虚用第五
天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。天地之間、其猶槖籥乎。虚而不屈、動而愈出。多言數窮。不如守中。
天地は不仁、万物を以って芻狗と為す。聖人は不仁、民を以って芻狗と為す。天地の間、其れ猶も槖籥のようなものである。虚ろにして屈せず、動きて益々はみ出す。言葉多くは度々窮す。矢張り中を護るしかないのだ。
天界にも浮世にも元々慈悲など無く、万物はただ為るが儘である。儒者なども慈悲の心など無く、民を翻弄するばかりである。天界と浮世の間は鞴のように縫い繋げられているのだ。虚心に徹すれば道理を枉げることは無いが、動いて、ややもすると道理を外してしまう。言を多くすれば必ず矛盾が出るものである。何事も偏る事無く程ほどにあるが儘にするしかないのである。続く。
※「老子」の様々な解釈を観ると、余りにも深く意味を捉えんとするものが多いが、老子の哲学は偏に単純化を目指したものと我は観ており、言葉そのものを素直に解すことが肝要であると我は断定する。「老子」の言わんとする全体像を後に我なりの解説を書く積りである。
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