自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

アルジュナとクリシュナ神との真理問答の前に

2016年06月07日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

 

アルジュナの人柄の純粋さと闘いへの動揺と迷い 2016/6/07

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アルジュナが鞭を片手に操る戦闘の馬車にクリシュナが乗り込んだ。

そこで不安や迷いに揺れ動き質問するアルジュナはクリシュナと問答をする。 

それらの質問の意味やクリシュナの答えの真意を理解するために、アルジュナの人柄に

ついて触れてみたい。

アルジュナは 勇気ある負けを知らぬ兵士であると同時に、他者を無意味に傷つけること

を避け、目上の人たち、恩師たち、親族に敬意を以て接していた。

クルックシェトラの戦場で いよいよ向こう側に並んだ敵軍を目にする。

その時、彼の人生でこれまで深いかかわりあいを持つ尊敬すべき人たちが敵軍として

佇んでいる姿が目に飛び込んだ。 

そして、困惑する。

闘うことは相手を負傷させ 時には死をもたらす覚悟を持つことだ。

武器を持つべきか、否か、大切にしてきた自分が属していた一族の長老や友人たち、

これまで愛情を以て接してきたかけがえのない人たちを殺めるのはこの上もない罪を

背負うことになるのではないか?

ダルマ(dharma)の法を破るのではないのだろうか …

( 注:ダルマとは人間の生命、この世界、さらに宇宙全体を司っている“実質的存在”

をさし、時には“正義”という意味合いで使われることもある)

もし、ダルマに反した行いをすれば、世の中を乱す原因にもなる。

社会に有害な行為をあえて自分はしようとしているのではないか?

彼は、避けたかった。 

 

そうした行いであるのなら闘いを放棄したいとアルジュナの心は揺れた。

こうまでして本来の彼や兄弟たちの取るべき領地を奪い返すのなら、むしろ戦闘をやめて、

その権利を放棄しても良いとさえ考えた。

アルジュナは涙を落とした。 純粋で子供のように穢れの無いその心はついに、クリシュナ

に向き何をどのように考えたらよいのか?そして行動するべきなのか?~ と問う。

その心をクリシュナは理解し受け止める。

途方に暮れた子供が母親に助けを求めてくればそれに応えない母親はいないだろう。

同様にクリシュナ神もアルジュナの深い矛盾と悩む心に答えを導き出していく。

それがこのギータが生まれた背景でもある。

アルジュナの質問に絞って答えているクリシュナ、その答えをアルジュナの他に三人が

聞いていた。 

一人は聖賢ヴャーサ(Vyasa)、この話を記録していった。 

もう一人は、サンジェイ(sanjaya)

ドリィダラシタラ(Dhridharashitra)王のもとで大臣を務めていた。

三番目の証人は アルジュナの乗るチャリオット(馬車)に同乗していた

アンジャネイア(Anjaneya)。 

ギータの話は戦闘の話でもなく、兵としての心構えを教えられた話でもない。 

アルジェナが抱えているこの葛藤こそ、私たちが日常生活の中で揺れ動く感情の波と

同一であるということだ。

何をどうすべきなのか? 正しい方法は何か? どう対処すべきか? 

家庭で、職場で、学校で、教育や道徳問題を含め、さまざまな場所で起きえる問題。 

相手を傷つけないために、改善するために、人間関係に誤解を生じないために、

どのように心穏やかに、幸せに人生を、送れるかという問題に 答えを提示する。

私たちの心の中にも クルックシェットラは存在している。 

葛藤の場、その原因は常に日々の生活に現れる。

力やパワー、権力や富が支配する世界で 人が抱く野望や野心をどのようにコントロール

し、それを社会のためにプラスになるよう導き、周囲に平和をもたらすのか?

ということまでこのギータの中では回答される。

 

アルジュナという人物は比喩的に言うのなら、私たちの中にある純粋な心を刺すのだろう。

クリシュナ神というのは、遠い所に存在していた異教の神ではなく、私たちの最も深い心

に住む、自分を声なき声で導く良心であるのだろう。 

敵対するカウラヴァ兄弟たちは6人の盗賊でもある。 

何を盗むのかといえば、私たちの心の平和、安寧を奪う象徴だろう。

その六人とは具体的に、欲望、怒り、迷い、プライド、強欲、そして嫉妬の六つの私たちの

心に潜む、敵だ。

結局クルックシェトラはギータに出てくる戦場でもあると同時に私たちの日常の心の中にも

あるようだ。 

ここで自分しか知らない闘いを自分の中にいる敵を相手に毎日闘っているのが人生の日常と

いうものだろう。 

だからこそ、ギータの内容は時代を経てもなお、私たちの心を打つのかもしれない。 

これは時代を場所を超えた“真の勇者”になるための読本だから。

 

 

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