人類は、集団化して社会を造ったことで飛躍的な進歩を成した。 然し、広義の意味での「社会」を持っている生物は人間ばかりでは無い。「社会」を持っている生物は取り敢えず「動物」に限られる。哺乳類でも昆虫でさえも「社会」を持っていることは知られている。
広義の意味での「社会」は、「 広範かつ複雑な現象であるが、同種の生物の個体間の相互関係や,それらの纏まりで、継続的な意思疎通と相互行為が行われ、且つ其れ等が或る程度の度合いで秩序化、組織化された、或る一定の『動物』の集合が在れば、其れは『社会』であると考えることが出來る。」ということである。「人間社会」は、「 同じ傾向や性質を持つ,或いは目的を持つ人々の纏まりであり、日々生活が営まれて居る環境の範囲を共有し、 個々の人間がお互いに結束した上でお互い影響し合う役割と機能があるもの」とでも、定義出来様か。人類は集団化して軈て文字を持たず採集狩猟や遊牧に依存する「原始社会」を造って、軈て、 統治者・為政者が民に施す施策の進化した「政治社会」への一段階を指すさすものとしての社会である特定の地域内に居住し,共通の言語・文化等をもつ集団の,所謂未開・原始とされる小規模な集団である「部族社会」を造ってた。
部族集団は今でも東南亜細亜の島々や南米、非州、アラブ地域で、言葉は悪いが其の滓残が見られる。アラブ国家に紛争が多いのは、元々アラブには国家が在っても、アラブ地域の住民の規律や秩序や生活慣習等は殆ど部族単位で異なるものだったのに、西欧列強が人為的に引いた国境で成り立つ外部の力によって造られた国々が多いからである。
話を戻すと、「部族」は、部族間を必然的に協調させなければ成ら無い何かが彼方此方の地域で起きて、利害や血糖や文化等を共有出來る部族同士の結束が行われた。民族は、文化、言語又は宗教的伝統を共有する人々の集団を意味する。一民族が単一人種であることも多い。国民は通常、共通の過去又は共通の文化で結ばれる人々の集まりである。「部族」と「民族」の境目は明瞭では無いが、我の意識では部族と民族の違いはその地域的生活空間の広さや人口規模や文字文化を持っているか等々の差と解釈してる。日本が「単一民族」であると決め付けるのは、日本列島を専有する国家が出来た時、粗単一の民族で構成され、其の後、今日に至る迄凡そ単一民族国家と多くの国民が感じる處にある。
【日本国 のあり方: 其の弐】に続く。
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