今回の夜の一人歩きシリーズ 最終回。 秋、春、冬ときて、今は季節ではないのですが、夏で終わります。
とっても悔しい思い出と、うらやましがられるかもしれない思い出がセットになっています。
今回の一人歩きシリーズを書いたのですが、結局は出会いの物語でしたね。
祇園祭りの鉾を組み立てる棟梁と、アルバイトの関係で知り合いになり、宵山に訪問した。そこにいたアルバイト仲間に半被を貸してもらって、鉾の高いところまで登り、人でぎっしり埋まった四条通を見下ろした。
そして棟梁から、近辺の家宝公開の見どころを教えてもらい、それらを訪ねた後、またアルバイト仲間と落ちあって、夜遅くまでしこたま飲んだ。
彼の宿所を出たのは午前1時、荒神橋近くの下宿へ向けて、先ず四条通りに沿って歩き、鴨川を過ぎてから、わざと細い道を選んで、くにゃくにゃと迷路をたどるように、北東へと、歩き出した。
歩いていると、何処からか柔らかい2人の女性の会話が、いきなり始まり近づいてきた。すぐ先の角から顔を出すのではと思って、ちょっと足を止めると、それこそ勢いよく、余所見をしながら着物の小柄の女性が飛び出してきた。
そして私にぶつかり、反動で後に続くやはり着物の女性にもたれかかった後、また私のほうへ向かってよろけてきた。危なく膝をつきそうになったところを、強引に持ち上げ、抱くような感じで何とか支えた。
後の女性が、先ず私の方へ言った。
「すみません、ありがとう」 (このあたりから、京都言葉での会話になるが、正確なのを書ききれないので、標準語で書きます。)
その後、まだ私の胸にいた女性のほうへ言った。
「着物、大丈夫? 」
「わからないけど、膝はつかなかったから大丈夫と思う。髪も大丈夫かしら。」
そう言いながら、ようやく彼女は私から離れ、裾や袖を眺め始めた。
「私の店へ戻って、明るいところでチェックしましょ。 おやまあ見事な、キスマーク、着替えを準備しますから、一緒にいらっしゃい。」
後の大柄の女性が言った。白いシャツに見事な紅の転写。
「いえ、私がかかしのように立っていたのが悪かったんですから……。」
「あら、この学生さん、面白いことを…・、でもお姉さんの店へ一緒に行きましょうよ。」
そう言って、小柄な女性が私の腕を抱え込み、拉致した。髪から立ち上る甘い香りに、一瞬立ち眩みが起こった。
彼女達が出てきた道を少し戻ると、小さな潜り戸があった。後の女性が鍵を開け、そこへ入っていくと、調理場があり、そしてテーブルが3個置かれている土間に出た。小あがりがあり、奥にも小部屋があるようだった。
やっと2人の状況が把握できた。ぶつかってきたのは若い芸妓さんで僕より年は少し上かな、もう一人はこのお店の女将さんで、年嵩の大柄。先ほどまで2人で、ここで話していたようだ。
「ちょっと待ってくださいね。それまでちょっとこれを…・」
女将さんが、私をテーブルに座らせ、ビール瓶、コップ、枝豆のセットをすぐ持ってきた後、2人で連れ立って、奥の部屋に入っていった。
ぐるっと見渡した土間の店は、黒を基調とした古い民家風の造りだった。
暫くすると、大丈夫で良かったねと言いあいながら、2人が出てきた。
そして、女将さんが、私の替えのシャツを調達してくるからといって出て行った。
「酔っ払って服を汚した人のために、準備があったのだけど、貴方は大きいから。だけどどこか近辺で置いているとおもうわ」と言って、鬘を外した芸妓さんが、新しくお酒を持って私の前に座った。
そんなのを見たのは当然初めてだったので、失礼と思いながら頭を見ていると、「舞妓さんは地毛なのよ。こうやって楽にできることは、舞妓さん卒業の特権なのよ。」と言ってにっこりと笑った。
「これは、馴染みの人から紹介された、とっても美味しいお酒。」
私の前の新しいコップに冷酒を注ぎ、自分の方へも注いだ。
「乾杯!」 彼女は言い、すーっとかっこよく飲んだ。
私も飲むと、一瞬 えっと思った。すごく美味しい。酒を意識しない。
少し話しているうちにアメリカンアートの話になった、というよりも物知り風を吹かせたかったから。美術館でのデートの武器として勉強した分野に、話を引っ張ってきたのだ。
すると彼女は、俄然興味を示して、調理場から鉛筆と紙を持ってきて、メモを取り出した。
そして私が話した内容を、フローチャートのように書き始めた。
「お姉さんは骨董品の目利きだし、私もお客さんと美術について、話さなければならないと思っていたのよ。最近アメリカ人のお客さんもくるし、…」
オキーフ、ベン・シャーン、ワイエス、へリング、ウォーホール…・ かっこよく話そうとしているのだけど、彼女の整理された頭の質問に、私のたかが新書を読んだ知識では、どんどんかっこ悪くなっていく。彼女のしなやかな指がきれいな文字を生み出し、どんどん彼女の眼が知的に輝きだす。
それなのに、国立近代美術館で話が聞きたいから連れて行ってなんて・・。
ガラっと潜り戸の側の入口が開いて、女将さんが帰ってきた。
「このサイズならば、どうかしら」
紙袋から、シャツを取り出して僕に渡そうとした。
僕も勢いよく立って、それを受け取ろうとした。途端に目の前のいろんな形のエッジが、虹ができたようにぼやけ、身体がグラっと揺らぎ、立っていられそうになくなった。
それとともに、嘔吐が始まる。口の中の段階で、さっと女将さんが紙袋を顔の前に出した。はき始めた。
「おう、おうかわいそうに… 私がやるから、ご不浄の戸をあけて電気をつけてね。それから奥の部屋の押入れに布団があるから、そこに敷いておいてね」
そう言って、私と彼女に言った後、紙袋を顔の前にくっつけたまま、トイレの方へと私を連れて行った。
いきなり影もない光だけの空間に入った。真っ白なタイル張りの部屋が乱反射し、便器が浮遊している。私も漂うように押しやられ、その前に顔を寄せさせられた。
女将さんは完全に僕の後ろにまわり、僕の背中にべったりと身体をくっつけてきた。そして前をまさぐり、ボタンやベルトをきれいに外し、さすったり、押したり。かわいそうにとか、楽になるよとか、いろいろとつぶやいてくる。
女将さんの身体が、肉体という感じで背中全体を圧迫し、後からその手が、たくさんの蛇が這い回るように動き回る。これがプロなんだとおもった。
まだかなといいながら、のどの奥まで2~3度手を入れ、そして胃のあたりをさする、そうするとまた嘔吐が始まる。女将さんの思うままで、何もできない、そして彼女が入口でこの情けない姿をきっと見ている、
悔しくって涙が出てきた。 だけど、いなければ心地よいと思ったかもしれない・・・。
「多分これで大丈夫と思うけど、暫く寝ていなさい。」
奥の部屋まで引きずっていかれ、寝かされた。鬘が鏡台の前にあった。悔しさだけが頭にあったが、何もできず、そして不覚にも意識を失った。
眼が覚めると部屋は私一人だけ、電気が付き明るいままで、鬘は無くなっていた。
土間の方へ出て行くと、女将さんが下はジャージー、上は下着のままの状態で、テーブルで電卓をたたいていて記帳をしていた。
そして僕のほうを見て言った。
「まだ暗いよ、もう少し寝ていたらどう?。 暫くすると板さんが仕込みに来るから、残り物で雑炊でも作ってもらおうよ。 今おなかがすいているならば、カップヌードルがあるよ。」
しかし、この異常事態から私は早く脱却したいと思っていたので、すぐ出ると言い張った。女将さんはそれならということで、着替えのシャツを取り出し、紅のついたシャツを紙袋に入れて渡した。
「シャツは返さなくてもいいのよ。」
だけど私が必ず返すといったので、名刺を渡してくれた。
「それから、○○○○が胸ポケットに、ラブレターを入れていたよ。 だけど板さんが来て、私達を誤解してくれたら面白かったのに。」
○○○○が彼女の名前か……、 お礼の挨拶もそこそこに外へ出た。ともかく背中にべたりとくっついたあの感触から逃げ出したかった。
外へ出ても混乱していたので、下宿へまっすぐ帰る気にならない。改めて、鉾のほうへ歩き出した。少しずつ明るくなっていく。
まるっきり人通りがなく車のとおらない四条通りに、昨日の雑踏の跡形の間を、なんと鳩の群れが行進している。一瞬 核戦争後の廃墟を歩いているのではないかとまで、思った。
鉾までたどり着き、細い路地に入った。店を出て以来やっと生を感じる人にあった。カンカンカン、やや小太りのおばさんが、鐘をたたいて路地を歩いている。これが祭りの始まりの合図なのだろうか。
紙袋からシャツを取り出し、改めて紅の跡を見た。胸ポケットには、小さく折りたたんだ紙が押し込まれていて、「約束忘れないでね」って書いてあった。
今日は異常の日なんだ、だからここで、これから湧き出し渦巻く人に揉まれ押し流され、漂いながら、浄化されようとぼんやりと思った。
Cafestaからの転載。