今日は父の命日でした.
2年前の1月13日父は出直しました.
父は息子たちには寡黙でありましたが,現在会長である母を通してその思いを聞くこともありますし,また時折父の思惑を考えさせられることもあります.父が歩もうとした道を私はこれから歩むことができるでしょうか.いなくなってはじめてその存在の大きさに気づくもの,その最たるものが「おや」だなぁと思いました...
2年前の1月13日父は出直しました.
(「出直し」とは世間一般にいう死ぬことです.お道ではそれを「出直し」と呼びます.古い着物を脱いで新しい着物に着替えるようなもので,神様からのかりものである身体をお返しし,新しい身体をお借りしてまたこの世に出直すことからそう呼びます.ですから死は恐れたり忌むべきものではありません.だからといって,死後の世界を信じるのではなく,あくまで今ここで私たちが生かされている世界での陽気ぐらしの実現を目指します.)人生とは何が起きるかわからないものです.そしてその背後にある親神の思惑を知ることは信仰を通してのみしかなしえないのかもしれません.いや,信仰においてさえ,答えを得るには時間を要するでしょう.2年前のあの日起こった突然の父の死は,それほど衝撃的でありました.悲しすぎました.しかし,人生とはいくら生きたかではなく,いかに生きたかに価値があると思います.父はその寿命を全うし,神様の深い思惑から出直したのでしょうから,それはなるべくしてなったのだと思います.もちろん残念なことですしとても悲しいことでした.しかし,出直しの教理にありますように,身体をお返ししただけで心(魂)は御霊となって今もなお私たち家族を見守っていると思います.
父は息子たちには寡黙でありましたが,現在会長である母を通してその思いを聞くこともありますし,また時折父の思惑を考えさせられることもあります.父が歩もうとした道を私はこれから歩むことができるでしょうか.いなくなってはじめてその存在の大きさに気づくもの,その最たるものが「おや」だなぁと思いました...