これは大学に限らない話だけど学校というのは「本人が学びたくなくても学ぶ必要のあることはカリキュラムによって強制的に学ばせる」ことこそに存在意義があるのラジよね。学びたいことだけ学べばいいのなら独学でもいいんで。
— PsycheRadio (@marxindo) 2019年2月24日
「君がアインシュタインならカリキュラムも高校課程もなにもいらない。勝手にやれ」というのが私の教えである。
さて、しかし
無料または低価格のオンライン教育(MOOC)は教育のあり方を根底から覆すとされたが、MIT等のedXのデータによれば、9割以上の受講者は途中で諦め、期待された途上国からの受講も少ない。ニッチを埋める程度の役割だろうと。周囲のプレッシャーなく一人で学ぶ難しさは明らか。https://t.co/vEempKyBr4 pic.twitter.com/fYXNIbvl8D
— Kenji Shiraishi (@Knjshiraishi) 2019年2月3日
こういうのを見ると、学校は実際には何を提供していたのか、が察せられて面白いなと思う。コーチング、更に上を求める学生の導き、脱落する学生の救出、切磋琢磨する仲間や競争的環境の提供、などなど。
— Kenji Shiraishi (@Knjshiraishi) 2019年2月3日
その自学自習というのは、ふつう、なかなか出来たものじゃないという。
落合陽一さんがどんな文脈でそんなことを言ったかは分からんが、いまの大学教育の状況はさておき体系的な専門知識の得られるオンラインサロンなんてどこにもないと思うけど。体系的に学ばなければ、サロンで人脈やライフハックを得てもその人自身は学のない人でしかないし。 https://t.co/nVXQwAqulv
— 山本一郎(Ichiro Yamamoto) (@kirik_game) 2018年9月26日
ですから、大学はそれほどまでに社会の負担になるところまで堕落しているのです。落合さんの感覚が自然なのです。
— 花本明里 (@hana_akari87) 2018年9月26日
疲弊はしているが堕落まではしてないだろうなあとか。
あとまあ、「体系的」というのはポイントで。
ふつう、自学自習をやった程度では、断片的な知識にしかならん。断片的な知識をより高度に統合するところに希少性があるのであって、これは世間でいう、『学校の先生は教えてくれない真実!』だのが、なぜそのように思いなされるか―という論点と重なるところがある。
―そういう、『学校の先生は教えてくれない真実』を聞いただけのオウムに価値がないのも同様の理屈である。
追加
よいテキストも大学情報もネットにタダで転がっている。では教育格差が縮小したかというとそんなことはない。ただの情報を使いこなすための訓練はただではなく、その格差はとてつもなく大きいのです。
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) 2017年1月30日
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