"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“子供たちを守り抜いてなくなったお母さん”

2011-08-14 23:31:41 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

原子爆弾が落ちた時、当時10歳だった荻野美智子さんの作文です。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/8/14】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』から
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。
   
         * *
   
   あす8月15日で、終戦66年を迎えます。
   『致知』では、これまで戦争を体験された方々に
   数多くご登場いただき、ご自身の戦争体験について
   語っていただきました。
   
   昨日より3日間、平和への祈りをこめ、
   戦争体験者の記事をシリーズでご紹介いたします。
   
   第2回目は、東井義雄先生の講演録
   『10代の君たちへ 自分を育てるのは自分』
   
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=831&category_cd
   
   に収録されているお話から――。
   

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東井:長崎に、原子爆弾が落ちました時、
   当時、10歳であった荻野美智子ちゃんという
   女の子の作文をちょっと聞いてください。

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雲もなく、からりと晴れたその日であった。

私たち兄弟は、家の2階で、ままごとをして遊んでいた。

その時、ピカリと稲妻が走った。あっというた時には
もう家の下敷きになって、身動き一つできなかった。


 (大きいお姉さんが水兵さんを4、5人呼んできて、
  美智子さんは救出されました。しかし……。)


その時、また向こうのほうで、小さな子の泣き声が漏れてきた。
それは二つになる妹が、家の下敷きになっているのであった。

急いで行ってみると、
妹は大きな梁(はり)に足を挟まれて、泣き狂っている。
4、5人の水兵さんが、
みんな力を合わせてそれを取り除けようとしたが、
梁は4本つづきの大きなものでビクともしない。

水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。
よその人たちが水兵さんたちの加勢を頼みに来たので、
水兵さんたちは向こうへ走っていってしまった。


お母さんは、何をまごまごしているのだろう、
早く帰ってきてください。妹の足がちぎれてしまうのに……。


私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びをして、
あたりを見回しているばかりだった。

その時、向こうから矢のように走ってくる人が目についた。
頭の髪の毛が乱れている。
女の人だ。裸らしい。むらさき色の体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。

ああ、それがお母さんでした――。



「お母ちゃん!」


私たちも大声で呼んだ。

あちこちで火の手があがり始めた。

火がすぐ近くで燃え上がった。お母さんの顔が真っ青に変わった。
お母さんは小さい妹を見下ろしている。
妹の小さい目が下から見上げている。
お母さんは、ずっと目を動かして、梁の重なり方を見回した。

やがてわずかな隙間に身をいれ、一ヶ所を右肩にあて、
下くちびるをうんとかみしめると、うううーと全身に力を込めた。
パリパリと音がして、梁が浮かび上がった。

妹の足がはずれた。

大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。
お母さんも飛び上がってきた。
そして、妹を胸にかたく抱きしめた。
しばらくしてから思い出したように私たちは、
大声をあげて泣き始めた……。


お母さんはなすをもいでいる時、爆弾にやられたのだ。
もんぺも焼き切れ、ちぎれ飛び、ほとんど裸になっていた。
髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように赤く縮れていた。

体中の皮は大火傷で、じゅるじゅるになっていた。

さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ
皮がべろりと剥げて、肉が現れ、赤い血がしきりににじみ出ていた。

お母さんはぐったりとなって倒れた。
お母さんは苦しみはじめ、悶え悶えてその晩死にました。


---------------------------------------------------------(以上)

“向こうから矢のように走ってくる人が目についた。
頭の髪の毛が乱れている。
女の人だ。裸らしい。むらさき色の体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。

ああ、それがお母さんでした――。”

“さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ
皮がべろりと剥げて、肉が現れ、赤い血がしきりににじみ出ていた。”

 

水夫の方々4,5人がかりでもびくともしなかった梁。

なのに、被爆し全身のやけどを負い、肩の肉を出しながら、一人でその梁を持ち上げ、妹の命を救ったお母さん。

その覚悟の大きさ、その愛の大きさ、言葉が出ません。