「「国民の代表」とは選挙で選ばれた国会議員だ――。
首相官邸が東京新聞記者の質問を制限した問題をめぐり、官邸側がそんな見解を示した。記者が会見に出ているのは民間企業である新聞社内の人事の結果だとも。国民の代表たりえないという主張のようだ」
「この見解について重ねて問われた菅義偉官房長官の言葉には迷いがない。
「見解って、事実は事実じゃないでしょうか」」
そりゃそうだろう。単に事実として。単に制度の問題として。
「記者は国民の代表」とは、記者はそういう心構えで自らを律せよという話であって、「記者は国民の代表なんだから言うこと聞けや」という意味に取っている記者はただの勘違い人間だ。
— ebi kosuke (@ebi_kosuke) 2019年2月23日
ということである。
自らをそうした自発的な戒律でもって縛って律する人々であればこそ、一般人はそのような立派な姿と仕事を尊敬するというものであり―
同業組合(ギルド)は、組合員たる親方が提供する仕事の質を保証しなくなったので批判され、無用視され、ついには廃止された。単なる既得権擁護の組織に堕したら、誰も護らない。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2019年2月28日
記者クラブというのも要はギルドなので、構成員の仕事の質を保証しなくなれば、廃絶が近づくだろうね。
仕事の質については、例えば
(記者)自身のアイデンティティーは
— dada (@yuuraku) 2018年9月13日
(大阪)それは質問ですか? 私は自分のアイデンティティーは深く考えない。「私は私である」としか思いません
(同じ記者)もう一問
(司会)「いや。結構です」
もう若手だろうと子供だろうとクソ質問は拒絶して当たり前にしないとなhttps://t.co/8jWXh7Dywe
なんで、今年だけこうなったかというと「何の役に立つんですか?」というマジックワード(長い答えが期待でき、何度訊いても同じことを訊くなと返されない)を今年に限っては使えなかったからだ。その結果、記者は「中身」のある質問をする必要に迫られたが、その能力がなかった。それだけのこと。 https://t.co/RMYhbvOGiz
— 田口善弘 (@Yh_Taguchi) 2018年10月6日
こうして
なぜ新聞が斜陽産業なのか。なぜ若者が新聞を読まないのか。理由は明白です。「読む価値がない」のです。少なくとも月極めで数千円を払う価値などない。そんなお金があるならスマホのギガに回した方がが遥かに有用な情報を得られます。日本の報道の自由度が低いのは記者クラブの責任です。 https://t.co/NaOpmq9tsP
— もりちゃん(CV:毒蝮三太夫) (@mollichane) 2019年3月16日
などといわれることになる。
新聞記者の多くは、いわゆる理系の勉強はあまりしてこなかった人。それだけに「よく分かっていないものを怖いと思う」のは自然。でも、それなら、「よく分かっていないものをまずしっかり勉強しよう」という態度でいて欲しい。分からないまま不安を抱えて記事を書くのはどうかと思います。
— 大石雅寿(個人としての発言) (@mo0210) 2018年9月4日
ところが文系の勉強の程度もあやしい、というふうに評価されつつあるわけである。大坂なおみに”君は自分をナニ人だと規定するか?”との旨、延々聞くというのは―それは差別的民族主義者がエスニッククレンジング待ったなし状況でやるような質問であり、そんなもんやらかしてるのは本気で人権教育的にも政治的にもマズイだろう。
…いやまあ、他人のプライベートを暴露して晒してそれで覗き趣味を満足させるようなアレメディアであればまあいいんですが。しかし立派な国民の代表者様がやらかすのはまずかろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます