「川や池は何色に塗る?」
「晴れていると水色かな」
「じゃ曇っていたら?」
「灰色に青を少し混ぜる。」
「木が写っていたら?」
「緑色と青かな。」
「なぜ青を混ぜるの」
「だって、皆やっているし、空の色を映すから青いんでしょ?」
うちの子供が小学校の頃の対話である。
私も、池や川および滝を描く時は、みずいろや青という呪縛に、ずっととらわれていた。
保育園でクレヨンを用いて絵を描き始めた頃に、空は青、雲は白、山は緑、太陽は赤、そして水は「みずいろ」、また顔や肌は「はだいろ」といった約束事のパターンに、染まったのだろう。
前4者の呪縛は、小学校の低学年でかなり解けたが、後者2件についてはなかなか解けなかった。
それは、やはりその対象の表現が難かしく特効薬的にその色に逃げ込むことができること、そしてやはり「言霊」の影響が子供には強かったため(みずいろといっているんだからそうなんでしょ!)と考える。
「はだいろ」についてはどうだったか忘れたが、「みずいろ」については呪縛が劇的に解けたので、その経緯について書く。
私の小学校の頃は、田舎であったこともあるが、校外でよく写生をすることがあった。森や山、田園風景、神社やお寺など描く対象に恵まれていた。少し遠出をすれば海にも出ることが出来た。
そして教育熱心な両親が田舎では珍しく多量に画集を買っていたこともあり、絵画はそこでは相対的に「上手」ということになっていたので、いつも期待に答えるべく頑張って写生を描いていた。
写生でいつも苦労していたのは、水をどう描くかであった。低学年の頃はあっさりと「みずいろ」に塗っていたが、現実は透明だったり、いろんなものを反射して、いろんな色になったりする。
「みずいろ」という約束事と、現実の違い、そして現実をそのまま描くにしても表現が非常に難しいことから、水が入る風景を描かなくなった。
しかし小学校5年生の秋の写生大会で、前景の左に建物がありその横に池、その奥にきれいに紅葉した林、遠景に黄色や赤色そして緑のまだらの山という風景を、是非描きたくなった。
それは特に池がよかったからである。建物の影となっている約半分が藻の深緑で、その上を色とりどりの落ち葉が漂っている。残りの半分はほぼ黄色の林を見事に写しこんでいる。そして都合よく風はまるっきり吹いていない。
大体の輪郭を取り、全体の配色を薄く塗りながら、やはりは「みずいろ」という概念にとらわれ、それと実際との折り合う状況(例えば適当にみずいろの線をいれたりする)を考えていた。
そのとき、ふと頭に浮かんだのが、なぜかゴッホの絵の中にあった黄色の空である。その日は青空だったのだけど、周りを見ているうちにみんな黄色に染まっているように見えた。空も黄色に見えないこともない、じゃあ一度黄色にしてみようということで塗ったら、非常にしっくりきた。
この大きなジャンプのおかげで、池については「みずいろ」を考えずに、見たままを描いてみようということとした。気持ちがぐんと楽になり筆がどんどん進んだ。
結局この絵は写生大会で準特選となり、黄色い雲を描いているということで、クラスの中では評判になった。
これは空を最初に黄色にしていたけれど、最後はやはり頭で作りすぎということで自重し、ただし最初に感じた黄色のかたまりのイメージを残すために、大きな雲を黄色で描いたためである。皆にとっては、雲を強い黄色で描くことが、大胆なことと捉えられたようである。
しかし私にとっては、水があるところを「みずいろ」にとらわれずに描くことができたということが大きな飛躍であり、その後は滝や川など、自分の感じたままに描くことができるようになった。
この話は社会人になってから、ある事件をきっかけに、自分はこんな経験をしたことがあるのだと思い起こしたものである。
いまでも、既成概念にとらわれているのではないかと自分に問いかけるとき、また自分は変わるのだと意志を強く持ちたい時に、このことを考える。
それとともに、「みずいろ」という水の色ではないけどそれらしい色の概念を、はじめに作りだした人たちにも敬意を表する。
皆さんが子供だったころは、池や川などをどのように色付けしていましたか?
今はないSNSからの再掲載