魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

◆◆【我「老子」の私見を綴る】◆◆ 顯徳第十五

2012-04-22 13:03:39 | 学問

顯徳第十五

古之善爲士者、微妙玄通、深不可識。夫唯不可識、故強爲之容。與兮若冬渉川。猶兮若畏四隣。儼兮其若客。渙兮若冰之將釋。敦兮其。曠兮其若谷。混兮其若濁。孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。保此道者、不欲盈。夫唯不盈、故能蔽不新成。

古の士たる者の善く為したることは、微妙玄通、深くして識こと無し。それ唯識こと無かりしば、之強く受容を為す。與として冬川を渉が如。猶として四隣を畏れるが如。儼として其れ客の如。渙として冰が之将に解けるが如。敦として其れ樸なるが如。曠として其れ谷なるが如。混として其れ濁なるが如。誰かよく濁りたる之静めて以って徐に清めん。誰かよく安んじる之動して以って徐に生ぜん。此道を保つ者、盈を欲せん。それ唯盈たさず、故によく蔽い不し、新成す。

 古の立派な人物が布いた善きことは、微妙で奥深い道理に通じるもので、余りに奥深く知る由も無い。それ知る由も無く深遠なものであるが、強いて云えば、慎重さは冬川を渉る如き、更に近隣の国々との付き合う如きであり、折り目の正しさは客として厳格さを感じさせ、氷が融けるように自然で、素朴で飾らず、谷のように心広くして、濁って底が見えない奥深いものである。誰がこのような奥深さを解明してその全容を明らかに出来ようか。静かに眠った儘であるものを、誰が揺さぶって命を吹き込めようか。此れ護るべき道者は、我欲を持たない。我欲を持つこと無ければこそ殻を破って、新に創れん。


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