2016年8月訪問
<ナショナル・ギャラリーの入口>
ワシントン・ナショナル・ギャラリーに行く前日から興奮していた。さあ何を見よう・・・ といいつつ、まずは見るものとして、その頃巡回展でこの美術館からきていて、落ち着いてみることができなかったフェルメールとモネの絵は確実に見ようと決めた。
西館(現代美術館ではない方)の入口のマーキュリー像から横に入った所に、フロアマップがありそしてボランティアのおばあさんがいた。フロアマップを取りおばあさんに、フェルメールとモネの部屋をまるつけしてもらい、まずそれを見ることにした。そこへ急ぐ途中、有名作品が綺羅星のごとく並んでいるのを見て、最初から見ていこうとすると溺れてしまうなと思った。
なおここでの写真はほぼ私が撮ったものを使ったが、後で公式ホームページから作品写真を大きなサイズの状態でダウンロードできることに気が付いた。だからここでは絵画作品自体の写真を撮る必要はない。
<入場した場所にあるマーキュリー像>
1.フェルメールの絵
この美術館には、フェルメールが3点、伝フェルメールが1点ある。4点が並んでいたが、誰もいなかった。そこでベタッとくっついてじっくり見入った。
3点というのは下記である。
・天秤を持つ女
・手紙を書く女
・赤い帽子の女
そして伝フェルメールというのは下記である。
・フルートを持つ女
「手紙を書く女」
<頭部拡大>
アメリカに行く前に来ていたのがこの絵。鑑賞者を意識した目線でとてもかわいい。もっと近くでちゃんと顔を見たいと思っていた。
実際に見ると、やはりとてもかわいい。丁寧に描かれた滑らかな顔の肌。窓からの光と、優しくうねっている肩のほぼ金色の生地からの照り返しが、やや幼いが理知的な笑顔をひきたてている。改めて惚れ直した。丁寧な肌や生地に対して、真珠の輝きなどが点々と簡単に描かれて、それでリアルに感じるものすごい。
このモデルの人も、こんな感じに描かれて幸せでしょう。
「天秤を持つ女」
<頭部拡大>
フェルメールらしさがいっぱい詰まった作品。
この絵はだいぶ前に日本で見ている。その時は不思議な光というのと、宗教画みたいという印象だった。その後コペンハーゲンに行って北欧の光というのを実感してきたから、この角度の低い優しい光は理解できる。その光の量よりも明るく女性が輝いていること、裏面の壁の絵が最後の審判であること、そして彼女の持っているのが天秤であることから、これは絶対に宗教画であると改めて思った。
家政婦さんの姿で、世の人の罪を測っていると想像すると面白い。
「赤い帽子の女」
この絵はこの時始めて観た。(画集も含めて初めて。日本は2018初登場)
割とくっきりしたフェルメールの作品に慣れていたので、一瞬あれっと思った。そして、これがフェルメールならローランサンの先取りみたいで、現代につながっていて面白いと思った。
真筆かどうか疑われているようだが、17世紀の絵とは思えないような現代性を持っていて不思議な存在。この美術館ではいろんな所でこの絵を看板にしている。真筆であるとアピールしたいというよりも、現代の人への問いかけをしているこの瞳と口元を主張したいのだろう。
「フルートを持つ女」
伝フェルメールだけあって、なんだかわからない作品。真筆派からは「赤い帽子の女」と小道具や描き方が共通だが保存状態や補修が悪かったと言われているが、やはり訴えてくるものがなくて、なんだかなと思ってしまう。
絵の中で顔の面積がかつてなく大きいので人の存在を書いたものと思われるが、真筆ならば実際に彼が書こうとしたものが何だったのかを、元の絵を再現してもらいたい。もしそれがこの絵とほぼ同じだったら、この生気のない仮面のような顔は現代も乗り越えてゾンビの世界を垣間見て描いたのかもしれない。
2.モネの絵
この美術館では、モネを20数点所有している。ここもほとんど人はいず、自由に作品を見ることができた。数点程度を紹介する。
「散歩、日傘をさす女性」
<頭部拡大>
日本でこの絵を観たときはラッシュアワー状態で、ところてん式に右から左へと押し出された。逆光の中の女性がりりしく見え、特に女性の顔の周りの風の流れの描き方を知りたいと思って、今回の訪問を期待していた。
じっくり見ると、小気味いいくらいの大きなタッチで描かれていた。近寄って絵筆の距離によると、逆光の輝きがバラバラでよくわからない。ある程度離れると、逆光が迫力を持って現れる。
顔の白い線はベールが揺れているものと思うが、近くで見るとうねった白い線。これが離れると違和感なく感じるのが画家の魔力。
とても爽やかさを感じる作品だった。
「ヴェトゥイユの画家の庭園1880年」
モネは多作で似たような絵を連作しているのと、モネを扱う美術展が多いので自信がないが、この絵も日本で見たことがある。
非常に単純な空に、高い黄色のひまわり、子供が2人と母親が庭の中に立っていて、印象派そのものの紫の影が踊っているのが好き。
「ロンドンの国会議事堂」
これは多分初めて。色が印象派だが、かなり抽象画っぽく、建物の色の塊、空の色の塊がせめぎあい、それらを写しつつもタッチを横に変えた海が、これからの事件の経過を伺っている。
「ルーアン大聖堂」
これも連作で有名で、日本で見たものかそうでないかはわからない。でも明るい方の絵に小さく人間が描かれているのに気が付いて、この建物の勇壮さと、それに大胆に取っ組み合ったモネの真剣さを感じた。
「日本の橋」
睡蓮の池も多量に描かれているはずだが、ここにはこの一枚しかなかった。これを見ていて、いろんなタッチの共演で、それは違った風に身体を動かすことであり、描いていて楽しかっただろうなと思った。
モネの場合、もっと抽象画に振れている作品もあるが、わりと印象派の範疇のおとなしい絵が多いように感じた。これは2回目に述べるが、美術の主流がフランスからアメリカに移ったのは抽象画の進展によるとして、その先駆けのモネの役割を小さく見せようとしたのかと勘繰った。
ともかく、この2人を鑑賞するだけでも十分満足でお腹いっぱい。
次回はその他の西館、次々回は東館と彫刻庭園を紹介するつもりです。
<ナショナル・ギャラリーの入口>
ワシントン・ナショナル・ギャラリーに行く前日から興奮していた。さあ何を見よう・・・ といいつつ、まずは見るものとして、その頃巡回展でこの美術館からきていて、落ち着いてみることができなかったフェルメールとモネの絵は確実に見ようと決めた。
西館(現代美術館ではない方)の入口のマーキュリー像から横に入った所に、フロアマップがありそしてボランティアのおばあさんがいた。フロアマップを取りおばあさんに、フェルメールとモネの部屋をまるつけしてもらい、まずそれを見ることにした。そこへ急ぐ途中、有名作品が綺羅星のごとく並んでいるのを見て、最初から見ていこうとすると溺れてしまうなと思った。
なおここでの写真はほぼ私が撮ったものを使ったが、後で公式ホームページから作品写真を大きなサイズの状態でダウンロードできることに気が付いた。だからここでは絵画作品自体の写真を撮る必要はない。
<入場した場所にあるマーキュリー像>
1.フェルメールの絵
この美術館には、フェルメールが3点、伝フェルメールが1点ある。4点が並んでいたが、誰もいなかった。そこでベタッとくっついてじっくり見入った。
3点というのは下記である。
・天秤を持つ女
・手紙を書く女
・赤い帽子の女
そして伝フェルメールというのは下記である。
・フルートを持つ女
「手紙を書く女」
<頭部拡大>
アメリカに行く前に来ていたのがこの絵。鑑賞者を意識した目線でとてもかわいい。もっと近くでちゃんと顔を見たいと思っていた。
実際に見ると、やはりとてもかわいい。丁寧に描かれた滑らかな顔の肌。窓からの光と、優しくうねっている肩のほぼ金色の生地からの照り返しが、やや幼いが理知的な笑顔をひきたてている。改めて惚れ直した。丁寧な肌や生地に対して、真珠の輝きなどが点々と簡単に描かれて、それでリアルに感じるものすごい。
このモデルの人も、こんな感じに描かれて幸せでしょう。
「天秤を持つ女」
<頭部拡大>
フェルメールらしさがいっぱい詰まった作品。
この絵はだいぶ前に日本で見ている。その時は不思議な光というのと、宗教画みたいという印象だった。その後コペンハーゲンに行って北欧の光というのを実感してきたから、この角度の低い優しい光は理解できる。その光の量よりも明るく女性が輝いていること、裏面の壁の絵が最後の審判であること、そして彼女の持っているのが天秤であることから、これは絶対に宗教画であると改めて思った。
家政婦さんの姿で、世の人の罪を測っていると想像すると面白い。
「赤い帽子の女」
この絵はこの時始めて観た。(画集も含めて初めて。日本は2018初登場)
割とくっきりしたフェルメールの作品に慣れていたので、一瞬あれっと思った。そして、これがフェルメールならローランサンの先取りみたいで、現代につながっていて面白いと思った。
真筆かどうか疑われているようだが、17世紀の絵とは思えないような現代性を持っていて不思議な存在。この美術館ではいろんな所でこの絵を看板にしている。真筆であるとアピールしたいというよりも、現代の人への問いかけをしているこの瞳と口元を主張したいのだろう。
「フルートを持つ女」
伝フェルメールだけあって、なんだかわからない作品。真筆派からは「赤い帽子の女」と小道具や描き方が共通だが保存状態や補修が悪かったと言われているが、やはり訴えてくるものがなくて、なんだかなと思ってしまう。
絵の中で顔の面積がかつてなく大きいので人の存在を書いたものと思われるが、真筆ならば実際に彼が書こうとしたものが何だったのかを、元の絵を再現してもらいたい。もしそれがこの絵とほぼ同じだったら、この生気のない仮面のような顔は現代も乗り越えてゾンビの世界を垣間見て描いたのかもしれない。
2.モネの絵
この美術館では、モネを20数点所有している。ここもほとんど人はいず、自由に作品を見ることができた。数点程度を紹介する。
「散歩、日傘をさす女性」
<頭部拡大>
日本でこの絵を観たときはラッシュアワー状態で、ところてん式に右から左へと押し出された。逆光の中の女性がりりしく見え、特に女性の顔の周りの風の流れの描き方を知りたいと思って、今回の訪問を期待していた。
じっくり見ると、小気味いいくらいの大きなタッチで描かれていた。近寄って絵筆の距離によると、逆光の輝きがバラバラでよくわからない。ある程度離れると、逆光が迫力を持って現れる。
顔の白い線はベールが揺れているものと思うが、近くで見るとうねった白い線。これが離れると違和感なく感じるのが画家の魔力。
とても爽やかさを感じる作品だった。
「ヴェトゥイユの画家の庭園1880年」
モネは多作で似たような絵を連作しているのと、モネを扱う美術展が多いので自信がないが、この絵も日本で見たことがある。
非常に単純な空に、高い黄色のひまわり、子供が2人と母親が庭の中に立っていて、印象派そのものの紫の影が踊っているのが好き。
「ロンドンの国会議事堂」
これは多分初めて。色が印象派だが、かなり抽象画っぽく、建物の色の塊、空の色の塊がせめぎあい、それらを写しつつもタッチを横に変えた海が、これからの事件の経過を伺っている。
「ルーアン大聖堂」
これも連作で有名で、日本で見たものかそうでないかはわからない。でも明るい方の絵に小さく人間が描かれているのに気が付いて、この建物の勇壮さと、それに大胆に取っ組み合ったモネの真剣さを感じた。
「日本の橋」
睡蓮の池も多量に描かれているはずだが、ここにはこの一枚しかなかった。これを見ていて、いろんなタッチの共演で、それは違った風に身体を動かすことであり、描いていて楽しかっただろうなと思った。
モネの場合、もっと抽象画に振れている作品もあるが、わりと印象派の範疇のおとなしい絵が多いように感じた。これは2回目に述べるが、美術の主流がフランスからアメリカに移ったのは抽象画の進展によるとして、その先駆けのモネの役割を小さく見せようとしたのかと勘繰った。
ともかく、この2人を鑑賞するだけでも十分満足でお腹いっぱい。
次回はその他の西館、次々回は東館と彫刻庭園を紹介するつもりです。