。(こんな僕がレコーディングに参加なんて出来るのだろうか・・・)
Tさんのお誘いで、92年頭からレコーディングが始まりました。
僕は相変わらずラジオ制作をしていたのですが、可能な限り昼間から録音に参加してました。
発売日が3月なので、かなり詰まったスケジュール。後半は3つのスタジオでそれぞれがバラバラに録音してました。
僕がいたスタジオでは、主に櫻井さんとヒデさんが一緒でした。
櫻井さんの歌ダビングを初めて間近で見ましたが、凄さに鳥肌が立ちました。
彼もとても優しい方で、いろいろな話をしてくれました。(僕のイメージでは絶対笑わない人だと思ってましたが、アイスを食べながらカメラ目線で微笑んでくれました^^)
リズム隊のみなさん(アニイさん、ゆうたさん)は、僕が録音する頃は録り終わっているので残念ながら会えませんでした。(お話が出来るようになるのはその後です)
もう一人のギタリスト今井さんは、とても寡黙な方でした・・・(ちゃんと話せるようになるにはその後2年かかりました^^;)
黙々と録音してました。そして彼が奏でるサウンドに僕は鳥肌が立ちました。
ギターでシンセの音も出せる事をその時初めて知りました。
印象に残っている曲は『M・A・D』で、僕が録音している状態ではまだ原曲に近い状態でしたが、今井さんに渡ったらお聴きのものに変化していました。
(この人の頭の中を見てみたいと思わずにはいられませんでした)
このレコーディングでは僕はほとんど手弾きでした。時間との闘いで大変でしたが、色々学べて有意義な一時を体験出来ました。
バラバラに録音していても、一つにまとまった途端とてつもないサウンドに進化するバクチク。
彼らの凄さに付いて行きたいと思ったレコーディングでした。・・・つづく