魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【投資需要は如何なる要因で決まるのか?④】最終稿

2018-01-27 15:30:54 | マクロ経済の基礎の基礎

 

【投資需要は如何なる要因で決まるのか?③】から続く

 先ず、此の項の「結論」を述べてみる。

 「投資論」は経済学にとって最も重要な一つである。此の項で此れについて今迄述べて来たことは「投資を決定する」要因を説明し尽くした等とは到底言えるものでは無いということを読者に知って貰いたい。処で、「『信用のコスト』と其の利用可能性」については、「投資需要」を説明する上で中心とも成るべき概念で、此れ以降の別項でも再び登場させ説明するが重要なのは、「『信用のコスト』と其の利用可能性」が「投資需要の決定の最大の要因」だからで無く、「投資需要に関わる政策論」とし重要な意味を持つからである。

 「投資需要のの決定要因」としては、「国民所得NNPと其の変化」は上にあげた「『信用のコスト』と其の利用可能性」よりも、より重要な役割を担って居ると言われてる。然し、「完全雇用の国民所得NNP」が「国民所得NNPを一層高水準に引き上げるか、或いは国民所得NNPの高い成長率を促進する」ことを示唆するだけでは十分では無い。もし、金融政策を行え得る当局が「『信用のコスト』と其の利用可能性」を操作することが可能ならば、「完全雇用」の達成及び維持することが出来るということが重要であるのだ。

投資需要は如何なる要因で決まるのか?】の纏め

① 「投資決意」は多くの要因によって左右される。其れ等の要因の中でも「投資決意」に大きな影響を与える一つとは「予想」である。投資によって「資本の予想収益」が増大すれば、「投資需要」は促進される。然し、此の予想は如何なることで誘引されるものなのかの決定的分析は未だ未完成の儘であるが、「経常資本収益」が「予想収益」に大きく依存して居ることが分かってる。「経常資本収益」が大である時「予想収益」も大と成る傾向があることが分かってる。「経常資本収益」は「国民所得」に大きく依存してる。「国民所得NNP」が大きいと「資本ストック」は相対的に不足し、「利潤の水準」は高い。逆に、「国民所得NNP」が低いと「資本ストック」は相対的に有り余り、「利潤の水準」は低い。⇨「高水準の国民所得」は「高率の投資需要」を意味し、「低水準の国民所得」は「低率の投資需要」を意味する。

②「国民所得NNP」其れ自身ばかりか「国民所得NNPの変化」も「資本需要」に影響を及ぼす需要なファクターである。「国民所得NNP」と「資本需要」の関係は「加速度原理」として知られる。企業が「売上高の相対的大小」を無視し、「資本保有量」を「経常売上率」に調整して居るとすれば、「売上高の如何なる変化」も「資本の不足」か又は「過剰」を誘引させることに成る ⇨国民所得NNPが増加しつつある ⇒「投資需要」は正と成る可能性が在る。「国民所得NNP」が変化して無ければ ⇒「投資需要」は0と成る可能性が在る。「投資需要」が0で在れば ⇨国民所得NNPは低い水準に落ち込むであろう。「加速度原理」に依れば、国民所得NNPは常に増加し無ければ成らなく、そうで無ければ其れは消滅するだろう。

③ 「投資需要率」に作用する「所得」や「所得の変化」に加えて、「信用のコスト」と「其の利用可能性」が其れに影響を与える。「信用のコスト(利子率)」が低ければ低い程、「投資計画」は其れだけ有利に成る。「一定の利子率」の下での「信用の取得」が容易である程、着手される「投資計画」は増大することに成る ⇨「信用のコスト」を低下させ、其の利用可能性を増大させて「総需要」を促進させることに成る。

④ 「貯蓄」も叉「投資需要」の「決定要因」の重要な一つである。然し、此のことは、ケインズ的所得決定理論の初歩的説明に於いて見逃されて居る。「投資が有利であると意欲を持つ人々」にとっては、貯蓄が増加すれば、其の貯蓄を「資本財」の購入に使うことに成る。然も、彼等は「投資」を「貯蓄」利用の最良の手段と考えて居無い人々から、貯蓄に基づく資金を借りることが出来るのである ☜彼等自身の貯蓄が彼等自身の富を増加させ、彼等に一層の危険を齎せるからである。ケインズ理論の初歩的説明は、「貯蓄意欲増大効果の問題」に対して量的には誤ったものであることは否め無いが、「質的」には正しいものであることは認められてる。「投資需要」は通常「貯蓄」と同じだけ増加し無い ⇨「総需要」は低下し、「国民所得NNP」は低下することに成る。
 我の此の一連の「マクロ経済の基礎の基礎」の各シリーズでの「結論」は「質的」なものであると言うことに成る。

 我に限らず此のシリーズを以て学ぶものは、「Xか増加すれば、Yも増加すするものか減少するのか」ということを学ぶことが大切である。より現実的な仮定を置くことに依り複雑な理論に依って、より現実社会に近く利用出来るマクロ経済的分析をすること(☜ 木を見て森を見ず)よりも、「マクロ経済の本質」を根源的に求める「初歩的な理論」には、より多くの学習的利点があると我は確信してる。

「此の纏め」で分ら無いことが出て来たら、本文に戻って読み返すべきである。

 

つ づ く

 

※ 本投稿文中の綴りや語句の使い方や理論分析の誤りは、適当に解釈して貰うか、コメント欄で指摘して頂きたい。


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