魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【政府の行うマクロ経済政策⑥】

2018-02-05 08:15:21 | マクロ経済の基礎の基礎

【政府の行うマクロ経済政策⑤】からの続き

 財政政策に対するケインズ的見解と古典派的見解は矛盾する。古典派は、減税若しくは「赤字を生み出す政府支出の増加は、其れによって齎される政府支出の増加が其れが何な方法で賄われるにしろ、総雇用GDには何ら影響を及ぼさ無いだろう」と主張したであろう。古典派経済学者が総需要GDの増加の影響を分析した方法は次の様なものであった。
 政府支出の増加 ⇒課税、借り入れ及び貨幣の創出という3つの方法の孰れかによって賄われる。
① 総需要GDが課税によって賄われる場合
〇 ケインズ理論の場合「増税によって賄われる総需要CDの増加 ⇒国民所得NNPを増加させる。」☜ 政府が租税で1$徴収しても「其れを支出する」と政府需要GDは1$増加するが、「限界消費性向mpcが分数である」為1$より少なく減少するに過ぎ無い。
〇 古典派経済学者「増税によって賄われた政府支出の増加は、総需要AD従って国民所得NNPの増加には全く影響し無い」と主張☜ 1$課税する毎に、民間の支出は1$の分数部分で無くて1$減少すると主張したであろう。
 彼等も、「分数的限界消費性向mpcという概念を受け入れることが出来、又増税から生じる可処分所得DYの減少が消費需要CDの分数的現象を齎すだけである」ということには容易に同意するだろう。然し、彼は「租税は貯蓄をも減少させて、更に此の貯蓄は、さもなければ支出されていた筈である」と主張するだろう☜ 譬え此処での貯蓄者が、其の貯蓄で建物、設備若しくは在庫品を買うことを望ま無くとも、彼は買うことを望む誰かに此れを貸し出したであろう ⇒例えば限界消費性向mpcが0.8であれば、10$の増税は消費需要CDを8ドル、投資需要IDを2$減少させる ⇒譬え政府が10$支出しても、総需要ADは少しも増加し無い。
 ケインズ理論の意義 : 「新しい租税で賄われる政府需要GDの増加は、増加した政府需要GDと丁度同額だけ均衡国民所得NNPを増加させるであろう」ということであろう☜ 此れは正しいか?
 「投資需要ID+政府需要GD=民間純貯蓄NPS+純租税NT」(日☜ 前々回に表した式)⇒もし、「政府需要GD=純租税NT、投資需要ID=一定」であれば ⇒民間純貯蓄NPSも一定でなければ成らない。民間純貯蓄NPSは可処分所得DYに依存して居るから、民間純貯蓄NPSが不変ならば可処分所得も不変で無ければ成らない。企業貯蓄が無い場合 ⇒「可処分所得=国民所得-純租税」であるから純租税NTが増加しても、可処分所得は増加しては成ら無いのであるから ⇒Δ国民所得NNP=Δ政府需要GDとの様に同額でなければ成らない。
(例)Δ政府需要GD=Δ純租税NT=Δ1億$、投資需要ID=一定、民間純貯蓄NPS=一定 ⇒民間貯蓄NPSは可処分所得DYに依存している ⇒民間純貯蓄NPS不変(可処分所得DY=国民所得NNP-純租税NT)
 Δ純租税1億$=Δ国民所得NNP1億$とならなければ成らない。
 [支出が租税によって賄われる時には国民所得NNPは政府需要GDの増加と同額だけ増加するだろう]という此の厳格な結論は、余り厳密に捉えてはなら無い。古典派理論の「一般に貯蓄は投資需要IDを齎さ無いであろう」との主張が正しければ、ケインズ理論の基本的構想から導き出された量的結論が正しく無い場合が在ろうとも、其の質的結論は正しいと言える。政府が課税し支出するならば、徴収された貨幣の或る部分は支出され無かったであろうから、支出は若干増加することに成る。支出され無かったであろう額は、貯蓄されていたであろう額では無く、貯蓄されていたであろう額の分数部分である。
 古典派の結論はケインズ派のものとは違って居る。古典派の著者達は「誤って保蔵は起こら無い」と信じていたので、古典派の結論は質的にも誤った結果を齎すのだ。

② 債券の売却に依って賄われる政府需要GDの増加について考える。
  此れについても古典派の著者なら「財及びサービスに対する総需要ADは影響を受け無い」と主張したであろう。
 政府の債券は貸付資金市場に於いて他の証券と競合し、其の為政府が債券売却に依って調達する1$は、そうし無ければ誰かに貸し付けられて支出されて居たで在ろうものである。政府需要GDは増加するが、投資需要は正確に其の同額だけ減少することに成る。

 ケインズの理論で言う処に依れば、国民所得NNPは債券売却によって賄われた政府需要GDの乗数倍だけ増加するということである。先程政府需要GDについて考えた時、投資需要IDは不変であると「仮定」した☜ 此れは一つの誇張であると認めなければ成らない。信用に対する政府の競争は信用のコストを引き上げ、信用の利用可能性を低めることに成る ⇒投資需要は「減少する」ことに成る ⇒ケインズの理論に依って導き出される「量的結論」が間違って居ることを確認出来る。
 然し、此の教科書の筆者は👆の間違いは「『質的』には間違いでは無い」と言い張る ☞「投資需要は信用の逼迫の為に減少すると予想されるが、政府需要GDの増加よりも少なくしか減少し無いだろう」として居るのだ。利子率が上昇し信用が逼迫して来るにつれて、個人と企業は貨幣の使用を節約する☜ 不活動的であった貨幣が活動的に成り、支出が増加する。古典派の分析は保蔵と保蔵の放出を考慮に入れない為、ケインズの理論と彼等とでは違った結論に成って居ると思われる。ケインズの理論の考える処は、資金に対する政府の競争は保蔵の放出を齎し⇒総需要ADと国民所得NNPの増加を齎すと結んで居る。

③ 最後に、「新たに貨幣を創出したことで総需要ADや国民所得NNPは如何なる影響を受けるか」ということに対するケインズ派と古典派の捉え方の違いを考えて見る。新しい貨幣は当局によって印刷される貨幣で在ろうと今迄存在し無かった銀行預金で在っても良い。古典派とケインズ派の両者は、こうした行動の一つの結果である総需要ADが増加するということについては見解が一致するが、古典派の著者達は、「総需要ADは単に物価の上昇を齎すだけで在ろう」としてる☜ 彼等の見解に依れば「総需要は常に完全雇用に等しい」としてる ⇒「総需要ADの増加は単に超過需要とインフレーションを齎す」に過ぎないのである。
 ケインズの理論は賃金と物価が下方に硬直的であると「仮定」する☜ 経済が完全雇用の状態に在るという前提を排除するものである ⇒貨幣の創出に依って賄われる総需要ADの増加は必ずしも大幅な物価上昇を齎すとは限ら無い ⇒寧ろ其れは国民所得NNPの乗数倍の増加を齎すことが出来るとしてる。「国民所得に対する総合的影響が、政府需要GDの変化に限界貯蓄性向mpsの逆数を乗じたものより大であるということは、非常に屡く有り得ることである」として居るのである。国民所得NNPが増加するにつれて国民純貯蓄NPSが増加すると予測される ⇒此の貯蓄の幾等かは多くの投資需要IDを生む ⇒全部が保蔵される訳では無い ⇒国民所得NNPは更に一層増加する。

✱ 両学派の論理の展開は、「仮定」や「決められた前提」の下で論じられて来て居ることに、注意を傾ける必要がある。其の注意無しに、彼等の理論を最終的帰結として決して考えるべきでは無い。

つづく

 

 ※ 本投稿文中の綴りや語句の使い方や理論分析の誤りは、適当に解釈して貰うか、コメント欄で指摘して頂きたい。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿