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てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

映画 「日本の一番長い日」 等

2025-08-03 21:55:57 | 映画
映画 <DVDでの鑑賞>
1.1967年(昭和42年) 東宝 製作
  「日本の一番長い日」
   監督:岡本喜八

2.2015年(平成27年) 松竹製作
 「日本の一番長い日」
  監督:原田眞人監督

3.2012年  米国 クラスノフ・フォスター・プロダクションズ製作
 「終戦のエンペラー」
  監督:ピーター・ウェーバー

Ⅰ.はじめに
 1と2の作品は、ともに半藤一利著作の同名小説の映画化であり、ポツダム宣言を受諾する1945年8月14日から15日にかけての、反乱「宮城事件」を主題にしている。
 1の映画は大学に入ったが学園紛争中でのんびりしていたので、名画座で見て衝撃を受けた。DVDレンタルショップで見つけ、その映画を知らない配偶者に見せたいとおもった。一緒に見て、あらためて衝撃を受けた。
 2の作品は1の作品の隣にあり、48年後どんな映画を作っているのかと興味をもって借りて鑑賞した。
 3は、マッカーサーが日本に到着後占領統治に天皇が有用と考えて、東京裁判の対象からはずす根拠を探しまわるという映画である。その中で日本の決断システムのいい加減さ、すなわち具体的な責任者不在を認識するとともに、宮城事件の重要さを知ることとなる。。

Ⅱ.1と2の比較。および3について
 1は、東宝創立35周年記念作品のひとつとして映画化された。東宝内部では、ヒットさせることよりも製作する意義を重視する声が多かったという。終戦後22年たっての戦争責任を問う映画である。原爆や絨毯爆撃の実際の被害状況、沖縄の悲惨さなどの実写が、これでもかというように出てくる。



 日本は戦争を始めるのはいいが、これまでも相手が参ったというか、有力国の斡旋で終わるといったように自分での終わり方を考えていない国だった。だから中国との戦争で泥沼に入り、太平洋の各地でぼろ負けに負けだしても、終わり方を自ら考えることが出来なかったということがわかる。そして軍隊は天皇をただ権威付けにして政府に対して勝手に動く集団であった。軍、特に陸軍の若手将校は国民を守るというよりも天皇中心の国体護持のために、乾坤一擲の本土決戦をやろうとしていた。多分そういうことになったら、本土の国民は沖縄の様に酷いことになっていただろう。
 天皇が国民を憂い、文官や海軍大臣などがやめざるをえないという気持ちになっていたが、国体護持の必然性に洗脳された若手将校は当然ながら戦争の継続を図ろうとし、戦争終了を録音した玉音盤を奪うために反乱を起こし、宮城内の一部やNHKを占拠する。暴走する戦争遂行の意志と、それを止めようとする武器なき人たちの戦いを描いた、改めて鑑賞しても素晴らしい作品だった
 モノクロであることが、その迫力を倍増させた。なお昭和天皇は存命中であったため、影とか遠くからの小さな姿での撮影ではっきりとは映されなかった。

 それに対し2の映画は平成で撮られたもので、昭和天皇もちゃんと映されている。原田監督は天皇の戦争をやめるという意志を支え(天皇の若いころから侍従であった)、また暴走する若手将校との板挟みとなった阿南陸軍大臣の苦痛への理解(鈴木が侍従長の時の侍従武官)、すなわち疑似家族的繋がりがあり、それがポツダム宣言受け入れへの下地を作ったとの話や、その3者の家族の話、そして阿南大臣の切腹までの揺らぎなどが描かれている。



 その代わりに戦争継続遂行という目に見えない空気が矮小化されていて、反乱軍がドタバタやっているだけの様に見えてくる。人を描くならば暴走する若手士官の家族関係も描くべきだし、陸軍はガダルカナル、フィリピン、沖縄と惨敗しているのに、それをどう思っているのかなど描くべきだった(最後の惨敗の経験評価は1でもなかった。)。
 この映画は、戦争について表現していないことや、反乱の背景などがあまり描かれていず、薄っぺらいとおもった。

 3の映画は、戦争犯罪についてさばくのに、いかに天皇を除外するかの証拠を求めてマッカーサーから特命を受けたフェラーズ准将が調査をする話である。

 

 最終責任者は天皇にあるように見えて、そこへのリンクはぼんやりしていて下で勝手にやっている様子がうかがえるが、判然としない。軍部から上がってきた話に天皇が否定的ならば、違う天皇に置き換えるといった話も出てくる。
 その具体的な例が宮城事件で、御前会議で決定した天皇が国民に話すという玉音盤を、皇居の一部を占拠し奪おうとした。この話が天皇に実権がないのだという有力なエビデンスになったような感じだ。調査と並行して、フェラー准将のかつての日本人の恋人とのお話もでてくるが、うまくアレンジされている。び

Ⅲ おわりに
 1967年版は何も授賞しなかったが、もっとも観客を集めた。それに対して2015年版はアカデミー賞など多くの表彰を得ている。でも私の基準からすれば1967年のほうがはるかにスケールが大きくインパクトがある。戦争について考えるのに非常によい作品なので、是非見ていただきたい。2015年版は1967年版のインパクトを消すために、あえて製作されたようにもみえる。
 3の映画も、米国からの日本への見方という点で、非常に面白い戸思った。一見されたらと思う。

 誰か知恵の働く人が宮城事件を起こして、天皇が無力であることを示した・・・ そんな感じも、3の映画を見て思った。
コメント
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