89歳の日々

home: http://kutani-mfg.jp

年末は歴史散歩をしましたよ

2012-01-01 21:39:29 | 日々

 お正月は2日から九谷美陶園のお店が営業しますので、私共には年末の僅かな休みしかありません。私共は京都で過ごす事が多かったのですが今年は東京に行きました。

 Blogにも書いた様に、シュリーマンの日本滞在記に当時のイギリス公使館があった東禅寺の豪壮な様子が書かれていて、その複雑な曲がり廊下等の有る立派な遷源亭の写真が本に出ていたので尋ねてみました。

 

 

 東禅寺は港区とは思えない静かな佇まいの中の樹々に囲まれた境内には三重塔も建っています。建物の前の柱には1861年に尊王攘夷派がイギリス人たちを襲撃した時の「鉄砲の痕」が今でも残っていました。 殺傷したイギリス人に当時で1人3000~10,000ドルの賠償金が支払われたそうです。

「鉄砲の痕」の事は、江戸の歴史を歩いている方に其処でお会いし、教えて頂きましたが、今年定年になってから随分沢山歩かれたそうで羨ましいですね。吉良邸~泉岳寺までも勿論歩かれたのは、下町から随分長い距離と思います。(半籐一利氏がタクシーに乗って調べたところによると約11キロとの事です)

 

 泉岳寺は東禅寺から歩いて15分位の処でしたので行ってみました。泉岳寺駅は度々電車では通過した事が有りましたが今回初めて訪れました。門前に赤穂の塩饅頭が売っていましたら、夫は以前IHI本社から赤穂の近くにある播磨造船の方に度々出張した時に頂いた思い出が有り早速その塩饅頭を孫にと求めました。(明日は息子夫婦の処に参ります)

 

さて泉岳寺には、まず吉良上野介の首を浅野内匠頭の墓前に供える前に洗うらしく「首洗いの池」が有りました。(写真はその池)勿論47士の墓が並んでいて73歳の堀部安兵衛が歳年長と思いきや83歳の人も居ました。浅野内匠頭の大きなお墓の近くに内蔵助45歳のお墓があり、 300余年前のこの物語も本当に身近に感じられました。 3月米国に行く飛行機で「最後の47士」とかいう最近の映画も見ました。

 

 ついでに、1859年にアメリカの公使館になった善福寺は麻布にあります。階段を上る高台のお寺の真後ろには巨大な億ションが聳えていました。写真の様に 先ずすごいマンションばかりが目につきました。(ゴーン社長も此処の住人だったそうです)

境内には「タウンゼント・ハリスが勤めた公使館が有った」と言う石碑が立っていました。ここも攘夷派によって襲撃され書院など焼失したそうです。

 麻布十番の階段広場の前の「ラ・ボエーム」でパスタランチにしました。若い元気な人たちが大きな店一杯に居て、賑やかな雰囲気は外国に居るよう・・・パスタもケーキやサラダも沢山でリーゾナブル!                                  

                                                        さらに駒場にある旧前田侯爵家が公開されているので見に行きました。近くまで行くと樹々がひときわ高く聳えている処が前田家の庭園です。現在の十八代のご当主のお宅はそのお庭の一部にお住まいで其処に伺った事もあり懐かしく思いました。

ご夫妻は何度か私共の自宅にもお出で下さって、ご一緒に「プリテイウーマン」のヴィデオを見た事等ありました。

学習院時代のお友達とご一緒に私共の自宅にお出で下さった事もありました。このお友達のお父様は財界人ながら有名な陶芸家でしたが、恐れ多い事に何度か私共の食器のご注文を頂きました・・・

  近代文学式館は以前は 旧前田家の建物を使っていて行った事があったのですが、夫は始めてでしたので行ってみました。  外国人の邸宅の様に広びろとして豪壮なイギリスのチューダー様式の建物が広いお庭の中に建っています。

各部屋にはそれぞれ彫刻を施した暖炉が有りその中に今はヒーターが入っていて暖かいのですが家具が殆ど無いのが残念でした。

いずれにせよ 当時(1930・昭和5年)東洋一の豪華な西洋風建物と言われたそうです  朝9時半に小松空港を発ち、10時半に東京羽田に着いてから 16000歩程歩き回って今日の歴史散歩は終わりです。以前東京に居ながら あちこちを見ませんでしたので、今回寒い師走の街を夫婦で歩いたのは爽快な一日でした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿