という質問が、5ちゃんねるに上がってました。
はるみブログは、あくまでも「真・カミカゼ」氏と連携したブログでした。しらゆきの意見を言うにはふさわしいと思いませんので、ここに書きます。ご理解ください。
まず、この2つのページをご覧いただけますか?
1つ目は、保守分裂に関する記事。
2つ目は、教条主義にハマっちゃいけないよ、という警告の記事。
他にも、3月の記事の中には、ハードランディングが実際に起こりうるかどうかを検証した記事もありますので、よろしければご覧ください。ブログは、3月いっぱいで終わっています。
3月だけでも読んで見られると、面白いかもしれません。
1つ目の記事に、こんな文言があります。
保守勢力には、力を持っていはいけない者もいるの。
目標が達成できたら、素直に消えることができない人たちよ。
リアルで不満を抱えていて、ネットで反日勢力を叩くことで鬱憤を晴らすような人。
ネットでちやほやされないと気がすまない、リアルでぼっちの人。
生きがいがネットで保守ぶることしかない、プロ市民、じゃなかった、プロ保守の人。
余命は、すみれの会、日本再生大和会を立ち上げ、集金に走っていました。
うまいこと保守の人たちを煽って。
これって、プロ保守じゃありませんか?
そして2つ目の記事。ここには、「教条主義」という概念が書いてあります。
教条主義ってね、何らかの教条に固執して、
自分の信じる教条は絶対に正しい、 相容れない考え方は絶対悪、
っていう排他的な考え方と定義できるわけ。
きっちり白黒つける、善悪はっきりさせるってことね。
また、教条主義が成立するには、
教条を考えて与える指導者と、
与えられた教条を信じる追従者
の両方が必要なの。
これ、余命にそのまま当てはまりませんか?
で、です。
この記事をこのままにしておいても、大きな声で言わなければ、警告としては機能しません。
「待ち望むもの」は、余命教の信者を増やそうと、声を張り上げていた。豆腐おかかさんは一人ひとりにコメントを返す方で、余命に関するコメントで盛り上がっていた。だから、ブログの記事に呼応するような形で、また、コメントの主に意見する形で、コメント欄を荒らしました。
大和心さんはコメント欄を大事にしすぎて、荒らされることを極端に嫌いました。自分の庭を荒らされるのを嫌うように。
信濃さんも、ガラスのハートでした。一時期は新しい記事をあげずに、リンク集に成り果てていました。そのようなブログには書き込みしても反応がないのはわかっている。拡散するためには、手強い相手でなければならない。
楚錬さんは、アクの強い人です。そして、別にやってほしいことがあった。
だから、「待ち望むもの」を集中的に荒らしました。他のブログからもよく見えるように。
これで答えになったでしょうか。
2年たった今、自分のブログに上げたこと(真・カミカゼさんのブログの口調を書き下したブログ)を読み返すとちょっと照れくさいですけど、でも、自分たちの主張は間違っていなかったと、今でも思っています。
はるみブログは、あくまでも「真・カミカゼ」氏と連携したブログでした。しらゆきの意見を言うにはふさわしいと思いませんので、ここに書きます。ご理解ください。
まず、この2つのページをご覧いただけますか?
1つ目は、保守分裂に関する記事。
2つ目は、教条主義にハマっちゃいけないよ、という警告の記事。
他にも、3月の記事の中には、ハードランディングが実際に起こりうるかどうかを検証した記事もありますので、よろしければご覧ください。ブログは、3月いっぱいで終わっています。
3月だけでも読んで見られると、面白いかもしれません。
1つ目の記事に、こんな文言があります。
保守勢力には、力を持っていはいけない者もいるの。
目標が達成できたら、素直に消えることができない人たちよ。
リアルで不満を抱えていて、ネットで反日勢力を叩くことで鬱憤を晴らすような人。
ネットでちやほやされないと気がすまない、リアルでぼっちの人。
生きがいがネットで保守ぶることしかない、プロ市民、じゃなかった、プロ保守の人。
余命は、すみれの会、日本再生大和会を立ち上げ、集金に走っていました。
うまいこと保守の人たちを煽って。
これって、プロ保守じゃありませんか?
そして2つ目の記事。ここには、「教条主義」という概念が書いてあります。
教条主義ってね、何らかの教条に固執して、
自分の信じる教条は絶対に正しい、 相容れない考え方は絶対悪、
っていう排他的な考え方と定義できるわけ。
きっちり白黒つける、善悪はっきりさせるってことね。
また、教条主義が成立するには、
教条を考えて与える指導者と、
与えられた教条を信じる追従者
の両方が必要なの。
これ、余命にそのまま当てはまりませんか?
で、です。
この記事をこのままにしておいても、大きな声で言わなければ、警告としては機能しません。
「待ち望むもの」は、余命教の信者を増やそうと、声を張り上げていた。豆腐おかかさんは一人ひとりにコメントを返す方で、余命に関するコメントで盛り上がっていた。だから、ブログの記事に呼応するような形で、また、コメントの主に意見する形で、コメント欄を荒らしました。
大和心さんはコメント欄を大事にしすぎて、荒らされることを極端に嫌いました。自分の庭を荒らされるのを嫌うように。
信濃さんも、ガラスのハートでした。一時期は新しい記事をあげずに、リンク集に成り果てていました。そのようなブログには書き込みしても反応がないのはわかっている。拡散するためには、手強い相手でなければならない。
楚錬さんは、アクの強い人です。そして、別にやってほしいことがあった。
だから、「待ち望むもの」を集中的に荒らしました。他のブログからもよく見えるように。
これで答えになったでしょうか。
2年たった今、自分のブログに上げたこと(真・カミカゼさんのブログの口調を書き下したブログ)を読み返すとちょっと照れくさいですけど、でも、自分たちの主張は間違っていなかったと、今でも思っています。