空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

労働者としての規範の内面化

2019-03-05 10:30:28 | ノート


 これは、そもそも、『ダメです、オレはもう自分で連絡もできないほど潰れてます』というアピールと読むのが常道だろう。ママンに連絡してもらえないと僕困っちゃう、という話と読みたくなったというのは、一般労働者の置かれている状況を理解できていないということであり、それは知的に想像力が足りてないか、この人の労働現場がたいへんホワイトであるか、という話かと思われる:



 ―となると、次の疑問は『いや、37度5分あったら、休めや。バカか? 38度5分で動けません、って、そうまで悪化するまえによ?』という”常識的”な―あるいはホワイトな―意見が出ようと言うものだが、しかし現実はそうはなっていない、らしい。

 つまりまあ、『今朝、37度5分ありましたんで、無理して今日行くと、明後日は38度5分まで行って、結果、休日が長くなっちまいますから、今日明日休みます』と電話しようものなら、『バカかおまえは。今日お前が抜けた穴をどうしろっていうんだ。そして今日働いて、なおって、明日も働けるという可能性もあるだろうが。この場合、穴は空かないわけだ。とっとと来て仕事しろ』という上司の”ご指導”が来ることが予測される、という。

 ところでこの上司も所詮は雇われの身であり、労働者の一員である。にもかかわらず、”悪逆な資本家”的な言葉を言う、と予測されている。
 でまあ、書いてある規則的には、病気休暇などは設定されているはずであり、労働者の当然の権利であり、この上司も下僚も当然それを行使することが規則上、予定されているが、ところが実際の行動としては選択されない・されがたいようになっている―





 とまあ、経営者側からみるとこういうふうにも見えるという例。
 経営者的目線を内面化し、その限りの観点から非経営者的な規範・判断を導き出して自己規制・他者規制を展開する。教科書的な思想史の知識だと、それはサド・マゾヒズム的心性と分類するだろう。そこからの解放はほんとに難。





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