40年前の初めての海外出張の5回目。
オポルトから、次はパリ。ここに3日ほどいて、調査団はフランス国内を移動、私はイギリスの地方都市に行きました。
パリ滞在の目的は郊外の工場訪問が目的でしたが、ホテル内と地下鉄で驚きのことに出会いました。また自由時間たっぷりでいろいろ散歩しました。
3.旅行の過程 の続き
(7)パリにて
①ホテル
空港からバスで、ホテルに着くとまわりから民族衣装のアフリカ系の人がわらわらと集まってきた。民芸品を買ってくれとせがんでいるようだった。それを振り切ってチェックイン。ホテルはその頃は最新鋭で非常に有名だったコンコルド・ラファイエット。(今はハイアット リージェンシー パリ エトワール と名前が変わっている。
<その頃のコンコルド・ラファイエット>
同一の階に宿泊のもう一人とエレベータで部屋のある階へ着き、出るとすごく派手な服で美人の女性に声をかけられた。ドキッとしたが素知らぬふりして通り過ぎた。彼女はなあんだって感じで離れていった。一人だったら立ち止まったかもしれない。後で添乗員に聞くと、いわゆる街娼なのだそうだ。ホテル内のそれもロビーではなく宿泊階にいたことがびっくりだった。相手の脇が甘いと思ったら鍵を取り上げて部屋に入ってしまうとのこと。
食事に集まるために部屋の外に出た時はいなかった。ほかの階にもちゃんといたそうだった。今はこんなことは ないでしょうね。
部屋内はすっきりしていて眺望はよかったが、コンパクトで日本国内のいいホテルに泊まった程度の感じで、オポルトのホテルの後だから感激しなかった。
ロビー階にアーケードがあり高級品が陳列されていた。その時の装飾品店でメインに飾られていたのが、発光素子を10個ほど並べたブローチで輝きが時間によって変化していくものだった。ベースのデザインもよくその時はなかなか魅力的だったが、今ならおもちゃだろう。
(ただし、最近知人になった電気関連の人にそれを話したら、彼に言わせると博物館行になるもので絶対に購入すべきものだったとのこと。)
②メトロ
ドイツ留学していてヨーロッパ一円を動き回った先生が、シャンゼリゼにに連れて行ってやると声をかけたので、10人弱が集まってメトロの駅へと歩いて行った。その時先生がこっちだという感じで、メトロに降りるエスカレータに乗るとき、みんなより3~4m先にでた。その時4人が割り込んだ。先生の前に一人、後ろに一人がくっつくように位置し、2ステップ離れて2人がぺちゃくちゃしゃべりだした。そしてその後が私たち。エスカレータは狭く、一人が立つと横はほぼ通れない。
エスカレータの終わりに近づくと、先生を挟んだ二人が先生の服をバタバタ触りだして、ポケットの中のものを取りだし、下のフロアに着くや否や走り去った。私たちは彼らが触りだしたとき気が付いてすぐに下へ行こうとしたが、しゃべっている2人が邪魔になって近寄れない。下に降りると当然ながら2人は逃げた後。ブロックしている状況だった人は澄まして歩き去った。こういった時に騒ぐと危険だから、されるがままのほうがいいんだと大先生は言った。一応被害はそれほど入っていない財布で済んだ。ホテルの中のこととこのスリを見て、海外旅行は隙を見せてはいけないと実感した。
③工場訪問
パリから、葡萄畑の中の道を通って、最先端の技術を扱っているというその工場を訪問した。専門でなかったのでその技術はあまりわからないなりに素晴らしいものらしいということは分かった。
それよりも素晴らしいと思ったのは工場の環境。軽やかな構造で非常に採光がよく、床や壁のカラーリングが素敵でこれなら働きたいという気にさせた。特に素晴らしいのがレストラン。ちょっととしたリゾートホテルのレストランの雰囲気だった。
いいなあと思ってみていたら、一緒に行っていた人が「ここは地震のない国だからああいった建て方ができるのだ、日本はとてもこうはできない。」と言った。 なるほど。こういったことも含め、この時のメンバーはとても参考になった。
④散歩
どんな経緯だったかわからないけれど、シャンゼリゼやルーブル、ノートルダム大聖堂なども訪問している。その中で、真っ暗な大聖堂のシャンデリアの輝きを今でも思い出す。でも今はそれは再建中。
<ノートルダム大聖堂の外観>
<大聖堂内のステンドグラス>
<<パリの街角>