展覧会名:読み継がれた源氏物語
場所:徳川美術館
期間:2020.11.08~12.13
訪問日:2020年11月18日
内容:
1.紫式部と「紫式部日記絵巻」
2.読み継がれた「源氏物語」伝本と注釈
3.「源氏物語」の絵画化と江戸の源氏絵
4.「源氏物語」の広がり
徳川美術館は尾張徳川家の「大名道具」を収める美術館で、特に国宝の源氏物語絵巻を保有しているとして高名である。
そこで、やはり源氏物語絵巻の保有で高名な五島美術館から「紫式部日記絵巻」(やはり国宝)が招聘されるのを機に、源氏物語が生まれ読み継がれてきたを示す展示会が開催されたので、訪問した。
以下に展示の順に沿って示す。
1.紫式部と「紫式部日記絵巻」
「紫式部日記絵巻」今回の目玉であり、紫式部の日記の詞書と絵がセットになっている。
今回三段の展示があるが、25日までの前期に第一段と第二段、後期に第三段の展示となっている。なお五島美術館は五段を所有している。源氏物語が10世紀末から11世紀前半に成立し、源氏物語絵巻は12世紀前半(平家の興隆直前)に成立したとされるが、この日記絵巻は13世紀鎌倉時代になってからである。
日記のうちの絵になる場面を絵画化したものであるが、実際に生きていた人を描いていて、源氏成立時の宮廷内の状況を示すとされている。
絵は源氏物語絵巻と同様に、人物は「引目鉤鼻」、建物は「吹抜屋台」となっている。色彩は源氏物語に比べて彩度が低い。
書は流麗できれいで、この書を含め配偶者が喜んでいた。ここでは絵のほうについて書く。
第一段は、公達2名が紫式部を訪ねる場面で、式部が部屋から廊下へ顔を覗かせている場面である。そして第二段は中宮彰子が子供を抱いている場面。
「吹抜屋台」というのは、絵画の日本における大発明だなと改めて思った。日本人は美術の教科書で見慣れているが、他の国では見たことがない。俯瞰的に建物内外の様子を示す素晴らしい手法で、多分日本人が見える場所と見えない場所の心の交流や対比を書きたいという強い意志を持っていていたからだろう。人と人との交流の場合にはその間の距離は関係ないから、遠近法は関係なくなる。だから手前の人も奥のほうも人は同じサイズ。
そして場面の作り方が大胆。一面目は左端の月が下半分だし、第2段の絵の上方の人は下半身しか描かれていなくてそれでよしとしている。
「紫式部日記絵巻」 第一段 五島美術館蔵 国宝
「紫式部日記絵巻」 第二段 五島美術館蔵 国宝
なおここには 藤原定家の書もある。
2.読み継がれた「源氏物語」伝本と注釈
源氏物語が面白いということで藤原道長の後援を受け書き写され広がっていったが、まとまった形ではなく「巻」やそれよりも小さな単位で書写されていた。
その過程で種々の内容の変化があり(道長自身がごっそりとなくしたこともあったようだ)、鎌倉時代に既に各種の異本の体系ができていた。そして時代が下るにつれて、異本や解釈がどんどん広がっていった。その状況が示されている。
まず藤原定家が流通していたものを選択し交合した「青表紙本」の体系と、大監物 源光行、親行(河内守)の交合した「河内本」、それらではない「別本」の体系ができ、それらから、また筆写されながら変化していった。
そういったものの代表的なものは出来た時から名家を経て、江戸時代の大名が持っていた。その所有品がいくつか示された。その例を示す。
「源氏物語 河内本 二十三冊の内」 鎌倉時代 蓬左文庫蔵 重要文化財
足利将軍家→徳川家康→徳川義直 所蔵。武家の教養として大事にされてきた。
「源氏物語 三条西家本(青表紙本系) 五十四冊の内」
本樹院下総(尾張4代生母)所蔵 蓬左文庫蔵
名家が教養として競ってこの物語を集め、勉強していたことがわかる。下が青表紙本なのに、上の河内本のほうが青表紙なのは、面白い。
3.「源氏物語」の絵画化と江戸の源氏絵
従来の伝統的描き方に加えて、その後の著名画家たち、加えて天皇や将軍が、それぞれの人の技法で描いている。それらが展示されている。
ここでは、冷泉為相と伝えられるものと狩野永岳の作品を示す。
「源氏物語絵詞 詞書 伝冷泉為相筆」 鎌倉 徳川美術館蔵 重要文化財
色のない流麗な線描。ちゃんと「引目鉤鼻」になっている。とても美しく、ドキッとしました。
「源氏物語図屏風 狩野永岳筆」 江戸 三の丸尚蔵館蔵
作者は京狩野派で、従来の狩野派を革新した人とされている。この左下の絵には天井がある。ただし中を見ることができるように、側面がない。華美な狩野派らしく贅沢に金泥を使っている。松の大きさから遠近法が用いられている。
4.「源氏物語」の広がり
源氏物語にちなんだ図案が、江戸時代には婚礼用具の蒔絵、印籠、武士の刀の小柄などに使用された。物語を世俗的に置き換えた物語も作られた。
ここでは、婚礼用具の合貝、初音蒔絵十二手箱を紹介する。
「合貝 三百七十五個の内」 江戸 徳川美術館
合貝は名家の子女が輿入れする時に、縁起のいいものとして持っていくもの。これは貝の内側に源氏物語の情景が描かれている。
「初音蒔絵十二手箱 尾張家2代正室所用 徳川美術館 国宝
将軍家光の姫が尾張徳川家に嫁いだ時に持ってきたもので、初音の巻の和歌にちなんだ文様が施されている。
このように高位の武家の女性たちは、源氏物語に囲まれていたし、武士も刀の金具や印籠などに源氏の意匠をしたものを付けて気取っていた。
また源氏物語を世俗の話に置き換えて浮世絵として出版した、歌川国貞の偽紫田舎源氏の絵画を示す。
「偽紫田舎源氏 柳亭種彦著 歌川国貞画 十九冊の内」
源氏物語の話を室町時代に置き換えて、足利将軍の周りの権力闘争と色恋沙汰に置き換えた話。置き換えという点では忠臣蔵に似ている。大人気となった。どういった形かは別として、江戸庶民の間にも源氏物語は浸透した。
<感想>
源氏物語は、内容が宮廷で天皇家をきれいに扱っていないこと、また後援した藤原氏を差しおいてその頃没落していた源氏のほうがいい状況に描かれているといった、やや奇妙なことがあるが、平安時代の貴族や女官に広がった。多分それは書かれているものがバラバラの状態で書写をくり返しながら流通していて、その局部々の文の美しさや情念に惹かれたのだろう。男性と女性で読み方は違っていたのだろう。
その物語が、平安貴族とはかけ離れた武士の世界になっても、その中で読み続けられたというのは、この展示会を見ながら不思議に思った。血なまぐさい状況においても、日本人は源氏の世界にあこがれるのか。
江戸時代はある意味平和の時代だから、武士も平安貴族なみになっていたのだろうが、明治を越えて乱世になっても、戦争をやりながら源氏物語の新訳を求める日本人がいた。そして不確定な時代の現代も・・
今回の展示は、「源氏」なるものを求める日本人とはなにかということを考えるきっかけとして、非常に面白かった。
日本人は、長期的展望やモラルよりも刹那的な情念に溺れたいと思っているのがもしれないとか思った。
「みんなの花図鑑」でご一緒でしたよね。
私は「みん花」時代は羊でしたがご存じでしたか?
これからよろしくお願いいたします(*^^)v!
徳川美術館には一度行ったことがあります。源氏物語絵巻もどこかの展覧会で何度か見たことがあります。
源氏物語は瀬戸内寂聴さんの解説本やマンガ源氏物語を読んだことがあります。(^^;
羊さんでしたか。残念ながらわかりませんでした。
ここの美術館3回目ですが、やっとどの価値を認識しました。入場料高いけれども、これから時々行ってみようと思います。