Single 『WALK ON THE MOON』/M-AGE (1992年1月21日発売)
Maxi 『3RE-MIX+1』 /M-AGE (1992年1月21日発売)
Album 『MUSTARD』 /M-AGE (1992年2月21日発売)
参加楽曲
全楽曲参加
横メモ
91年の秋くらいからいよいよアルバムのレコーディングが始まりました。
僕は昼間はラジオの仕事があるので、夜中にスタジオに入るというスケジュール。これが2ヶ月くらい続きました。
因みに「M-AGE」はこのアルバムから、先のレコーディングでスクラッチで参加したDJ PEAH君が正式メンバーとなり5人組になりました。
ロックバンドサウンドに大胆に導入したエレクトロニクス、そして今では普通となっているターンテーブルを置いたDJスタイル。僕には理想的バンド像でした。
このレコーディングでとても為になった事。
一つ目は・・今では考えられませんが、時間をたくさんかけてもらえた事です。
当時、これからの音楽スタイルには必需となるであろう「サンプラー」という楽器がありましたが、それを使い方から覚える時間をもらえたのです。バブルの恩恵でしょうか?
(サンプラーとは、音(声でも生楽器でも生活音でも何でもよい)を録音して再生出来る楽器です。音程もつけられるので、自然界に無い音も創れます。)
そして2つ目は・・レコーディングですから煮詰まる時もあります。その時の言葉使いひとつで最悪の雰囲気になってしまいます。
そんな時、彼らの出身地である茨城弁に救われた時が何度もありました。
言葉のニュアンスがとても柔らかく、方言っていいなぁと思いました。(自分も新潟弁使いですが、イントネーションがあまり標準語と変わらないので。)
雰囲気が悪いとき、OKAZAKI君(以後かっちゃんと呼びます)はワザとデフォルメした茨城弁を使って笑いを誘いました。(僕も感化されて茨城弁が喋れるようになりました^^;)
ギターのMIYO-KEN君(以後ミヨケンと呼びます)と、かっちゃんの会話は最高です^^
方言は大切にしんきゃと思ったものでした。
そんなこんなで初の長期間レコーディングという事もあり、自分の引き出しを出し切った感がある、思い出たっぷりのアルバムになりました。
無事レコーディングを終えた打ち上げの席で、Tさんから「すぐに横ちゃんにレコーディングを頼みたいのでよろしくね」と言われました。
誰だろう?ついに出会うのか??緊張するなぁ。・・・つづく
※M-AGEとのその前、その後
Maxi 『3RE-MIX+1』 /M-AGE (1992年1月21日発売)
Album 『MUSTARD』 /M-AGE (1992年2月21日発売)
参加楽曲
全楽曲参加
横メモ
91年の秋くらいからいよいよアルバムのレコーディングが始まりました。
僕は昼間はラジオの仕事があるので、夜中にスタジオに入るというスケジュール。これが2ヶ月くらい続きました。
因みに「M-AGE」はこのアルバムから、先のレコーディングでスクラッチで参加したDJ PEAH君が正式メンバーとなり5人組になりました。
ロックバンドサウンドに大胆に導入したエレクトロニクス、そして今では普通となっているターンテーブルを置いたDJスタイル。僕には理想的バンド像でした。
このレコーディングでとても為になった事。
一つ目は・・今では考えられませんが、時間をたくさんかけてもらえた事です。
当時、これからの音楽スタイルには必需となるであろう「サンプラー」という楽器がありましたが、それを使い方から覚える時間をもらえたのです。バブルの恩恵でしょうか?
(サンプラーとは、音(声でも生楽器でも生活音でも何でもよい)を録音して再生出来る楽器です。音程もつけられるので、自然界に無い音も創れます。)
そして2つ目は・・レコーディングですから煮詰まる時もあります。その時の言葉使いひとつで最悪の雰囲気になってしまいます。
そんな時、彼らの出身地である茨城弁に救われた時が何度もありました。
言葉のニュアンスがとても柔らかく、方言っていいなぁと思いました。(自分も新潟弁使いですが、イントネーションがあまり標準語と変わらないので。)
雰囲気が悪いとき、OKAZAKI君(以後かっちゃんと呼びます)はワザとデフォルメした茨城弁を使って笑いを誘いました。(僕も感化されて茨城弁が喋れるようになりました^^;)
ギターのMIYO-KEN君(以後ミヨケンと呼びます)と、かっちゃんの会話は最高です^^
方言は大切にしんきゃと思ったものでした。
そんなこんなで初の長期間レコーディングという事もあり、自分の引き出しを出し切った感がある、思い出たっぷりのアルバムになりました。
無事レコーディングを終えた打ち上げの席で、Tさんから「すぐに横ちゃんにレコーディングを頼みたいのでよろしくね」と言われました。
誰だろう?ついに出会うのか??緊張するなぁ。・・・つづく
※M-AGEとのその前、その後
この時期はまだラジオと音楽と両立されていたんですね(・o・)アルバム探してみます(^o^)/
次回はいよいよあのお方登場ですか!?
次は…もしや…。
方言…羨ましいです。
茨城弁はなんか可愛いんですよね♪
語尾が上がって
自分は岩手ですが、そんな滅多に方言出ないなぁ。
『苺』の発音だけ未だに治りません;
M-AGE、シングル以外全部持ってますよー♪
てか今聴いてますw
続き楽しみにしてます!
耳に心地よい音です(*´∀`*)
すっごく好きだった曲があったんですけど・・・
そのCDがないorz
タイトルも思い出せなくて困ってます
続き待ってます♪
ブックレットにお名前見付けて感動してますw
個人的にyoutubeにUPされてるSOMEDAY CLOSE YOUR EYESよりvibES版の方が好みですなぁ。
Tさんはホントに横山さんお気に入りになったんですね^^素晴らしい!!
私も偶然ですが昼間にふと、方言て大事だよね~なんて思ってました。きっかけは忘れたけど。方言に対して「直す」という表現されることに抵抗がある1関西人でありました・・・(笑)
今更ですが、ラジオのディレクターをやられていたことに驚きです。でも、何となく似合っていたのでは…?と勝手に想像しています(笑)
方言ですか、私は引越し族で長野県内を転々として、東京に来たのですが、使ってる言葉も意味も一緒なのにイントネーションが違って、友達に大爆笑されたのを覚えてます…。あれは子供ながらにショックでした…。今は、どこの土地の方言を聞いても、ほんわかした気持ちになります。方言てホント大切ですね。
方言…都内に出立ての頃通じない言葉が何個かありました!ほかす=捨てる、なおす=片付ける(とか。笑
普段はもぉ標準語デスガ、京都よりの大阪弁なので(少しはんなりしてる)お願いゴトする時とかはズルく出してマスっっ。笑
はッッ!もしかしてぇ、『~くんちゃい』も方言デスカっっ???
甘えて言ってはるんやと思ってましたが(*^-^*)
続き楽しみに待ってマス☆
ミヨケン
三代堅さん!?
…これ、あってます?^^;
ミヨケンさんが喋ってるとこみた事ないからかっちゃんと喋ってるトコ見てみたいなぁ…。
故郷やお国言葉があるのって羨ましいです。自分にはないので…(:_;)
そう言えば彼女も…方言で場の雰囲気を和やかにする達人です♪
つづきには…ついに!(笑)楽しみにしています (^^)
思い浮かんできました…。
あの頃何ていう曲を聴いていたんだろう~って。
転がり始めたって感じですね~。
なんか連続ドラマを観ているみたい~☆
くぅ~!
B-T好きがきっかけで、B-T&るぅしぃ~からどこからともなく現れた横ちゃんの存在が気になってました。一体どこから繋がって現れたんだろうと・・
当時M-AGE好きが周囲に誰もいない(方言もまた強烈の鹿児島の)田舎で一人盛り上がりだった頃を思い出し懐かしい・・
だからLucyのかっちゃんがM-AGEの・・で繋がった時はなんだか嬉しく、さらに横ちゃんが繋がってたと思うとまたさらに嬉しくなってしまいました。
あの方が「M-AGEってすごいバンドに居たすごい人なんだよ」と言ってたことがありました。
フェスの時はお話しになられましたかぁ?
三代堅さんは横ちゃんや敦ちゃんやあの方などから信頼されてるすごい方ですね。
コミュニケーションとか心遣いって
ちゃんと結果を出すんですよね。
物の出来栄えだったり、
人間関係だったり。
全て大事に持ってます。
しかし、ライブだけは1回も行けず。それだけが、心残り。
再結成なんて、夢の夢。。。
でも、別の方のライブで見られるからうれしいし、今聴いてもM-AGEはサイコー!!
M-AGEは当時買えなかったので一昨年ぐらいに中古で大人買いしました。
いい波に乗った感じですね~。
次回はいよいよあの方達かな?ワクワク♪
LUCY岡崎サンが
いたBandの
名前…
としか
知識はアリマセンでしたが
横山サンhistory
のお陰で
アタシの
興味が…
知識が…
向上して
must☆
(笑)
素晴ラシイ
history
デス
また日記
楽しみにシテ
must☆
(笑)