あいちトリエンナーレは、「表現の不自由展」で大混乱しています。展示の再開にかかわるいろんな意見が出て対話が進み始めたと思ったら、今度は文部省がガソリンをぶちまけました。
でもこれまで紹介してきたように、現代の課題を掘り下げ、未来に対するいろんなベクトルをたくさん持った、全体としては素晴らしいものだと思います。一部の混乱で全体で全体を否定するような、文部省のやり方はおかしい。
以下に、私の意見を書きます。
1、表現の不自由展の問題
芸術監督という津田大介さんが、最大の問題であった。
ジャーナリストであり美術のキュレーターとしての眼は保証されていなかった。彼はキュレーターというよりもジャーナリストの眼で、「表現の不自由展」を見てそれをやりたいと思い、それに参加した個別の美術家でなく不自由展の実行委員会を展全体の芸術家とみなし、契約を結んだ。しかし彼らはジャーナリストであった。そのためジャーナリスト対ジャーナリストの対応となり、展示内容にコントロールが効かなくなった。内容から騒ぎが起こることを理解していたが、見通しが甘かった。
そして検証委員会も言っているように、芸術監督の権限があいまいで強すぎたため、愛知県などのチェックが効かなかった。
私はもっと丁寧に説明や展示方法を準備すれば、展示は可能だったと思う。ただし本来のあいちトリエンナーレのキュレーターが、「表現の自由展」実行委員会ではなく、実際の作品および作者を見て、展示する価値があると判断すればということである。
なお、「表現の不自由展」実行委員会に不満がある。トリエンナーレの参加者は展示を見てもらいたくて参加している。だから彼らはこの問題は自ら解決するとし、その他の参加者は連帯の意思を示してもらったらいいだけで、展示中止はしないように声明を出すべきだった。
2.補助金の停止の問題
文化庁は、批判や抗議等の殺到によって「申請のあった内容通りの展示会が実現できていない」とし、採択となっていた補助金全額を、出さないこととした。これは明らかにおかしい。「抗議」レベルではなく「脅迫」が殺到したため、一部の展示の中止に追い込まれた。
対話できない「脅迫」は抗議とは違い、犯罪行為である。これは治安維持を担当する国家が責任を取るべきで、「状況を見守る」なんてことではなく積極的に守る側に立つべきだった。文部省は国の中の、治安維持を担当する部署に文句を言うべきである。こんな理由を挙げるのなら、国家側は治安維持の手を抜くことで、脅迫状況を作りさえすれば恣意的にコントロールできる。
抗議という議論できる状態を作るようにすることが、文部省としての役割である。そして最初に書いたように、アートの文化として前に進んでいることを評価すべきである。
芸術にこういったことをやるのは、文化国家と思っているのなら恥ずかしい。
むしろ芸術とはなにかを国全体で考えるいい機会が生まれたことを、奇貨として喜ぶべきだ。もしかすると少子化日本で工業生産に頼れなくなったときに、芸術が食い扶持になるかもしれない。
3.そして
私たちの未来とはなんでしょう。 これまで取り上げてこなかった展示をいくつか紹介します。
引用の作者名等は、後で書き足します。
<揺らぐ>
揺らいでいる
眼をこすっても
治らない
未来への扉
消えないでほしい
揺らいでいる
眼をこすっても
治らない
未来への扉
消えないでほしい
でもこれまで紹介してきたように、現代の課題を掘り下げ、未来に対するいろんなベクトルをたくさん持った、全体としては素晴らしいものだと思います。一部の混乱で全体で全体を否定するような、文部省のやり方はおかしい。
<やってられないよ>
悲しいね
もっと私を
見つめてよ
なぜここにいて
心動かすか
悲しいね
もっと私を
見つめてよ
なぜここにいて
心動かすか
以下に、私の意見を書きます。
1、表現の不自由展の問題
芸術監督という津田大介さんが、最大の問題であった。
ジャーナリストであり美術のキュレーターとしての眼は保証されていなかった。彼はキュレーターというよりもジャーナリストの眼で、「表現の不自由展」を見てそれをやりたいと思い、それに参加した個別の美術家でなく不自由展の実行委員会を展全体の芸術家とみなし、契約を結んだ。しかし彼らはジャーナリストであった。そのためジャーナリスト対ジャーナリストの対応となり、展示内容にコントロールが効かなくなった。内容から騒ぎが起こることを理解していたが、見通しが甘かった。
そして検証委員会も言っているように、芸術監督の権限があいまいで強すぎたため、愛知県などのチェックが効かなかった。
私はもっと丁寧に説明や展示方法を準備すれば、展示は可能だったと思う。ただし本来のあいちトリエンナーレのキュレーターが、「表現の自由展」実行委員会ではなく、実際の作品および作者を見て、展示する価値があると判断すればということである。
なお、「表現の不自由展」実行委員会に不満がある。トリエンナーレの参加者は展示を見てもらいたくて参加している。だから彼らはこの問題は自ら解決するとし、その他の参加者は連帯の意思を示してもらったらいいだけで、展示中止はしないように声明を出すべきだった。
2.補助金の停止の問題
文化庁は、批判や抗議等の殺到によって「申請のあった内容通りの展示会が実現できていない」とし、採択となっていた補助金全額を、出さないこととした。これは明らかにおかしい。「抗議」レベルではなく「脅迫」が殺到したため、一部の展示の中止に追い込まれた。
対話できない「脅迫」は抗議とは違い、犯罪行為である。これは治安維持を担当する国家が責任を取るべきで、「状況を見守る」なんてことではなく積極的に守る側に立つべきだった。文部省は国の中の、治安維持を担当する部署に文句を言うべきである。こんな理由を挙げるのなら、国家側は治安維持の手を抜くことで、脅迫状況を作りさえすれば恣意的にコントロールできる。
抗議という議論できる状態を作るようにすることが、文部省としての役割である。そして最初に書いたように、アートの文化として前に進んでいることを評価すべきである。
芸術にこういったことをやるのは、文化国家と思っているのなら恥ずかしい。
むしろ芸術とはなにかを国全体で考えるいい機会が生まれたことを、奇貨として喜ぶべきだ。もしかすると少子化日本で工業生産に頼れなくなったときに、芸術が食い扶持になるかもしれない。
3.そして
私たちの未来とはなんでしょう。 これまで取り上げてこなかった展示をいくつか紹介します。
<逃れられない>
いつのまにか
ここは牢獄
変顔も
逃れられない
DNA消さねば
AIによってカメラ画像やスケッチから、どの程度の顔を読み取るを調べた作品。
道端に落ちていた吸い殻についていたDNAから、その人の顔を復元した作品
いつのまにか
ここは牢獄
変顔も
逃れられない
DNA消さねば
AIによってカメラ画像やスケッチから、どの程度の顔を読み取るを調べた作品。
道端に落ちていた吸い殻についていたDNAから、その人の顔を復元した作品
<いつでも見える でも・・・>
行かずとも
いつでも見える
ネット社会
でもその画像
歪はないか
望遠鏡に3D画像を組み込み、角度を変えるとあたかも広い範囲を見ることができるように作られた作品。
行かずとも
いつでも見える
ネット社会
でもその画像
歪はないか
望遠鏡に3D画像を組み込み、角度を変えるとあたかも広い範囲を見ることができるように作られた作品。
<未来を拓く>
子供たちへ
更地あげよう
見守ろう
彼らが夢を
作っていくのを
芸術文化センターにある 子供のための段ボール王国。 夏休み終了のため子供はいなかった。
子供たちへ
更地あげよう
見守ろう
彼らが夢を
作っていくのを
芸術文化センターにある 子供のための段ボール王国。 夏休み終了のため子供はいなかった。
引用の作者名等は、後で書き足します。