著者の金さんは、TVにもよく出ているので、ご存知の方も多いかも知れません。
日本の占領下にあった台湾に生まれ育った後、日本の学生となり、その後50年以上、日本から母国台湾の独立を願い、運動を続けました。
監視を受けていた為、延長出来ないことが明白であった台湾のパスポートは破り捨ててしまいました。
同胞がどんどん脱落していく中、日本で結婚し、パスポートがないまま、子育てをしながら活動を続けました。
ようやくその活動が実を結び、台湾独立を目指す民進党が、選挙で初めて勝って希望が見えたのもつかの間、次の選挙で、民進党は大敗し、もとの国民党に政権が戻ってしまいます。
希望の光が消えたと感じて、金さんは、そこで初めて国籍を日本に変えました。
日本という国に住んでいること
日本人であること
日本語を話し、読み、書くこと
こうしたことを、私たちは空気と同じようにごく当たり前のことだと思っています。
自分の国が、将来なくなってしまうかも知れない。
日本人でいられなくなってしまうかも知れない。
日本語を使うことも出来なくなってしまうかも知れない。
その気持ちは、その時になって初めてわかるものなのかも知れません。
中国軍によるチベット弾圧の真最中にあった台湾総統選挙。
しかし、期待に反して国民党の総統が選ばれます。
「台湾人は、チベット問題をわが事として考えようとしない」
その時の著者の思いです。
“台湾人”を“日本人”にそのまま置き換えることも出来るように思います。
今、日本には、夫婦別姓の件しかり、外国人への地方参政権付与の件しかり、日本、そして日本人というアイデンティティを壊しかねないような動きがあるように思います。
家族、そして国を守るために亡くなった方々を祀る靖国神社への参拝、一部の海外から批判されて、やめてしまう政治家。
国際法違反の東京裁判史観にずっと縛られて来た日本人の意識。
「このままでは、将来、日本は属国になってしまう」
そう言っても、今は、笑われるだけかもしれません。
しかし、仙谷官房長官は、自民党議員から、尖閣諸島の対応について懸念を示すこの言葉を聞いた時に、
「属国化は今に始まったことではない」
と返したと言われます。
もうその流れは決まってしまっているのでしょうか?
50年後には、中国のGDPは日本の10倍になるという試算もある中で。
金さんが思い出す、日本占領時の台湾。
日本人の先生は、日本人と台湾人の生徒に平等に接しました。
叱るべき時は叱り、褒めるべき時は褒める。
誠実であること、勤勉さ、遵法精神・・・
その“リップンチェンシン(日本精神)”は、当時の台湾の人々の心の中にも自然に宿っていったとのこと。
敗戦後の日本では、歴史、教育を含めて戦前のものが根こそぎ否定されました。
その流れは、今でも変わらず、私たちはそのことを当然だと思っています。
しかし、著者は、
「反省すべきは戦前ではなく戦後」
であると言います。
実は、私にも思いあたることがあります。
香港にいた時にお会いした、タイ在住の台湾人の方のことです。
その方が話される、今まで聞いたこともない美しい日本語、その表情から醸し出される当時の日本人への尊敬の念。
それまで、私の意識に完全に刷り込まれていた、
「占領地の人々にひどいことをした日本人はけしからん」
という話とは、あまりに隔たりのあるその姿に、驚いてしまいました。
そして、当然日本人だと思っていた私と、その方の、一体どちらが真の日本人なのだろうと、恥ずかしくなりました。
著者は、もう“最前線は、台湾から日本に移った”と書いています。
そして、今度こそは、50年過ごした日本を守るのだと。
私たちは、今、大きな岐路に立っているのかも知れません。
日本の占領下にあった台湾に生まれ育った後、日本の学生となり、その後50年以上、日本から母国台湾の独立を願い、運動を続けました。
監視を受けていた為、延長出来ないことが明白であった台湾のパスポートは破り捨ててしまいました。
同胞がどんどん脱落していく中、日本で結婚し、パスポートがないまま、子育てをしながら活動を続けました。
ようやくその活動が実を結び、台湾独立を目指す民進党が、選挙で初めて勝って希望が見えたのもつかの間、次の選挙で、民進党は大敗し、もとの国民党に政権が戻ってしまいます。
希望の光が消えたと感じて、金さんは、そこで初めて国籍を日本に変えました。
日本という国に住んでいること
日本人であること
日本語を話し、読み、書くこと
こうしたことを、私たちは空気と同じようにごく当たり前のことだと思っています。
自分の国が、将来なくなってしまうかも知れない。
日本人でいられなくなってしまうかも知れない。
日本語を使うことも出来なくなってしまうかも知れない。
その気持ちは、その時になって初めてわかるものなのかも知れません。
中国軍によるチベット弾圧の真最中にあった台湾総統選挙。
しかし、期待に反して国民党の総統が選ばれます。
「台湾人は、チベット問題をわが事として考えようとしない」
その時の著者の思いです。
“台湾人”を“日本人”にそのまま置き換えることも出来るように思います。
今、日本には、夫婦別姓の件しかり、外国人への地方参政権付与の件しかり、日本、そして日本人というアイデンティティを壊しかねないような動きがあるように思います。
家族、そして国を守るために亡くなった方々を祀る靖国神社への参拝、一部の海外から批判されて、やめてしまう政治家。
国際法違反の東京裁判史観にずっと縛られて来た日本人の意識。
「このままでは、将来、日本は属国になってしまう」
そう言っても、今は、笑われるだけかもしれません。
しかし、仙谷官房長官は、自民党議員から、尖閣諸島の対応について懸念を示すこの言葉を聞いた時に、
「属国化は今に始まったことではない」
と返したと言われます。
もうその流れは決まってしまっているのでしょうか?
50年後には、中国のGDPは日本の10倍になるという試算もある中で。
金さんが思い出す、日本占領時の台湾。
日本人の先生は、日本人と台湾人の生徒に平等に接しました。
叱るべき時は叱り、褒めるべき時は褒める。
誠実であること、勤勉さ、遵法精神・・・
その“リップンチェンシン(日本精神)”は、当時の台湾の人々の心の中にも自然に宿っていったとのこと。
敗戦後の日本では、歴史、教育を含めて戦前のものが根こそぎ否定されました。
その流れは、今でも変わらず、私たちはそのことを当然だと思っています。
しかし、著者は、
「反省すべきは戦前ではなく戦後」
であると言います。
実は、私にも思いあたることがあります。
香港にいた時にお会いした、タイ在住の台湾人の方のことです。
その方が話される、今まで聞いたこともない美しい日本語、その表情から醸し出される当時の日本人への尊敬の念。
それまで、私の意識に完全に刷り込まれていた、
「占領地の人々にひどいことをした日本人はけしからん」
という話とは、あまりに隔たりのあるその姿に、驚いてしまいました。
そして、当然日本人だと思っていた私と、その方の、一体どちらが真の日本人なのだろうと、恥ずかしくなりました。
著者は、もう“最前線は、台湾から日本に移った”と書いています。
そして、今度こそは、50年過ごした日本を守るのだと。
私たちは、今、大きな岐路に立っているのかも知れません。
私は、なぜ日本国民となったのか (WAC BUNKO) | |
金 美齢 | |
ワック |
出来事から気付けたことを抱きしめて、あたたかく栄えていきますように
ただ、ここで著者が使っている戦前、戦後とは、文字通りの意味です。
戦前の日本、日本人の心や行いは、決して恥ずべきことではなく、大切にするべきこと。むしろ戦後に生み出された考え方やその歩みにこそ、反省、恥ずべきことがたくさんあるのではないか、という意味です。